日本語はダメか2

日本語はダメか2

2007.10.01
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
ハート
 このようにコロコロと変わる気候のせいか、土曜日は本当によく寝た。
 いや、実は<激動>の一週間がやっと過ぎた、という安堵もあったせいかもしれない。

 氷雨にたとえて言いたいこともないわけではないが、少し違うようだ。そういう寂寥感とは違った心のせわしさ、手の打てない現実への諦念しょんぼり、そんなような性質のもののようだった。

 久しぶりにKからメールが入った。今もどこかの旅の空の下にいるのだろうか。
 痩せた寅さん、のようなK。久し振り。一緒に顔を見せてくれたQも元気でいるのだろうか。
「高齢の母、夜中にあちこちへ電話を掛けまわる
「生きるのも大変だが、死ぬのも大変だ、ってつくづく思う」
「人に迷惑をかけない年寄りになりたい。背筋を伸ばした、ユーモアがあって色気のある老いを迎えたい」

 命の秋。命の冬。
 そう、自分もKの言うような「色気のある豊かな老い」を迎えたい。理屈やセイロンばかりを言うのとは違った種類の人間に。
 そう願ったとしても、明日のことは誰にも分からない、そう、誰だって、醜くて苦しい自分を見たい、などとは思っていないのだ。


 昼と夜では心の在り方が違ってしまうらしい。彼の母君の心に迫る闇とは。
 老いとは、死とは、どのような様相で闇の中を迫ってくるのか。

 一人。孤独。
 慣れるとか超えるとか言うのは傲慢か。

「毎日」とは、死ぬることを受け止める力を蓄える、あるいは身につけるためにある、のかもしれない。夏の間歌い続けていたキリギリスは、自分の声にうっとりしすぎたのかも。

 山里は秋こそことにわびしけれ鹿の鳴く音に目を覚ましつつ
                         (古今和歌集 壬生忠岑)

 いつだって生きてあることは、わびしくてさみしいものではあるが、特に人生の秋を感じるようになってからは、ふと夜中にすっと迫ってくるささやき、どこからともない声に、ついつい何度も目が覚めてしまう。いつ死んでもいい、などと若い時は考えていたのに、いざこうして一人っきりであれこれ考えていると、闇の中の気配が恐ろしいし、何かにすがろうとしているこの身が、まあ、いかにも頼りなく、そして浅ましくも思えてしまう(平成青色吐息訳)。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007.10.01 02:33:19 コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: