スズランさんとお話したこと

2004年 秋 施設に入る



2004年 秋 施設に入る  (管理者ぴょんじ作成 2006年5月) 



画像ですまずは、私の思い出から

彼女がある掲示板に現れて、自分には脳性まひで障害があって、パソコンキーは口でくわえた棒で打つことを聞いたのは、まず自己紹介の段階だったと思います。
しばらく彼女の書き込みを見ていて、私はとても感心しました。

彼女が学校へ行っていないことを知ったのも早かったと思います。

口でくわえた棒で、長文を書いてきます。
変換間違いとかあるのですが、彼女も言っていましたが、そんなものを気にしていたら先に進まない、本当にそうだと思いました。
少々間違っていたって、何も気にならない。
書いていることがすばらしいと思いました。

私が自分のサイトを作ろうと思った時に、彼女に声をかけました。
一緒にやらない?

私は将来彼女が自分のサイトをもてたらいいなと思っていました。

自分のサイトを開くために、他の脳性まひの人のサイトはないのかな?と思って検索しました。

彼女が本当にすごくて、頭のいい人なんだとあらためて痛感したのは、この時です。

2003年の2月の段階で、彼女ほど重い障害があって、何らかの自分のサイトを開いている人は一人だけでした。
その人は若い女性で、自分の家と施設を行き来していました。
更新もまれにしかありません。
彼女のサイト、トップページに「負けない!」と大書きされていたことがとても印象に残っています。

そして、私を打ち負かしたのは、大阪の中年男性のサイト。
昔は障害があると就学免除という形で、教育を受ける権利が閉ざされているという現実。
50代かと思われるおっちゃんは、大阪弁で、キーを打っています。

ワープロの登場でその人も文章が書けるようになったようでした。

それが日本語の体裁をなしていないこと。
句読点とか、「てにをは」だけの問題ではなく…

ボランティアの人が翻訳して載せなおしています。

その人のトップページは、教育を受けられなかったことへの怒りが書かれていました。

学校へ行かなかったら、日本語はしゃべれても、書けないのだ…


じゃあ、彼女は、どうやって習得したんだろう??

彼女は「友達が学校から帰りに家に寄ってくれて、勉強を教えてくれた」と
答えてくれました。
英語はラジオ講座を聞いたとも。

彼女に聞いた話で忘れられないのは

東京に住む叔父がやってきて、彼女の英語の勉強の話を聞き、英語で彼女に質問したそうです。

その時に、「自然に答えが英語で出たの」

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彼女の話を聞いていても、私は脳性まひという障害を知らなくて、想像するだけのことが多々あります。
一番よく話題に出るのは、硬直のこと。

「最近、硬直がひどくて…」何度そういうことを聞いたかわかりません。

夜の12時頃に寝て、早い時には夜中過ぎから硬直が始まるようです。
それは冬でも汗びっしょりになるような…想像しかできませんが。




彼女と話をしていて、いつもいつも一番彼女が考えたくないけど、いつかやってくる日があると覚悟していたことがあります。

それはいつか施設に入ること。

そして、そのいつかは、既にそんなに先のことではなくなっていました。

ご両親が老齢になってきて、彼女を抱きかかえるような介護ができなくなってきていること。

自宅からそう遠くないところに施設ができること。

彼女が施設に入ったのは2004年の秋です。

ずっと家族と暮らしてきた人が(子供の時に一時預けられた嫌な思いでもあったようです)ひとりで集団生活に入ることは、どんなにか大変な覚悟のいることか。

当初、彼女のお母さんは施設に寝泊りしていました。

施設には施設の問題がたくさんあったのです。

けれど、ネット上で見る限り、彼女はとても頭がよくて、自己主張ができて、明るくて、理不尽と思えることには戦って…

新しい環境で、驚くほど、立派でした。

彼女自身はさぞや大変な毎日とおもいますけど。


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