陽炎の向こう側             浅井 キラリ

陽炎の向こう側   浅井 キラリ

この空の下で 13




月曜日、研究室に着き席に座っていると、翔が入ってきた。

「おはよう。昨日はご苦労様。」

「おはようございます。お疲れ様でした。」

いつものように二人は笑顔を交わす。

そんな様子を隣で見ていた一樹が、

「ねえ、森川さんこの計算やっておいてね。それと、この表ちょっと間違っていない?ちゃんと見直ししているの?しっかりやってよね。」

「すみません。」

一樹が渡した資料を見ると表の中に1つ誤植があった。

とげのある一樹の言い方が彩子には気なった。

と、その時、後ろの席の翔が回覧板を持って一樹の席の前に立った。

そして、その回覧板をバシッと机に打ち付けて置いた。

彩子は驚いて横を見た。

一樹は机の書類に目を通したままの姿勢でいた。

彩子は友人の千鶴子を紹介するまで、ほとんど一樹と話をしたこともなかった。

9月の人事異動の折りに席替えで一樹の隣になり仕事の手伝いをするようになり、話をする機会も増えた。

仕事以外の話をすることもあった。

彩子は子供の頃から回りに男の子の友達も多かったので、男の子といろいろな話をするのは特別なことではなかった。

ただ、翔に心を向けてからは、少し後ろを意識しながら話をするようになった。

そして、翔とテニスの練習に行った頃から一樹のとがった態度が気になり始めていた。


不安と固い決心


彩子が仕事を終えて帰った後、翔と一樹の間で会話があるのか。

あるとしたらどんな会話があるのだろうか。

二人は、同期でこれからもずっと一緒の組織の中で働いていかなければならない。

これから、20年、30年、40年近く。

移動は、あるだろうが、同期という事実は変わらない。

こういう、保守的で、伝統的な職場では、第一に入社年度、第二に年齢。

そして、学閥。

今まで彩子がいた世界とは、まるで違う世界なのだ。

その世界の中で、知り合った翔と彩子。

『私の知らない二人のやり取りがあるのかしら。あるとしたら、どんな話なのかしら。』

彩子の胸の中に、小さな不安が芽生え始めていた。

あの、翔の激しい態度は、何を意味しているのだろう。

『私をかばってくれただけじゃないような気がする。』

彩子は、資料の入力をしながらも、芽生え始めた不安を懸想と躍起になっていた。

『私は、翔さんが好き。それだけでいいじゃない。その思いだけを大切にしていこう。』

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