ハリセンボンの独り言 その日の気の赴くままに

平成15年11月26日の日記

往診 11月26日(水)

今日は某専門病院の先生がわざわざ家に往診に来てくれた。
往診と云っても、私は別に病気になった訳ではない。
私の体に突然異常が現れた訳でもない。
単に私が病院に出向いて受診出来ないからだ。

以前は数ヶ月に1度この病院に診察を受けに行っていた。
今日来てくれたのも、その私の主治医の先生。
先生の専門は整形外科。
最後に私がその病院に受診しに行ってから、大分時間が経って
しまっていた。

整形外科の往診なんて、普通はあまり耳にしないだろう。
何故往診なのか...

それは私が今病院まで出掛けて受診するのが難しいから。
そう。私は身障者で車椅子生活者なのだ。

私のプロフィールの年表を見れば、年表の最後に”アフリカで
交通事故を起こし、その後帰国、現在に至る”となっている。

その先のプロフィールが何もないのは何故?と思う人もいるだろう。
現在に至る??じゃあこの人は現在は何をしているのだろうと
思うだろう。私の”現在”の記載がないから...
記載に値する様な仕事その他特筆するべき事項がないから。

あの時の事故で、私は生死の境を彷徨った。
幸い事故現場が比較的町から近い所だったので、発見と最低限の
応急処置が早かった。
その後首都の大病院に搬送された私をダイビング仲間だった
麻酔科医師が診察して、すぐにベストメンバーのドクターチームを
編成し、私の救命処置の手術に当ってくれた。
そのお陰で私は死の淵からこの世に引き戻された。

しかし命と引き換えに私はその日以降大事な物を失った。
脊髄損傷だ。それも損傷箇所はかなり上、胸椎の4番目
(丁度肩甲骨の真ん中あたり)。胸から下は完全麻痺になった。
今は腹筋も背筋も使えない。動くのは肩から上と両手のみ。

現地の病院で約3ヶ月治療とリハビリをしたが、いくら医療や
リハビリに当ってくれたチームが優秀であっても,そこは
アフリカでも貧しい国。病院の設備にも限度がある。
とても先進国にかなう物ではない。これ以上の治療やリハビリを
受けるには帰国するしか道はなかった。

日本にいた娘がナミビアに到着してから3ヶ月弱、現地で南アの
大使館員を通じて(ナミビアには日本の出先がないのである)
何とか日本国内の受け入れ病院を手配、やっとの思いで私は日本に
帰って来た。

帰国後某大学病院で約1年半入院。まだ脊髄を固定するのに残っていた
金属の器具を除去する手術を、経過が良いという事で普通より少し
早目に行う。
それから1年余りかなりハードなリハビリを受け、一応一通り
身の回りの事は自分ひとりでこなせる様になって退院。

その後数年間は又何度か入院する等色々あったが、何とか普通に
生活していた。
それがここ半年位急に体の調子が変った。少しずつ、徐々に筋肉に
変化がおき始めた。所謂筋肉反射がひどくなって来たのだ。
脊損の患者には多かれ少なかれ発症する物で、特別な症状では
ないのだが個体差があり、私の場合ひどく現れて来た様で、
筋肉反射に伴う痛みが極端に出る。それも1日おきに。
血圧もそういう日は特に低くなり、ベッドから車椅子に移ると
目の前が真っ白になったりする。

そんな事もあって、以前は自分で車を手配して病院に受診しに
出掛けたのだが、今は娘も一緒に住んでいないので、中々受診に
出掛けるのが難しい。
それと私の普段の家での生活習慣も見ておきたいという事で今回
先生が往診に来てくれた。

先生曰く、一度に車椅子に乗っている時間が長過ぎる。
1回3時間止まりにしろ。3時間経ったら1度ベッドに戻って1時間半は
車椅子に戻るなとの事。
私はそれでは纏まった用事が片付かないと抗議したが、先生はそれで
痛みや貧血がこれ以上ひどくなっても知らないよ。それでも良ければ
勝手にしろと冷たい返事。

これでは先生の云う事に逆らう訳にはいかない。これ以上痛みが
ひどくなったら動けなくなる。そうなったら堪らない。
今ですら、痛い時は全身に火傷をした様な痛みが走る。
云われた通りにするしかない。辛いが仕方ない。
だから家の用事をこなしてパソコンの前に座るのは、1日の内
長くても2~3時間が限度。

だからいくら頑張っても私のホムペは中々意図している様には
進まないのだ。はがゆくてしょうがない。
ジレンマに陥っているが、仕方ない。少しづつやるしかない様だ。
道のりはまだまだ長い。





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