練習会・2



 ところが。
ある時を堺に私は突然練習が楽しくてたまらなくなり、休みの日までお店を借りて練習したりした。
カットの練習なんかだと、ウィッグ(あの、アタマだけのマネキンね)を使うんだけど、これが安くても¥1500くらいする。しかも自腹。
安い給料からそうポンポン買うわけにもいかず、思い余った私は、美容雑誌に乗っていた老人ホームでのボランティアに参加することにした。
もちろん、最初にきちんとお断りました。
「今、カットは練習している段階なんですが・・・」
しかし、「構いません。練習だと思ってガンガン切りに来て下さい!」と言う快い返事を頂き、月に一度、東京にあるその老人ホームに出かけた。
しかし、かわいそうなのは老人たちである。
私は一応、理屈はわかっていても実践数が少ないので失敗する事だってあるのだ。
それでもおじいちゃん、おばあちゃんたちは私の失敗を快く許してくださり、さらには「また、来月もお願いします」などと暖かい言葉をかけてくれるのであった。
ここの老人ホームに入っている人の大半は痴呆症であった。
カットをしていると、毎月同じ話をするおばあちゃんがいた。
「あそこの○○さんはね。私に意地悪をするんですよ。」とそのおばあちゃんは毎月悔しそうに話してくれた。
別のおじいちゃんは、何回言っても「お金をお支払いする」と言って1000円札を握らせようとした。(もちろん、後でこっそりホームで働く人に頼んでおじいちゃんのポッケに返してもらう)
後はカットが終わると、仏様でも拝むかのように私達美容師を拝み倒すおじいちゃんもいた。
また、典型的にも「ゴハンを食べさせてくれない」と言って涙を浮かべるおばあちゃんもいた。(もちろん、ちゃんと食べさせてもらってるんだけど・・・)

私は最初はそれこそ、練習のつもりでこの老人ホームに行かせてもらっていたが、ここではカット以上にもっと別のことをたくさん学んだように思う。
ここで働く人たちの努力などは私の努力の比ではなかったし、おじいちゃんやおばあちゃんと話をするのも、そりゃぁ、楽しかった。
その日はホームの方でゴハンも用意してくださるのだが、(老人たちと同じ食事)これもとてもおいしかった。

ここでの一番の失敗は刈り上げをしていて、おじいちゃんが「ウド鈴木」になってしまったことであろう。
おじいちゃんは「大丈夫、大丈夫」と言いながら、次の月までウドで生活してくださったのである。ありがたいことである。
今なら訴えられても仕方がないようなことなのに・・・・・。

とにかく、この時期、私は美容にのめりこんでいた。
寝ても冷めても美容・美容・美容であった。
しかし、それにはやはり、Tさんや店長のバックアップが欠かせなかったのである。
お店を借りて練習する時は先生に前もってお願いしておくんだけど、そうすると、きっとアレは先生がTさんや店長に言っておいてくれてんでしょうね。
毎回必ず、誰かが「たまたま通りかかったらオマエの車があったからー」と、偶然を装って練習を見に来てくれた。
私がなぜ、わざわざ1人で練習していたかというと・・・。
普段は絶対泣かないんだけれど、時には悔しくて悔しくて(自分に対して・・・。できないもんだから・・・)泣けてしまう。
1人だったら思い切り泣けるから・・・。
何度、ウィッグを床に叩きつけて泣いたか知れません。
練習会の帰りだって、車の中で何度泣いたことか・・・・・。
それでも練習しました。
毎週1人で・・・・。
人の3倍練習しないと人並になれないと思ったから、みんなが遊んでる時も練習してました。
あんなに人生で何かにのめりこんだのは後にも先にもあの時だけです。


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