陽炎の向こう側             浅井 キラリ

陽炎の向こう側   浅井 キラリ

優しく抱きしめて 27



『一人娘で、両親に大切に育てられてきたんだろうな。父親の仕事で海外生活も送っている。恵まれた生活環境。大学院まで行って、シンクタンクに就職している。全くと言っていいほど、傷がない。挫折を知らない。真っ直ぐ生きてきたんだな。だけど、どこか頑張りすぎている感じもするな。何か、あるような気がする。仕事で、疲れただけじゃない何か。接していて、心の中に緊張感を感じる。』

「もしかしたら・・・。」

「もしかしたら?」

「電車で・・・。」

美奈には、どうしても口にすることができなかった。

「電車で?電車で、何かあったんですね。もしかして、痴漢に遭ったとか?」

「10代の女の子じゃないのに、そんなことくらいで、こんなことなるなんて。今までだって、触られたことくらいありました。でも、なんで・・・・。」

「恐怖感があったんじゃないですか?今までに感じたことのない恐怖感が。」

「とても、怖かったです。悔しかったです。混んでいて、身動き一つできないで。」

「そうでしたか。怖かったんですね。」

「いい年して、情けないです。」

「そんなことありません。憎むべき行為ですよ。」

「・・・・・。」

「先ほどもお話ししましたが、通常のお薬をきちんと飲んでいただいて、早め早めに頓服を使っていって下さい。そうして、心に余裕を持つようにしましょう。必ず、治る病気ですから。」

美奈は、森口の顔を見ることが出来なかった。

美奈と森口の間にある机の上に置かれた、森口の手を見ていた。

男性の手にしては、しなやかな手だった。

「もう、落ち着かれたようですね。では、また来週、いらして下さい。」

「はい。ありがとうございます。」

そう言って、立ち上がろうとした時、美奈はめまいを感じ、ふらついた。

その時、森口がとっさに美奈の体を支えた。

美奈は、そのまま森口の胸の中に。

一瞬、美奈は、安堵感を感じた。

美奈は、森口の体の暖かさを懐かしく思った。

本当は、折れそうな自分を感じていた。

「大丈夫ですか?」

「あっ、すみません。」

美奈は、さっと、森口の腕の中から離れた。

「すみません。失礼します。」

美奈は、下を向いたまま、ドアの方に向かった。

「気を付けて。」

森口は、ドアの所まで来て美奈を見送った。

「少し、ふらつかれたので、気を付けてあげて下さい。」

森口が診察室の前で待っていた父親に伝えた。

「大丈夫か?パパの腕につかまりなさい。」

「うん。」

美奈は、森口の胸の中で感じた安らぎを思い出していた。

そして、何故か、その安らぎが懐かしく思えたのだった。

「お腹すいたか?」

「ううん。パパは?お腹、空いているんじゃない?」

「いや、帰ろう。疲れただろう。」

帰宅した後、美奈は、ベッドに入った。

「美奈ちゃん、お昼まだでしょう?」

母親が、雑炊を持って、美奈の部屋へ入ってきた。

「どう?」

「少し疲れたわ。」

「休むといいわ。」

母親は、何も聞かずに部屋を出て行った。

美奈は、ベッドから出て、机の上に置かれた雑炊を口に運んだ。

『私、どうなっちゃったんだろう。どうなるんだろう。自分が思っていた自分は、本当の自分じゃないのかもしれない。そんなに強い人間じゃなかったのかもしれない。何も、怖いなんて感じたこともなかった。前しか向いて歩いてこなかった。パパやママがいてくれたから。本当は、そんな強い人間じゃなかったんだわ。私の持っていた自信って何だったんだろう。』

口に雑炊を運んでいた手を止めた。

『先生の腕の中、優しい感じがした。』

森口に体を支えてもらった時のことを思い出していた。

『優し感じ。私が欲しかったのは、あの優しさだったんだわ。』

美奈の体から力が抜けていった。

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