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2009/12/08
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mixiニュースのヘッドラインを見ていて、以下のピックアップ記事が目にとまりました。


あなたの好意が、他人のストレスになるとき(掲載日: 2006年 01月 15日)
(All About - 12月08日 08:53)


(この日記は先にmixiの方で書いたものですが、原文ではmixi内でしか見られないリンクが使われているので、ここではそれに対応する外部リンクを探してきてかわりに貼ってあります)


・・・・・mixiがピックアップしたのは今日だけど、元ネタの掲載日が4年前って何(ぉ


携帯からご覧になっている方には、外部リンクは見えにくいと思うのですが、全文貼ってしまうと著作権的にどうよってこともあるだろうから、小見出しだけ。


■「~してあげたのに」とつい思ってしまいませんか?
■反応を期待すると自分も他人も苦しくなる
■人に何かをするだけで単純に「幸せ」と思えるか?
■ホンモノの好意を実践しよう!

 ・損得で考えない
 ・人が喜べばそれでOK


「このように、自分の心の奥にある渇愛に気づき、少しでも慈悲の心で接する気持ちを持つことです。すると、以前より確実に人間関係もよくなっていくでしょう。」という一文で締められているのですが、相手に好意をかける行為が、自分が愛されたい・認められたいという気持ち(渇愛)の裏返しである、ということだそうで。


このピックアップを読んで、中学1年の時に読んだ 伊藤整(いとう・せい) の「おていさいのまごころ」という本を思い出しました。


伊藤整という人は、一定の年齢層以上の方には チャタレー事件 で有名な人なんだそうですが、代表作はいろいろあるみたいなんですけど、この「おていさいのまごころ」は、どこを探してもタイトルすら見つかりません。
おそらく、エッセイとして発表されたものの中から、中高生向けに編集して1冊の本として出されたものなのではないかなと思っているのですが。


無論、こんなお利口そうなタイトルのついた本を当時の私が自主的に手に取るはずなどなく、理由はわからないのですがその時のクラス担任(教科は国語)の先生が、「あなたこれを読んでご覧なさい」と言って手渡してくださったものなのです。


その頃の自分には、なんだか小難しい話だなあと思えたのですが、「無償の○○・真心からの○○というのは、損得を考えない幼児期であればともかく、大人になって損得や利害がからむようになると、体裁を気にし、何らかの見返りを意識してしまうので、めったなことではありえない。しかし、人生のうちには何回か自分の利益などかえりみず行動してしまうことがあって、それに気付いたときはハッとさせられる」みたいな話です。


なんでこの部分をよく覚えているかというと、この時なぜか私の父が「貸していただいたのなら、感想文か何か書いて、自分はどう思ったということを先生にお返しするのがスジだ」とか何とか、わけのわからないことを言い出し、この部分を取り上げて、原稿用紙に何枚か、貧弱なボキャブラリーでもってウンウン唸りながら感想文を書いたからなのです。





もっとも、その後何か特段褒められたとかいう記憶はないので、参加賞か何かをいただいて終了~だったんじゃないでしょうか。
・・・・・ということで、国語は高校に行っても苦手でござんしたよっと(笑)


さて、話をちょっと戻して。
その後しばらくして、同じく伊藤整著の「女性に関する十二章」を読んだ記憶があるのですが(こっちは自主的に)、娘時代の自分にとっては「大きなお世話!」とでも思ったのか、あまり印象に残っていません。


今なら、その後に何年かかけて「妻・嫁・母」の女性としての「三役」を経験しているので、何かしら違った感想を持てるかも知れませんが。

図書館に行ったらあるかしら?


・・・・・まあねえ。
そんなにあからさまな見返りは期待しないとしても、AよりもBを選んでおいた方が自分の好感度が上がるかもとか、嫌われないで済むかもとか、周囲の空気読むとかうまいこと言って損得で動く嫌な大人になっちゃった、っていうのはある意味正しいと思いますが。


もっとも、私の場合これは、対「大学以降に知り合った人」限定のような気がしています。
(とは言っても、そんなにうまく立ち回れるはずもなく、あちこちでボロを出していますが・・・・・思ったままがそのまま表に出るタチなので)


高校以前の人間関係は、大学以降に比べるとカジュアルで、カッコ悪いところもいっぱい見られているし、今さら自分を飾って見せる必要がないからです。


・・・・・で、今の夫はその「大学以降に知り合った」カテゴリーの人なんだけど・・・・・これはいったいどう解釈すれば・・・・・(滝汗)


結婚なんかそれこそ、複数の中から相手を選べる状況であれば、この中の誰と結婚したらいちばん自分が心地よくて、周りからも良く見られて祝福されて、老後も安心そうかってことを考える(そしていくつかの条件は捨てなければならないけれど)、見返りを求める究極の

     「打算と諦めの産物」

だもんなあ(爆)


で、20年とか30年とか経ってこんな話を思い出すのは、その時の本のあとがきにもチャタレー事件(該当する本のタイトルは「チャタレイ」と表記されていますが、裁判の記録など公的な文書は「チャタレー」なのだそうです)に関するあれこれが書いてあって、世間的には猥褻な文章を書き散らかすケシカランおっさん、と思われていたかも知れないけど、「おていさいのまごころ」の趣旨といいその文体といい、この「伊藤整」というおっちゃんは絶対にもっとピュアで、心の美しい人のはずだと、その時はそんな風に言葉にはしなかったけれども、自分の中ではそっち(ピュア)系の見出しをつけて心の中にしまっておいたからなんだろうなあと思います。


その後、チャタレー事件で猥褻かどうか裁判で争われたその本は、伊藤整氏の次男さんが訳を補って、当時猥褻とされた部分も込みの完訳版で世に出ています。
#今のところまだ読んでないので、内容はよく知りませんが(汗)




チャタレイ夫人の恋人


このエロ・グロ・ナンセンス何でもアリの今の時代なら、全然オッケーなんだろうと思うんだけど<猥褻相当部分
もし、欲得にまみれた今の時代に伊藤整氏が生きていたら、「まごころ」とか、見返りを求めない「慈悲の心」について、世の中に対してどのような問いかけをしただろう、と思います。
・・・・・生まれてくるのが早過ぎたのかなあ、伊藤先生。





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Last updated  2009/12/12 06:50:37 AM
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