陽炎の向こう側             浅井 キラリ

陽炎の向こう側   浅井 キラリ

優しく抱きしめて 14



「あの、会社には、行って大丈夫なのでしょうか?」

美奈の母親が聞いた。

「お薬を飲んで頂いて、昨日のような症状が出なければ、大丈夫だと思います。ただ、お疲れが溜まっていらっしゃるようなので、まずは、ちゃんと休養を取って頂いた方がいいと思います。それと、今後、疲労を溜めないということですね。今、なさっているお仕事をやりがいを持ってやられているようですが、大変なお仕事なので、知らず知らずのうちにストレスも溜まっていらっしゃると思います。ですから、余り、ご無理をなさらないようにすることが大切だと思います。お薬は、キッチリ飲んで頂かなければいけません。3ヶ月程度の薬の服用によって効果が出て来ます。さらに、1年から1年半ほど服用して頂いて、その後は、回復の程度を見ながらお薬の量を減らしていきます。」

「わかりました。」

「他に、何かご質問はないですか?大丈夫ですか?」

「はい。」

「ありがとうございました。」

医師が、黄色のクリアファイルを差し出した。

「これを1階の会計に出して下さい。」

美奈は、母親に支えられながら、診察室を後にした。

『パニック障害・・・』

美奈は母親に支えられながら、1階の会計窓口の前の長いすに座った。

約2時間待った末の受診。

大学病院での受診というものを初めて体験した美奈だった。

「こんなに待たされるのね。病人じゃなくても病気になっちゃいそうだわ。疲れたんじゃない?大丈夫?」

「うん。ちょっとね。」

美奈は、この3日間に自分に起きていることが未だに頭の中で整理できないでいた。

ベルトコンベアーに載せられているよう。川の流れに流されているようにこの大学病院の精神科に来ているとしか思えなかった。

何か、他人事のように感じていた。

『どうしたんだろう、私。』

美奈には、パニック障害と医師から診断されても、それがどんな病気であるか説明された今でも自分とは遠くにある病気に思えてならなかった。

「とにかく病名も原因も分かってよかったわ。信頼できそうな先生だったし。でも、土曜日に担当されていないから、今度、どんな先生に当たるか分からないわね。あの先生と同じようならいいけれど。」

「そうね。」

美奈は、ぼーっと母親の言葉を聞いていた。

「村沢美奈さん。」

会計窓口から呼ばれた。

母親が受付に行き、請求書を受け取り、支払窓口へ行った。

「どうする?もう、12時を過ぎているからここで食事していく?」

「いいわよ。」

「じゃあ、行きましょう。」

2人は、この病院の最上階にあるレストランへ行った。

東京タワーの見える席に通された。

「どうする?美奈ちゃん。来週から会社、少し休んだ方がいいわね。先生も、疲労を取るのが第一だっておっしゃっていたでしょう?」

「そんなことできないわ。まだ、今の仕事、終わっていないのよ。来週から、会社に行かなくちゃ。」

「そんなことできる訳ないでしょう?今日だって、1人でここまで来られる状態じゃなかったじゃない。」

「タクシーで行くわ。後は、パソコンの前に座っていればいいんだし。帰りもタクシーを使えば、大丈夫よ。」

「そんなことして、これ以上悪くなったらどうするの?疲れを取るのが先決だって先生もおっしゃっていたじゃない。」

美奈は、黙ってしまった。

しばらくして、口を開いた。

「次に待っているのよ。大切な仕事があるのよ。折角、大きなプロジェクトにつけるのよ。ここで、休んだら、ダメな奴だっていう烙印を押されるわ。」

「美奈、自分の体と仕事のどっちが大切なの?」

「ママ、大丈夫よ。薬をちゃんと飲めば。」

まだ美奈には、分かっていなかった。

自分の中で起きていることを。

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: