日本語はダメか2

日本語はダメか2

2011.08.28
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 ここしばらく食べていなかった。
 6,7人並んだ。番が来た。「これ、二枚お願いします」

 その時、後ろ、前とうろついていた老婆が、カツサンドの箱を二つ差し出した。こちらの前へ回って。
「順番にお渡してしていますので、お並びください」というようなことを店の女性が言った。
怒ってる「ああ、いいよ、順番で」
 こちらの先に立ったまま、小柄な老婆は傲然と言い放った。
 ああ、日本語。
 思いやりのない響き。



 気高さを必要とする二本足がここそこでそれを忘れている。どんどん忘れている。
 互いにイキルには、気品が必要だ。
 二本足の尊厳。
 だが、「弱さ」とも同居している。
 時には邪険にされる。
 まごまごしていれば突き飛ばされる。最近のしょんぼり「毒舌集」によれば、「気品……その場で勝った負けただけを争う現代日本語のもつれの陰で息絶えだえの稀少語」とある。

 それにしても、ああ、逞しい、逞し過ぎる、過ぎればただのズズしさ。フテフテブしさ。ブスブスしさ。
「あ、ご免なさい」あるいは「済みません」という一般的日常的共生的相愛的相互的日本語をどうして怒ってる使えないのか。女w
 こんなたぐいは増殖しても「いのちは尊い」と言えるのか。

ハート山姥にもいろいろある。
 あの「逞しい」姿を忘れたい……、と鶴見和子歌集『山姥(やまうば)』(藤原書店・4830円)を思い出した。{気品」を頂きたい……、と。今、やや体調不良な友が知らせてくれた一冊。
 2006年、88歳で死去した社会学者で歌人の最晩年の詠800余首を収録。95年末に脳溢血(いっけつ)で倒れて以来、苦しいリハビリに耐えながら共生の思想を発信し続けた鶴見さんの意志力が歌に映る。

 学者として多忙を極めた間の長い中絶を経て作歌が復活したのは病後。意識が戻った時に突如歌の調べが蘇生した体験が鶴見さんを再び韻律の世界に呼び戻した、と言う。

 病む身体が敏感に感じる自然の変化。手書きハート

  楡(にれ)若葉そよぐを見れば大いなる
        生命(いのち)のリズム我もさゆらぐ

 鶴見和子談話。
 つまり、生きている生き方はね、私とは違う宇宙に住んでいるのよ。私はもう死んだ人に近いのよ。死んだ人にとっても親しみを感じるの。だから、死者の目とね――ところが半分生きているの。こっちは完全に生きているの。こっち側ね――右半分は生きているの。それだから、

     身のうちに死者と生者が共に棲(す)み
       ささやき交(かわ)す魂ひそめきく

 という歌も創ったんだけどね。死者と生者が、私の中で対話をしている、という感じなの。
(2001年4月8日にNHK教育テレビ「こころの時代」で放映)


メール〈タイトルは山姥。死後出版のこと〉メールとの遺言に従い刊行された本集は『回生』『花道』に続く第4歌集。
 弟の哲学者鶴見俊輔さんの序によれば、和子さんは京都府内の高齢者施設で過ごす身を「山姥」と自称したという。

 山姥われ よし足曳きの山巡りいづくの雲に消えんとすらん

 昨日(きぞ)の夜死ぬかと思え目覚むれば朝の日は差すまだ生きてあり

 生類の破滅に向う世にありて生き抜くことぞ終(つい)の抵抗

 7月24日の詠

 そよそよと宇治高原の梅雨晴れの風に吹かれて最後の日々を妹と過ごす

 辞世である。31日、永眠。遺志により、敬愛する南方熊楠ゆかりの紀伊水道で散骨による葬送が行われた。





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最終更新日  2011.08.28 06:36:26 コメントを書く


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