日本語はダメか2

日本語はダメか2

2011.09.13
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 なんと言い表そうか、井戸の中のミミズ、病葉、枯れ葉、破れ破れの蜘蛛の巣に掛かったカトンボ。
 そうではない人もいっぱい居るのだが。論理も理性も持っていて、広い視野と分析力によって日本の将来を見据えている方々。 
 井戸の中の誰かが一歩外へ出れば、たとえばついこの間のアメリカでのG7では、日本の代表は声も掛けてもらえなかった。目さえ合わせてもらえなかった。
「私に対して誰からも質問がなかったのは事実です」って、そんなことを平気で報告する有様。
 ロシアの飛行機が飛んできても、宗谷沖を大船団が通過しても、近づいても、ほとんで向こう様のやりたい放題。



 田中龍三ジャーナルによれば……。
インターネットが火を付けた「エジプト市民革命」は2月11日、ムバラク大統領を辞任に追い込み勝利した。それからわずか5日後には隣国リビアに飛び火する。東部の主要都市ベンガジで「反カダフィ・デモ」が発生したのである。体制批判は即、逮捕のリビアで民衆が独裁政治に異を唱えたのだ。

 エジプト、リビアの革命に共通するのは、国民の生活を顧みない為政者は倒されるということである。リビア民衆の蜂起がなければNATOも介入できなかった。

 もうひとつ共通することがある。新聞・テレビが独裁者のプロパガンダであることを民衆が知っているということだ。
 エジプトでは体制に窒息しそうな人々がネットでつながり、リビアでは「打倒カダフィ独裁」を叫ぶ生の声が大きくなり、ついには武装蜂起を呼んだ。マスメディアによる情報操作など人々には通用しないのである。

「誰も新聞やテレビを信じちゃいない」というフレーズだった。
 日本では国民がまだ新聞・テレビの報道を信じている。
 世界の原子力史上最悪の事故となった福島原発の爆発・放射能漏れで明らかになったのは、日本のマスコミが巨額の広告費欲しさに「原発安全神話」を30~40年にもわたって振り撒いてきたことだった。

 新聞・テレビは事故発生後も

 今なお「フレッシュな放射能」が降り続けているのにも関わらず、福島の人々は経済的な事情などで避難しようにもできない。集団疎開を求める声にマスコミは冷淡だ。ばかりか、避難地域の指定を解除しようとする政府のために世論形成を手伝うような報道が目立つ。福島の人々は被曝を強いられるのである。


(写真) 政治犯収容所で虐殺された親族の遺影を探す男性。誰が民衆の敵なのか、はっきりしていた。(8月26日、ベンガジ市内。写真:筆者撮影)


 体制批判をしたからといってリビアのように政治犯収容所に入れられることはない。拷問されることもない。だが、「放射能収容所」から逃れられない。被曝の恐怖に晒され続ける。
 人権問題と言って何らさしつかえない。日本の新聞・テレビがまっとうであれば、幾分は事態を改善できるはずだ(先の総理大臣は、仕事が終わってしまってから「あれは人災だ」みたいなことをぬけぬけと口にしている。引用社註)。

 原発事故で見えたのは、日本が「政・財・官・報複合体」による緩やかな恐怖政治、独裁政治のもとに置かれているということである。

「アラブの民主化」は敵がはっきり見えていたから戦いやすかった、とも言える。日本人は「緩やかな独裁」という真綿で首をしめられ、気が付かないうちに窒息しつつあるようだ。






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最終更新日  2011.09.13 20:18:21 コメントを書く
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