東方見雲録

東方見雲録

2022.11.23
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カテゴリ: 文化



加持の「加」は増加添加、「持」は受持任持の意味がある。
この相反する2つの立場の双方が補い合うことで一つに融合し、加持祈祷が成立する。

加持感応がすべての森羅万象の原理でもある、と密教は明示する。
それは釈尊の、万象すべて因縁所生にして従って無常であり無我という「諸行無常」「諸法無我」に一致する。
つまり、世界は常に変化しながらも、すべてのものごとは、つながり合い独立しているものは一つもないということであり、それは、この世に生じる万象各々が本来備えている真理とされる。

例えば水は四角、三角、円の器に注がれるといずれの形にもなる。それは形有るものを超えた存在であり空といえる。
だが、形を超えてはいても、水は一定の形ではなく器に従いながらも、水として厳然と存在している。

「花、無心にして蝶を招き、蝶、無心にして花を尋ねる。花、開くとき蝶来り、蝶、来るとき花開く 知らずして帝則(ていそく)帝則(ていそく)(自然の摂理)に従う」


 三密の「密」には2つの意味がある。
 一つは隠れているもの、あらわれていないものを指し「密」は万物の奥に隠れている、という意。
 もう一つの「密」は、膨大な要素が詰まっているという意である。つまり、存在する様々なもの、森羅万象の真諦がぎっしりと詰まり、それらはすべての根源をなす。
 密には森羅万象に影響を及す神秘の働きがある。

 それは個体が全体に通じ合い、動植物もその細胞も、鉱物や水と原子も、その根底は同一で、世の中に存在する物質のすべて、一切の生命、意識、霊魂は森羅万象を織りなし、無数の天体となり、行雲流水となり、山河草木や諸種の動物となって顕在する。

 その大宇宙という真実在の象徴・大日如来の意(志)という霊海から、この世に生まれ出た一滴を私たちの霊魂とするならば、私たちは大宇宙の一部として生まれ出た、如来の一部といえる。

仏陀と異なる密教の覚りとは何か
 仏陀の覚りとは智慧と慈悲の獲得をもって衆生を救済するものだが、密教の覚りは知識の力で悟る知解では身につかず、体解によらなければ完全に習得することができない。

 体解の「体」は物事が働くことのもとをなすもので、「解」はその本質を捉えて理解することの意である。
 知解とは知識の力で悟ることを意味するが、知解は覚りの全体ではなく一部とみなし、そこに到る途中と密教ではとらえる。

 密教では知解の段階で衆生救護の論理を習得し、そこで得た智慧を実証しながら現実の救いを実践する、それが体解であり、密教では体解を覚りの到達点と位置づけられている。
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Last updated  2023.03.14 20:48:59
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