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●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● みなさん、長々と心配をかけてすみませんでした。実は入院して、開腹手術をしました。昨日、やっと、退院できました。笑うと、傷口が痛いので笑わないよう、しばらく、バラエティは禁止です。何年も前から、痛んでいた持病が2、3月に入り、いよいよ、何回も痛み出し、もう、我慢できなくなり、切ってくれと救急病院で叫びました。が、あっさり、拒絶されました。手術室が満員で空きが無いとのこと…よほど、生命の危機が無い限り、すぐの手術は無理だと言われ、結局、手術日を予約し、その日は帰りました。で、痛みが全くない日に入院し、手術したので、手術日には歩いて手術室に入りました。その前の検査では走ってました…盲腸程度だと先生は言っていたのに後で傷口を見ると10cmはありました。騙されたような気もしましたが、あの痛みとおさらばできるかと思うとそれも仕方が無いと思いました。でも、先生から『再発が5パーセント位あるからね』と最後に脅され、少し、ショックでした。それと『おなかの中に残したメッシュのシートの感染症もあるから気をつけてね』とも言われました。まぁ、多分、大丈夫だとは思いますが、午後から、仕事の引継ぎがあるので職場に行かねばなりません。(私の退院に合わせてくれたのです)病室にパソコン持ち込んで引継ぎ書類を作りました。久々の運転、ちょっと、不安です。特に後ろの確認、体をひねると痛いので…地震の心配、いただいてありがとうございます。私はその時、病室にいました。看護士さんの持ってきてくれた暖かいタオルで体を拭いていました。あまり、ひどい揺れだと、そのまま(半裸で)飛び出したかもしれませんでしたがすぐにおさまったので良かったです。看護士さんたちが、すぐに『大丈夫ですか』と何人も病室に駆けつけてくれて身の安全を確認してくれたのでうれしかったです。みなさんに心配をおかけしました。すみませんでした。家も無事でした。話は変わりますが、おかげさまで一次、二次とも無事、合格し転職に成功しました。これが年齢的に最後のチャンスだったのですが、落ちてもいいやという開き直りの態度で臨んだ為、緊張せずに良かったのかもしれません。4月1日より、新しい、職場で頑張ります。まずはお礼とお詫びを申し上げます。ぽぽのより ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
2005年03月26日
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朝食後、急に胃がキリキリ痛み始め、結局、午前中は仕事に行けませんでした。滅多に胃は痛くならないのに…今日は絶対に文化祭のパンフレットを作り上げて印刷しないといけません。明日はもう会場作りをするからパソコンに向かう暇がないのです。最終チェックをして印刷機を回し始めたのが4時過ぎで終業時間までは終らない事を覚悟しました。食品バザーの関係で来ていた人まで巻き込んでパンフレット12枚を一組にホッチキスで閉じて完成。270部のパンフレットが出来上がりました。ここで珍しい機械を紹介。紙折り機です。いちいち、膨大な数の紙を折っていては時間がいくらあっても終りません。で、そんな時、これが大活躍します。紙折り機さん、ありがとう! template designゆいっぴー
2005年02月17日
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昨日、いい香りに包まれていた館内今日は残念ながら、いい香りはしなかったけど、いろんな掘り出し物がいっぱい出てきました。事務室隣の集会室は子育て支援のサポーターさんたちが文化祭のリサイクルのため、集めた不用品や手作り品、古着でいっぱいになりました。きれいにラッピングをして、値段付けをしてどんどん、用意ができていきました。館長が気になるのか、様子を見に行きました。そしてしばらくすると、いろんな物を抱えて帰ってきました。『どうしたんです?』と聞くと『欲しい物があったので欲しいと言ったら、売ってくれた』とのこと。手編みの靴下やマフラー、洗剤に、陶器などなど…両手いっぱいに持っていました。私も行って見ました。とても可愛い物のたくさんありました。娘がプーさんが好きなので100円でアロハを着たプーさんのぬいぐるみを買いました。誰かが、『これいいね。』と陶器を持っていました。見ると私が今年、たつきちの福袋で買った陶器でした。もちろん私の出した物である事は黙っていましたが、『いいね』と言うと、本当に買ってました。良かった!出した物が売れて…って、オイオイ、バザーは20日だろ!!こんなんでいいのか?by KINAKO
2005年02月16日
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/☆ /☆ /☆ /☆ /☆ /☆ /☆ /☆ あまりにきれいなテンプレートだったのでアップしてみました。テンプレートはきなこママから画像は『ふわふわ。りさん』のところからお借りしました。今日は文化祭のバザーの試作品作りで朝から調理室はいい香りでいっぱい。マフィンオレンジケーキバウンドケーキシナモンの香りが優しく館内を漂い、なぜか、それに加えておでんのにおいが…うん?私の鼻、おかしい?錯覚かなと思っていたら作っている人たちのお昼ご飯でした。おすそ分けまでいただき、今日はいい香りに包まれた職場になりました。小さな幸せをもらったようで嬉しくなりました。 やっぱり、色気より、食い気だわ…Designed by Kinako
2005年02月15日
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●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● 今日はバレンタインデイですね。楽しい時間を恋人達は過ごしているのでしょうか?私は父と旦那とお兄ちゃんの3人で今年もお終いです…今年からよく耳にする友チョコ義理チョコより聞えがいいですね。娘は昨日、私の勤める仕事場に来てせっせとチョコとクッキーを作り続けました。そして袋詰に励み…学校へピンクの大きな容器は本命か?と思いきや、やはり、友チョコとのこと。友チョコにもランクがあるようで…おかげ様で今日、公立高校の推薦の内定をいただきました。親子共々、歓喜の雄たけびを上げておりました。母 『授業料が安い!』娘 『自転車で通える!』 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
2005年02月14日
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お久しぶりです…一応、生きておりました。これを見てくれた皆さまに友チョコを送ります… 今日は日曜出勤しています。また、来週は19日,20日の文化祭の準備で大忙しです… バレンタイン用のアレンジです…PCに向かえない分、花と向き合っていました。なんと出窓に今、9種類のアレンジが… バラを7本、千円で買いました。花器の両端はなんとビニール製です。美術館で2つで800円で購入しました。とても気にいっています。 丸いリングのアレンジです。下のレースは私のウエディングドレスの余り布です。 ハート型のパイの型で作りました。甘い香が漂ってきそうですね!!
2005年02月13日
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みなさま、「ロバート」というお笑いコンビを知っていますか?知らない人は息子さん、娘さんに聞いてみてください。「『はねトび』の人でしょ」と、あっさり返されるはずです。新しい笑いを世に提供し、フジテレビ系の深夜番組「はねるのトびら」でブレークした東京吉本興業所属の3人組です。今日も放送されていました。(もちろん見ました)メンバー3人のうち秋山竜次、馬場裕之はわが町北九州の出身なんです。たぶん従姉妹と同級生では?(高校が同じなので)残りのメンバーは山本博は群馬の出身です…(なんか、適当?)女子中高生を中心に人気を集め、昨年7月に発売された同番組のビデオ・DVDは、4万2000本を超える大ヒットに!実はいつもこの番組を見て笑っていたのに私はつい最近までグループ名を知りませんでした… 東京吉本の芸人養成所・NSC4期生の同級生だった3人は98年に「ロバート」を結成したのですが「馬場さんのの友だちのあだ名からとった」というコンビ名は、タレント・芸人約700人が所属する吉本興業の中で、他に2組もいたそうです。こんな変わったコンビ名が3組もいたこと自体がなんか、信じられませんが馬場さん、 当時はロバートが3組いたことになります(笑い)。 秋山さん、会社に相談したら「この世界は上にいった者勝ちだぞ」と言われて。山本さん、 ほかに候補もなかったし、これでいこうと決めました。要は売れれば関係ない、ってこと??秋山さんがネタを考え、馬場がボケ、山本がツッコミを担当。新宿の「ルミネdeよしもと」を拠点にコントスタイルの芸風を磨いてきました。「お客は1度見たネタでは笑ってくれない」(秋山)。徹夜でネタをつくり、最高「月23公演」の過酷な日程もこなしたそうです。コントの登場人物は女子高生やネット愛好家、コンビニの店員などさまざま。思わず「こういう人、いるいる」と吹き出してしまう鋭い現代人の描写が、若者層にウケまくっている。 秋山 キャラを考えるのが好きなので、身近にいる人を観察して、面白くアレンジしていますね。思いついたネタは必ずメモしています。馬場 ネタの10割は秋山のアイディア。僕と山本はそれを覚えて少しアドリブを加えるくらいです。 プロフィール紹介 ◆秋山竜次(あきやま・りゅうじ)中央・ボケ担当。1978年8月15日、福岡県北九州市生まれ。門司北高卒業後、東京NSC4期生として入学。趣味は水泳、ドライブ。175センチ、68キロ。B型。 ◆馬場裕之(ばば・ひろゆき)右・ボケ担当。1979年3月22日、福岡県北九州市生まれ。門司北高出身。趣味はお酒、ツーリング。身長181センチ、体重65キロ。A型。 ◆山本博(やまもと・ひろし)左・ツッコミ担当。1978年9月5日、群馬県館林市生まれ。足利工大付出身。趣味は寝ること。身長177センチ、体重57キロ。A型。 ◆はねるのトびら01年4月、フジテレビ系で放送開始した週1回、30分間の深夜番組。若手芸人5組11人(ロバート、キングコング、北陽、インパルス、ドランクドラゴン)が個性の強いキャラクターにふんし多彩なコントを展開する。もし、テレビ等で見る機会がありましたら、どうぞ応援をよろしく。特に秋山さんはホント、才能ありです…蓮4044
2005年02月01日
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普段は車が足代わりなので、ほとんど傘を使うことがない。傘はいつも、車の中だ。この傘、買ってからもう、15年は経つ。が、いまだに色褪せず、悪くなったところもなく、きれいだ。“逆転の発想”と言う言葉があるがまさに、それがぴったりだと思う。この傘、15年前、デパートで買ったとき、悩んだほど高かった。紺色にヒマワリの黄色がプリントされている。木の取っ手も握りやすく、一目で気に入った傘だ。傘は安いとまた、買えばいいやと諦めるのか、忘れることが前提になっているところがある。だから、この傘を買うとき、私は願った。『これから先、絶対、傘を置き忘れない!』そして、15年、おかげで、一度も私の手元から離れたことがない。確かに何度か、忘れそうになったことはあった。が、何故か、その場所を離れる前に必ず、思い出すのだ。おかげで私はこの15年間、余分な傘を買ったことがない。よって、家のかさ立てはシンプルなものだ。PS 北九州からなんと二校も甲子園に出場!今春は熱くなる?Designed by Kinako
2005年01月31日
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先週のアレンジ教室は華やかでした。いつもの3人組で違うブーケを3人3様に作りました。それぞれ違った表情をしています。花材も違うのでとても楽しく作れました。 どうです?私以外の2人の作品です。華やかでしょう?横で見ている私も段々出来上がってくるのが楽しみでした。ブーケは専用のホルダーを使って作ります。 シックな色合いが素敵でしょう?キャスケードブーケを作った2人はもう、お孫さんもいる年ですが落ち着いたアレンジですよね。で、最後に私の… 私の作ったブーケは丸いブーケです。この形が大好きなんです。花材はバラ・カーネーション・ガーベラ・マトリカリヤ 他です。本当に3人3様でしょう?これが楽しみで3人でわざわざ、行く日を合わせてます。3倍楽しめて、勉強になりますからね。先生は大変だけど…次回は池坊の立花新風体予定です。 これは単なるオマケです…ぽぽのと娘です。 template designゆいっぴー
2005年01月30日
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● ● 2つのマッキントッシュもう、そろそろ、美術館から離れようと思います。が、書き出したら止まらないので困っています…今日も、椅子の話です。飽いた方、ごめんなさい…昨日、少し触れたチャールズ・レニー・マッキントッシュこの名前を聞いて、ピンと来たあなたはかなりのガーデニング通です。実は、マッキントッシュの名前を冠したバラがあるのです。まずはそれの紹介から1988年にバラの育成者でその名をとどろかすディビット・オースチン氏によって開発されたイングリッシュ・ローズです。色はライラックピンクで、微香です。8cm径ほどの浅いカップ型の花となります。夏の盛りにも元気に花芽をつけることが多く、暑さに強い性質があります。90cmから120cm高さの直立性のシュラブとなります。小さめの、よく繁る照り葉が、この品種に気品を与えています。こんど、目にした折にはぜひ、コレクションの一つにしてみませんか? チャールズ・レニー・マッキントッシュです。まるで芍薬みたいですね! 咲きかけた花が特に気に入っています。閑話休題本家本元の紹介です。チャールズ・レニー・マッキントッシュ(1866~1922)はグラスゴーに生まれ、20世紀初頭に活躍したスコットランドの建築家、上に伸びる直線と、優雅な曲線を用いた、オーソドックスで落ち着いた、しかし、清々しい印象を受けるデザインで今日でも賞賛を集めています。代表的な建築物は故郷グラスゴー近辺で見ることが出来ます。何年か前、ボランティアで建築の研究発表をしたとき、たまたま、くじ引きでマッキントッシュが当ってしまった私…なにも、知識のないまま勉強することに!誰だ?それ!コンピューターの名前なら知ってるけど…(冗談です!って。とりあえず、建築学科のある一番近い大学に電話し、図書室の閲覧を申し込む。あった、あった!うなるような建築関係の本、本、本!!その中から、絶版になっていた本を発見。私は紀伊国屋にこれを2ヶ月前に注文していたんですよ!“ないなら、ない”とはっきり言ってくれたらいいのにこっちが問い合わせたら、やっと、絶版の答え…バカにしてんの??買わずにすんだから、いいけどね。でも、結局、いい資料だったのでほとんどのページを大学のコピー機でコピーすることに…借りられないんです…外部のものは!閲覧はできるけど…建築家だけど、その頃すでに、トータルデザイナーの言うべき存在だった彼は家を丸ごとプロデュース!家具照明建具金具すべてが彼の手にかかり、完成された代表作ヒル・ハウスこの中に彼の有名な作品の椅子があるんです。寝室に置くためにデザインされたハイバッグチェアーこれは完全にここに置くためにデザインされた物でも、イタリアのカッシーナ社がライセンス契約を結んでいて量産されています。オリジナルはもちろん、グラスゴーのヒルハウスの中にあります。 これはニューヨーク近代美術館に置かれて展示されている椅子です。昨日、同様、興味のある方はこちらをどうぞ。モンローチェアーより、安価です…* * * * * * * * * * * * * * * *
2005年01月29日
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● ● 1月28日の日記 懐かしき場所 4今日は、椅子の話です。“モンローチェアー”って、ご存知ですか?世界的建築家 磯崎新氏がデザインしたものです。まずは、見ていただきましょう。これです。 モンローチェアー銀行の会議室用にデザインされたとされるイスです。格調あるデザインと象徴的なフォルムによって、今日ではレストランやロビーなどに幅広く使われています。時代の象徴としての俳優M.モンローと19世紀のイギリスの建築家R.マッキントッシュをコラージュしたデザインには、作者の強いオマージュが込められています。木製(カバ)座:天然皮革サイズ: W540×D545×H1400(SH440) 1971年 デザイン 磯崎新実はこの椅子、美術館に置いてあり、誰もが座ることができるのです。磯崎新氏が北九州美術館を設計した時と前後してこの椅子は作られています。磯崎氏は置き土産のような形でこの椅子を美術館に置いていったのです。一見、デザイン重視で座りごこちを考えてないようで実はこれが座りごこち抜群なんです。これは試したので、間違いないですよ。椅子も色々あります。生活のために椅子がほとんどですが、美術館に置かれている芸術品の域に達したの椅子もあります。先に名前の出たマッキントッシュの椅子これは私の出合った椅子の中で最高のものです。モンローつながりでもう一つソファーを紹介します。 唇型のセクシーソファはいかが?何とも迫力のあるこの真っ赤な唇は、「マリリン」という名のソファ。1972年にアメリカのデザイン集団・スタジオ65が発表しました。原型は画家サルバトール・ダリがデザインした「メイ・ウエストの唇」で、往年のハリウッドスターに捧げた作品だそうです。メイ・ウエストさんはかなり色っぽい女優さんだったのでしょうね。 スタジオ65はダリのソファをリメイクし、お題もマリリン・モンローに変えました。幅2m 高さ84・の大きな唇は、発砲ウレタン製でなかなか座り心地が良いです。そのユニークな発想にたいへん驚きました。このソファーは埼玉県立美術館に置いてあります。 大塚家具にレプリカが売られていました。お金に余裕のある方はこういうソファーもいかがでしょう?ソファーに似合う空間のある家があればの話ですが…モンローチェアーが買える楽天市場です明日はマッキントッシュの椅子の話を予定しています。* * * * * * * * * * * * * * * *
2005年01月28日
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● ● 1月27日の日記 懐かしき場所 3エントランスに入ると、一瞬、戸惑った。待ち合わせのレストランへの行き方が…『どこから行ってたっけ?』ほんの数秒だったが、私は迷ってしまった。が、足は自然と正面の階段に向かう。上の階にあったのはあるのはわかっていたから…でも、良かった。階段の踊り場にレストランの方向を示す看板が見えた。そして、2階に上がるとすべて思い出した。『そうだ、こうなっていたんだ…』ここに美術関連の開放閲覧図書があって、ビデオルームがあってそして、建築物展示室に渡り廊下…急に視界が開けたように一気に思い出した。レストランへ続く廊下を急ぐ。そして中へ友人を探す。窓際の一角に懐かしい顔があった。手を振ってくれた。一人は本当に5年ぶりくらいだった。私より、先に家の都合でボランティアを続けられなくなっていたので今日は久々の再会だった。 レストランから見た外の風景(団体が窓側を占拠していました。)別の場所から、関門橋も見えます。Iグループそれが私たちの与えられたグループ名だった。全員で6名。ボランティア養成講座の時に、名簿の順番で6名ごとに区切られた無機質なグループ名、ABCと順番につけられ、私はIだった。それが、13年間の付き合いの始まりだった。与えられた課題はシャガールの研究発表をすること本を読み、スライドを作り、仕事を分担していった。リトグラフや石版画の勉強もした。ロシアでもユダヤ人の生活環境、ユダヤ教も調べた。エコール・ド・パリのこともちろん、膨大な作品のこともおかげでシャガールのことはよくわかる。これは愛妻ベラの誕生日を描いた彼の代表作品 です。Iグループの6人バリバリのキャリアウーマンだった一人は医療ミスで脳に後遺症が残り、リハビリの毎日だ。一人は実業家だった旦那さんと子どもの結婚後、熟年離婚し、今は、ガーデニングの勉強のため、イギリスにいる。もう、一人は『いのちの電話』のボランティアをやっている。今日は集まったのは3人だった。一人は公文の教室をやっている。 『生徒が20人を切ったので、会社からうるさく言われている』とぼやいていた。『自分としては19人がベストなんだけどね』と言っていた。もう一人はずっと、専業主婦だった。ある日、旦那さんの事故を機会に仕事を手伝うようになり、今は忙しい日々を送っている。そして私だ…13年間、私たちの取り巻く環境はどんどん変わり、ボランティアを続けていく事を困難にさせた。だが、こんな6人が細々ながら、つながりを持ってこれたことを私は嬉しく思う。そして、私たちが夢を持って貯めたお金がある。リハビリ中の彼女は手術前、もしもの事を考え、この預金口座を公文の彼女の口座にすべて移し変えていた。まるで、何かを予感したかのように…その夢のお金の話は…9月6日の日記『このお金、なんに使う?』で 大好きさんへ この花です。よく似ていると思うけど?どうでしょうか?* * * * * * * * * * * * * * * *
2005年01月27日
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● ● 1月26日の日 記 懐かしき場所 2美術館へは傾斜地のため、エスカレーターで上がっていく。エントランスが総大理石で吹き抜けになっている。そして、天窓から注ぐ、太陽の光あいにく、この日は雨だったので明るさは半減だったが… エントランスまず、最初に目につくのはロダンの彫刻“カレーの市民“と言う六体一組の彫刻の一つだ。ロダンの彫刻で有名な“考える人”もこの“カレーの市民”も超大作『地獄の門』の一部分なのだ。彫刻は油絵と違い、世界中に同じ物が何体かある。この“カレーの市民"も西洋美術館にも静岡県立美術館にもあり、もちろん、本体、『地獄の門』もフランスやアメリカにある。ブロンズ作品は型さえあれば、版画同様、同じ作品がコピーできる。だが、版画と違い、100枚単位と言う訳には行かない。せいぜい、10体が限度だ。型に石膏やブロンズを流していくうちに角が取れ、丸くなっていくからだ。ここで少し、この彫刻についてカレー市の依頼で「カレーの市民」の記念像制作の依頼を受け、ロダンは承諾し、製作を始める。カレーの市民とは、1347年イギリスのエドワード3世が百年戦争のおり、フランスのカレーを包囲した際に、王からの提案に応じて人質となり街を護った6人の市民のことだ。 カレーの市民それに先立ち、フランス政府から、地獄の門の制作を依頼されていたロダン。いつしか、この作品に没頭するあまり、デザインの変更や納入時期の引き延ばしなどから、最終的には政府との契約を破棄し、ついに未完のまま、ロダンは亡くなってしまう。カレーの市民はいつしか、地獄の門の中に組み込まれていた…てな、具合で私はお客様をまず、このエントランスホールでお迎えしてこの彫刻を手始めに、美術館を案内していくボランティアガイドだった。* * * * * * * * * * * * * * * *
2005年01月26日
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● ● 1月25日の日 記 懐かしき場所 1午後から友達とランチをした。場所は美術館の中にある見晴らしのいいレストランここに来るのは久しぶりだった。数年前までは毎週、木曜日に欠かさず、来ていた。木曜日は美術館ボランティアの勉強会があるからだ。勤めの関係でそれができなくなった。11年間、ボランティアをして色んな人に出会えた場所だ。修学旅行で来た他県の中学生を案内したり、カルチャセンターの美術愛好家の団体と美術の話で盛り上がったり、個人で来たお客様とも親しくなり、いまだに付き合いがあったりと私の人生の中でこれほど他人と簡単に話せる場所はなかった。それなのに今日は浦島太郎状態になっていた。国道から、美術館へと続く道へ曲がった時、角にあったコンビニがなくなったことに気づく。少し、進むと新しくできたばかりのモダンな消防所があった。この一角は今、再開発が進んでいる。新日鉄の古い幹部社宅が桜並木に沿って、並んでいた。明治時代に建てられた木の塀に囲まれたたたずまい幹部社宅は一戸建て庭付き、平屋建てで100坪以上の広さがあった。ボランティアの仲間の一人が住んでいて、一度遊びに行ったことがある。本間の広い畳の続き間があり、一つが10畳はあったと思う。本格的日本家屋というべき社宅だった。さすが、幹部社宅。その名の通りだとしばし、感嘆。が、もう、そのなごりはどこにもない…豪華付帯設備つきの高層マンションや、1区画が300坪ほどある邸宅がその跡に建てられ、桜も社宅解体のおりに切られてしまった。数年経つとこんなにも変わってしまうものだろうか?いや、数年ではない。美術館まで行かないまでもこの道は年に数度は通っている。去年も何度も通っていた。ただ、私が気がつかないだけだったのだろう。久しぶりに会う、ボランティアの仲間との再会の嬉しさで何気なく、通り過ぎていた道が隅々まで見えたようだ。人間って不思議なものだ…そんな事を感じた午後だった。 北九州市立美術館 外観続きは友人との再会話を…そして、内部のご案内です。* * * * * * * * * * * * * * * *
2005年01月25日
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一足、早い春をお届けです。大阪の叔父がお歳暮で年末に送ってくれた桜です。12月30日の時点ではつぼみでした。約、20日間をかけてゆっくり開花し、今、満開です。アップで、どうぞ! 全貌です…お花のパッケージには山形の啓翁桜と書いていました。山形の啓翁桜へしばらくするとページが切り替わるようです。ページが切り替わったら、ページの少し下にスクロールしてみてね。
2005年01月24日
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『今日も頑張って5周走ったよ。』と娘が言った。家を出て、イチゴハウスの横を通り、竹林を抜け、自動販売機のある所まで来ると、また、家のほうへ戻るコースを5周娘は毎日、5キロほど走る。受験のためだ。娘が受けるのは県立の普通科体育コースの推薦だ。実技は必須で、学科試験はない。あとは、集団面接だけだ。50メートル走、走り幅跳び、ハンドボール投げ、持久走が必須で後は選択実技科目を一つ選んでしなければならない。元々体育が苦手で、体も弱く、見学専門だった私にはありえない話だ。学生時代は体育がなければどんなにいいことかといつも思っていた。高校も体育祭のない高校で胸をなでおろしたほどだ。ところが娘は私と正反対だ。体を動かすのが大好きで、体育のある日はご機嫌だ。学校の先生も娘に声をかける時は『勉強、頑張っているか?』ではなく、『オイ、ちゃんと運動しているか?』らしい…もちろん、娘もそのことは了解済みで、勉強そっちのけで筋トレや縄跳び、マラソンに励む。毎日腹筋300回、腕立て伏せ100回、三点倒立を繰り返す。今日も走っていると、近所のおじさんに『何周走るかね?』と言われたらしい。しかも、そのおじさんがずっと、同じところにいて娘がそこを通るたびに『あと何周か?』と尋ねるらしい…娘は『ここは走りにくい…近くの運動公園に行って練習しようか』と言っていた。どうやら、たびたび、誰かから声をかけられ、そのたびに返事をするのが大変そうだ…でも、一番娘が恐れているのは近所の人が“ダイエットのために走っているのではないか"と思っているのではないかということ。この誤解だけはして欲しくないらしい…しかし、『受験のためです』と言ったところで信じる人はいないだろうから『あきらめなさい』と娘に冷たく言う母だった。蓮4044
2005年01月23日
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昨日はもうすぐ、仕事の終ろうとする5時前に旦那から電話があり、『今日は実家(旦那の方)で鍋でもして食おう』と言って来た。断る理由もないので、仕事が終わってから、買い物に出かけた。親子4人だけの時は豚や牛のしゃぶしゃぶや鴨鍋、鶏鍋とお肉のほうもメニューの中に入れ、考えるが旦那の親は2人とも魚好きなので迷わず、魚屋に足を運んだ。魚屋さんの冷蔵ショーケースに色んな鍋になりそうな魚が並んでいた。一番最初に目に止まったのは、さん然と輝くトラフグの鍋用切り身なんと、1パック4800円だった。6人で食べるとなると2パックは必要だ…と考える以前に1パックでも手にできない。昔は嫌になるほど食べていたのに…としばし、感慨にふける私。が、現実は厳しいのだ。仕方なく、代替品を捜すことに。メンボ、アンコウ、カナトフグ(これは安いフグ)牡蠣、鱈など色々と並んで、私を買ってと訴えているようだった。考えた挙句、無難で手頃で扱い易い、アンコウの780円のパックを3パック手にとり、足りない野菜を買い揃えてレジへ向かった。買い物を終えると、子ども達を迎えにいったん、家に帰り、それから、旦那の実家に向かった。(旦那はトラクターを使い、田んぼを鋤いていたので、すでに実家に行っていた)普段は年寄り2人暮らしの家なので、孫が来ると嬉しいようで2人で歓待してくれる。一番大きな土鍋を探して、鍋を作り、出来上がったら、掘りコタツに運び、みんなで鍋をつついた。旦那の実家にはこのごろ、珍しくなった堀りコタツがある。熱源はやぐら炬燵のような電器式だが、昔は練炭だった。練炭と言えば、この頃、すっかり、悲しいかな、集団自殺の必須アイテムになってしまった。確かに気持ちよく、死ねそうだ…何故そう思うかと言うと、まだ、私が実家にいた小学生の頃、ほんとにそれで死にそうになったのだ。ウトウトして来て、ホンワカ暖かい。ほんとに体の自由が利かなくなり、動けなくなった。誰かが助けてくれなかったら、きっと、あの世行きだったと思う。『そんな事を思いながら、アンコウ鍋をつついているなんてここにいる5人は知る由もないだろう』と思ったら、おかしくて笑ってしまった。当然、みんなが不気味そうに私を見ていたのだがもちろん、真相は語らずじまいだ。
2005年01月22日
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●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● 文化祭のプログラムの編制会議が始まった。ある程度のひながたはもう、こっちで考えていて、仮のプログラムを作り、それをベースに入れ替え作業をしていく。これを手がけるのは3回目なのでもう、あらかた要領はわかってきた。とにかく、みんなの要望は聞いてやりたいが、それは無理だ。折り合いをつけていくしかない。が、こっちには強力な助っ人がいる。いつも編制会議に来てくれるカラオケ教室の先生。この先生が、いつもおさまるところに収めてくれる。無理を通そうとする人をいさめてくれる。同じ演目が重なったら、どちらかを変更してもらう。上手く、交渉し、手打をしてくれる。だから、今年も一時間で終わった。本当に感謝している。文化祭当日もボランティアで放送機器をすべて取り扱ってくれる。また、別の協力者もいて、この方は司会をしてくれる。5キロほど離れた別の市民センターのカラオケ教室の先生なのに毎年、同じ日に文化祭があるのにこっちに来てくれる。私の勤める市民センターに教室は無いのに、ただ、地域に住んでいるからの理由でここを優先してきてくれる。だから、私も感謝の気持ちをこめて先生におおとりを任せている。先生は私はいいからといつも言うが、それでは示しがつかない。それにみんなはその実力を知っているので文句は言わない。文化祭は大正琴から始まって、カラオケの先生のとりまで66組みも出し物がある。寸劇、踊り、三味線、詩吟、体操、演奏、コーラス、とにかく色んなジャンルの出物が目白押し。時間内にすべて取り仕切ってくれ、つつがなく、終わらせてくれる。こんな地域のボランティアがいるからこそ、文化祭も盛大に開ける。お礼はいつもお酒の飲めない先生のために甘いお菓子が用意される。 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
2005年01月21日
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私がこれは人より自信があると思うことが一つ。それはお化けとか、幽霊とか、そう言ったたぐいの者が私には見えないだろうということなのだが…霊感がある人やなにか、物事に敏感な人、また、するどく勘が働く人がいる。私は昔から、そういうことに全く、縁遠く、ある種のインスピレーションも感じたことがない。でも、霊の存在は結構、信じている。きっと、さまよえる魂があるんだろうなと思う。が、あまりにも鈍感なために私の前に現れても救われないと相手が思うのか、まったく、気配さえ感じない。また、霊もそんな人にはつかないだろう…ところが、私の勤める市民センターの館長は私と正反対だ。何かをいつも感じているようだ。この前も、『急に悲しくなった』と泣き伏せてしまった。ある不幸な死で亡くなった人の話をしていたのだ。とても苦しそうだった。まるで誰かがのり移っているかのようだった。私にはそれが未知の世界でその苦しさが計り知れないものだった。そのためか、今日、いつもいる夜勤のおじさんがいなくて私たち女だけ4人で夜の勤務をしていたのだが、最後に2階の講堂の点検をする時間になると館長が『怖いから2階の点検頼む』と私に言って来た。するとそれを聞いた後の職員が『○○さんには霊が見えないんだから、大丈夫よね』と太鼓判を押されてしまった。確かにその自信だけは人一倍あるし、おかげさまで全く、そういうことが怖くないのだ。ビクビクすることもなく、誰もいない真っ暗な講堂の点検に行ける。いいのか?悪いのか?わからないが、全く可愛くない女である。
2005年01月20日
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2日前、高校生の息子が修学旅行から帰ってきた。帰るやいなや、私の後ろをついて周り、その話を熱心にし続けた。とても楽しかったようだ。実は行く前はそうでもなかった。小心者の息子は新潟に近いスキー場に行くことをにビビっていた。地震が怖いのだ。『また、地震が来たら、どうしょう?』と真剣に心配していた。息子に甘くない私はその心配を無視し、『行ってらっしゃい!』と送り出した。そして、帰った次の日、新潟でまた、地震があったようだ。きっと、一日、ずれていたら、ビビリ上がって帰ってきていただろう。とりあえず、良かった。ところで、今の高校生はとても楽だ。なにが楽かと言うと、荷物が帰りはほとんどないのだ。なんと、お土産や洗濯物はすべて宅急便で家に送られてくるのだ。しかも、“着払い”である…私が高校で関東方面に修学旅行に行った時は帰りは雷おこしとか、お土産でいっぱいだった気がする。これくらいのことだが、なんか、母は腹が立ってきた。こんなことで今の高校生はいいのだろうか?道が工事で通れないので重い荷物を抱えて運んでくれたクロネコヤマトのお兄さんには申し訳ないがふと、そう思ってしまった…もう、そんなことにいちいち、反応するほうがおかしいのだろうか?どう思います?PS 息子はスキーではなく、スノボーコースを選んだそうですが最終日の2人乗りのそりが一番面白かったそうです。 ちなみに息子の荷物が重いのはお土産の野沢菜の漬け物とそばの3人前のセットがかなり、重量があるからのようです。蓮4044
2005年01月19日
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携帯の充電が効かなくなったので思い切って新しいのを買いに行った。もう、買ってから、4年が過ぎていた。私はメールもIモードも付けていないのでシンプルなもので十分だった。広告で見た名刺サイズの世界最小と書いてあった可愛い携帯世界最小携帯プレミニこれにしようとドコモショップに出かけてみた。あった。いろんな携帯の並ぶ中の一番右端に展示してあった。シンプルなデザインがとても気にいった。聞いたら、機種変更で14000円位だった。これをと決めかかったら、娘が『お母さん、無くすよ、それ!』と、ありえそうなこと忠告してくれた。確かに…いつもいつも、携帯を捜している。どこでもポンと置いたり。バッグに無造作に投げ込むので娘が心配して言ってくれたのだ。それでもう、一度改めて、商品を見てみた。見てもよくわからない。わからないが、やっぱり、見た目の好き嫌いがある。その中で、一つ目についたのが、真四角の変わった形の携帯だった。『それ、可愛いけど持ちにくいね。』と娘と手にとって言った。説明を読むと、音楽をPCから録音できると書いてあった。何?ダウンロードでなく、CDから、録音できる?なんだか、不思議な気がした。が、興味をそそられたので、詳しく聞いてみることにした。私はいつも音楽を聞いている。テレビはなくても平気だが、音楽がないと寂しい。バッグの中にはいつも充電をしたMDが入ってスタンバイOKだ。洗濯干しながら、掃除機かけながら、料理をしながら私は音楽を聞く。さすがに仕事中はしませんが・・・ドコモのおねえさんは『私も聞いてみましたが、MDと遜色がないくらい、いい音でしたよ。』と言うではないか!欲しい…急に欲しくなった。MDがあるから、いいような気もしたが、どうせ、また、何も付加しないのだから、こんなものがついててもいいかもと思う。値段は機種変更で17000円位だった。で、買った。買って、録音してみた。確かにいい音だった。音楽を聴いている最中に電話があると、切り替えができる。そのまま、イヤホンで聞え、話しもできる。大変気に入ったが、問題が一つ。音楽を記録するメモリースティックが高いのだ。MDだと、一枚100円位で4倍速で最大320分録音できる。だが、メモリースティックは高いし、録音もそんなにできない。 結局、やっぱり、私は相変わらず、MDを持ち歩き、買った音楽携帯は充電したまま、そのまま置いていつも出かけている…結局、使いこなせないのだ。ミュージックポーター(三菱電機)蓮4044
2005年01月18日
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愛菜果はとても美味しいお菓子だ。一時期かなり、ハマってよく食べた。でも、今日はこのお菓子の宣伝をするわけではない…漢字違いで『愛妻家』という言葉がある。一見、とても素敵な言葉のように思える。『奥さんをとても愛している旦那さんの図』が見えてなんとも微笑ましい。が、ある一定の度を越すとかえって奥様から嫌がられるのを世の殿方はご存知だろうか?もちろん、それがたまらなく嬉しいという奥様もいるのだろうが、私の周りの愛妻家の旦那様を持つ奥様はみんな、例外なく、旦那様がうっとうしいらしい。新婚時代はともかく、ある程度、年数を重ねていくと夫婦はそれぞれ、自分の領域というものが出来てくる。夫婦といえどもお互いにそれは土足で踏み込んではいけない別の世界だ。特に女性にはそれが多くなる傾向があるようだ。 仲良くするのはいいことだが、つきまとわれるのはごめんだ。私の実家の父もこれで言うと完全な完璧な愛妻家だ。しかし、母にとってはかなり、今も昔も疎ましい存在だ。どこに行くにも母が一緒でないといけない。どんな些細なことでも母の手を煩わせる。それが一転、母の病により、今度は別の意味でついてまわる。心配なのはわかるが、母が動けば父が動く。『一人で大丈夫だから』と言う母に付きっきりなのだ。私は父の体がなんともなければ、口を挟みたくないがはっきり言って、父は歩くとフラフラするのだ。2人でこけたらどうしようとヒヤヒヤすることばかり。リハビリの先生もあまり、手を貸さないでできるだけ、できることはさせるようにと言われているのに、する前からもう手が出ている。私もはっきり言って見ていて、イライラするが、夫婦には夫婦でしかわからないことも多いだろうから、あまり、口をはさむつもりはない。だが、母が私に助けを求めてくる。『父をどこかに追っ払ってくれ』と言っているのだ。母は父しか、結局のところ、頼るものがいないだが、それでも、父の存在がウザイらしい。早く、父も母の気持ちを汲取ってあげたらいいのに気づいてないのか?気づいていても気づかない振りをしているのか?つかず、離れずでやって欲しいんだけど、なにごともかげんというのは難しいものである。 少々、盛りの過ぎたシクラメンです。よく咲いてくれました。
2005年01月17日
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今日はとても遠回りしてしまいました。温泉に行きたい気分だったのですが、旦那と娘が昨日撮った“仲間由紀恵主演のごくせん”を見ていてなかなか、腰をあげません。昼から雪が降るかもという天気予報が本当になったら帰れないので早く、出たかったのです。やっと、11時に出発しました。一応、目的地は決めていましたが、そこは山越えしていかなければ行けないので少し、不安でした。そして、予感的中…なんぜ、こんなに悪い予感は当るのか?峠の手前でチェーン規制の掲示板車はどんどん、引き返していました。諦められないので、別ルートで行くことにしました。ところがやはり、難関の別の峠600メートル手前で前の車が動かなくなり、後続車がどんどん止まります。どうして動かなくなったのかわかりませんでしたが、こういう時は無理は禁物。スリップでもしたら大変なのでUターンして行き先を変更しました。 雪景色の山去年の12月20日の日記温泉の入り方に書いた、行ったらお休みだった温泉にここから結構近いからとそこに行くことにしたのです。方城温泉“ふじ湯の里”ところが行ってみると車の多さにまず、びっくり!しかも玄関に3時間待ちの張り紙が…なんだ、ここはディズニーランドか?これまで、色んな温泉に行きましたが、待ち時間のかかれた温泉は始めてで… こんな張り紙が・・・仕方がないので、また、12月20日に入った温泉へと流れました。金田温泉“日王の湯”私たちの前の車はとうとう、次の目的地まで前を走っていました。誰もが考えること同じですね…最初の温泉に入れなかった理由は前回とは違うけど、今度、3度目にきた時はどうなるんでしょう?2度あることは3度ある?それとも、3度目の正直?なんか、こうやって考えると振られても楽しくなってきました。出発して4時間、そのまま行けば、70分くらいで行けるのに遠回りしすぎて、こんなにかかりました。でも、日王の湯はとても気持ちいいヌルヌル温泉です。だから、何度行ってもいいんだけど、新しい温泉は行ってみないとなんとも言えないので温泉フリークの私としては3回目の挑戦を早くも計画している訳なんです。さぁ、どっちに転ぶか、楽しみにしていてね! お正月の雪で娘が作った雪だるまさん。目は松ぼっくりで、ボタンはきんかんです。どれも庭から、採ってきています。蓮4044
2005年01月16日
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●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● 今日は2つのことを書きます。まずは一つ目です。2月の文化祭に向けて今、忙しい日々を送っています。今日で、文化祭の演劇部門の出演の申し込みが締め切りました。去年に比べて10組も増えて、プログラムを組むのが大変です。全部で66組…これを9時15分~15時15分までに押し込めなくてはいけません。出演者は自分の希望を出演カードに色々、書き添えています。午前中の早目がいいとか、午後一でとか、たまに、何番でとか、具体的に書いてくることも!でも、みんなの希望を聞いていると思うように組めないので片耳だけ聞いて、片耳はふさいでいます。20日に正式なプログラムが決定します。その間に紆余曲悦ありそうな予感!その2です。今日は、旦那が飲み会で息子は修学旅行で長野にスキーに行っています。仕事を5時に終わるとすぐに帰宅し、旦那を飲み会の場所に送りました。それから、娘と生まれて初めて2人だけでジョイフルで夕食を食べました。外食はたまにしますが、娘と2人だけはどう考えても初めてです。しかも、ファミリーレストランに入ることも友人と以外、初めてです。娘はハンバーグを頼み、私は海鮮雑炊を注文しました。結構、美味しかったです。こんなことに喜びを感じました。7時に娘をいつものバドミントンの練習場所の小学校の体育館に連れて行きました。9時のお迎えまで、家には誰も居ないし、帰るのが面倒なので市民センターに行き、プログラムの編制をしました。夜のセンターは静かで仕事がはかどりました。66番順番を決めて“よしこれで”思ったら、電話がかかってきて、追加になりました。15日までなので、断れません。また、番号、打ち替えです…来年は絶対、17時までとか、時間も締め切りを決めるつもりです。くそっ! ピンクッションのアレンジこんな花器で活けるのも面白いです。 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
2005年01月15日
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年末にボーナス払いで最新録画機を買って以来、旦那はテレビ番組の録画ばかりしている。しているが、仕事もしている訳だから、当然、録画した分、全部、観られる訳もなくそのジレンマに悩んでいる。しかも、いつも見ていた朝のワイドショー“目覚ましテレビ”の時間まで、何かの録画を観ようとするので私から怒られ、リモコンを取り上げられた。むやみに録画しないで、厳選して、撮ればいいのにどうしてこうなるのだろう。単純な計算ができないようだ。当分、この熱、言ってもおさまらないだろう。高価なおもちゃで遊んでそのうち、飽きるだろうから、それまで待っていようか?優しい(?)私はそう思うのだが、旦那の好きな格闘技・プロレス・ボクシング等を毎日のように見せられるとつい、ぼやいてしまいたくなる。『そんなに打ったり、けったり、叩いたりするのを見るのが楽しいわけ?』こんな日々から、早く脱却したい…それに、北の国から等、色んなドラマをとにかく、観ては泣いている。泣いて、ティッシュをかかえ込んでいる。気持ちはわかるが、その世界に入りすぎだ…ノンフィクションやドキュメンタリーを好む私にはドラマはあまりにも作り物で、真実味がない。『そんなのを観て泣きたくない!』と変に意固地になっているせいもあるのだ。頼むから、録画機の奴隷にならないで欲しい。旦那を見るたび、密かにそう願ってやまない私である。PS 家の固定電話が使えません…携帯に電話が入り、親戚・知人から教えてもらいました。『お客様の希望により、現在、この電話は使用できません。』と、アナウンスが…どうなっているんでしょう?でも、インターネットは使えます。同じ電話線ではないんでしょうか? template designゆいっぴー
2005年01月14日
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写真写りはいいほうですか?私は“可もなく、不可もなく”ってところです。それにこだわったこともありません。今まで写真写りを気したこともありませんでした。私の勤める市民センターは今年で50周年を迎えます。その記念行事の一環として、今、記念誌を作る編集作業が最終段階を迎えています。9日に行われた成人祭の日にみんな集まるし、正装をしているという理由で私たち職員と編集作業に携わった方々の集合写真を撮りました。もちろん、編集後記と共にその写真を記念誌に載せるためです。全員で9人でした。写真は成人の集合写真も撮ってくれた方に頼みました。地元のアマチュアカメラ愛好家の方でセンターのデジカメで3枚ほど、撮ってもらいました。そのゲラが先日、出来上がってきたのですが…文句タラタラで、大変なんです。最初、みんなが写真を見て、何か言っていても『どうでもいいわ、それなりにしか、写らないんだから!』と、ゲラも見ないで、その話しにも加わらないでいました。でも、見て驚きました。ホント、変なんです…笑えるんです。笑い転げるくらい変なんです。まゆげがないように見える人おでこが異様に照っている人全く別人に見える人夜勤のおじさんは、顔がでかすぎると嘆いているし、同僚は指名手配の女詐欺師だと言っています。館長にいたっては妖怪のようだと言っています。今日、やって来た、コーディネーターの方は何も言わないかと思ったら、約1時間ほどセンターにいる間、この写真の文句を言っていました。ここで私が普通に『“それなり”にしか、写らないんだから文句を言いなさんな!』などと辛らつなことを言うと、みんなからにらまれそうだったので、黙っていましたが…なにせ、写真は正直ですからね。どうでしょう?あなたは写真写りはいいほうですか、悪いですか?もし、悪くても気になりませんか?私同様、気にしなければ、特に、ノ-プロブレムなんですけどね。 雪にはしゃぐぽぽの(ブレてるのは技術の問題ですので…)蓮4044
2005年01月13日
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3人が3人、別のことをするもんで先生も大変だ!今日は、午前中、フラワーアレンジに行きました。月2回のアレンジの日はとても楽しみです。先生はカルチャーセンター等の教室の講師もしているが、私は直接、自宅に行っている。私と同じ日の同じ時間はいつもの3人が揃う。どちらもベテランさんだ。特にMさんはもう、教えられるほどの腕前でお免状も持っている。先生宅に通いだしてすでに10年を過ぎる方だ。もう、一人も7年通っているという。ここは居心地がいいので、みんなやめない。終わってからの紅茶タイムも魅力だ。が、私は仕事を午前中、休んできているのでゆっくりしていられない。早く終わった時だけ、参加させてもらうが、今日も出来上がったのがタイムアウトギリギリで、お昼も食べずにあわてて、仕事場へ直行した。先生の入れる紅茶はとても美味しい。娘さんがイギリスにいるので、紅茶は買ったことがないそうだ。美味しい紅茶に美味しいお菓子(誰かが持ってくる)こんなブレイクアウトを優雅に楽しめたらいいのだが、今日も残念ながら、ダイニングからの香りだけで、我慢した。私たち、3人はいつも別々のことをしている。Mさんは池坊の新風体立花や自由花をやることが多く、花材も自分が買ってくる。先生は手直しとアドバイスをするだけだ。もう一人の方は今、ブーケを専門に習っている。今日はキャスケ-ドブーケをしていた。私はいつも違う物をやっている。フラワーアレンジもやるし、池坊の生け花もする。欲張りなんです…今日は特に3人ともが全く、違うことをやったので先生は大忙しだった。私がやったのはトライアンギュラーというアレンジでこれはポピュラーなアレンジで、決められた法則さえ守れば、きれいに仕上がる。二等辺三角形の形が基本で、三方見で壁などに沿わせて飾るスタイル。シンメトリカルアレンジメントといわれ、左右対象になるように花を入れ作る。で、出来上がったのがこれ。 トライアンギュラーアレンジの本場、イギリスでは、これを徹底的に習わせるそうです。この基本形をしっかり頭に抑えておけば、色んなアレンジに応用が利きます。竹の花器がミスマッチなのが、自分では気に入っているのですが…いかがでしょう?って、写真が斜めだ!ウウウ(泣く!
2005年01月12日
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●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● 年が明けてから、少し、困っていることがある。雨の日、ごみだしの日に特に困っている。今、工事中のため、自宅の敷地にまで車が乗り入れできないのだ。水道管の上下水道の埋設工事のため、自宅につながる細い一本道は中央に大きな穴がすっぽり開いている。この工事に影響を受けているのは8軒だが、我が家が一番奥だから、影響も一番大きいのだ。もちろん、代替駐車場を少し、離れた空き地に作ってもらっている。旦那は8という数字が好きなので、すぐに勝手にその駐車場の8番を自分の物にしていた。(ちなみに車のナンバーも8だ。)工期は20日間ということなので少しの我慢であるが、工事が始まると色んな不便が出てきた。冬場は灯油を買わないといけないし、旦那のビールも結構、重い…たかが、200メートルくらいでも、坂道なので重い荷物は辛い。昨日は灯油を買い、娘が運んでくれた。つくづく、体力のなさを感じる。と共に車が完全に足代わりになっていることに気がつく。歩くという行為はわざわざしないとこの頃、できなくなってきている。私の住んでいる所は田舎ではどこに行くにも車が必要だ。車だと5、6分で行けるスーパーも歩くと30分はかかる。勤めていることもあり、帰りにそのままスーパーに行き、買い物をして帰る生活が続いている。ほとんど、歩かない。歩く必要がない。わざわざ、歩く暇もない…犬の散歩に出てもぽぽのは散歩が嫌いだから、すぐに家に帰ろうとする。が、車は大好きですぐに乗り込もうとする。やっぱり、飼い主に似ているのかも…『心がけて、運動に励まないとこれから先はヤバイかな?』と教えてもらったような気がする。人間、不便から学ぶことが、結構あるようだ。 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
2005年01月11日
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なんだか、不思議な気持ちです。今日は昨日の成人祭に引き続き、とてもいい経験をしました。ずっと避けていて、毎年、返事は欠席に○を書いていました。でも、ついに、去年の暮れ、館長から説得されて出席することにしました。館長はなんとか、誰かを連れて行こうと必死だったようです。地元の新年名刺交換会。こんなお偉いさんの集まるところは苦手です。はっきり言って、嫌です。アルコールもダメだし、おもてなしも下手な無作法な私です。だから、会場へ向かう私の足はとても重かったのです。最初は通りいっぺんの新年のあいさつで、地元選出の国会議員の挨拶、市会議員などの挨拶が続き、退屈のきわみで、下を向き、目を閉じていました。特に市会議員は3月に選挙があるので必死で訴えていました。『早く、時間よ、立て!』願うのはこればかり…目ばかり、つぶっていても本当に居眠りしては大変だと改めて私の座ったテーブル席を見てみると知った顔を一人だけ。 しかも全員、男性だ。『なんだこの席は…』と、思いながら、周りのテーブルを見ると私のような女性ばかり。テーブルに10人くらい座っているが、2人女性のいる席はないようだ。『まだ、まだ、こう言う場所に女性が出て行くことはないんだな』と実感。寂しいような、少し、やるせないような気持ちしかも肝心の館長とは席が離れすぎている。この場から消え去りたいような感覚も沸いてきたりして気分は憂うつになっていく。が乾杯が終わり、テーブルに並べられた食事を食べ始めた途端状況は一変私のこの会の既成概念が打ち破られていく。名刺交換会とはよく言ったもんでまさにその通りだった。席で黙々と食事をしている人は一瞬にしていなくなった… とにかく、席を立ち、回る、回る。思いついた人を捜しては話す挨拶したい人を見つける。知り合いを捜し、話をして回る。手当たり次第、誰にでも挨拶している人もいる。会場全体が巨大ロビイスト状態だ。ロビイストは普通あまり言い意味では捉えられていないが私は『この存在あり』だと思う。会議やミーティングの中だけでは生まれないものがある。最初は戸惑い、自分の身の置き所の処置を考えあぐねていたがここで、巻き寿司ばかり、つまんでいては始まらない。『行け-』とばかりに目に付く知り合いめがけて突進していく。中学の校長先生から始まって、色んな人のところに足を運ぶ。もちろん、飲めないので、オレンジジュースを持ってウロウロする。なんか、とても楽しい。新年の挨拶から始まって色んな話ができた。もちろん、向こうから来て話し掛けてくれる人もいた。ざっくばらんに話ができる。2人で話をしていると、別の人が来てその話が発展することもあった。知らない話題もたくさん聞けた。昨日の成人式の話もでた。全く、個人的な話をする人もいるし、中には妻へのざんげを話すお偉いさんがいて、これはかなり、受けました。と思うと、津波の話やイラク戦争まで話が及ぶことも。議員さんたちが私のいるテーブルに来て、『よろしくお願いします』と挨拶して私のお皿に背広のすそをつけたことを除けば、避けていた名刺交換会がこんなに楽しいなんてこれは癖になりそうな予感が…しました。
2005年01月10日
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今日、成人祭があって、グッと来ました。私の住んでいる地区は地区だけで今年の成人式を先に済ませ、それから、北九州市の全体の式典の行われる式場“スペースワールド”へとバスで送り出すと言う行事を20年近く、独自にやっているのです。他の地区でこういう行事をやっているところは市内でも数ヶ所だけのようです。そのため、式は早く、8時45分に受付です。会場は勤め先の市民センターです。8時前に着くと、館長がもう来ていて車の中で待っていました。聞いたら、かぎを持ってないとのこと。慌てて、私が自分のカギで開け、2人で中に入りました。会場作りは昨日、ほぼ、終了していたので、朝の準備はそれほど、大変ではありませんでした。受付時間になると、続々と新成人の姿が現れ始めました。女の子は一人を除き、全員が振袖でした。男の子も結構、羽織はかまが、いました。去年は立食にしたら、ザワザワして、うるさかったので思い切って、席を決め、椅子の用意をしてみました。これはなかなか、効果てき面でした。いろいろ、試行錯誤の結果、いい感じになりました。で、私がグッと来たのは恩師の挨拶のときでした。中学時代の担任等を、4人招待していたので壇上に上がってもらい、はなむけの言葉をいただきました。うちのお兄ちゃんもお世話になった先生が2人いました。特にY先生には色んな意味でお世話になりどうしでした。恩師紹介の時にはすでに歓談の時間だったのですが、先生の話が始まるとピタッと会話が止まり、水を打ったような静けさに…中学を卒業してもう、5年が経つのに先生も子ども達も時間が一瞬にしてストップしたようです。市民センターの講堂の窓から中学校全体が見えます。Y先生はそれを壇上から見ながら、感慨深げに新成人に“おめでとう”の言葉を言いました。先生をやって、今年でやっと、20年。君達と同じで、新成人です。まだ、これからです。君達と同じ気持ちで頑張ります。と始まり、中学時代の思い出等を話されました。明日は各地で色んな成人式があり、また、話題になるでしょう。でも、Y先生の話を聞きながら、こんな素敵な成人式に出席できるここの地区の子ども達がうらやましく思えました。そして、それに関われる仕事が出来る私も幸せでした。それにしてもY先生の口調は完全に学校で至らない生徒達に生徒指導をする学年主任当時のままでした。懐かしさでグッと来たのはそのせいでしょうか?蓮4044
2005年01月09日
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去年は16日間でした。今年は何日になるでしょうか?ちょっと、記録更新も狙っているんですが…さて、なんなんでしょう?お正月に関係あるんです。仕事場でそのこと言ったら、みんなが驚いていましたけどうちではそれが常識というか、そうせざるを得ないんです。30日についた餅なんですけど…我が家ではそれがなくなるまで、とにかく、朝はお雑煮なんです。食べて食べて食べ尽くします。食べ尽くしセールです。旦那が7個、お兄ちゃんが7個私が3個食べます。娘はお雑煮が嫌いだから、焼餅にして砂糖醤油にひたして海苔を巻いて、3個食べます。一日、20個×○○日で、今年は何日に終わるんだか?小さな丸餅はあと、残りはわずかになりました。でも、大物が残っているんです。お鏡餅です。10日に鏡割りをしたら、また、それを小さく切って、小餅にします。好きだからいいんだけど…でも、旧正月にはまた、少し、つく予定です。 それまでにはなんとしても食べ尽くさないと!いけません。『いくら、農家だからとはいえ、それはやりすぎだろう??』って思いませんか?旧正月分は今後の事を考えて、少し、冷凍にして保存つもりです。で、皆様のお雑煮の具はなんですか? それと味付けは? 良かったら、教えてください。そろそろ、飽きてきているんです。中身のバリエーションのネタも尽きてきましたのでお力添えを…よろしく! ちなみに我が家は鶏だしベースで野菜たっぷり、醤油味です。ブリでも、カニでもエビでもやってみました…PS みなさん、体調が悪くなって、心配かけてすみません。明日は成人祭があり、8時に集合です。今日、午後から、会場作りをしました。そして午後3時からは民生委員の研修で、バスに乗ってお出かけです。行きたくないけど、秋の一泊研修に行かなかったので明日の研修に参加しないと怒られそうなんです…ため息の連続です… 家で寝ていたいな!
2005年01月07日
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体調不良につき、今、休んでいます。夜には回復するかもです…2年ほど前からの持病が悪化して、今、少し、苦しんでいます。2月下旬あたり、思い切って手術するかもです…お腹、切りたくないよ~!!
2005年01月06日
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今日、仕事に行くまで全然、知らなかった。いつもは新聞もニュースもよくチェックはしているのだが…だから、驚いた。こんなことが身近に起きるなんて…89歳夫殺害で77歳妻逮捕 長年の小言恨み瓶で殴る (共同通信)福岡県警小倉南署は1日、夫の頭などをガラス瓶で殴って殺したとして殺人の疑いで北九州市小倉南区母原、無職菅田キヨ子容疑者(77)を逮捕した。調べに対し菅田容疑者は「長年、家のことを何もしない夫があれこれ自分に小言を言ったり暴力をふるうのを我慢してきたが、この日も言われて口論になった」と供述しているという。調べでは、菅田容疑者は昨年12月31日午後3時ごろ、夫の無職澄男さん(89)とささいなことで口論となり澄男さんの背後からガラス瓶で頭を殴打し、倒れた澄男さんの顔などを殴り続けた。さらに庭に逃げ出した澄男さんを追い掛けて殴り殺した疑い。同じ町内でしかも顔見知りでしかも私はこの夫婦のことを日記に書いていたのだ。9月15日付の『ゴミの中から』と言う日記読んだ方も読んでない方ももう一度読んでみてください。89歳と77歳の夫婦、長年連れ添って晩年でこういう結末が待っているなんて…言葉もありません。でも、小言は言われて当然のおばあちゃんなんだけどね…それで殺されたおじいさんは浮かばれないぁ…ゴミの中からへ私も旦那から小言を言われないように家の中、片付けとこう!PS あんな年になって刑務所に入るのかな?辛いですね… ちょっとしたテーブルのアクセントにイソギクです。蓮4044
2005年01月04日
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くつろぎすぎてすみません…昨日は自分の実家に行き、それから今日のお昼までにいったん、家に帰り、それから旦那の実家に行きました。結婚して何年も経つと恐ろしいものですっかり、遠慮を言うものが無くなりました。自分の実家ならいざ知らず、旦那の実家でまでリラックスしすぎてました。食事の支度を旦那の妹として食べた後、私はみんなの盛り上がりをよそにすっかり寝ていました。しかも同じ部屋で布団まで押入れから出して一番暖かい、ファンヒーターのそばに行き、ベストポジションを確保し、夢の中へ…誰も何も言いません。言えないのかもしれません・・・ひたすら、居眠りをする私に旦那は『お前は幸せな奴だ』と申しておりました。お正月、旦那の実家で気を使い、息苦しい思いをされた嫁も多いはず。私も色々ありましたが、苦節○○年も時間が立つとこんなにリラックス出来るようになりました。いいのか悪いのか?あと片付けの洗い物も全て妹の子どもと私の子ども達が全部やってくれました。こうやってしてくれる時がチャンスです。けっして、手を出さず、子ども達に任せました。横で見ているとついつい口を出したくなります。全部任せるとホント一生懸命、頑張ってくれました。本当はそれを遠くから微笑ましく見守る母親像が理想なのでしょうが、お母さんはただスヤスヤ寝ていただけです。『素敵なお母さんでなくてごめんなさい。』と、心の中で一応、謝りました。それにしてもリラックスが横着という形態に変わらないように注意しないといけませんね。その意味、ずい分、違いますものね!PS 明日から仕事始めです。頑張ります! 女だけでぜんざいを食べる図です。器の大きさに注目!大中小様々です…
2005年01月03日
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午前中、雪が激しくて家の敷地から出られなかった。10時に旦那の両親と毎年、元旦にお寺のおまいりに行くのが習慣だ。旦那の実家は神社に初詣に行くのではなく、お寺に行くのだ。しかし、家が道より、一段低く、坂になっているので出られない。スコップを出し、子どもと3人で坂の雪を取り除いたり、車を後ろから押してもらったりいろいろ試みるが出られない。それより先に旦那の義父から『雪がひどいから無理して来なくていい』と電話があった。が、子ども達は車を出そうと真剣だ。なぜなら、そのお寺の出す、甘酒が最高に美味しいからだ。お参りより、甘酒だ!甘酒のためなら、どんな努力もする勢いだ。お酒のダメな私でもここの甘酒は本当に美味しくてお代わりまでしてしまうほど。それに出たい理由はもう一つ、福袋だ。そのお寺の近くの大型スーパーにお参りの後に寄り、毎年、福袋を買うのが楽しみなのだ。タイヤのスリップする音タイヤの回転数だけが高くメーターに表示されそして、タイヤの少し焦げ臭いにおい『もう、諦めよう』と子ども達に言い聞かせ、家に引き返した。事故でもしたら、大変だ。ここを脱出できたとしても先でどうなるかわからない。結局午前中は夜中に録画したカウントダウンTVを見て過ごした。ところが娘は諦めない。甘酒がダメでも福袋を買いに行きたいのだ。お昼を食べた後、晴れ間も出てきて、雪がずい分、ゆるくなっていた。それで私を一生懸命口説いて、どうにか、福袋を買いに行かせようとする。雪の中を歩きたくないのであいまいな返事をしていたが旦那の誕生日プレゼントを買ってなかったのでやっぱり、行くことにした。今度は何回かの挑戦で坂を登れた。『念じれば通じる』ものである。『ネバーギブアップ!』 元旦から、いい教訓をもらった。旦那のプレゼントも買えたし、娘は念願のブーツと福袋を買えてニッコリ!しかも抽選で2等が当り、商品券までもらえてしまった!正月からついている!ルンルン気分で家に帰ったが、家の手前の隣の家の坂で車が動けなくなった。仕方ないのでバックして離れた空き地に突っ込んで雪の中、2人で荷物をかかえて家に帰った。さしあたり、収支決算はプラスマイナスゼロかな?今年もこんな調子で行ってくれると楽しく過ごせると思った。 旦那の実家の庭にある蔵付近です。すごく風情のあるいい庭でしょう?維持管理は大変だけど、大切にしたい場所です。蓮4044
2005年01月02日
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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。小ネタを一つ娘、15歳は何日か前まで紅白が男女に別れていることを知らなかったらしい…『なんで、わかったん?』と聞くと『友達にアイコはなに組なん?』と聞いたそうです。すると、『決まってるやん!女はあかやん』と言われたそうです。本人曰く、『紅白どうやって決めるのか』と思っていたそうです。そんな娘の母です。どうぞ、今年もよろしくお願いします。小ネタ 2家から出れない…昨日と同様に大雪が降り続いて車が動かせない!我が家は道路から一段さがって庭があるため、雪の日がその坂がネックとなって車が登れません…閉じ込められています。助けてくれ!追記 万年青を活ける(正月の生け花)万年青はユリ科の多年草植物で原産地は日本です。 「縁起草」などとも呼ばれ、冬にできる赤い実とともにお正月などに、めでたいものとして生け花の材料などにも多用されています。また、魔よけとして、玄関先や鬼門に鉢を置かれることもあるそう。引越しの時植えるのも、万年青です。万年青の活け方は決まり事が多くて複雑。葉は8枚もしくは10枚、12枚までが認められている。私は10枚で活けました。正月の時にしか、普通は活けないので何度習ってもすぐに忘れます。万年青は出生を写して生けますから、葉は偶数扱いとなり、実一本を加えて全体で奇数として調えます。生花は役枝を真副体と名付けますが、万年青に限り呼び名が変わっています。立葉(真)露受葉(副)前葉(体)、このほかに流し葉を加えて四つの役葉によって調えます。立葉と露受葉、立葉の後ろ(陰方)あしらいと立葉の前あしらいの四枚を今年の葉と見立てます。立葉1は少し裏向きに、即ち露受葉2と向き合うように挿し、立葉の後ろあしらい3と前のあしらい4が立葉をはさんで向かい合うように挿します。立葉の裏に即ち立葉の手前に実を挿し、その実に押し分けられて倒れた葉が流し葉となるのです。次に実の向こうの体奥に一枚あしらいを挿し立葉と露受葉の間の後方へあしらいを一枚、そして手前へ前葉を一枚入れますと、全部で八枚になります。流し葉5、前葉6、実の向こうのあしらいの葉7、立葉と露受葉の間の向こうのあしらいの葉8の四枚が昨年の葉となります。意味、わかりました?何かの公式のような気がします… 番号に付箋を張り、家に帰ったら、もう一度、家の花器で活け直しました。こうでもしないと、覚えきれないよ!蓮4044
2005年01月01日
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『俺の誕生日はいつも餅つきだ』とぼやく旦那。そんな旦那を無視して、子ども達をせかせて、旦那の実家に行くため、車に乗り込んだ我が家はいつも家族の誕生日に外食する習慣があるのだが12月30日は朝から忙しくてそれどころではないのだ。結局、旦那の誕生日祝いは年明けになってしまう。餅つきは車で10分ほどの所にある、旦那の実家で行う。前日から自家製餅米を研ぐことと家で栽培した小豆で餡を煮るのは義母がしてくれる。まず、行くと最初にするのが餡の味付けだ。義母はいつも私の到着を待ち、味付けを依頼する。砂糖と塩を適当に入れる。(いつも適当だ!)硬かった小豆が一気にゆるくなる。それをまた、練っていくのだ。これの担当は今年、娘が買って出てくれた。それから、3段のセイロを出し、洗い、もち米をそれに入れ、旦那特製の釜にかけ、蒸していく。お米が蒸しあがるまでの間もやることはいっぱいだ。臼と杵の用意をし、餅を並べる板をきれいにふいていく。餅をこねる板も出してくる。それに片栗をまんべんなくつける。餅のあいどりのためのお湯を置くスペースを作る。あらかた準備が終わると餅の種類のつく順番を確認する。小餅を2回から、鏡餅が2回続き、また、小餅に戻り、それから餡餅、最後はカキ餅だ。その間に昼食時間がきたら、酢餅を作ることにした。餅つきの合間を縫って、準備を続ける。出来上がった餡をスプーン大の大きさにして丸めていく酢餅のため、大根を畑から引き、おろしをたくさんすり、酢をとるため橙を木から4、5個、ちぎってくる。この餅はつき立てならではの食べ方だ。実はこれが本日の一番の楽しみなのだ…この用意をしながら、私は感慨にふける。下手でも回数を重ねていくと何でもうまくなるものであいどりも餅を切るのも一人前になってきた。何よりも当日は何をするべきか自分で段取りがつけるようになった。毎年、繰り返される年中行事最初はわけがわからなく、義母の指示に従い、やっていた。今では、私が義母に『アレはどこ?これはどうした?』と指示を出し、義母が動いている状態だ。義母も年取ったせいか、今では指示するより、私から言われて動いた方が楽なんだそうだ。世代交代か…気がつけば、偉そうに義母をあごで使う、私がいた。それを改めて今日は認識してしまった。人に指示されるのはいやで、怠けず嫌いの私だが責任の重さを思うと確かに従っているほうが数倍、楽だなと感じた。が、義母の仕事を少しでも軽減させてあげることも私の嫁としての勤めだと思うので今年はこんなもんで許してもらおうと勝手に決め込んだお祝いなしの旦那のバースデーだった。PS 高校生の息子も世代交代?お父さん、おじいちゃんに代わって今日一番、回数を多くついたのは息子でした。しかも、フォームが確実に良くなって、無駄な動きがなくなった。楽に負担をかけずにつく方法をいつの間にか体で覚えている。なんか、嬉しくなった…って、旦那、テレビ、観てんじゃないわよ! 正月に万年青を活ける。(お花の先生宅で)万年青は決まり事が多く、難解な生け花です。差し口が全て決まっており、葉の素生を見ながらどこにどれを差していくか決めます。下はそれも図解です。これを見ないと次はもう、できません。
2004年12月31日
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『違う、違うって、119よ!』私は父から慌てて、電話を取り上げると、119番を押した。はっきり言って、生まれて初めてだった。この番号を押したのは…今日は朝から、実家に年末の大掃除に出かけた。叔母と2人で出かけたので、掃除は順調に進み、午後3時にはあらかた終わっていた。ひと休みでもしょうかとコーヒーの用意していた時、来客があった。私がサイトをリンクしている“ピアノ職人西田絵里奈”の母親と祖父母の3人だ。1時間ほど談笑してから帰ると言うので車のところまで見送りに出ることにした。玄関を出て、2、3歩、歩いた時だった。私の前を歩いていた絵里奈ちゃんの祖父が突然、前触れもなく倒れたのだ。その時、まだ、絵里奈ちゃんの母親は家の中にいた。慌てて、呼びに帰る。と、同時に『救急車!救急車!』と大きく叫んだ。叫ぶ私の横をすりぬけて、絵里奈ちゃんの母親が裸足のまま、飛び出していった。家にいた私の父親が電話の子機を持ったまま、番号を押しながら出てきた。が、父も焦っていて、『救急車は109番か?』と言っている。『違うって!』と子機を取り上げ、電話の受話器を耳に当てると案の定、『この番号は現在、使われておりません』と聞えてきた。改めて119番を押し、息を整えた。幸い、絵里奈ちゃんの祖父はたいしたことには至らず、その後、運ばれた病院で倒れた時に受けた擦り傷の治療を終えると、入院もせず、家に帰れた。もちろん、大変なことになっていたのなら、この日記も書きどころではなかったのだが…私の母は地方公務員で消防局にもいたことがある。たまに遊びに行くと消防本部で119に答える救急隊員のきびきびとした対応が垣間見られた。全く冷静、沈着とはこのことだ。今日は身を持って体験した。119番に電話をする人は大体焦っている。父が簡単な電話番号を度忘れしたほどである。私もかなり焦っていたと思う。だが、その電話の相手は恐ろしいほど、冷静だ。隊員の問いに一つ一つ、丁寧に答えていく。『救急ですか?火事ですか?』『救急です』『では、あなたの名前をお知らせください』『えっ、私の名前?』関係ないと思いながらも、答える。『どうされましたか?』『親戚が倒れたんです。今、道に倒れてそのままです。』『では、その方の名前を教えてください』質問されることにとにかく、答えていく。『場所はどこですか?』私は実家の場所を言う。『では、ただいまからそちらに救急車を回しますので…』その言葉でようやく落ち着いた。『早く来て下さいね』と頼み、電話を置いた。そして、寒い外で倒れた絵里奈ちゃんの祖父にかける毛布を持って外へと急いだ。私にとって初となる119番だった。119番と110番だけはできたら一生、お世話になりたくないとつくづく、思った。 急に冬らしい天候になりましたね。体にはくれぐれも過信せず、気をつけて下さい。蓮4044
2004年12月30日
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2、3日前に『セバスチャンがいる』と娘が言っていた。セバスチャンは隣の家のお嬢さんのフランス人の旦那だ。って、ことは当然、娘さんもいる?でも、その割には聞えてこないな?と思っていたら、今日、朝、2階のベランダで洗濯物を干しているとやっぱり、聞えてきた悪夢の旋律…実は初めてここに引っ越してきた時、悩まされていたのだ。その当時はまだ、娘さんはフランス留学前で、ピアノの練習に余念がなかった。音大出でフランスに留学する位だから、上手なピアノがタダで聞かれてぽぽのさんいいなと思う方もおられるかもしれない…が、実際には想像するより、過酷だった。なんと、娘さんの奏でる旋律は摩訶不思議なものでいわゆる現代音楽のジャンルに入るものでヘンテコな旋律がとめどなく流れてくるのだ。たまに合間を縫ってショパンやリストの練習曲もやってはいたのだが…とにかく、我が家の旦那が夜勤で昼間寝ているときは『ピアノの音で起きませんように』と祈るばかりだった。一日中、ピアノは鳴っている日もあった。聞いたことのない音楽なので上手いのか、下手かさえもわからなかった…その後、彼女はフランスへ留学し、今はフランスで見つけた旦那の仕事の関係で東京にいるらしい。でも、いなくなって見ると、なぜか、頭に残っている旋律が時々、勝手に蘇る。口ずさむことさえ難しいメロディラインやたら、繰り返えされる同じ音起承転結のない曲いつが始まりなのかいつが終わりなのか何度聞いてもわからないままだった。隣のご主人は時々、もれる音を気にしていた。それで、留学中に部屋を増築して防音装置をつけたらしい。それで、家にいるとピアノの音は聞えなくなった。が、今日、ベランダに出るとかすかに聞えてきた旋律。あの頃はなんか嫌だった旋律が今日は妙に懐かしく感じる。きっと、久々に聞いたからだろう…これが毎日となるとまた、迷惑な話になるんだから『人間っていよいよ自分勝手な生き物だな』と感じた少し12月らしくなった今日の日だった。 甘い香りの漂うイチゴハウス イチゴ畑はもう春です。中の温度計は26度でした。近くのIさんから、電話があり、イチゴを買いに行きました。 クリスマスが終わり、イチゴの値段が下がると直接、ハウスに買いに行きます。今は『とよのか』と『あまおう』が主流です。蓮4044
2004年12月29日
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パーマの予約のため美容室に電話をして9時に約束。私が行ったのは9時半で先生が朝風呂から出てきたのは10時。また、今年も負けてしまった…時間のルーズさでは先生の敵はなしだ。お客が来るのに風呂はありえんだろう?先生、先生と何度も呼ぶと奥から、返事があり、今、風呂!と言われた…私の行く美容院は先生が一人で経営している。儲けようなんて気は全くない。亡くなられたご主人の年金があるから、あくせく働かなくていいようだ。家の一部を改装して1日、一人で常連さん限定だ。その作りからしてすでに来る者を拒んでいる。私もその一人、独身時代から行っている。もう、25年以上行っている。だが、先生にとって、25年のお客さんはまだまだだ。40年ここだけと言う、上得意様もいる。自慢じゃないが先生の腕は本物だ。神戸で若い頃、修行していた。地元に帰ってからも、毎週欠かさず、講習会に行って、勉強している。講習会は福岡で月曜日にある。この頃の若い子は遊ぶのに忙しく、休みの日にある講習会の出席者が減っていると嘆いていた。たった、一日一人のお客のために講習会に通う先生もすごいが時間の観念はもっとすごい。私がきちんと約束通りに9時に来ていたら、一時間、待たされる計算だった。そして昨日のパーマは6時間かかった。でも、これで一年、パーマは消えない。魔法のパーマだ。みんなは信じられないと言うが本当だ。髪が伸びた分だけパーマがかかっていない。先生はとにかく、丁寧だ。カットに1時間はかける。それが終わるとシャンプーをする。それもかなりの時間がかかる。シャンプー台から降りた時、腰が痛くなった…それから、プロテインを髪に擦り込み栄養補給をする。そして、1年、何もしていないから健康な髪のキューティクル開かせてパーマがかかりやすくしていく。私はヘヤカラーもしたことないし、パーマも一年かけていないのでとても健康な髪なんだそう。それが終わるとようやくパーマに取り掛かる。時間をかけて一つ一つ、ロットに髪を巻く。巻きつけるとき、ギリギリまで髪を櫛できれいにといていく。そしてときながら、ロットに巻きつける。クルクルなんて簡単に巻かない。だから、巻くだけでゆうに1時間は越える。出来上がりを想像しながら、先生は時々手を休め、考える。後がつかえる心配がないから、ゆったりしている。もちろん、私も一日仕事だと認識している。巻き上がると昼食タイムだ。先生がコーヒーと紅茶、どっちがいい?と聞いてくる。答えるとコーヒーとトーストとお菓子、みかんが出てきた。しばし、談笑。パーマ液を何回か、頭に振り掛け、時間を置くとパーマはきれいに仕上がるのだが、そこからがまた、一仕事だ。たぶん、普通は液を落とし、ブローにセットで終わりのはずだ。先生はまた、その後、カーラーで髪を巻いて本格的にデザインパーマをかけていく。だから、洗うとチリチリになるのに、カーラーに巻くから、ふんわり、ヘヤーがカールされた状態になっている。わたしは『パーマをかけます』と言うだけで先生には一言も何も言ったことがない。いつもそうだ。勝手に、適当に髪を切り、勝手にパーマをかける。おまかせコースだ。先生が今年の流行を取り入れながら、私の顔を輪郭や好みを考え、さっさと事を運んでいく。ところで今年はエリザベス・テーラーみたいな髪型になっていた。かなり土台は違うのだが…なぜ?映画の観すぎか?そう言えば、リズの話、していたっけ・・・『先生、これ、エリザベス・テイラーもどきじゃない?』と質問すると、嬉しそうに『わかってくれた?昨日、映画見てね…』やっぱり…この先生、時々、こんなことするの知っていたけど…わたし、また、実験台にされたんだ。確か、前にも、すごい髪型にセットされたことがある。今から、成人式です調のアップにされたことがあった。それで、普通の服を着ていて恥ずかしくて買い物に帰り、行けなかった。今年もやられてしまった。今、私の頭だけは世界の大女優です。 何度も言いますが、似ているのは髪形だけです。ハイ!それにしてもきれいなリズです…色々、捜したけど、この髪が一番似ているかも!蓮4044
2004年12月28日
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昨日の夜からインターネットの調子がおかしくて、アクセスできませんでした。98のボロいPCがもう、悲鳴を上げています。ようやく、プロダイバーが通じて、どうにか良くなりました。が、今日はまた、今から実家に行きますので、日記もみなさんのサイトに遊びに行けるのは夜になります。ごめんなさい。PS 昨日は日記のネタがたくさんあって、どれにしようか迷っていたのに…全然、書き込みできませんでした。早いとこ、XPの方に接続します。年明け早々でも…では、また!
2004年12月27日
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魔物にとりつかれ、1時間ほど寝てしまいました。いけません…魔物は私に誘いの手を緩めません。今日で今年、一年の仕事納めをしました。仕事のローテーションの関係でなんと私だけ、九連休になってしまいました。本来なら、28日が御用納めで仕事始めが4日からで6日間が休みなのです。超過勤務の時間の調整でどこに持ってくるか、考えていると、どんどん、日付けが過ぎていき、28日しか、休む日がなくなりました。でも、その九連休になるのを私を含めて誰も気が付きませんでした。のんきなものです・・・昨日、職員会議をするため、勤務割表を作り変えているとき、やっと、自分で気が付きました。けっして、意図したことではありませんでしたが、もちろん、みんなの羨望を一身に受けました。職員会議の後、ランチを食べながら、ささやかな今年一年の職場の忘年会をしました。一人前、800円の並み握りと巻き寿司2個といなりがメニューでした。昨日の、空調の茶髪兄ちゃんが来た後、印刷機ができなくなって困るトラブルがあった間のできごとでした。来年から、仕事場の名称が変わります。そのため、年明け、4日にホームページ中の全ての名称を変えなければいけません。今日、ホームーページをチェックをして名称部分を変更し、ホームページビルダーに上書きだけしました。4日の決められた時間内に転送作業をします。仕事場のホームページは2月に開設しました。今年はホームページの仕事で終わり、来年もホームページで仕事始めです。楽天もサイトも今年、6月に開設して以来、皆さんにいろいろ楽しいこと分け合ってもらいました。小さな私の喜びです。本当にありがとうございます。旦那はPCの前に陣取り、動かない妻に多少、腹を立てておりますが『月々、2880円(ADSLの料金)でどこにも行かず、家で楽しんでいるのだから、大目に見てくれ』と言って私も譲りません。まぁ、年明け早々、ついに光ファイバーを導入する手続きをNTTの担当者と打ち合わせを内緒でしました。工事は旦那がいない日を狙っております。上手く、日程が調節できればいいのですが…計画が旦那に事前に漏れれば、『要らんことだ!』と文句を言われるのは必至です。みなさん、どうか、ばれない事を祈っていてくださいね。明日は1年に一度の恒例のパーマをかけに行きます。カットもその時、一回だけします。結婚してから、ずっとそれです。つくづく、自分にお金をかけない女だと思います。ただ、旦那に言わせると、『確かにおしゃれや外見に金をかけないがお前は毎日、食事は2人分は食べている』と言って文句を言います。それを言われると私は何も言えなくなります。確かにそのとおりだからです。ショーケースにかろうじて売れ残っていたショートケーキを5個買ってささやかなクリスマス気分を味わいました。4人家族で5個…計算が合わないかもしれませんが、私の計算は間違えていません。私が当然、2個食べるからです。あしからず…PS 皆さんのもとにメリークリスマス!そして、ハッピークリスマス!今日はイエスキリストがお生まれになった日です。アブラハムの家系である大工のヨセフと聖母マリアとの間にベツレヘムの馬小屋でお生まれになりました。飼い葉桶がイエス様の初めてのベッドでした。
2004年12月25日
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朝、仕事に行くと、大きな音で警報機が鳴った。びっくりしてみると、暖房の装置の故障を示すボタンがチカチカと点灯している。事務室に空調の集中コントローラーがあり、それが鳴ったのだ。これは大変!早く、空調の工事屋さんに電話しなくては!今日はこんな調子で始まった。10時からある、職員会議の資料を作っていると、案の定、講堂に入ったダンスのクラブから暖房を入れてくれるよう電話がかかる。すみません…と事情を説明し、寒いのを我慢してもらう。職員会議の始まる頃、やっと、見覚えのある茶髪の兄ちゃんが事務室のドアを開け、入って来た。職場の空調は年季が入りすぎていて夏になると冷房が止まり、冬になると暖房が止まる。去年、ついに事務室の空調だけは新品に交換してもらえた。だが、館全体の空調を代えるとなると何百万単位のお金がかかるらしい。それで騙し、騙し、修理をしながら、ここまで来たのだ。おかげでいつも来てくれる茶髪の兄ちゃんとはすっかり、親しくなった。はじめてあった時、なんか軽い感じで好きじゃあなかった。でも、話してみると気持ちいい人だった。それに、工事が終わるときちんとそれを説明してくれる。今ではみんなのアイドルだ。この前、別の人が来て、ガックリしたこともあった。11時過ぎに何とか、修理も終わり、暖房が効くようになった。兄ちゃんは惜しまれながら、去って行った。一安心したら、お昼から、また、問題発生。今日、印刷するはずの新聞が刷れない。印刷機の調子がおかしいのだ。慌てて、メーカーに電話をする。応対に出てくれたのはいつものおじさんだ。変わった口調の話し方が特徴だ。本を読んでいるように棒読みする。感情を決して入れない。ある人は冷たい人のようだとこの口調を嫌がるが私はこの声を聞くと、とても安心する。だって、このおじさんなら、電話だけでいつも問題を解決してくれるのだ。今日もそうだった。私の説明で不具合箇所を瞬時に理解し、すぐにどうすればいいか例の棒読み状態で一つ一つ、順序立てて言ってくれる。そして、見事に今日もおじさんはまるでその場所にいるかのように印刷機を直してくれた。今日はその道のエキスパートに助けられた。くせのある人たちだけどね…『やっぱり、プロはすごいね。』と言う。しかし、館長は別の視点でこう言った。『年季が入ると機械同様、人間もガタがくるね。直してもらわんといけん所だらけだ…』『ごもっともです、はい。』蓮4044
2004年12月24日
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いろいろ考えたが、これが一番いい方法だと実行に移す。まずは電話をしてみる。以前、聞いていた娘さんの家の電話番号まったく身ずしらずの人への電話は緊張する。電話のコールが、何度も繰り返し聞えてくる。もう、受話器を置こうとした7回目か、8回目のコールの時受話器が上がる音がした。『もしもし、〇〇さんのお宅ですか?』『はい、そうです…』聞えてきたのはかなり年のおばあさんの声だった。ラッキー!私が用事があるのは彼女だ。娘さんには用事がない。説明する手間が省けた。私は3年前から、民生委員をしている。今年で4年目だ。彼女とはこの時期と敬老会の時期に顔を合わせる。彼女はふじ子さんという、本来、私の住む同じ町内にいる人だ。ただ、いつもは娘さん宅に行っていてたまにしか帰って来ない。もう、タイムリミットが近づいていたので、いつ帰ってくるかわからない彼女を待っていられないので電話をしたのだ。『歳末助け合い運動』という言葉皆さんの中にも協力したり、名前だけは聞いた事があるという人がいると思う。私は今日、それを受取人に渡すため、電話をしたのだ。皆さんが協力してくれた浄財はいろんな分野に分配されるがいわゆる、生活自立困難者に正月のもち代として、年末のこの時期にいくばくかのお金が配られるのだ。このお金は正確には歳末たすけあい見舞金という。民生委員になるまではこのお金がどういう風に使われているのか知ることもなかったし、興味もなかった。私の担当地区には4人いる。3人はいつでも会える。もう、配り終えていた。役所に領収書を届ける締め切りは25日だ。何度も行ったが、戻ってていないようだった。それで私は娘さんのところに失礼だが、行くことにしたのだ。『こんにちは。民生委員の〇〇です。』おばさんの耳まで用件が届くように一つ一つ、言葉を区切って話す。納得したようだった。これで一安心。振り込め詐欺が流行っているが、こっちはお金を配る方なので疑っていないようだった。ところがそれからが大変だった。娘さん宅に行くことを了承してくれたのはいいのだが、場所がはっきりしないのだ。北九州大学前の自衛隊の近くというのはわかった。その前の〇〇ビルの3階だという。しかし、自衛隊の敷地は半端でない広さ。正門前は大学だ。どの場所を指しているのか、さっぱりわからない。何度か手がかりを得るため、質問すると、『何でわからんのかね?』とブツブツ言うのが聞えた。仕方がない…要領を得ないまま、とりあえず、車に乗り込んだ。20分くらいして自衛隊前に到着した。ビルの名前を確認したいが、トロトロ行くと、後ろの車に迷惑だ。かといって適当な止める場所も見つからず、自衛隊と大学の周辺を何度もグルグル回ってしまう。この辺は大学のあるせいで、ワンルームマンションが乱立している。どれもこれも居住ビルのようだ。そして、やたら、目に付く不動産屋。そうだ!不動産屋にはゼンリンの地図があるはずだ。これは助けてもらおうめぼしい、不動産屋を見つけるとドアを開けた。女性従業員さんが対応し、すぐにゼンリンの地図を持ってきてくれた。いきさつを話すと、『それは大変ですね。お年よりは要領を得ませんからね。』と気の毒がってくれた。2人でおばあさんが言う、名前のビルを自衛隊の駐屯地の周辺を中心に探し始めた。そして、数分後、不動産屋さんの方が先に見つけてくれた。確かに道を挟んで自衛隊の前のビルだった。ただ、首都高が走っていて、ビルが少し、奥まって歩道が広いのでこれでは車で捜して見つけられないはずだ。親切な不動産屋さんにお礼を言うと、そのビルをめがけて車を走らす。そして、言われた3階の部屋を探す。あった。娘さんの名字の表札だ。チャイムを鳴らす。なかなかでない。警戒をしているのか?もう、1回、電話をしてみようかと思案しているとふじ子さんは印鑑を持って出迎えてくれた。お年寄りに事件に巻き込まれては危ないからと印鑑を持たせない子どもが増えているらしいが、さすが、お金をもらう時は違う。にこやかに笑いながら、出迎えてくれ、しかも、手編みもマフラーまでもらってしまった。家に帰り、娘に見せると娘は一言、『趣味、悪い…』と言った。確かに、かなり、どぎつい緑色のマフラーだ。でも、いらないとは言えなかった。ふじ子さんはたぶん、80歳くらいだろうが、その年でマフラーを編むなんてある意味すごいと思うから。カギ編みで手作りの暖かさを感じる。でも、やはり、娘が言うように首に巻くには少々、抵抗はあるのは事実だ。どうしよう?とりあえず、首に巻いてみた。あれ?意外といいかも?小さめで短いので、派手に見えない。どう?と娘に見せたら、娘も意外そうに『いいかも』と言う。今日は九州地方もずいぶん寒くなった。このマフラー、明日から、私の首元を温かくしてくれるかもしれない。80歳近いおばあさんが私にグッドタイミングで暖かさを運んできてくれた。蓮4044
2004年12月23日
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夕方、先日、注文していた液晶テレビとHDD&DVDテレビレコーダーが届いた。子ども達には言ってなかったので、喜んだのはお兄ちゃんだ。旦那も去年の大晦日、見たい番組が3つも重なり、悩んで、そのおかげで髪が10本ほど抜けたと騒いだので嬉しそうだ。わざわざ、2つ同時に番組が予約でき、しかも別の番組も見られるので合計3番組が見られる計算だ。すごい時代になったもんだ。我が家の男どもは狂喜乱舞し、説明書片手にリモコンで遊んでいた。が、我が家の女どもは違う。なぜか、ほとんどテレビを観ない娘と私。いつも、男が見ている番組を音声だけ、聞いている。というか、聞かされているのだが。だから、観ていないのに結構、ストーリーは知っているのだが…世間ではドラマとかにはまる女を白い目で見る旦那の構図が多いが我が家は全くの反対だ。テレビドラマにはまる2人の男それを冷ややかな目で見る女が2人おかしな組み合わせだ。今日、リモコンで遊ぶ男2人を無視して女が心奪われたものが登場した。それは、ついに出したコタツである。が、どこを捜したもコンセントが見つからない。仕方がないのでそのまま入った。意外といける。少しは寒いが、ファンヒーターが部屋にあるので大丈夫だ。私と娘2人はコタツの魔力に取り付かれ、入る。もう、抜けられない。2人で横になってみる。 極楽だ…幸せな瞬間至福の時そして酔いしれ、深い眠りへと私たちをいざなう。それから、3時間、目を覚ますと旦那は夜勤に出かけお兄ちゃんはテレビを見終わり、自室へ戻っていた。娘は仲の悪いぽぽの(犬)とこの時ばかりは並んでコタツに入り、仲良く、まだ、夢の世界をさまよっている。これから、毎日、この状態が続いたら、どうしよう…魔物に心を奪われる日々コタツから、手の届く範囲でしか、動こうとしないずぼらな生活目に見える恐怖に怯える魔物ついに現るだ…蓮4044
2004年12月22日
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夕飯の用意をしていたら、電話が鳴った。『もしもし、宅急便です。お荷物をお届けにあがりたいのですが…』なんだろう?と思ったら、『下関からカニが…』と言う。そう言えば、あばかんとこのサイトでいつもいつも『かに・カニ・蟹』と蟹の宣伝ばかりしてうるさいので、ついに折れてやって蟹を注文してやったのをすっかり忘れていた。って、思い出したら、余計なことまで思い出した。それって、もしかすると、クール宅急便?大変だ!冷凍室は満員御礼だ。しかも、今日また、加ト吉の冷凍うどんを買ってしまった。どうしよう…思わず、無謀にもお願いしてみる。『すみません、配達を明日にってわけには行きませんか?』と慌てて、宅急便の人に頼む。だが、宅急便の人は動じることなく、『明日のこの時間の時間指定はもう、立て込んでいてできません』と冷たくあしらわれてしまった。もう、年末だし、それも仕方ないなと『じゃあ、持ってきて下さい』としぶしぶ言う。配達のこと忘れていた私が本当は一番悪いんだけどね…とにかく、すぐに食べないので解凍するわけには行かない。急いで、台所に引き返すと、冷凍室の掃除を始める。とりあえず、2段ある、冷凍室に詰め込んだ物をどんどん出していく。夏に溜め込んだ冷却材をまず、全部出した。なんと、10個以上出てきた。それから、適当に詰め込んでいた冷凍物をきれいにパズルのようにもう一度詰めなおしていった。そうしたら、スペースがずい分開いた。なんでもどんどん、詰めていくからこうなるんだと少し、反省。そうしていたら、ナイスタイミングでピンポーンが鳴る。かくして、発泡スチロールから出された『かにのむき身1キロは』はピッタリ、その開いたスペースに納まってくれた。焦って慌てて困惑したのに、結局、冷凍室まできれいに掃除&並べ替えができ、大満足な宅急便だった。で、その味は? フフフ、食べた時のお楽しみですよ。しゃぶしゃぶにするつもりです。(キャー!)ムキ身で1キロはすごいよ、量!あなたもいかが?えっ、感想を聞いてからにする?では、お楽しみにね。っていつ、食べるんだろう?何ごとにも無計画な女です…PS ご用命はあばかんまで(リンク貼ってないけどね。)
2004年12月21日
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ずい分前にもこういうことが一度あった。まだ、子どもが小さく無邪気で可愛げがあった頃北九州にあるスペースワールドという宇宙のテーマパークに初めて親子で行ったとき。旦那はわざわざ、会社を休んで行ったのだが、なぜか、駐車場はガラガラで、『あれ、おかしいな』と思ったら、スペースワールドが開園して以来の始めての休園日だった。今日の温泉もそうだった。初めて行く温泉だったのだが、着くとやはり、営業が始まってから初めての休館日だった。見ると、私たちの後からも、駐車場に次々に車が入って来ては休館日の札にガックリ来て、車をUターンさせていた。今日の目的は温泉なのだから、自称“温泉博士”の私はナビのアンテナを張り、次なる代替の目的地を検索!ピ、ピ、ピ!検索完了!目的地を変更します。音声案内に従い、金田町の日王の湯に行きます。と、案内を始めたのだが…変更した温泉にはこれまで旦那は4回、私は3回行っている。が、一度もまともに行ったことがない。必ず、一度は道に迷うのだ。少し、幹線道路から離れているせいと普段は全く通らないところなので不慣れなのだ。人間カーナビもこの道は地点登録しているのになかなか覚えてくれない。これほど、まともにいけないと『今日もいけないだろう』と何故か、行けない方に期待がかかるから、変だ…ところが今日は初めてすんなり行けた。不思議なことにほとんど迷うことなく行けた。『まさか、ここも定休日ではないだろうか』と思って少し、心配だったが駐車場に車が結構、いっぱいだったので安心した。温泉に浸かっていると前のご婦人2名の会話が聞えた。『今日、別の温泉に行ったら、休みでこっちに来た』『あんたもね!私もよ。』と言っている。とても親しげに話すので、知り合いかと思っていたら待ったくの初対面の人同志だった。すかさず、私も会話に加わって『私もなんです』と言いたかったが、突然、話し掛けられたらビックリするだろうから、何も言わなかった。が温泉とは本来、そうやって、知らないもの同士が湯につかりながら、『どこからおいでました?』(来ましたか?)から始まり、会話が弾んでいくものだと思う。昔の湯治場にはそんな風景が毎日、展開されていたんだろうなと郷愁を感じた12月の一日だった。昨日、日記の書き込みが終わり、更新しようとしたら、PCが固まり、できませんでした。今、仕事場から内緒で更新しています。遅れまして、申し訳ありませんでした。蓮4044
2004年12月20日
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日々感動し、生きて行けたらどんなに素晴らしい事か…人との出会いでそんな感動をもらった時は特にそう思います。私、また、素敵な人と今日、初めて出会いました。月曜に行かない代わりに今日、娘と一緒に実家の父母の様子を見に行きました。父は来る早々、『正月も近いことだし、お母さんを散髪に連れて行ってやりたい』と言ったので、4人で車に乗り込みました。『どこの散髪屋さんにいくわけ?』と私が聞くと『全く決めてない』とのこと。少し、離れた親戚の家に寄って、届け物をしてから町の方へ出るつもりでした。用事が終わり、さて、どこの散髪屋さんに行こうか?と思案していたら、父が急に思い出したように『あれはしげちゃんか?』と言ったのです。窓の外を見ると一人のおばあさんが草むしりをしていました。父の知り合いだろうと思っていたら、『しげちゃんのことをすっかり忘れていた』と車を止め『ちょうど良かった。しげちゃんにしてもらおう』と言ったのです。私は『えっ、なにをしてもらう訳?』と思ったら、しげちゃんは『散髪屋さん』だったのです。『あんなおばあさんにしてもらうなんて大丈夫だろうか?』と心配するほど、しげちゃんはお年よりでした。はっきり言って、とても不安で、手元が狂うのでは思いました。でも、わたしの不安は数分で打ち消され、それが感動へと変わって行ったのです。しげちゃんはなんと85歳で現役の散髪屋さんだったのです。その確かな技術はうなるほどでした。はさみとバリカンを交互に操りながら、見事に母の髪をカットしていき、スマートに仕上げていったのです。しかもきれいに顔そりまでしてくれました。その後、父の髪もカットしてくれました。 もちろん、髭剃りもして、さばけることと言ったら、そのへんのテレテレした若者なんて及びもつかないほど!しかも、巧みな話術。『学がある』と言うのはこう言う人のことを差すと改めて思いました。『白砂青松』と言ったとき、『娘がハクシャセイショウ』ってなんですか?という問いに笑いながら、『今ではもう失われつつあるものだよ。国語の先生に聞いてごらん』と言い、『もうこの言葉も死語になったねえ…』と寂しそうに父と懐かしい昔の島の思い出を語っていました。27歳で戦争未亡人になってから、はさみを持って幼い子ども2人を育ててきたそうです。父の母方の親戚になる人のようです生き生きと仕事を続け、手を休めない。『やめたいけど、あんたがおらんと困ると言う年寄りがいるからやめられん。』という、しげちゃん。その見事や手さばきを見ながら、『大丈夫だろうか』と言う気持ちを持った自分を恥じた。しげちゃんは『今度は私が家まで行って散髪してあげるから』と体の不自由な母を見て言ってくれた。そして、どうしてもお金を受け取らないのだ。父が2人分だと差し出した4枚の千円札は2人の間を飛び交い、しまいには、私のポケットにしげちゃんはお金を入れる始末。とうとう、1000円だけ受け取ってもらった。車に乗り込み、帰る時、振り返ると見えなくなるまでそこに立ち、手を振ってくれた。『生涯現役』という言葉があるが、 まさにそれを地で行く人に今日は出会えた。だから、私は感動で包まれている。
2004年12月19日
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今日の毎日新聞の14、15面見開き2ページを使って広告を出したメルセデス・ベンツ本当に風格のある素晴らしい車だ。この広告を見て私は実家で起こった5、6年前の騒動を思い出した。ある日、母から電話がかかった。ふだんから、よっぽどの用事がない限り電話などしない母だ。何ごとかと思い、聞くと『お父さんが家を新築したいと言い出した。私はこの家で十分だし、夫婦2人で住むのに新築など必要ない。もし、話をしたら、反対して欲しい』と私に協力を依頼してきたのだ。実家は新しいとは言いがたいが、メンテナンスや手入れがいいので住むのに全く問題がない家だ。母が反対するのは当たり前だ。もう、70才を父は超えていた。退職金などがそのままあり、年金で暮らしていて、ローンも組まなくて家を建てるほどの蓄えはあるようだが、母は『今さら、立替るなんてとんでもない』である。それでいろいろ考えた挙句、母と私で出した結論は父に家以外の高いおもちゃを買ってあげるということだった。父はお酒もタバコもたしなまず、ギャンブルもせず、趣味は旅行とカメラと車だった。車が大好きで旅行も絶対、自分の車で自分が運転して行った。なんと、団体旅行にも一人で車を運転して途中合流する人だった。最大一人で4台持っていた。乗用車、8人乗りワゴン車、軽自動車、軽トラと用途に応じて使い分けていた。そんな人だから、家を諦めてもらう代わりに車を新しく買ってやろうと代替案を持っていったのだ。父は2つ返事でOKした。そして、父が買ったのがベンツだった。そしたら、車庫まで作り変えた。車庫はそれなりにベンツに釣り合うようになったが、父にはとても似合わない車だった。しかも、乗りにくかったらしく、文句ばかり言っていた。操作方法が国産車と少し違うらしい。方向指示器がまず、逆だった。右に曲がる時は左のレバー、左の時は右のレバーを操作する。70才を越えた父にはそれが自然にできないようだった。しかも、いつもは別の車を運転しているのでその車のつもりで運転してしまい、後続車に迷惑かけ通しだったらしい。結局、今年、母の退院を機にそれを売り、車椅子の人が乗り下りしやすいに改造した回転イスを特注し、車を買い換えた。憧れの名車のオーナーに70才を過ぎてやっとなれた父だが、その間文句ばかり言っていた。つまり、父には全く、いろんな意味で合わない車だったのだろうと思う。人が車を選ぶのだろうが、車も人を選ぶもかもしれない。そう言えば、我が家の隣りの家もベンツのオーナーだが、下の家もベンツのオーナーだ。ご主人は建設会社の社長だ。今日、仕事に出かけるとき、そこの奥さんにすれ違った。とても小柄な奥さんなのでベンツを運転していたが、本人がやっと確認できるくらい、頭がかろうじて見えた。悪いけど、下の家の奥さんもあまり、車から選ばれてないような気がした。 蓮4044
2004年12月18日
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15の春がやって来る。下の娘がいよいよ、受験だ。今日の三者面談でほぼ、希望進路が確定した。と言うのに、我が家は昨日の夜中まで親子で『どうする?どうしよう?』の右往左往で高校のパンフレットとにらめっこ状態だった。悠長な親子である。このごに及んで焦り始めた。とりあえず、どこでもいいから推薦してもらおうと私。すでにこの『とりあえず』が怪しいだが…娘は小5の時からバドミントンのジュニアクラブに入り、練習に励んできた。本当にバドミントンが好きらしく、練習がきつくても体調がすぐれなくてもほとんど休まず、親の私がひいきめに見てもよくがんばってきたと思う。が、残念ながら、おつむの方がいまいちで、進路に支障をきたしていた。夏の県大会後、引退したのだが、ある高校から声がかかった。夏の合宿の練習に来ないかとここは娘のジュニアクラブの先輩も多くいて、娘もすぐに馴染んで練習は楽しかったと言っていた。これで進路は決まったか?と思われたのだが…ところが問題が一つここはかなりの進学校だったのだ。到底、娘の頭では難しいのだ。担任の先生も『もし、推薦で通ったとしてもついていくのが難しいだろう』とはっきり言われた。これで白紙状態だ。2人でまた、進路先を考える。バドミントンができる環境にあるところで娘の頭に見合ったところ…一校あったが同じ市内でもかなり遠い。確かに先生もここを最初に勧めた。ここだと推薦で確実に入ると言っていた。が、やはり、女の子、部活で夜遅くなるのはあまり、親としてお勧めできない。で、却下だ。12月に入るとすぐ、合同の推薦説明会があり、それに出かけた。その時もらった資料の中に一つ気になる高校が…全く私も娘も視野に入れてなかったのだがある結構近い高校に普通科体育コースというのがあったのだ。スポーツ系の部活である程度の成績を収めた子を優遇して取るようだ。しかも、部活で忙しいぶん、勉強を少人数制にして見てくれるとあった。これはいけるかもしれない!娘に『ダメ元だ、担任に推薦してもらえないか聞いておいで』と言う。娘はその日、息を切らして帰ってくると『その高校の先生が今度、日曜日に学校に練習においで』と言ってくれたと言う。どうやら、部活の先生が、高校の部活の先生に娘のことを話してくれたらしい。その日から、やめていた素振りや、腹筋、腕立て伏せなどを再開させた娘。もう、勉強は二の次だ。娘は勉強以外は何でも得意だ。とにかく、まず、先生に自己アピールをしなければいけない。先輩へのあいさつの仕方まで、練習を始めた。こうなったら、得意分野である。学業がダメでも、この手があった。娘よ、がんばれ!と、密かに応援する母だった。で、今日、学校に行ってみると向こうの先生に気に入られた娘は高校の校長から中学の校長を通してぜひうちにともう、話がまとまっていた。ひょうたんから駒?行き当たりばったり?苦肉の策?追い詰められたあげく?嘘のような話だったが、担任は続けてこう言う。『1月に向こうの先生が面談にきますので、お母さん同席して下さい。』スケジュールまで決められていた。驚く親子!思わず、顔を見合わせる。昨日、寝ないで親子して悩んだのにあれがいったいなんだったのか?今でも狐につままれたように思える。明日になると『あれは嘘でした』なんて言われないだろうか?と、いらぬ、心配までする。しかし、言ってみるものである。本当にあの時はダメ元で私は言ったのだ。で、気のないような返事をして出かけた娘。それがこの結果になるとは…半信半疑であるが、とりあえず、推薦してもらえそうだ。帰りに先生から、『オイ、推薦が正式に決まるまで他言するなよ。それと大人しくしていること。いらん、問題、起こすなよ。』と注意を受けた。がってん承知の助!と親子で教室を出ようとしたら、娘の携帯電話が鳴り出した。マズイ!学校に携帯を持ってくることは禁止されている。思わず、私は、動揺を隠しつつ、『あら、すみません。私の携帯です。電源を切るのを忘れていました。』と、先生に一礼をし、慌てて、娘と廊下に出た。娘はかなりの小心者で推薦が取り消しになったら大変なので『もう、絶対、学校に携帯持ってこん!』と狼狽して宣言した15の冬だった。蓮4044
2004年12月17日
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