自治体及び首長関係で共感した本


著者名:園田正彦
出版社:ぎょうせい
紹介:スピードにスローも加えてこころを癒す空間づくりを目指します。
感想:以下の点に共感しました。
・マクドナルドといえば、世界共通の接客マニュアルで、対応の早さが売り物のファーストフード店の代名詞みたいな店だが、イタリアのマクドナルドはちっともファーストではないのだ。
・イタリア人によると、「イタリアで走っているのはドロボウと日本人だけだ」という。
・私は、21世紀のキーワードは「環境・地域・農業・個性」だと考えている。これまで声高に叫ばれつづけていた「情報化・生産性・グローバルスタンダード」というスローガンは、目をみはらせるほどのスピードで変遷していく時代に取り残され、あっという間に過去の言葉になってしまうのではないだろうか。こうした言葉は。20世紀の遺物となってしまうかもしれないのだ。
・日本社会の将来の姿としては、2つの社会(社会システム)が共存する社会の構築が望ましいのではないだろうか。1つは「スピード社会」であり、もう1つは「スロー社会」である。
・時代の流れと社会現象が一致しないと、物事は動き出さないというのが私の自論だ。
・日本人の圧倒的多数は、情報を得るのに視覚に頼っているというデータがある。特に新聞、雑誌、テレビ等メディアが多く、会社でも報告書等で判断されている。しかし真実は視覚以外の聴覚、嗅覚、味覚、触覚にあるのではないか。医者も患者を診察するときは視診、問診、聴診、触診とつづき、そして必要に応じレントゲンと移るのである。
・イギリスには「くつろぎの七つ道具」というのがあるらしい。その七つとは、パイプ、ロッキングチェア、暖炉、セーター、スリッパ、モルトウィスキー、推理小説の七つだ。
・行動力というのは、もっとも身近で、もっとも効果的に第六感を磨く手法である。「不動の心より動中の心」という諺にあるように、じっとして物を考えるより動きながら考える方がいい考えも浮かびやすい。
・よいひらめきというのは往々にしてすぐに忘れてしまうものだ。どうでもいいことはいつまでも覚えているのに、よいひらめきは瞬間的に忘れ、忘れたら最後二度と思い出せない。逃げられないようにその尻尾を捕まえておくために、私はその場で必ずメモをとるようにしている。
・その後に必要なのは、そのひらめきを他人に話すこと。他人に話すとひらめきが自分のものでなくなり、客観的に見られるようになる。また、いろいろな反応が返ってきて、よいひらめきであればあるほどさらに熟成され、どんどん広がっていくのである。駄案の場合はほとんど三日天下で、それ以上は広がらず、むしろしぼんでしまう。(以上)

書籍名:アサノ知事のメルマガ
著者名:浅野史郎
出版社:ぶどう社
紹介:普段、配信を受けている浅野知事のメルマガが単行本になったものですが、改めて読み返してみると浅野知事の着眼点のすばらしさがわかります。
感想:以下の点に共感しました。
・「知事とは、県民によって県庁に送り込まれた存在」といった表現を、私が使ったものだから、県庁職員と敵対するのかといった懸念も寄せられた。
・真意は違う。宮城県庁を、どこに対しても自慢できる組織としたいということを言いたかった。「県庁の常識は一般の非常識」といった評価を打ち破りたいとの思いである。
・「現職知事らしくなく」というのは、県庁マシーンと呼ばれるような「組織ぐるみ選挙」を排除するという当然のことだけでなく、威風堂々、そこのけそこのけ、圧倒的パワーという見せつけはしないということである。
・集会に人が集まらなくてもいいじゃないか、動員していないのだから、ポスターの貼り残しがあってもいいじゃないか、圧倒的組織をつかってないんだから。これが「浅野流」。この流儀に誇りと自信を持ちたい。
・「見るべき成果は、情報公開しかない」といった言いかたをされるが、ひとつでも見るべき成果があるのは、うれしいことである。
・単純に、「ダムはムダ、港は不要、道路は必要」との決め付けはできない。まさに県政とは、その見極めをつけるために存在しているのである。この点でも、「県政に手品は使えない、単純化はできない」のである。
・情報公開について聞かれるたびに、情報公開には第1段階と第2段階があるということを申し上げている。
・第1段階の情報公開とは、「隠しごとをしない」というものである。行政にとって都合の悪い情報も、隠さずに開示していくこと。これはなかなかに勇気のいることである。そして、その過程において、スキャンダルのたぐいが暴露されるという副産物を生んできた。宮城県においても、まさにそのような試練を経て、「逃げない、隠さない、ごまかさない」というところまで到達したと言える。
・忘れないように付け加えておくが、第2段階の情報公開は、第1段階の情報をしっかりと経た上でなければ、進むことができないものである。つまり、県政の恥部も含めさらけ出すという作業を経て、はじめて第2段階の情報公開が説得力を持ち得るのである。
・A Supporter in Need is A Supporter Indeed.大変なときのサポーターこそが真のサポーター。
・霞ヶ関の役所が、国でしかできない仕事に人員、エネルギー、財源を集中させていなかったことが、BSE問題の原因ではなかったのかと疑う。
・マニフェストは、選挙に勝つための武器というよりは、選挙後の仕事を円滑に進めるための武器と考えたほうがいいのではないか。これが、私の解釈したマニフェストの大きな意義である。
・消費税は、納税者の範囲を広げた。国民の中の相当程度は、所得税を負担していない。これを、「国民総納税者」ということに変えたのは、消費税である。消費税の導入により、国民全てが納税者意識を持たざるを得ない状況へと突入した。
・卒業式は、英語ではCommencementという。To Commenceとは、始めるという意味である。つまり、卒業とは、これから新しいことを始めること、まさに船出の時である。(以上)

書籍名:アサノ知事のスタンス
著者名:浅野史郎
出版社:ぶどう社
紹介:アサノ知事の旺盛な好奇心と言葉で表現することへの飽くなき欲求があふれるエッセイです。
感想:以下の点に共感しました。
・出版の日付は西暦2000年2月8日にしてくれた。「してくれた」というのは、この日が私の52回目の誕生日であるから、こういう「小さな親切」もうれしいものである。
・それにしても、こんな本は一体誰が読むのだろう。実は、この言葉は、中学3年のわが娘がこの本を手にした時に、彼女の口から発せられた。そうだな―、1700円(プラス消費税)も払って読もうとするのは、どんな人なのか私自身も不思議に思う。
・足下に泉あり、公務員は情報がいのち、現場を大事にせよ、感情豊かな公務員たれ
・一人前の大人と呼ばれる条件として、寺島さんは「かせぎ」と「つとめ」の二つをあげた。働いて金を稼ぐだけでは一人前ではない。社会的な務めを果たすことも必要条件だということ。
・再選を目指す知事選で政党からの推薦を全て断り、団体の推薦を求めなかったことが、果たして冒険もしくは奇策と呼ばれるべきなんだろうかという疑問が私にはある。
・盛り上がりを欠き、無関心が広がり、投票率が30%台を低迷する各種首長選挙の状況を民主主義の危機ととらえる立場からは、自分が再選を目指す宮城県知事選でその状況を変えなければならないと思うほうがむしろ素直でなないか。決して「冒険」などではない。
・選挙を通じての借りを作りたくなかったということも肝に銘じていた。それやこれやの借りの集大成がゼネコン汚職と決めつけてしまうのは間違いかもしれないが、私の思いの中にはそれがあった。他の県ならいざ知らず、ここはあの宮城県だぞ、その宮城県知事として再選を目指す選挙だぞ、との声は私の中で常に響いていた。
・県知事をしていても、苦しい決断をしなければならない場面はたまにはある。進むも地獄、退くも地獄という状況である。ギリギリのところで支えになるのは、「自分は県民から直接選ばれた」という事実である。
・直前の選挙での支援の図式というのも頭に浮かぶであろう。政治の世界であるから、「世話になった」という関係はゼロにはできないにしても、「借りを作る」というところまでいくと自由な決断がむずかしくなることもあるのではないか。
・日本の自治体のケースでは、「納税者」の要求という契機はほとんどない。にもかかわらず自治体自ら改革をしようとする。これを自治体の意識が高いと見ることもできようが、納税者の目を強く意識した改革ではないために、不徹底になる要因でもある。
・県の支出のかなりの部分を補助金と地方債に頼っている、つまり納税者に自分のお金と意識されないことも、強烈な納税者意識が育たない原因になっている。このことが日本の自治体の行政改革の出発点にあることを意識しておくことは結構大事である。
・コメンテーターなることを何度かやったことがあるので、ひと言ある。心しておくべきことは、瞬間芸であること。つまり、司会者に振られたら、ごもごも言わずに、瞬間的にすぐ反応すること、そして、だらだらしゃべらずに、短めの、つまり一瞬のコメントにまとめること、そういった二重の意味で瞬間芸である。
・ナイターは和製英語で、本来はナイト・ゲーム。ところが、最近では、ナイターの表現が、アメリカでも使われるようになったということを聞いた。これも、消息通の方、真偽のほどを教えてくれないか。
・日本的謙遜の仕方というのに、時々、気になることがある。「つまらないものですが・・・」と言いながら渡すおみやげ、「ほんのお口汚し程度で・・・」と勧めるお料理、「ふつつかものですが、よろしく」と娘を嫁に出す母親などなど。
・そんなつまらないものならいらないとか、まずい料理を食べろというのかとか、できの悪い娘を押しつけるなとか、まともに対応すれば、こうなる。それはそれ、ひとつの決まり文句、ルールのようなものだから、字義どおり受け取ってはならない。
・この連載を書くにあたって、最も苦労する部分は、題材探しである。それさえみつければ、あとは結構スイスイ。
・そのまま言うのがはばかられる表現を、みやびやかに、おだやかに言い換えるというのは、生活の知恵のようなものである。英語ではこれを「ユーフォミズム」という。「便所」を「お手洗い」、「化粧室」と表現するような言い換えは、どこの国でも同様である。日本では、「雉を撃ちに行く」という言い方もある。野外で便意を催した時の、みやびやかな表現である。
・米国在住の頃、妻が医者にかかった時に言われた「バウワル・ムーヴメント」が、妻にとってはピンと来なかったらしい。直訳は「腸の運動」、日本語では「お通じ」にあたるのだろう。英語でのこの表現は、「お通じ」よりも、私は気に入っている。
・同じく英語では、「知的障害者」を「スロー・ラーナー」と言うのも、なるほどとうならせる表現である。「ゆっくり学ぶ人」というのは、言い換えというのを越えて、本質を言い表している。早くは学べないが、ゆっくりなら学べるよ、というメッセージを含んでいるところが素晴らしい。(以上)

書籍名:なせばなる 偏差値38からの挑戦
著者名:中田宏
出版社:講談社
紹介:横浜から日本を変える中田市長が常識を覆した勇気ある挑戦を語ります。
感想:以下の点に共感しました。
・学校の成績や偏差値というのは、人間を総合評価する数字ではない。それはある項目について所定の計算方式に基づいて、機械的にはじき出した人の序列だ。
・僕は、自分に与えられた仕事はちゃんとしたいと思っているから、毎朝五時すぎには起きて、その日の資料に目を通すようにしている。わからないことがいっぱいあるので勉強する。
・僕は、「欲」を持つ気持ちを大切にしている。そして、その欲の実現のための努力をする。「欲」は、人間が成長するための、第一のエネルギー源だと思う。欲というのは、いま満たされていないから、持っていないからこそ出てくるもの。
・日本という国は、もともと農耕民族の性質として環境に対して〝我慢強い〟人種とされている。ある種〝忍耐〟が美徳とさえ考えられがちだ。
・頭にくることや不満に思うことから目をそらしてしまう。そのうちに、見て見ぬふりをするようになる。これは、「忍耐」ではなくて、「逃避」なのだ。僕はそんな社会がいちばんいけないと思っている。無関心こそが、社会を悪くしていく元凶なのだ。
・僕がのちに国会議員となり、毎朝街頭に立って演説をしていたとこのことだ。「なにやってんの?」と話しかけてきた女子高生がいた。僕が、「社会を少しでも変えるために、みんなに訴えているんだよ」というと、「そんなことできるわけないじゃん。だいたい大人は嘘つきだよ」という。大人に対する不信感が大きかったのだろう。
・僕は話しこむうちに「なにも行動しないで『変わらない』というのは無責任だよ。『変わらない』じゃなくて、自分の行動によって『変えよう』と思うべきだよ」といってみた。会話を交わすうちに、だんだんと、お互いに打ち解けてきて、「じゃあ、なにをすればいいの?」ということになり、二人で話し合った結果、いっしょにゴミ拾いをすることになったのだ。
・僕は「偶然」というのは、ただボーッとしているだけでは起きないと思うのだ。「どうしてだ?」「どうすればいい?」「どこかになにかあるはずだ」つねにそう思っていたからこそ、その「偶然」はやってくる。
・昔から「力のない正義と正義のない力」は両方とも無力だといわれている。それと同じで人間性の伴わない頭のいい奴など、僕からいわせれば最大の欠陥品でしかない。
・僕が「頭のいい人だな」と感心するのは「ちょっとした変化に気づく人」「ちょっとしたきっかけをなにかに応用できる人」だ。そして自分も、そうありたいと思っている。
・よそ者は簡単には受け入れてもらえないのが現実。断られるのは当たり前なのだ。そんな現実のなかで、受け入れてもらうための最大の要因は「熱心さ」、受け入れてもらいたいという熱意だと思う。
・僕の生き方の基本は、「やってくれ」という人の求めに対して、「わかりました。一生懸命やらせていただきます」と答え、いったん引き受けたあとはその使命に全力を尽くす、というものだ。
・「だれでもいいから手伝ってくれ」というのでは寂しいけど、「君ならできる」とか「君にやってほしい」と請われたら、「私でよければ、喜んでやらせていただきます」と応える。
・簡単なことを実践するのは一度や二度はできるのだが、不思議なことに、積み重ねるのは、とても難しい。日記、歯磨き、ジョギングなどの日常生活面からはじまって、定期報告、礼状、目的確認のどの仕事に至るまで、基本を徹底していくということは難しいのだ。
・目先の成果を当てにしてはいけない。マイルールを実践しつづけることで、成果は「やがて」表れるのだ。
・結局、人を説得するというのは、もっともらしい理屈ではなく「自分が信ずることをしているんだ」という行動しかない。そしてその信念を、いつまでも持ち続けることが重要なのだ。
・人が勝負に出るとき、まず、〝勝算〟を気にする。いうまでもなく、勝算というのは、〝勝つ見込み〟。人は勝算を考えて、「勝てないケンカはするな」という。でも僕が勝負に出るとき、まず計算するのは〝敗算〟だ。敗算というのは、負ける見込みという意味だが、僕は「敗算がなければ、やる」ということを信条としている。
・市長選は、「努力は人を裏切らない」をあらためて感じさせてくれた出来事だった。
・僕は、人の批判をするよりも、自分自身で新たなモデルをつくることで、社会に貢献しようと思う。モデルは、ほかの人に応用されることで広がっていく。そうして、おかしな事象を是正することのほうが建設的だし、近道だとも思う。僕がやったことを人が真似してくれるようになれば、本望だと思う。
・「知らなくて当然」と思うか、「恥ずかしい」と思うかで、そのあとの人生がまったく変わるのだ。恥ずかしいという気持ちは成長するための原動力になる。二度と恥ずかしい思いをしたくないと思えば、自分がなにをしなければいけないか、ということが自然と見えてくる。
・僕は衆議院議員時代にも、国会内の軽装を提唱したことがあった。だけど、国会は前例形式主義で、バカみたいなルールがとても多い。結局のところ上着を着ていないと議員バッジがつけられないというのが本音。ナンセンスでしょ?
・「割れ窓理論」というものを知っているだろうか。ジョージ・ケリング博士の理論だ。建物やビルの窓を割れたまま放置しておくと、誰もがその建物は管理されていないと思う。管理されていないと思うと、今度は隣りの窓が一枚また一枚と割られていく。
・そのうちに、たった一枚のガラスが割られていただけのビルは廃屋のようになり、不良が占領したり、ホームレスがたまったりして荒廃していく。建物やビルの荒廃はやがて街全体に広がり、社会全体が無秩序になっていく・・・。
・この理論はある意味で、人間の弱い面を如実に表しているのかもしれない。
・ニューヨークのジュリアーニ前市長は、積極的に「割れ窓理論」を取り入れ、街角から「割れた窓」の一掃をはかった。そのために警察官5000人を新規採用し、徹底したパトロールを行ったと聞いている。(以上)

書籍名:民に聞け
著者名:浅野史郎 河内山哲郎
出版社:光文社
紹介:地方から国を変えるための取り組みを浅野史郎宮城県知事と河内山哲郎柳井市長が語ります。
感想:以下に、河内山市長の意見で共感した箇所をピックアップし、私の感想を添えます。(河内山市長へのメールを活用したため)
(・著書から引用、○私見)

・補助金は、使うにあたってさまざまな縛りがあります。「本当は、
こうしたほうがいいんだけれども」という自治体としての意見が
あっても、それが反映されない場合があるのです。それはあたか
も、補助金という洋服に、自治体という体をむりやり合わせて、
太らせたり、やせさせてりするようなものです。せめて一般財源
化して、自治体が自由に使えるようにしてくれればと思います。
○地方分権一括法により、権限こそ地方にきましたが、以前として
財源は中央省庁のままです。せめて、総合補助金化して使途は、
現場を一番知っている自治体に任せ、効率よく使わせて欲しいもの
です。

・やめたときには叱られても、よかった場合は、せいぜい「よかった」
というつぶやきが聞こえてくる程度。行政というのは、できて当然、
うまくいって当たり前というのを覚悟しないといけないもののようです。
○マイケル・ポーターによれば戦略とは「何かをやらないこと」です。
やらずに置いた選択のおかげで、将来に負担や禍根を残さなかった
ことがもっと評価されても良いように私も思います。

・「あなたもせっかく政経塾で勉強して、それなりの志があるのなら、
若いんだから一か八か選挙準備をしたらどうか」という話があったの
です。突然の話で、いろいろと悩むことはありましたが、「志は」と聞か
れて、「志はある」と自負した結果の決断です。
○最も美しい日本語は「志」であるということです。市長選に出られる
にあたって志を重視されたことに敬意を表します。首長になることで
はなく、なるプロセスを大事にすることから始まるように思います。

・私ども柳井市役所では、いま、二つ御法度にしていることがあります。
一つは、職員がいろいろなことを説明する場合に、「△△県××市で
はこういうふうにやっています」という説明の仕方は御法度。もう一つ、
「×年前からこうやっていますから、こうやるんです」ということも御法度。
○かつては自治体の判断基準の定番は、「前例踏襲」、「横並び」、「お
伺い」でした。
 三重県においては今では、それらがすべてなくなったとまではいきませ
んが、少なくとも重要な判断基準ではなく、一つの参考資料にしか過ぎま
せん。
 三重県では、現在、判断基準は二つあります。一つは、それが「生活者
起点」になっているか、どうかということで、二つ目はそれをやることを県民
に「アカウンタビリティ(説明責任)」を果たせるのか」ということです。
 このことだけは、決定的に変わったことだと三重県で働く職員として自負
しており、自信をもって説明できることです。

・もしも柳井市に、第一柳井市役所と、第二柳井市役所があるのなら、お
互いに競争しあって、どちらのサービスがいいのかしのぎをけずり、お客
さんである市民を取り合うところですが、幸か不幸か、柳井市役所は一つ
しかありません。
○北川前知事が就任したとき、県職員に向かって「向かいの吉田山にもう
一つ県庁ができたと考えてみろ」と言って意識改革を迫りました。
 「独占企業が支配しているマーケットほど参入しやすいものはない。なぜ
ならそこでのお客様は不満だらけだからだ」と英国ヴァージン・グループの
創始者ブランソン氏が言っているのを心したいと思います。

・中央の政府も頼りにならない、銀行も証券会社も大企業も頼りにならない
時代だからこそ、「いちばん身近にある市役所だけは頼りになる」と住民に
感じてもらえるような仕事をしなくてはならない。住民にいちばん身近なわれ
われのところから、本当に頼りになる行政をつくっていかなくてはと思います。
○「お役所仕事」という言葉を死語にするのが私の夢です。そのためには、
「ルールドライブ型」(規則偏重、依存主義)の役所の組織を「ミッションドラ
イブ型(顧客である住民本意の組織)に変える必要があると思っています。
 「市役所」を真の意味で「市民に役に立つ所」にされようとしていることに
共鳴します。

書籍名:わたしたちのまちの憲法
著者名:木佐茂男 逢坂誠二編
出版社:日本経済評論社
紹介:全国で初めて自治体の憲法ともいうべき、自治基本条例を制定したニセコ町の挑戦をルポルタージュ風に描き、今後の課題についても検討している。
感想:自治基本条例によって「何かが変わるということではないが、何かあったときにこの条例によって住民の権利が守られる」という位置づけである。全国最年少で就任した逢坂町長によって先進的に進められてきた取組みがこの条例により町長が代わっても保障されることになる意味は大きい。
 また、これまでハコモノなどハードの発信がほとんどだった自治体が条例というソフトのシステムを総務省の準則に拠らず、学識者や自治体職員のネットワークと住民参加でつくり、全国に発信する意義はまことに大きいと思う。
 本書で明らかになるその制定過程はさしずめ、自治体版プロジェクトXといったところである。

書籍名:変革するは我にあり
著者名:月尾嘉男
紹介:日本を変える8人の知事の考えと行動を伝えます。
感想:三大都市圏の一つに入っているといっても、三重県も東京から見れば辺境の部類に入るのでしょう。
 しかし、すでに時代はBig eat small(大は小をのむ)からFirst eat slow(早い者が勝つ)時代です。政令市を抱える府県が必ずしも自治体経営の点で先進的でないのは、そのことが自治体間競争の面でも現れているといえるでしょう。
 ところで、この本に登場する月尾先生が変革型と位置づける知事のうち、北川知事以外にお会いしてお話したことがあるのは、梶原知事(著書にサインももらいました)、橋本知事(パネルディシカッションの後、個別に政策提案を聞いていただきました)、片山知事(パネルディシカッションの後、名刺交換をさせていただきました)、田中知事(メールと政策提案などを送ったら、職場に直接お電話をいただきました)、浅野知事(政策提案おのメールに即座に返信していただきました)の方々です。
 変革される方は、人に対して垣根が低いという共通点があると思いました。

書籍名:自治体再生へ舵をとれ
著者名:福岡政行
出版社:学陽書房
紹介:地方自治改革を生み出した地域リーダーたちが自立への道を語ります。
感想:逢坂町長が紹介した「情報は自治の通貨である」という言葉は自治の本質をついています。また、「情報がない住民参加はメニューのないレストランである」ということもわかりやすい例えです。
 為政者の重要な資質や役割には、わかりやすことばでものごとの本質を住民や職員に伝えるということがあるのではないでしょうか。
 ここに登場する首長さんはみなさんそういうことをされているということが、本書から伝わってきました。

書籍名:自治体の挑戦
著者名:細川珠生
出版社:学陽書房
紹介:著者の細川さんは「THE 21 4月号」の「日本を変える知事ランキング」で北川知事を1位にした方である。
要約:私が、地方行政のさまざまな改革を取材するようになったのは、三重県の北川正恭知事と再会したことから始まった。北川正恭氏が、国会議員から三重県知事に転身して、二年が経った平成九年春のことだった。国会議員時代にも、雑誌のインタビューなどで、政治家北川正恭の描く政策や国家像などを伺ったことがあったが、そのときよりも、数倍生き生きとされている姿に、私は驚きを隠せなかった。
 七百人以上の国会議員のなかでは、たとえどんなに壮大な構想をもっていても、七百分の一でしかない時も多々ある。しかし、北川知事の生き生きとした姿は、たった一人、責任ある立たされていながらね、そのプレッシャーを超えるバイタリティを感じさせるものであった。
 首長は「大統領」ともいわれるように、たくさんの権限が与えられているから、国会議員とは裁量の範囲が違うともいわれるが、それでも改革派知事がどれだけいるかを数えれば、片手ではちょっと足りないくらい、つまり十人もいないのが現実である。
 いまや三重県が行革の中心に据えた行政評価の手法を使っての改革が、地方行政の潮流になっているのも、国の公共事業改革の手法として「行政評価」の早期導入がさけばれているのも改革派首長がたくさん出現したのも、私は全部三重県の先例が、大きな起爆剤になったからだと思っている。
 「家庭でも会社でも、残高がいくらあるかというのが一番大事。なのに、行政は残高を全然管理していなかった」と語るのは、大分県臼杵市長・後藤国利氏だ。
 議会の傍聴も、議会改革を図る上で、チェックポイントだ。国会の傍聴は、議員の紹介が必要だし、一回の傍聴者は、全員一斉に、出入室する。女性ならハンドバッグを持つことも許されず、もちろん電源を切るなり、マナーモードにした携帯電話を持つこともできない。メモもカメラも持ちこみ不可。こんな傍聴があるだろうかと思ってしまうぐらいだ。傍聴がいけないことのような意味のない決まりと、傍聴者をまるで囚人扱いする国会の衛視。国民のための国会という存在を勘違いしている。
 大体、こういう決まりも、国会議員がつくっているということだが、実態がどうなっているのか、傍聴者がどういう扱いを受けているのか、国会議員たちは全然知らない。



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