日本語はダメか2

日本語はダメか2

2011.01.06
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ないのだ。それは、ある意味では高度な批評を込めて述べられなくてはならぬ故、ただのおしゃべりや愚痴であってはならない。
「建設的」などという表現を用いるまでもないこと。「発信」は基本的に前向き、刺激的、建設的であらねばならない。もとより、おのれに対して。

とまあ、前触れは仰々しいが、要するに菅直人総理の年頭の挨拶に凄くがっかりしたことを少々記したいだけなのである。
 哲学がない。
 ロゴスがない。
 情念がない。
 浪漫がない。

 あおりがない。
 火付けがない。
 国民の先頭に立つという気概からくる純粋ロマンの気高さ・奢りがない。
 激動含みにして停滞・混沌の時代に対するアジテーションがない。
 発信すべき所に立って居る、という自覚からくる覚悟がない。
(そんなことをやっていると、足下をすくわれて、やっと座った椅子から引きずり下ろされる)
(周囲との力関係から成り立っているオトナの世界。自分の理想や哲学などは、奥へ引っ込めなくてはならない?)
(しかしながら、だけど、「目指してきたこと」を二つでも三つでも国民のために実行出来れば「総理の椅子」にしがみつくことなどない、と外野は思うが)
 世界に向けて発信すべきことがもっとあったはず。最近、市川房枝さんとの関係や全共闘時代の動きがさまざまに分析されているが、悪意に満ちたものばかり。

 なんだか、総理も官房長官も、足下の泥水に手足を突っ込んで元気ぶっているガクドウの子どもみたいに見える昨今。
ぽっ

 それとも、Aというサイトでしきりに書かれているように、「どこかからの指令で、自分の信じた通りの動きは禁じられている」などということはあるまいな。
クール 再度、セネカの言葉(だったと思う)を思い出して見たい。
『なまじ法(律)に詳しい者は、最終的な決断を求められる政治にかかわらないほうがいい』

 ここまで書いて、これ以上「愚痴」を続ける気分もなくなってしまっている心の動きに気づく(『建設的』とかなんとか言いつくろってみても、しょんぼり結局は非難ばかりになってしまっている。ああ、自己満足的な
 総理テレビ出演の視聴率、6パーセントとか7パーセントらしい。「あの安倍晋三総理ですら16パーセントくらいあった」という記事もしょんぼり下品だが、比較する参考にはなる。

 政権交代とはいったい何だったのか。
 国民の声が届いた結果だったのか。国民には関係のない地球周波的な「循環交代」だったのか。





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最終更新日  2011.01.07 02:46:11 コメントを書く


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