陽炎の向こう側             浅井 キラリ

陽炎の向こう側   浅井 キラリ

優しく抱きしめて 8



『今までの深夜残業の疲れがだしたのかな~。』

何となく頭痛もする。

『あれ~、季節外れの風邪かな?』

ダイニングに下りていくと、

「どうしたの?顔色が悪いわね。」

「何か、風邪でもひいたのかな?体がだるくて、頭が痛いの。」

「頭痛薬か風邪薬でも飲んでいく?先に、食事しなさい。」

「分かった。」

美奈は、頭痛薬を飲んで家を出た。

そろそろスーツの上着を着ていると暑い季節となってきた。

あちらの家からもこちらの家からも出勤する人が出て来て同じ方向、駅に向かって行く。

いつもの光景だ。

ホームは、人、人、人で溢れている。次に来る急行を待っている。

美奈は、改札を通り抜けるといつも乗る場所に向かうエスカレータと反対側のエスカレータに乗ってホームに下りて行った。

昨日の男がまた同じ車両に乗っているかもしれないと思うとゾッとする。

ホームに下りて行き、電車を待つ人の列に加わった。

どんどん膨らむ人の数。

美奈は、今まで人感じたことのない圧迫感を感じた。

『何だろう。また、胸がドキドキして来ちゃっている。何でもないのよ。何でもないのよ。』

気持ちと体がチグハグになってしまっているようだ。

『私は大丈夫。私は大丈夫。』

何度も心の中で繰り返した。

その時、電車がホームに入って来た。

その時、風がおこり、美奈の髪を吹き上げた。

思わず、髪を抑えた。

ドアが開くと下り人は少なく、ホームで待っている人々は、直ぐに電車に乗り込んだ。

美奈も前の人を押し、後ろの人に押され、車両の奥へと押しやられた。身動きできない。

でも、昨日から、何かが美奈の中で変わった。

汚れた手の記憶。

頭の中にも体の中にも蘇ってくる。

1つ目の停車駅で沢山の人が降り、その人波にもまれ反対側に押されていく。

今度は、沢山の人が入ってくる。また押される。

後の人に押し込まれた時、美奈の体から、汗が噴き出した。

自分の体の異変に驚く美奈だった。

乗り換え駅で、車外に押し出された時、美奈は、得体のしれない心の中の圧迫感から解放された。

乗り換えるはずの地下鉄が来たが、乗車していく人の列から外れたところに立っていた。

ドアが閉まった。

美奈は、ホームから出て行く地下鉄を見送っていた。

『私、何しているんだろう。』

次の地下鉄が来た。

美奈は、電車に乗り込む人の波の中にいた。

イヤホーンを耳に入れ、音楽を聴いた。周りから自分を遮断するように。

目をつぶって、音楽に集中した。

大手町の駅に着くと目を開けた。

『何でもないんだわ。やっぱり。』

地上に出るといつもと変わらない景色がそこにある。

部屋に入ると、いつもの慌ただしい朝が始まっていた。

美奈は、コーヒーを口に含みながら、コンピュータに向かっていた。

それもいつもと変わらないことだった。

「よう、おはよう。」

「おはよう。」

誠二が声を掛けてくるのもいつものことだった。

でも、何かが違う感じがする。

「どうしたんだよ?お前、朝から声に力がないぞ。」

「朝だからないのよ。」

「いつものお前は、朝から、威勢がいいじゃないか。」

「何だか、風邪ひいちゃったのか、頭が痛いし、体がだるいのよね。」

「薬飲んだのかよ。」

「うん。」

「地下のクリニックに行って来たらどうだ?医者でもらう薬の方が効くぞ。疲れが出たんじゃないか?1人で行くのが怖かったらついて行ってやるぞ。」

「バ~カ。そうね、薬もらってこようかな。ちょっと行って来る。」

そう言って椅子から立ち上がり、歩き出した美奈だったが、体がフラツキ、他の研究員のブースに体をぶつけてしゃがみ込んでしまった。

「おい!大丈夫か?立てるかよ?」

そう言って、誠二が美奈の脇に手を回して立ち上がらせようとした。

「嫌っ!離して!触らないで!」

「どうしたんだ?お前。ほら立たせてやるから俺につかまれ。」

美奈は両手で口を押さえ、ブースに寄りかかったままだった。

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