日本語はダメか2

日本語はダメか2

2009.04.03
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カテゴリ: 文学 文章



 4月3日は、

 誕生花は、マーガレット。
 花言葉は、“誠実な愛”。
 誕生石は、ブルーサファイア(blue-sapphire)。
 宝石言葉は、“慈愛・誠実”。


 今日誕生日有名人は、 

1924 マーロン・ブランド(米俳優)

 1935 芳村真理(タレント)
 1950 森田正光(お天気キャスター)
 1952 中島らも(作家)
 1953 仁科亜季子(女優)
 1956 岩本恭生(タレント)
 1959 氏神一番(ミュージシャン)
 1961 エディー・マーフィー(俳優)
 1966 冨永みーな(声優)
 1967 坂本サトル(ミュージシャン)
 1969 田辺誠一(俳優)
 1971 黒沢カオル(The Gospellers・ミュージシャン)

 1975 上原浩治(野球)


 過去の出来事

0604 聖徳太子「憲法十七条」を制定
 1888 雑誌「日本人」創刊

 1911 日本橋開通式

第11位 【牡牛座】 総合運 ★★★
 →今の恋はあなたを破滅に向かわせるかもミャン。←ふむふむ。


 選考会で推したかった作品は、長い論議の末、落選。
 受賞したのもこちらの教室の生徒さんだったから、ハート複雑な心境。
 ふと思う。
 落ちた作品は、書き直し書き直しの努力(こちらの朱入れも大変だった。それによく応えた作者)の結果、ある程度の出来映えにはなったが、決定的な魅力には欠けていた、と言うこと。
 言って見れば、化粧品で埋め尽くした顔。
しょんぼり第一稿で、「あるべき形」が出ていないと、ね。書き直しで仕上がっても「原石」の輝きを失ってしまっている、という証左を見せつけられたような感じ。

 土曜日は、三月に休講だった分の補講。
しょんぼり落選した作者の作品もあるが、またもや問題あり、の出来。
 文章が荒れている、と言うか、おろそかな書き方、と言うか。指摘すると、また手入れをしてくる、また朱イレ、手直し、朱イレ、手直し……。

 配布する資料を作成した。全国の書きびとへも送る。


部分と全体そして作者の狙い



 土曜日の「蒼穹」の会の原稿を読んだ。二日がかり。
 少し休んでもう一度目を通す。

 F文学賞の時にも、今回のC文学賞の選考会の時にも感じた。
 今また思う。「蒼穹」「MIDORI」「俄」の会員、そして、錦糸町教室・柏教室の会員は、「基本的な書く力」ということでは、他の応募原稿に比べて相当に高い。中には、その差は歴然としたものもある、と言ってもいい。
 何が問題か?
 出来上がった原稿(文章)の全体の姿はどうか、ということである。まだふらふらしている、掘り下げが足りない、大事なところが書けていない、何を書きたかったかがしっかり分かっていない……。
 締め切りに間に合わせて仕上げた、という満足に浸りすぎている、提出出来る、応募出来る、やったー! と一人納得して力を抜いてしまっている。
 推敲は済んだ? 音読してみた?
 読者に受け入れてもらえる原稿を書くために、もう一度、原点に戻って考えてみよう。

「題材」と「文章」は仲のいい女と男

 作者はある題材を選んだ。
 もちろん、どのような題材を選ぶかは、作者が言いたいこと、伝えたいことと密接な関係にあるのは言うまでもない。
 登場人物を操りながら、いや、ご機嫌を伺いながら、いやいや、動いてもらいながら、作者の言いたいこと、伝えたいことを「お話」の中に織り込んでいく。
 その場その場の主人公や登場人物たちの心の動きや行動、それを描くのにふさわしいであろうと作者が選んだ文字を頼りに。
 その組み合わせとつながりによって生まれてくる「描写の力」。その場その場にぴったりした書き方。掘り下げ方。それによって構築される流れ・展開・リズム・論理。
 起承転結、といってもいいし、序破急、といってもいいが、それはあくまでも基本。
「転」から書き始めることもあるだろう、「結」から始めることもあるだろう。それが登場人物たちの場面場面における動きや心の働きをしっかりと書き表し、「臨場感」となって全体の姿を構え、読者と向き合う。……やがて、浮かび上がってくるイメージ。それらが一体となった「作品世界」がやっと現れてくる。

「題材」と「文章」といういい仲の男女を結びつけるには、魅力的で個性的な「仲人」あるいは「触媒」が働かなければならない。
 それが、作品を支える太い大黒柱=全体の構成、見通し、狙い。
 ここには、作者の「発見」がなければならない。発見とは、常識や立前、規律や正論の中には収まりきれない生き物の感覚・行動を作者が観察しているか、気づいているかどうか、ということだ。
 ある状況の中で人は思いも掛けないことを考え、行動する……。
 そう言う発見が何もなく、これまで通りの「常識内」での発想と体験でいくら書いてもなんの価値も発生しない。その上、作品全体を見通していないと、これらはただの思いつき、お遊びとして終わってしまう。

 人が生きている限り、「行動」「考え」「感情」は途切れることはない。これらは、「1+1」「50÷3」「100×4」のような数式では捕まえられない永遠の謎。
 書きたい人に「見る力」「聞く力」があれば、題材=ネタには困らないだろう。
 それをどのような文字で、どのような仕組みで、どのような文章で表すか、それによって「何」を読者に提供するか、どのような発見を読み手に届けることが出来るか、ここに「作品世界」の面白さ、魅力を決める力が働いてくるのだろう。

 以上触れてきたことと逆の場合は……、「いったい何を言いたいの」「何、この描き方」「前後のつながりが分からない」「ここは主人公の動き、おかしい」「どこかで読んだことのある心の働き」「調べてきた資料・史料をただ写しているだけ」「句読点、きちんと使って!」と反発を受け、そっぽを向かれてしまう。
 自分の書斎にいて自分の原稿用紙やパソコンの前で固定化してしまっているその傲慢な頭に、前進しようと思う方は以上のことをもう一度言い聞かせて欲しい。 (了)





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最終更新日  2009.04.03 02:25:51
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