ノーベル賞の町神岡町の船坂勝美町長


 平成14年11月15日、小柴昌俊さんのノーベル賞受賞で一躍世界的に有名になった岐阜県神岡町に友人2人と船坂勝美町長をお訪ねして「元気復活・北都神岡」のお話を伺ってきました。
 船坂町長は、元岐阜県職員で岐阜県大阪事務所長をされていたときに、私が隣のビルの三重県大阪事務所に勤務していたご縁でご懇意にさせていただいています。
 船坂さんは、その後県に戻られ、開発企業局長、事業経営局長をされ、最後は飛騨地域振興局長(知事代理)をされました。
 以下に伺ったお話の概要をお伝えします。
・県職員を辞めた後は、そば屋をやりたかったが、地元から町長出馬の要請があった。
・隣町の古川町の出身だったので落下傘候補と思われ、対抗馬も出馬した。そこで公約として「元気復活・北都神岡」を掲げた。
・過疎の町なので、町民が元気をなくしていたが、「宇宙の港 船津の街づくりス
キーム」「流葉、山田湖周辺開発スキーム」「山之村農業公園開発スキーム」「三
井金属地底空間開発スキーム」などの町おこしの仕組みを工夫して、町民に参加してもらうことで、徐々に町民意識が変わってきた。
・行政としては、町民と協働し、町民に当事者意識をもってもらうことが大事だと
考えている。
・町長として甲斐性というか、使命感というものを一番大事にしている。選挙で自
分の名前を書いてくれた一人ひとりに対する使命感を忘れてはいけない。
 大阪でマーケットインの世界(売れる物をいかにしてつくるか)を学んだという、船坂さんは、その後、JR岐阜駅高架下の開発など県政の課題に取り組み、今、
首長として新たな挑戦をされています。
 「ウェルカーサ流葉」という温泉の従業員の対応はすこぶる良く、泊まった国民
宿舎「霜出荘」の女将さんに話を聞いても町民の方が自分の町に誇りを持ち、やる気を出していることが実感できました。
 ノーベル賞の受賞の町神岡町の発展と船坂町長のご活躍を祈念して町を後にしました。 



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