東方見雲録

東方見雲録

2024.05.01
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カテゴリ: 郷土




中海北岸の島根半島にある松江市本庄地区は、武蔵坊弁慶が生まれ育った里としてさまざまな伝説が語り継がれる。近年では道の駅や点在するゆかりの場所に案内看板が整備され、伝承地巡りにいざなう。

 スタートは同市長海町の長見神社。出雲国風土記に記載のある古い神社で、弁慶が母・弁吉のことや自らの青年期までを書いたとされる巻物「弁慶願文」(写し)が保存されている。

 願文によると、紀伊国田那部(和歌山県田辺市)出身の弁吉は、良縁を求めて枕木山麓の長海村にたどり着く。山伏の姿をした天狗(てんぐ)と結ばれ仁平元(1151)年に弁慶を生み、39歳で死去。母の遺言に従い、弁慶は仁安3(1168)年、17歳で生地を出る。

 同神社の背後には、弁吉が弁慶を生み育てた「弁慶の森」があり、森の中には「弁慶産湯の井戸跡」と、弁慶が母を弔うため建てたとされる祠(ほこら)「弁吉女霊社」がある。女霊社は安産や子育ての守り神として信仰を集め、今でも7月1日には慰霊祭が営まれている。

 祠を管理する長見神社の門脇光彦宮司(85)は「やんちゃな子どもはどこにもいるので、お母さんたちの間で弁慶の伝説が語り継がれたのでしょう」と話す。子どもが健やかに育つように刀を持って参る風習も伝わるという。

 松江市野原町の中海には乱暴者の少年弁慶が流された「弁慶島」(亀島)や枕木山から大山へ向かって投げたとされる大岩があり、枕木町には幼少期の怪力ぶりを伝える坂道、新庄町には弁慶に斬り殺されたといわれる伯父の刀鍛冶士成相定恒の墓もある。

 弁慶伝説を調べ、地元の子どもたちに語り伝えてきた市川節子さん(85)=同市本庄町=は「全国に伝承地があるが、年齢の連続性があり、数多くの伝承が残されている所は他にない」と力説する。中海の対岸の米子や安来、大山にも関連する伝説があり、興味は広がる。(久保田恭子)

引用:日本海新聞





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Last updated  2024.05.01 08:00:09
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