第4回大阪シンポ(基調講演1)


 丹羽 宇一郎 伊藤忠商事株式会社取締役会長

 台風の前にこのようにたくさんの方がお集まりいただいて、皆さんの熱意に大変感銘を受けております。
約1時間ということでできるだけこのテーマに沿ってお話をしたいと思っております。
 まず最初に、直接テーマにあまり関係ないかもしれませんが、「スピーチというのは、ルックスが50%、情熱や声が40%、中身は10%」だと、私はいつも思っています。
 アメリカの心理学者も同じようなことを言っております。「立派な中身あることを言ってもほとんど皆さんの記憶には残らず、ルックス、声、目の動きが9割を占める」と言っており、私はそれでは相当損しているように思います。
これと同じことをある日本人が言っています。第2次大戦の前、当時の満州、今の東北三省で役人が相当堕落した生活を送っていたわけです。その時、日本の政治、役人の批判が噴出し、その中で参謀本部とか、戦後の検察幹部の大変貴重な経典、法典として珍重された官僚必読の書として「為政三部書」があります。これを翻訳したのが安岡正篤さんですが、平成という号を起案したともいわれ、過去において日本の総理のアドバイザー的なこともしていました。彼も同じように、「言葉は聞いている間はともかく、聞いてしまうとほとんど残らないことが多い。学校を卒業してしまうとほとんど忘れてしまう」ということを言っていました。皆さんも学校で勉強したことをほとんど忘れているはずです。単なる知識は意味がないので、皆さんもお忘れになる。このことはアメリカの心理学者と言ったことと共通している部分があります。
これは、「心に刻みつけられたものを持つことが大切である。心に何が刻みつけられるのか。単なる知識はほとんど心に刻みつけられるものはない。」ということで安岡さんが述べられているのです。
 今日、週末の台風の前にお集まりいただき、何も心に残らない、「地方の行政はこうあるべきだ」といったような単なる知識を一生懸命言っても、皆さんご存知で、わざわざ来なくても本、パンフレット、新聞に書いてあるので、それを申し上げると時間の無駄であまり意味がないと思います。
そこで直接、公務員制度改革とか理論的なこと、知識を述べても意味がないと思うし、改革の根源に非常に関係あることで、私の心に残っている言葉を皆さんの心にも残してもらうよう最初に話しておきたいと思います。
民間企業の改革もそうですが、私の心に残っている公務員制度の改革、地方自治体の改革に共通しているものが1つあります。
 これは直接関係ないことですけど、皆さん方のように地方自治体の改革を志す方々にとっては、私は大切だと思うことがあります。
 日本体育大学の名誉教授で『日本語通の日本語知らず』という本の著者に川本さんという方がおられます。
 この先生は小学校時代に「あんたダメね」と先生に言われた。この一言がトラウマになり歌を大声で歌えない。尊敬する先生に言われたこの言葉は60年後の今も川本さんは思い出すといっています。
 皆さんのように自治体のリーダーとしてこれからおやりになる人が、自治体で働く上司として、「おまえダメなやつだな」という一言が部下のトラウマになり、その後の自治体の改革に悪い影響を及ぼすのではないか。このことは民間で改革する時も、部下を使うときにこの一言、形、表現が違えこういうのは用心しなさい、気をつけなさいということで、私も大変この言葉は心に残っている。少なくとも音楽だけでなく、そういうことは気をつけなければなりません。
 もう1つは企業経営というものを人のせいにする人、あるいは自治体の改革にしても、すぐに人のせいにする人がいるが、このことに対して企業経営者が何といったか。
「40度の熱がある、そこに日本刀を持った強盗が入ってきた。殺すぞと言われた時に頭が痛いから、熱があるからと理屈を述べて寝ている人がいますか。必死に逃げて、逃げた後に助かりしんどいと言う。」
つまり、人のせいにしている間は余裕があり、したがって、問題がある言葉かもしれませんけど、改革をする時にこの言葉は私の心の中ありました。あいつが悪いんだ、こいつが悪いんだと言っている間は余裕がある。つまり、余裕があるということは危機感がないということに繋がってくるのです。
それから、もう1つ最近よく出てくることに、個人では決して行わないような行動がよく事件、事故として出てくる。非常に冷静に個人は考え、動くが、動物的、野獣的なこと、とっても考えられないことを大衆、集団となるとやるということをよく見受ける。組織になるとこんなことをやっていたのかということがある。例えばエレベーターの強度不足の鋼材を使っていたが、個人個人の技術者や、営業マンはそんなことは絶対しない。組織になると組織を守るためとか、上司に誉められたいとか、利益を出さなければならないとかということでやることが多い。
 四六時中、大衆、組織の中で動いていると自分の心が荒んでしまう。殺伐とした都会生活をしていると個人個人の生活が荒み易いと言われている。深山幽谷で失われた自己を回復するという人間らしい自己に帰るということが時には必要ということを心に刻む必要があります。
 皆さん方も、知らず知らずのうちに、都会の雑踏の中で集団的な生活を続けていると、ぬるま湯の蛙みたいに、知らないうちに温度があがっていき、そして集団、組織としては、個人としては決してやらないようなことまでやってしまうかもしれません。そういうことが、不祥事、スキャンダルに繋がっています。
 これは企業だけでなく、公務員の皆さんにも同じようなことはないでしょうか。社保庁もそうですが、個人個人は悪い人ではなく、いい加減な人でもないと思いますが、組織になると知らないうちにそういうことをやってしまう。それは「ぬるま湯の蛙症候群」であり、少しずつ少しずつ自分では気づかないうちに温度が上がっているわけで、たまには組織を離れて自分を取り戻す、見直す、人間としての自己を回復するということをやらないと、知らないうちにそうなる。
 皆さんも同じような所で、同じ狭い社会で公務員生活を続けていると傍から見ていると、「え!」と思うようなことをやってませんでしょうか。自分では気づかないですね。つまりぬるま湯の中に入っているので、温度はこんなに上がっているのに。組織として幾多の不祥事はほとんどそうで、個人で悪いことをやっている人はほとんどいないはずです。組織の中に入っているから個人でできないことをやってしまう。公務員の皆さんもそういうことはないでしょうか。自分で分からないかもしれませんが、たまには一歩退いて考えてみることが大事なのではないかと思います。
 もう1つ良いなと思うのは、国民とか庶民に代わって顧みて余計なことを省くということですが、これは政治でも役人でも省というのは省くということです。役人の重要なことは国民に代わって無駄なことを省かなければなりません。省かないで、逆に過剰を行っている。逆に余分なことをやってしまう。本来、経産省、農水省という省という名前がついているところは無駄なことを省くために名前がついており、庶民にしても国民にしても民はほっておくと勝手なことをやるということで、役人はリーダーとして民に代わって無駄なことを省いていくんだという本来の省になってもらう必要があります。
もう1つだけ心に残っていることを申し上げますと、100%ベストを尽くすと、99%は違うということです。この1%の差は非常に大きい。つまり1%の差は他人には分かりません。このことは本人にしか分かりません。100%やり切るのと、99%やり切るのは決定的に違います。100%やり切った人は後は神の御心に任せます。つまり心が自由になっている人間は強い。皆さんが仕事をされる場合においても100%やったと思うか、1%、2%残したと思うか、この差は決定的に違います。この1%、2%は自分にしか分からず、私は100%やったと思うこともあるが、いつもではありません。公務員改革においても同じことが言えるということで今、地方分権を進めています。後は神の御心に任すというぐらいのつもりになれるような心の自由を確保できるような仕事をしてみたいと思っております。
 さて、公務員制度改革、地方分権改革について一番大事なことは何か。なぜ改革が必要なのか。そのことに対する共通の認識があるでしょうか。なぜ公務員制度を改革しなければならないのか、なぜ分権というものを改革しなければならないのか、その認識が薄いと思います。
 やらなければならない、なぜなんだ。やらないとどうなるのか、ということを我々は共有しなければなりません。全国の公務員の方々がなぜやらないといけないのか、あるいは全国の地方自治体の方がなぜ地方自治体改革をしなければならないのかということを共通の認識にたつことが必要である。
我々民間企業が改革する時もそうである。なぜ改革をしなければならないのか、現状でいいんじゃないか、何が困っているのか、どこに問題があるのか、給料はたくさん貰えるんじゃないか。改革することによって給料は減るかもしれない。地方の住民も文句は言っているわけでもなく、社保庁は言われているが、言われている所が改革すればよい。我が市は何も言われていないのに、なぜ改革しなければならないということを、私は皆さんは十分にわかっているとは思います。なぜ何かをしなければならないかという意識を共有することが非常に大事ではないかと思っております。
 なぜそう感じるかと言いますと、先日、夕張に行って来ました。南幌町というのが夕張の隣にあり、そこで周辺の市長、町長に集まってもらいお話を聞いてきました。夕張は本当に再生できるでしょうか。市長は大変立派な方であり、言っておられることも、政策も正しいと思いますが、1つ問題があります。危機感がない。なぜやらないといけないのかという危機感がありません。数字としては370億円の負債があり、どうやって返済していくのか。それは厳然とした数字として存在しており、やらないといけない。やらなくていいよなんて言えない。しかし、やらないとどうなるのという危機感がない。企業だと失業、破産になる。夕張市は破産しないし、失業もしない。自分で辞める人はいるだろうし、希望退職を募ることはあるかもしれないが、企業のように会社がなくなることはないので、危機感がない。それだと改革はできない。改革は始めあって終りがありません。永遠に改革は続きます。いつも新しく、新しく変えていかなければならない。
 また改革は痛みを伴います。どこかで変えるということは誰かが痛みを感じます。地方分権とか、公務員法改革にしても反対が出ました。渡辺大臣があれだけ強く言って猛烈な反発が経済財政諮問会議で出ました。すべての大臣が反対しました。私は心の中でやったと思いました。これは良いことだ。改革であれだけ反対が出ると言うことは改革のしがいがある。つまり、何の痛みを感じないような改革は何もしてないのと同じであり、あるいは改革をする時に何の反応もないのは、ディスリガード、無視されること。愛情の反対語は憎しみではなく無関心。こんなもの路傍の石のように無視されることが、改革で一番困ることです。リーダーが公務員改革やらなければならないと一生懸命言っても、何の反応もないのはその人達は無視しているか、全く改革案に痛みがなく、何も変わらない。このようなものは改革ではありません。改革に痛みがあるということは、少なくとも無視できないような問題であるからです。人員カット、給料カット、部署をなくすというような改革は必ずそういう痛みを伴い、ここは増やそう、そのかわりここは減らすというようなことになれば、自治体であれ公務員であれほっておけないので反対する。反対が多ければ多いほど改革なんだ、本当の改革なのだ。公務員法の改革は渡辺さんがやりましたが、大反対が起きたので、本当の改革になるぞと思いました。地方分権を引き受けたとき「丹羽さん大変ですよ。殺されますよ。地方自治体の市長、県知事の県益に関わることに訳のわからないものが出てきて、殺されますよ」と言われました。楽しいことではないですけど、「面白いじゃないか。反対が多ければ多いほどやりがいがある。逆に反対の声があがらなければ、無視されていることになり、それは困る。ちょっと言っただけで財源はどうしてくれるのか、色々出てきたので、これはどうも面白そうだ。やりがいがある」というふうに思った。
 だから改革というものは、まず何のためにやるのかということを明確にすること、2つ目は反対が多いということを喜ぶべしということです。
では、何のためにこの公務員制度を改革しなければならないのか。当然、皆さんは分かっている通りで、公務員とか地方自治体は独占企業と同じで、競争原理のない仕事であります。官から民へ市場原理を導入しようとするのは当然のことですが、今まで、地方自治体の仕事はほとんど独占状態であり、つぶれません。何もしなくても自分しか仕事をしません。自治体でしか仕事をしないので競争相手もいなく、適当なことをやっていても、遊んでいてもお客はいます。お金は税金で入ってきます。
 これは公務員が悪いのではなく、仕組みが悪いだけです。このような独占企業体でいつもお金を払ってもらっていて、身分も保障されていて、何で改革なんかしなければならないのかということになります。
今のままで良いのか。今のままで良ければ改革は必要なく、このような会合をする必要もなく無駄であります。では、なぜこのような会合を行うのか、何のために。このまま行くと市町村、県はなくなるぞ、混乱を招くぞ。なぜ?それはお金がないからです。今までみたいに税金でお上がくれるのか。中央もお金がないのでくれません。身分も今は保障されているが、これからは、それもしません。今まで独占企業体であったものを民でできるものは市場原理を導入して民に出します。公務員の身分は保障されない。やっていることは独占でなくなる。それが住民のサービスの向上に繋がるのであれば大義名分はそちらにあり、国民もそちらを拍手するはずです。自分達のサービスがよくなり、民間に開放され市場原理を導入するのはハローワークもその1つであります。
特区も弊害がいろいろありますが、つくって色々やる。しかしながら、市場原理を導入する、身分保障はなくなる、独占企業体でなくなる、財政もこのままであればつぶれる。夕張と同じようになります。あの計画が実行できなければ誰がお金を払うのでしょうか。住民に全部つけが回る。住民は住んでいられないので逃げ出すしかない。しかしどこに逃げ出すのか。国は補助しない。そういう時に手を打っておかないと、どうしようもない。住民に被害が及ぶ。一番の危機感は何か。お金である。お金がなくてどうやって自治体を運営するのか。どうやって職員の給料を払うのか。身に染みてない。ヒタヒタと水が足もとにきて冷たいと感じて初めて人間は飛び上がり驚く。その時にはトゥレイト、遅い。手の打ちようがない。だから今危機感をもってやらなければならない。いくら言ってもまだ皆さんピンとこない。潰れるといっても知らない、どうやって自治体が潰れるのかを知らないからです。悲しい人間の性(さが)で、頭の中で理解してもイメージが湧かないからです。一番イメージが湧くのは夕張で出てきた増税です。働いている人の給料を何割カットです。そして住民が逃げ出しました。そのあと夕張はどうなったのか。なぜ夕張はそうなったのか。北海道炭鉱に頼り切った生活をしていた。いざとなった時は北海道炭鉱が何とかしてくれる。北炭が閉山したとき、今度は夕張市が何とかしてくれた。全部お上に頼ってきた。これが中央集権の弊害です。そして補助金行政でハコモノを造ってきた。自治体が2,500万円出せば1億円の仕事をでき、7,500万円儲かったように思う。しかし自分の出した借金でハコモノが残っている。夕張市になぜ立派な美術館がいるのか。なぜスポーツの殿堂のようなものがいるのか。なぜ遊園地がいるのか。子どもは何人いるのでしょうか。このような無駄なことをやってきて、いまだにそれをやっており、お上がなんかしてくれるという意識が消えていない。それこそ、まず我々は自治体の改革をする時に真っ先に考えなければならないところです。独占企業体であれば身分保障される。組織が安全であれば年功序列である。当然、1人だけ飛びぬけて住民にサービスを行えばねたまれるので、自治体であれば均一のサービスを行う必要があり、そのことを公務員の在り方として皆さんは教えられてきたはずです。しかしながら、今やそういう時代ではなく、競争原理を導入しようとする時代にある。そうすると地方自治体ごとに自らの力でどの程度の経営ができるか考えなければならない。収入がどれくらいあるのか。足りなければその自治体だけでも増税してもこれだけのサービスをやっていくんだ。一度にできるものではないが。財源調整を政府が中心にやらなければいけませんが、自己決定、自己責任、給付と負担、これをどのようにバランスをとるか。全部の地方自治体が歳入全部集めた税金を使っても住民サービスのミニマムをやるにしても5割しかできない。ナショナルミニマムの保障は国の仕事である。一朝一夕に自己決定、自己責任、自己負担でやれとはならないし、できるはずがない。しかしながら、そのためには皆さんが危機意識を持つ必要がある。このままいけば大変なことになる。有志の会の一番の仕事は自治体の職員の意識をどう変えるか、どのように危機感をもってもらうかであり、その活動が改革の機動力になる。改革は改革をやる本人達が共通の危機感を持たなければ改革にならない。上からやれと言われて改革をやるようでは改革にならない。やらなければ死ぬんだと思えばやらざるを得ない。さきほどの40度の熱の人のところに強盗が入る話と同じである。人に言われたからとかでは改革はできない。改革は自らがその気になり、もしやらなければ大変なことになる。会社でいえば会社が潰れる。株価が額面を割る。銀行は金を貸してくれない。従業員の生活をどうやって保障するのか。それが危機感なのです。では皆さんに危機感を感じてもらうにはどうしたらいいのか。
 口で言うのは簡単だが、1つ方法がある。それは市長であるトップが丸裸になり全貌を市民にさらけ出すことである。これだけ借金があり、これだけしか税収がない。市民サービスにはこれだけの経費がかかります。地方債を発行しても誰もお金を貸してくれない。ではどうするか。私はこうします、ということを示すことが市長の役割です。そうやって危機感を共有する必要がある。自治体のトップが危機感を持つだけでは改革はできず、職員の圧倒的多数の人が市長と同じような危機感を共有することが必要なのです。そのためには企業でいうとディスクロージャー。情報を詳らかに皆さんにオープンにする。そしてそれは透明度の高い情報でなければならない。隠してはいけない。隠していると誰も信用しない。それでは改革はできません。
 もう1つはアカウンタビリティ、説明責任です。なぜこういうようになったか、なぜ今これをやらなければならないのか。この前に新潟の山古志村に行ってきましたが、あそこは山と谷の間に集落があり、集落が集まり広域行政から市町村合併で村にしたのですが、依然として村ごとに生活をしており、村に立派な体育館がありますが、誰が使っているのか。使ってはいません。その時になぜ造ったのかを説明しなければなりません。失敗なら失敗でしかたないですが、判断が間違っていたのなら、どういう判断で造ったのか。実は4分の3の補助金が入ってくるので有効に使うためなど、自分の恥をさらし皆に説明しなければなりません。しかしやってしまったからなんとか改革しなければならない。小中学校の夏のキャンプに使うとか、安ければ誰か買うかもしれません。いずれにしても、説明責任を明確にする。
 この3つを全国の自治体がやってもらわなければならない。そして働いている地方公務員の方々に共通の危機感、共通のビジョンを持ってもらわなければ本当の改革にはならない。夕張市だけの問題でなく全国の自治体も再建団体になります。もうすぐという自治体もあります。これを中央省庁は把握しております。なぜならどれだけ交付金を渡し、補助金をどれだけ渡しているか、どれくらいの地方債を発行しているのか、どれくらいの税収があるのかを把握しているので、倒産する自治体も把握しています。こんな無責任な行政はありませんが、危ないなら危ないというべき。それが中央省庁の役割のはずです。大きな落とし穴掘っておいて、落ちたら「落ちたか」と言っている。落とし穴の上を歩くのだから落ちるのはあたりまえ。それをしなかったので夕張は落ちた。次に落ちるところも分かっている。次から次に落ちればどうなるのか。落ちないから大丈夫だと思っていてはダメ。市長が実態をトランスペアレンシー、ディスクロージャー、アカウンタビリティーをして皆さんに理解してもらうことが一番大事なことだと思う。
 数々の不祥事にしてもそうだが、財政再建を考えた時、首長の倫理観として、このようなことがある。福島県の二本松市にある巨大な花崗岩に「戒石銘」という碑が刻まれている。丹羽高寛という君主が次ぎの藩主への戒めの言葉として、「なんじの俸 なんじの禄は 民の膏 民の脂なり」、民が一生懸命汗を流して稼いだものでおまえの給料は出ている。公務員の皆さんは民が一生懸命働いた税金で給料が出ている。「下民は虐げ易きも 上天は欺き難し」ということを次の藩主への戒めの言葉として書いたものである。
先ほど申し上げた安岡正篤さんが訳した「為政三部書」。張養浩という大臣が地方の大将として赴任した時の公務員の戒めの言葉を本にしたのが「為政三部書」である。トップの姿勢がいかに大事かということを申し上げた。危機感をもつ、何のための改革か。改革をどう進めるかの要はリーダーであり、リーダーの考えていかなければならないことは、丹羽高寛の言葉とか、「為政三部書」に出てくることであるが、組織の中で動いているとぬるま湯のかえる症候群になり全く気づかないまま世間の常識からはずれてしまう。気づけば直すが気づかないまま進み、夕張のようになっていく。
 なぜ目的がはっきりわかっているのに、あるいは危機感を共有しなければならないのにできないのか。企業は倒産、失業というものが目に見えている。今後、地方公務員の改革は一朝一夕に進むとは考えてない。人間の心は生易しく変わるものではない。例えば東ドイツが西ドイツと統合されたが、十数年かかった。東西の壁が撤廃されたのが1989年だが、ようやく東ドイツ市民が社会主義体制の中から資本主義体制の中に意識が変わり始めた。それまでは夕張と一緒で社会主義経済の中で、ほっといても、なんとか政府がやってくれていたので資本主義体制になっても急にやらなければ潰れるぞとか、お金がはいらないというように思わない。そのため東ドイツがドイツ全体の経済の足を引っ張っていた。このように必要な公務員改革をやりましょうということを言っても、急に来年から良くなるということにはならないし、来年から皆さんが大変だということでやることもない。中には何パーセントはいるかもしれないが、そのパーセンテージを徐々に増やすための努力を惜しまないようにしなければならない。そしてその輪を強めていく必要がある。たぶん分権改革推進委員会も10年くらいかかると思っている。今申し上げた独占企業体から市場原理の中に入っていき、公務員制度改革をやり遂げるためにも、それくらいの時間をかけてやる必要がある。
 厳しい失業の危機とか、市場原理の導入に地方自治体もさらされることになるが、その中で、トインビーという学者が過去の歴史を見て衰退する国、組織、地方自治体の最大の要因は自己決定能力を欠くときだと言っている。自らが選択し未来を切り開こうとする意思の力がなければ衰退はまぬがれずに、国は衰退し、自治体も衰退し、地方の住民は路頭に迷うことになる。たぶん歴史の語り部としてトレンビーは正しいと思う。だからまず公務員の改革の前に、地方自治体の改革をする。そのために自治体の全貌を首長が明らかにして、住民と危機感を共有する。地方分権改革推進委員会の一番最初にやるべきことは危機感を共有してもらうことになると思う。そこからおのずと次にやるべきことが明確になる。それは県と市町村の二重行政をどう排除していくか。国と県の二重行政をどう排除していくか。例えば、北から南までの市長、町長と会談を重ねているが、どこでも共通して出てくる話題があり、1つは教育、1つは警察、1つは道路。この3つはどの自治体にいっても人事権と金がバラバラになっているので困ると言う。国道と県道と市道は縄張りがありどこの言うことを聞けばいいのか。警察は警視正以上の人事権は国で、それ以下の人事権は自治体にある。警察の本部長が国の人事権で任命されて来て命令するときに、警部補は県の人事で動いているため、本部長の命令を聞かないということにはならない。国が任命しようが県が任命しようが命令に服する。しかし給与はだれが払っているのか。教育委員会も同じ。お金と人を一元化する必要がある。その決定権限を放棄するような地方自治体があれば衰退しかない。
どのように改革を進めるかは、地方主役、あるいは地方政府の樹立ということにかかっている。地方にできることは地方でやる、地方にできないことだけを中央でやる。これが原理原則の基本にある。そのために地方の公務員制度はどうあるべきかを考える必要がある。あくまでも地方分権は中央集権から地方に行政権を移す。国のかたちが140年ぶりに変わる大変な事業である。そうすれば当然公務員制度は変わらざるを得ない。そういう中で地方公務員制度改革は進み始めている。
 分権の話を申し上げると、自己決定、自己責任、自己負担を原則とするが、そのようなことが朝、目が覚めればうまくいっているというようなことはありえず、まず人間の意識を変え、危機感を共有して進めていく必要がある。また無茶苦茶なこともできず、やれば潰れたり大混乱が起こり、住民が迷惑する。あくまでも住民の視点にたったサービスをいかに改良していくかということが基本にあり、非常にお金がない時なので効率的な行政の仕組みをつくっていきたい。そのためには議員の数をどうするか、知事と議会の関係をどうするか、県と市町村の関係をどうするか、国と県の関係をどうするか。そうしたことを整理すれば何が起きるのか。地方主役で地方政府になれば今まで中央がやってきた権利・権限は地方に移る。仕事が地方に移れば人と金も地方に移るのはあたりまえで、色々と質問を記者から受ける際もそう思わないかと聞く。中央と地方が権限を譲り合わずに縄張り争いという無駄なことをやっているが、金を出さないなら言うことは聞くはずない。これからの地方行政を考える上において、仕事を根本的に見直す。地方でできることは地方で、中央でできること、例えば外交、安全、通貨、社会保障の問題などは地方でできるはずがない。そうすると仕事が地方に移ると地方に人とお金が足りなくなり、地方政府の樹立ということになり、中央省庁の国家公務員も過激かもしれないが半分ですむはずであり、そうなれば省庁の再再編は必ず起こる。これは安倍総理にも言っており、安倍総理もそのつもりである。地方分権が進む中で中央の公務員の数は減り、地方の公務員の数は増えるか、今のままの数で違ったクオリティの仕事になるかもしれない。急にできるものではないので訓練する必要があるので、中央から人が移り、地方で人を育てる必要がある。そのようにして、日本の国の形が変わる。中央の公務員よりも地方の公務員がこれから重要になるので、そのために公務員制度をどのように変えていくかということである。中央の公務員制度改革を渡辺さんが中心となり天下り厳禁と言っているが、天下りだけ厳禁しても公務員法はうまく動かない。天下りだけ厳禁して今まで通りであれば、次官よりも年をとっている人にやめてもらうにしてもどこに行くのか。そうすると肩叩きをやめ、定年制が60歳なら60歳まで働いてもらい、一定のレベルになれば違う専門職になってもらい、年寄りの経験とか知恵を活かしてもらう。これは国のためになる。地方も同様であり、それだけの知識ある人をある年齢がくれば去ってもらうのは決していい制度ではない。だから国家公務員法の改革についても、そういう目で考えなければならないと思っている。そうすれば、もう1つは官民人材交流が重要になってくる。これは人事、給与制度を民間と同じような仕組みにしなさいということであるが、今の公務員制度は均一のサービスをしなければならないので、突出して働けば妬まれるし、住民も均一のサービスを望んでいるので均一に働いている。これを民間と同じように身分保障せず、警察等は別にして労働三権を渡し、雇用保険にも入ってもらう。そうすれば、よく働く人は沢山もらい、さぼっている人は給料を落とさないといけない。しかしながら、今しなければならないことはまず天下りを厳禁する。通せるときに通さなければならない。それに従って、年内を目処に、人事評価制度、労働三権問題も議論し法制度化しなければならない。すべて揃わなければできないなら100年経ってもできない。天下り厳禁に反対する人は天下りをしている人で、いい汁を吸っている人は反対する。やってない人は反対する訳がない。
 人材バンクに文句を言う人がいるが、これまでは黒い箱の中で、お互いが密室で各省庁の官房が集まり人事をやっていた。黒い箱なので札束を間において手を握っていてもわからない。これからは透明の箱の中で衆人監視の中で人事をやれば皆が見ているので、例えば、今テロ対策で警察が立っているが、あれは何の役にも立たないが、監視がついていることが対策に繋がっている。同じように透明の箱の中でやると皆が見ているので変な人事をやるとわかってしまう。黒い箱から透明の箱に変わるので、人材バンク制度は有効に機能するはず。ただし、地方自治体も含めて官僚であれば、関係ある仕事に移ることを禁止するのはおかしい。適材適所ということがあるように、この仕事は役人に向いている仕事がある。公募制にして民間でやれる人がやってもいいが、適材の人材を適所に使わなければ官に働いている人は一切、官に関係するところで働けないというのであれば、どこで働けるのか。5年間やめるという党があるが、年数は関係ない。皆が見ているということが大事。もしやれば禁固刑にすればいい。最低賃金法を破っても2万円の罰金。それでは破っても最低賃金以下で働かせる人はいる。したがって、破れば禁固刑にするくらいの覚悟が必要。色々な抵抗はあり、批判もあるが、分権も国家公務員の改革もやっていく必要がある。本当の改革は住民のサービスが根本にある。これをいかに良くするかを原点にして考える必要がある。もう1つは地方でできることは地方で、できないことだけを中央がする。そうなれば人と金は地方に移る。したがって税源も移る。しかし、最初から税の話をすると議論にならない。根本的な議論をするべきである。
 したがって、何のためにやるか、どうのように改革をやるのか、中心的な課題は何なのか、ということをリーダーが認識して、全職員に共有することが一番大事なことだと思う。
志の高い人達が情報を共有し議論を行い、新しい政策を打ち出しまとめていくことが大事だと思う。
 病気は診ているが、病人を診ていない医者が多いといわれている。地方自治体も同様で、
一つ一つの問題を見てはいるが、住民全体(安心・幸せ)を見ていない。個々の事例にとらわれると、住民を忘れてしまいかねない。心すべきである。









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