瑠璃色の魔法

瑠璃色の魔法

日本語と音の暗示


ひとのとはとどめること、とどまることをあらわす言霊であると思います。
常に燃え続けていそこに留まっている火、それが生命エネルギーの燃焼を絶え間なく繰り返す人。

「ふいご」「ほのお」など、ハ行の言葉に火に関するものは多く、また、「吹く(ふく)」ときの「ふぅふぅ」といった擬音からも「ふ」は風や空気の送り込みによってそれらを含む「ふくむ」感じを出しています。
福(ふく)があるのは、ふくれっつらのほっぺのように、たくさん何かを溜め込んでいるけれどもそれは外から入ってきてふくらんだ、ということなのでしょう。

 身の「み」というのは水の「み」という説があります。
 身とは体のことで、体は80%が水分や液体が巡っているところであることからも、母なる海からやってきた印象がとても強い言葉です。
みをはじめとするマ行の音は体や質量、質量を持った物、物質に関する言葉が多いようです。
 「み」は実ということばもあるように、水分が溜まるようにじんわりとそこに実を結んだもののようです。
 「ま」は、まぶたのように目のことも言いますが、間口のマが開いたものであることから、実の元になるものは「ま」から入ってくるのかもしれません。
 「め」は逆に、芽吹いたもの、質量を持ち始めたり、空間を確保し始めたりして、そこにあったものを押しのけてもこの世の中に周囲とは別の部分として自己を存在させようとするものに与えられる気がします。花の芽だけでなく、能力や才能の芽が出たという言い方もしますし、隠れていて見えなかったものや、紛れこんでいたものが見えるようになった、混ざってしまっていて判らなかったものが判るようになった部分。それが「め」なのでしょう。

 今年は日本語の音とそこからくる印象の不思議にも触れたいと思っています。

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