





結論を得るために大臣たちに相談したが激しい政治論争になった。蘇我氏は大陸の各国も仏教を取り入れてるのだから朝廷も取り入れるべきだと主張した。
一方中臣氏の助力を受ける物部氏は異色の神をもちこめば神道の神々の怒りに触れると反論した。
大臣たちの対立を聞いてて天皇は蘇我氏に仏像を与え奉るよう決断した。
蘇我氏の屋敷に仏像が安置されてしばらくして疫病が流行り多くの命が奪われた。
物部氏と中臣氏はこの災難は仏像のなせる業だと言い張り仏像を捨てるよう勧めた。天皇は同意し仏像を運河に捨て小さな仏像は燃やしてしまった。
30年後蘇我氏は新しい仏像を手に入れ仏壇も造った。
だが新しい仏壇が造られるとすぐに疫病が蔓延しまたしても多くの命が奪われた。
物部、中臣氏はこの凶災いも仏像の生だとして天皇の許しを得て新しい仏壇を燃やした。
だがこの事件後、天皇、国民の大部分が激しい痛みに襲われ
痛みの強い腫物に悩まされた。治るのに時間がかかり、、
この災難は仏像を捨てた天罰と悟って、天皇は蘇我氏に新しい仏壇を造らせた。
ここでようやく仏教は日本で公認されたのである。