のんびり生きる。

のんびり生きる。

口ではね


「それほど―」口を開くと、冷気が喉にしみた。
「それほど孤独だったんですかね」
「そうですわ。私はそう思う」
 境は言って、こちらに背を向けたまま、あとずさりで三階の廊下へあがった。
「だってね、死ぬときまで、淑子さんは何回も何回もここを降りてたんですよ。彼女が酔っててもこの階段を使うことを、『たがわ』の客はみんな知ってたんですよ。けどね、そういう客たちのなかには、酔って店を出ていく淑子さんを、エレベーターのところまで送っていこうという人間はいなかった。放っておくと淑子さんはまた階段を降りるから、俺ちょっと行ってエレベーターに乗せてやってくるよ、と、酒の席から中座する客は、一人だっておらんかったんです。口では、『危ないからエレベーターを使いなよ』なんて言ってもね。口ではね」


               「火車」 P322

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