夫の友達の癌死



告知されたのは2001年の春。生命保険を切り替えるため、病院の健康診断を受けた彼に知らされたのは「余命3ヶ月」。それまで、健康診断を受けていなかったことを責めることができるか?!大企業なら健康診断も毎年やっているだろうが、自営の彼にそんな時間も余裕もなかったのだ。
抗ガン剤をうった。奇跡的に退院し、山登りなんかも楽しんだようだ。私は人ごとのように、彼の回復を願った。
そして、去年10月、私は癌になり転移が判明し、鬱病になった。しかし、私は彼が余命3ヶ月といわれながらも1年半生きているという事実にすがっていた。気力も大事だと。夫も「彼のように余命告知されても生きてる人が身近にいるんだから」と私を励ましてくれていた。彼は私の励みだった。実は私が入院している間に彼は亡くなっていたのだ。夫は私の気持ちを思い、彼の死を隠していた。葬儀も礼を失することになったが、欠席していた。

私は11月中旬、精神的に落ち着き、退院した。
ある日、郵便局のバイクの音のあと、家のポストにぽとんと郵便物が落ちる音を聞く。私は玄関に郵便物をとりにいった。それは、喪中の葉書だった。その葉書で私は彼の死を知った。

夫にあやまった。私のせいで、友人の葬儀にも出られなかったのだ。すぐに夫に彼の自宅にお参りにいってもらった。奥さんは私が癌であることを知り、葬儀に出なかったことを許してくれた。

彼が告知されてから、どれだけまわりの人を心配させ、逆にまわりの人に勇気をくれたか。ちゃらんぽらんなところもあったけど、憎めなかった彼。彼は最後にきっちりと人生を結んだ。癌告知以降の彼は、立派だった。抗ガン剤でつるっぱげになっても隠そうともせず、まゆを奥さんの化粧品で書き入れ、自分の会社を切り盛りしていた。
ちゃらんぽらんだった彼を、私はいつしか尊敬するようになった。

死はあくまでも結末。人生は最後の最後まで演じなくては。
彼と同じく、私も人生を演じていこう。


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