首筋から血煙を吹き上げながら有翼の異形が岩肌を転げ落ちる。
「さながら古今東西奇人変人の見本市といったところだな」
バルバロトが血糊を払いもせずに刀身を鞘へと納めた。
一行は水生の異形を撃退後、地底湖へ流れ込む水脈を遡って上層へと向かっていた。 その間、五体の異形から襲撃を受け、1体はミュークに頭蓋を砕かれ、残りの4体はバルバロトの曲刀の錆となっている。
「お次は鬼が出るか蛇が出るか」
「(随分と楽しそうじゃな)」
ミュークは前方を鼻歌交じりで闊歩する巨漢に恨みがましい視線を送った。 地上を意識して進んではいるものの、網の目のように広がった洞穴は迷路に等しい。 正確なところ現在地どころか、時間や方向感覚さえ失いかけている。 敢えて使用を避けていた単語で表現するなら“遭難”である。 初対面時にも同様の感慨を抱いたが、このバルバロトという男、厄介事を楽しむ気質の持ち主である。 望むべからずもこの手の人種によくよく縁があるらしい。 ミュークは半ば諦めにも似た境地に達していた。
「おっと明かりが消えそうだ。 またアレを頼むわ」
バルバロトの言葉通り、頭上を浮遊していた光球が急速に萎れていく。 蛍輝石の鉱脈から離れたことで、屍霊術を使役できることに気づいたミュークが呼び出した鬼火である。 周囲が完全な暗闇に包まれる寸前、ミュークが契約の言霊を短く唱える。 空気中に青白い光を宿す靄が発生して、新たにこぶし大の鬼火が形成された。
「それにしても便利なもんだな。 確か屍霊術といったか?」
バルバロトが頭上を浮遊する光球を物珍しそうに見上げている。 所持していた火口箱が水に濡れて使い物にならなくなり、余計に興味を抱いたのだろう。
「うむ、パラディーゾに分類される下層域の屍霊術じゃ」
屍霊術とは、その系統によって大きく三つに体系に分かれる。 異界に干渉して物質的な破壊を齎す“インフェルノ[Inferno]”。 癒しと呪いを司る“パラディーゾ[Paradiso]”。 幻覚・催眠など対象の精神に訴える“プルガトーリオ[Purgatorio]”である。 其々が言霊や紋様を媒体として屍霊への相互干渉を以って力と成す術式である。 インフェルノは“九つの圏”で体系化され深層域に達するほど上位の術式に分類される。 パラディーゾは“十の天領域”、こちらは高層域になるほど高度な術式である。 最後のプルガトーリオは若干性質が異なり並列関係の“七つの冠”の存在が確認されている。
「俺様にも使えるか?」
「どうじゃろうな」
「冷たいぞ相棒。 教えてくれてもいいだろうが」
ぞんざいな返答に納得できなかったバルバロトがミュークに詰め寄る。 岩壁に押し付けられたミュークに遠慮なく顔を近づけている姿は、男女の睦言かはたまた恐喝現場の構図である。
「ええ~い、鬱陶しい。 其方には無理じゃ」
ミュークが詰め寄ったバルバロトの髭面を全力で押し退ける。 冷たくあしらわられた巨漢が気落ちしたように歩きだすと、ミュークは慌てた様子で駆け寄った。
「気を悪くせんで欲しいが、これは個人の資質以前の問題じゃ。 ワチキら屍族は魂魄に宿る負の霊的原水を媒体に屍霊術を行使する。 じゃが人族にはそれが適わない。 其方たち人族は屍霊とは排他的関係である正の霊的因子を遺伝的に内包しておるからじゃ。 種そのものが屍霊術を扱うには不向きなのじゃ」
実情、ミュークが扱える屍霊術は初心者に毛が生えた程度のものである。 数百年もの間、王国の古城で引き籠り生活を続けていた怠惰娘なのだ。 屍霊術を研鑽する自主性を求めるほうに無理がある。 端から教示するほどの博覧強記を備えていないのだった。 もっとも、屍霊の密度が濃い霊的力場での限定的行使や、媒体となる祭器を用いるなど特定の条件が揃えばその限りではない。
『随分と優しいね。 ボクの見立てでは、例え屍族に生まれても、この大男に屍霊術の素質はない』
『盗み聞きが板についてきたようじゃな、インクル・ノス・クルン』
脳内に直接語りかけてきた声に皮肉の言葉を送る。
『人聞きが悪いな。 勝手に聞こえてくるのだから仕方ないよ。 それにミュークお姉さんと違って、ボクには他人の心を読み取るチカラはないからね』
女教皇の血統アルカナの能力を揶揄しているのだろう。 彼のチカラは傍目には読心術の類と思われがちだ。 だが実際は“精神操作”“意志伝達”“記憶探知”の三柱から成り、それらを駆使することによってミューク自身が心理戦を制しているだけである。
『それで憎まれ口を叩く為だけに、眠りから覚めたわけではあるまい?』
『うん、宿主に迫る危険を伝えるのもボクら夜の意思の役割だからね』
『聞きとうない』
即答する。 ミュークはプイっと横を向いて、これ以上厄介ごとに関わりたくもないといった体裁をとった。
この寄生型危険警報機(インクル・ノス・クルン)は、主人が落盤に巻き込まれても、地底湖で土座衛門になりかけても、あまつさえ正体不明のバケモノに襲われ続ける現状でさえ、危険だと認識しなかったのである。 そんな薄情モノの警鐘など不吉極まりない。 信用保険付きで死刑宣告をされたようなもので、ミュークが現実逃避するのも無理はない。
『こんな人気のない場所で宿主に死なれたら、次のご主人様をみつけられないまま干からびちゃうよ。 これはミュークお姉さんひとりの問題じゃ―――あっ、前』
インクル・ノス・クルンの注意も空しく、ミュークは正面から岩壁にぶつかって尻餅をついた。 赤らんだ鼻頭を押さえて横を見ると、巨漢が額に手を翳して頭上を見上げている。 つられて視線を走らせたミュークが言葉を失った。
なんの冗談か、目前に巨大な岩塊が立ち塞がっていた。 どうやら落盤により剥がれ落ちた岩壁のようである。 鬼火の明かりを廻らすと、落盤の規模は三階建ての屋敷がすっぽり収まる範囲に及んでいた。 袋小路といった最悪の事態も想定されたが、上からならなんとか通り抜けられそうだった。 無論登山の準備などしているわけもなく、素手で登攀する嵌めになるだろう。 筋肉馬鹿のバルバロトはもとより、屍族の膂力を以ってすれば不可能ではないが、片腕を失ったミュークには困難な行程になりそうだった。
「引き返しても道があるとはかぎらねぇ。 邪魔がはいらねぇうちに登っちまうか」
そう言って、身を屈めたバルバロトが己の背中を親指で指した。 意図を察したミュークは僅かに逡巡するが、小さく頷いて素直に好意を受け入れた。 これまで散々世話になっているのだ。 今更屍族の尊厳などと意地を張ったところで虚しいだけだった。 丸太のような首に腕を回して身体を固定すると、巨漢が立ち上がる。 必然的にぶら下がるような姿勢になったが、自分で登るよりはマシであった。
「すまぬな」
ミュークの謝意にバルバロトは首を横に振ると、
「気にすんな。 困っている女を助けるのは漢の甲斐性だ」
「ふむ、随分と時代錯誤な―――もとい、殊勝な心掛けじゃな」
「それに胸の大きな女は俺様の好みだ。 役得っつーか、アレだな」
バルバロトは意味深に語尾を濁す。
その真意をはかり損ねたミュークは眉根を寄せていた。 幼児趣味の好色家であるが、とりわけ自分のこととなると途端に艶な話に疎くなる。 暫く考えた結果、
「それはワチキの胸の感触を堪能しているという意味かえ?」
身も蓋もない物言いになる。 だが、バルバロトは動じることなく、「その通りだ」と白い歯を剥き出しにして無邪気に笑った。 その開けっ広げな態度にミュークも呆れるが、同時に裏表がないところがこの男の美徳だと感じていた。
「ワチキにとっては邪魔なだけじゃが、人族はこんなものに興奮するのじゃな」
屍族にとって肉体とは精神に付随するものであり、肉体的快楽よりも精神性を優先する傾向にあった。 元を糺せば、ミュークの美童趣味も支配欲から変じた収拾癖のようなものである。 もっとも価値観の形成は社会の有様に大きく影響される。 人の世と深く交わる内にミュークの心にも微妙な変化が生じていた。 彼女の頬がわずかに紅潮しているのもそのせいであり、朱に交われば赤くなるのである。
バルバロトは並外れた腕力と全身をうまく使い、半刻ほどかけて反対側に降り立つことに成功した。 幸い岩質は荒い深成岩で手がかりには困らなかったようだ。 いずれにしろ常人離れした身体能力の持ち主であることは疑いようがない。 ミュークは再度謝意を表し、今度は自ら先頭に立ってゴツゴツした岩場を進んでいく。 屍霊の鬼火が安定した光を保てなかった為だ。 だがその原因はすぐに判明した。 暗闇の先がぼんやりと蒼白い光に包まれていたからである。
「蛍輝石の鉱脈から漏れた光が注ぎ込んでいるようじゃな」
近づくにつれて身体が澱んだように重くなり歩幅も狭くなっていく。 だが止まることはない、見えない何かに突き動かされているようだった。
「大丈夫か?」
「うむ、この程度なら差し支えない」
「そうか、ならいい」
無理をしているのは明らかだったがバルバロトはそれ以上何も言わなかった。
次第に足元から響く靴音にも変化が生じる。 粗削りではあるが、明らかに人の手の入った人工的な石畳の感触、整えられた足場が形成されて前方へと続いていた。
「こいつはスゲェな」
目の前に、穹窿型に削り取られた空間が広がっていた。 立ち尽くすバルバロトを残してミュークは更に歩を進めた。
そこはまるで時間の流れに取り残された箱庭のようだった。 現実と幻の境界が希薄になっていく感覚。 天上から降り注ぐ蒼白い輝きに彩られた一角には、花咲き乱れ鳥さえずりわたる幻想的な情景があった。 誘われた中心には寂れた古樹があり、ひとりの女性が佇んでいた。 待ち人を歓迎するように微笑みを浮かべている。 いや、笑っているように思えたが、女の表情からは一切の感情が感じられなかった。 偽りの陽だまりの中で偽りの感情に身を窶すその姿は、ミュークにアルフォンヌの手紙の内容を思い起こさせていた。 そしてそこに書かれていた人物が誰であるのかも大凡の見当はついている。
―――ミュークはエレシアム・リュズレイと邂逅した。

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