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【中古】 仮面ライダー THE MOVIE VOL.4 /石ノ森章太郎(原作) 【中古】afb テレビ番組の仮面ライダーBLACKを見ていて、とても気になることがあった。 仮面ライダーBLACKは、番組の中でほぼ2回変身する。この2回の変身なんだけど、1回目の変身で敵を倒すことはまずない。ときに敵が複数の場合(怪人+幹部)には、1回目の変身で怪人を倒すことはある。だが、2回目の変身では幹部と闘いが控えている。そのような例外的な場合を除き、通常は1体の怪人を2回の変身でやっつけていた。 なぜ、1回の変身で怪人を倒すことができないのか。 この問題を解決するため〝簡易変身〟と〝本格変身〟という仮説を立てた。 そして、この仮説を検証するために「映画版仮面ライダーBLACK」を見てみた。 まず〝簡易変身〟と〝本格変身〟について説明しよう。 テレビ版は、コマーシャルを挟んで前半部分と後半部分に分かれている。 そして、南光太郎は、たいてい前半1回と後半1回、都合2回仮面ライダーBLACKに変身する。 テレビ版全51話のうち、2話ほどは前後半通して1回しか変身しないこともあったが。 〝簡易変身〟とは、前半部分での変身である。 この変身では、南光太郎は変身ポーズをとらない。怪人が襲ってくるなどして人々が危機に瀕している、急いで、あわてて変身しなければならない。だから、「変身!」と声を上げジャンプしている途中でBLACKに変わるなどする。〝ながら変身〟といってもいいだろう。 〝本格変身〟は、後半部分の変身である。こちらは顔の右側あたりで両のこぶしを上下に構え、「ギュギュギュ」と握りしめ、「ヘン〜シン!」という掛け声とともに変身ポーズをとり、そして光太郎の顔からBLACKへの顔へと変身する過程が見せられる。 前半での〝簡易変身〟では、数少ない例外はあるが、原則的に怪人などを撃退することには繋がらない。そして、〝本格変身〟は怪人(敵)を撃破できる。 これらを見る限り、仮面ライダーBLACKが1回目の変身で敵を倒せないのは、間に合わせの〝簡易変身(ながら変身)〟だからだといえるのではないか。〝簡易変身(ながら変身)〟では、ライダーパンチとライダーキックに威力はない。きちんと本来の手続きを踏み、〝本格変身〟することによって、仮面ライダーBLACKは、フルパワーを発揮して必殺技としてのライダーパンチとライダーキックを繰り出し、無敵の存在となるのである、と見た。 この〝本格変身〟を別名〝決着変身〟と呼称する。 では、この変身について、映画版ではどうなっているのだろうか。映画版は、テレビ版ようにのコマーシャルを挟まないから、前半と後半に分けることもないはずだ。 『映画版仮面ライダーBLACK』は2本つくられた。 『仮面ライダーBLACK 鬼ヶ島へ急行せよ(1988)』と『仮面ライダーBLACK 恐怖!悪魔峠の怪人館(1988)』である。 ちなみに、テレビ版は一話の長さが約23分だが、映画版は上映時間が約25分である。ランニンタイムはほぼ同じだ。 まず『鬼ヶ島へ急行せよ』だが、こちらは1回目の変身はなかった。 映画が始まり、冒頭から子供達が姿を消す怪事件が勃発する。実行犯のカメレオン怪人を阻止するために仮面ライダーBLACKがバトルホッパーに乗って急行するので、南光太郎が登場して変身するくだりはないのだ。 おっとり刀で駆けつけた仮面ライダーBLACKはカメレオン怪人と激突するが、剣聖ビルゲニアの乱入により取り逃がす。さらに、剣聖ビルゲニアも闘い半ばで姿をくらましてしまう。 仮面ライダーBLACKは素顔の南光太郎として姿を消した子供達を探す。そして、鬼ヶ島に暗黒結社ゴルゴムの秘密基地があることをつきとめ、そこへ乗り込んでいく。 しかし、待ち受けていた5体のカメレオン怪人(映画だから豪華に怪人増量!)に取り囲まれる。ここで「ヘン〜シン!」 そして、仮面ライダーBLACKは激闘の末に、ライダーパンチとライダーキックを繰り出し5体のカメレオン怪人軍団を倒す。さらに子供達を救出、ゴルゴムの秘密基地を破壊する。ここまで、ずっと仮面ライダーBLACKの姿だ。素顔に戻った南光太郎は、エンディングでヨットハーバーを背景に、ミュージック・ビデオさながらに歌を披露する。 ということで映画『鬼ヶ島へ急行せよ』では、簡易変身のシーンはなかった。しかし、本格変身すれば、5体の怪人をも叩き伏せてしまうのだった。 つぎに『恐怖!悪魔峠の怪人館』だ。こちらは劇中で2回変身する。 ゴルゴムのシャドームーンは、北海道夕張市に世界征服の一大拠点を築きあげようと企てていた。ゴルゴムに利用されていた牧野博士は隙を見て脱走を図る。逃げた牧野博士をツノザメ怪人が襲撃し、そこへ南光太郎が救出に現れる。 ここで1回目の変身。 「ギュギュギュ」とこぶしを握りしめ、「ヘン〜シン!」という掛け声とともに変身ポーズをとる。しかし、光太郎の顔からBLACKへの顔へと変わる変身過程はない。この変身は、テレビ版にはなかったパターンである。 そして、ツノザメ怪人を追い詰めるも、段ボール箱が崩れ落ちる間にツノザメ怪人を見失ってしまう。 これは、第三の変身シーンとして〝不完全変身〟を呼びたい。やはり、完全な本格変身でないと、怪人を倒すことはできないのか。 引き続き2回目の変身。 夕張に到着した南光太郎は、悪魔峠の怪人館にゴルゴムの巣窟があるのをつきとめ、ロードセクターに乗って激走する。 途中、待ち受けたゴルゴムの襲撃を受ける。南光太郎は、疾走するロードセクター上で変身ポーズをとる。だが、これも〝不完全変身〟である。顔が変わる過程がない。 この襲撃シーンは、大爆発が連続する中をロードセクターに乗った南光太郎ないしは仮面ライダーBLACKが駆け抜ける。東映特撮アクションならではの大迫力だ。 しかしながら、その後仮面ライダーBLACKは、映画が終わるまで南光太郎に戻ることはない。そして、ゴルゴム亡霊怪人軍団、シャドームーン、ツノザメ怪人と仮面ライダーBLACKは連続バトルを繰り広げる。悪魔峠の怪人館=ゴルゴム基地は爆破、壊滅し、仮面ライダーBLACKはツノザメ怪人を必殺ライダーキックで撃破する。 ここに至って、本格変身ではない形の不完全変身でも、仮面ライダーBLACKは強敵怪人を倒すことができるとわかった。変身過程を省略しても、変身ポーズがあれば、「フルチャージ」できるわけだ。いや、宿敵シャドームーンについては退却させただけで、完全勝利を得ることはできなかった。これが〝完全本格変身〟だったら、シャドームーンを打ち破ることができたのではないか。 さて、『鬼ヶ島へ急行せよ』では南光太郎のミュージック・ビデオがラストを飾った?が、『恐怖!悪魔峠の怪人館』は仮面ライダーBLACKが素顔の南光太郎に戻ることはなく、仮面ライダーBLACKのままでロードセクターを駆って北海道を走り抜けていく。このちがいはなんなのだ?ブログランキングクリックお願いします
November 25, 2018
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ホラー映画に求めるのは恐怖と怪奇だ。当たり前だけど。映画「サンゲリア」の監督ルチオ・フルチについては、グロ部分だけが強調されがちだね。実際僕もフルチは、「地獄の門(1980)」を見てグロの人だと判断した。だって、「地獄の門」では、ゾンビじゃない普通の人間のオヤジが同じ人間相手に電動ドリルで頭に穴を開けちゃうんですよ。そんなとこ見せ場にしないでほしい。恐いのはゾンビなのか人間なのかわからなくなってしまうではないか。残酷ショーが見たいわけでもないし。そんな「地獄の門」の印象から、これまでルチオ・フルチの代表作「サンゲリア」を見なかった。ホラー関係では話題になる映画だけど。今、ホラー映画の旧作を見尽くそうという夏の大作戦を展開しています。その一環として「サンゲリア」を見てしまいました。そしたら、意外によかった。まず、ゾンビを元祖ブードゥー・ゾンビに設定しているところが好みだ。ブードゥー教によって死者が蘇るとは、いかにも怪奇ではないか。対するモダン・ゾンビは、放射能、ウィルスなどが原因になっていたり、あるいはよくわからない理由でとにかく死者が突然蘇ったりする。もうモダン・ゾンビは何が原因であろうが、死者が襲ってくればいいわけで、そのへんが怪奇ムードの足りないところだと思う。つぎに裸女とゾンビのからみがじつに不気味だった。シャワーを浴びる健康的な美女。そこへ窓ガラス越しにゾンビの干からびた手が忍び寄る。このシチュエーションは生と死の対比だ。女性が美しく健康的であるほど、ゾンビの接近は避けたい気持ちが高まる。つまり禁断の恐怖だ。そして墓場から蘇るゾンビが恐ろしい。たとえば病室や死体安置所でゾンビが発生した場合というのは、人間が死んだ直後なわけ。そんなできたての死体はまだ完全には向こうの世界の住人ではなくて、もしかしたら生命力が残っていたのかもしれないじゃないですか。いわば中途半端なゾンビだと解釈することもできちゃいます。でも、「サンゲリア」では墓場の地中から死体がはい出てくるのだ。ずぅっと前に死んで埋められていた人がのそのそと出てきて、しかも目ん玉にはミミズがかたまりで巣くっているのだから、これはもう死体として年季の入り方がちがいます。だれも文句のつけようがない正真正銘の死者が蘇ったゾンビだ。このようなグロ描写はいいのです。などなど、いい感じでホラーな物語を見ていた。「サンゲリア」はグロな見せ場だけではない。けど、ラストに至ってこのブードゥー・ゾンビは、なんかよくわからんけど死者が蘇るのはブードゥー教だから、たぶんブードゥー教によって死者が蘇っているらのだろうという説明しかなかった。これじゃあ放射能、ウィルスなどが原因となっているモダン・ゾンビと何も変わりゃありない。「ゾンゲリア」の方は、ちゃんとゾンビ製造者がいました。ある人物がブードゥー教の手法で死人を蘇らせていたのだ。特定の人間の思惑が死の世界から死者を呼び寄せるところに恐怖と怪奇を感じる。僕は思うんだけど、グロい残酷さが本質的な恐怖や怪奇に迫るものではないように恐怖や怪奇とはただ単に死体が蘇って人を襲うことから感じるのではない。怨念や邪悪な魂に恐怖や怪奇のエモーションを揺さぶられるのだ。
August 8, 2009
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新型インフルエンザが流行している中で、見ようかどうしようか逡巡したが、結局見た。 「感染」は恐い、途中までは。 舞台は経営危機に直面した病院である。院長は夜逃げしてしまった。給料が支払われないので、医師や看護婦が辞め、人手が足りない。注射器などおの医療品も底をつきかけている。 そんな労働環境の中で残った医師や看護婦は、過労状態であるばかりか金銭面など個人的な問題も抱えていて気持ちにまったく余裕がない。 病院の内情がそうだと分かっていたとしたら、自分の体やあまつさえ命まで預ける気にはとうていならない。 こんな病院、無条件で恐いでしょう。ホラー以前の恐怖として。 そして、得体の知れない急病人が運び込まれてから、ホラーの様相を呈してきます この病院がどんなふうに酷い状態かというと、ナース・コールをしても誰も来ないので、老人が自力でベッドから立とうとして骨折してしまう。新人看護婦は注射ができなくてブスブス患者に針を刺しまくる。新人外科医は下手くそなくせに縫合がしたくてたまらない。 恐怖と笑いは紙一重というけれど、シロウト並みの病院ってコメディになってしまうかもしれない。もしもこんな病院があったら、なんて。 それはともかく、塩化カルシウムと塩化カリウムをまちがえて注入して病人を死に至らせ、なおかつ医療ミスをなかったことにしようとする始末ではもう処置なしだ。 そんな悲惨な病院へ、救急車が原因不明の急病人を運んでくる。病院側は、しっちゃかめっちゃかなので受け入れることはできないとい断ったのに、救急隊員は置き去りにしてしまう。 そしてこの急病人は、体が溶けてしまうという未知の奇病であり、しかも次々に院内感染を引き起していく。 だけど、ここで戸惑ってしまう。とんでもない奇病を扱うにしては、とてもじゃないけれどこの病院に対抗する力があるとは思えない。だから終始奇病にやられっぱなしになってしまう。 病院がピンチの状態で、さらにもちあがった難題に立ち向かうという話でもいいのだが、それにしても奇病のパワーがあまりにも大きすぎる。感染した者はまず精神に異常を来たす。看護婦は熱湯に自らの手を浸したり、感染症の患者に使用した注射器を自らの腕に刺しまくったりと様々な奇行、暴挙を働いた上で緑の血を吐き出し、ドロドロにとけてしまう。 例えばまず端役が杜撰な医者として奇病に対応するならば、その段階で処置ができなくてもいい。病院組織は腐敗していても、ヒーローとなるべき意欲にあふれた人間がいれば、やがて解決に向かうという展開が予想されるから。だが、最初から主役の佐藤浩市が行き詰まってしまっては、もう事態の収拾への見通しは立たない。 とにかく、ずっと事態はただひたすら悪くなる一方なのだ。 いったいどうなるのか。 ストーリーの常道としては、ゾンビ映画のようにバトル・アクション的な展開が考えられる。しかしながらこの病院の人材不足、追いつめられた状況と奇病の荒唐無稽なパワーでは、闘いにならない。すると、ついに病院外、日本全土に感染が広まってしまうとするのか。しつこいようだが、最初からやられっぱなしで、最後まで何ともできませんでした、ではストーリーにならない。抵抗むなしくの抵抗するお話がないのだから。 とか思っていたら、なんとラストはユメオチなのだ。 まあ、この展開ではこれしか解決の方法はないだろうな。 もちろん医者が眠っていて目覚めて「ああ、なんだ夢か。あんな悲惨な状態にならないようにがんばろう」というのんきなものではない。 「この病気は、人間の意識から意識へと感染する」と劇中で述べられる。心に闇を抱える者が、追いつめられた状況から心が壊れ、妄想と異常行動の果てに緑の血を噴出するということだったのだ。緑の血は、奇病に感染し、発症した者が見る。最終的には、心が崩れ落ちる恐さをテーマとしている。 しかしなあ、ユメオチはそれまでの恐怖もチャラにしてしまう。感染症に罹って頭が変になり、熱湯に手をつけるエピソードなども結局はなかったのだ。緑の血を吐き出し、内臓を溶かしながらふらりと立看護師長、そんなホラーな佇まいもすべて妄想。そうなると何を恐がっていたのかわからなくなってしまう。恐がって損した、みたいな。 追いつめられた者の異常行動をストレートに描いた方が恐かったんじゃないのか。 だから、“途中まで恐かった”というのは、病院の恐さである。 患者の側からは病院の内情は掴めない。我々は、病院と名乗るからには、一律にきちんとした医療行為が行われると思ってしまっている。しかし、医者も人間であるから個々にも病院組織にも様々な事情があると分かると恐い。 これはホラーの恐さとはちがうように感じるのだけど。
October 10, 2009
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