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2006年12月05日
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カテゴリ: 想い
・・三丁目の夕日を観ました。
数々の賞を取った映画だったのですが、遅ればせながら先日放映されたTVにて。
評判どおりとても良かったですね。
年末に、またひとつ私の心に宝物が増えた感じです。
決して物や金銭の多寡ではなく、何より代えがたい財産となるものは多々あるものです。
いつも思うことですが、それは個人の考え次第で、如何様にも人生を実り豊かにし、又、人間皆等しくその受容の機会を与えられていることを、心底有難く思うのです。

この映画に登場してくる当時の光景も、それぞれ様々に豊かなの『個性』を持つ人物にも、子供時代に、私は確かに出合ったようで、観ながらもつい感情移入してしまいました。
荒削りの無骨で尖った『個性』・・
要するに『人』が人として、生き生きと人間と人間との関わりのなかで心の温もりが踊っているというか。

そして、決してノスタルジックに涙したわけではないのですが・・。

その昔、やはり私も・・
町内の菓子店に、唯一初めてのTVが入って、近所の子供たちは、夜になるとぞろぞろ連れ立ってそのお店にTVを観るためにおじゃまさせてもらったものです。
私もその中にいました。
もちろん礼儀として手に10円玉をしっかり持って。
その店で買った駄菓子を手に、皆が行儀よく正座して正面の白黒TVを目も白黒させながら観ていて。

三輪ミゼット車も走っていて。
・・
昔は友達のいるご近所へ、互いに夜でもわいあい集まっていたものです。
家人も快く受け入れてくれ、気軽に話しかけてくれたり、その内帰宅した無愛想な親父さんも意に介することもなく。
今から考えるとあの時代は、よくもよその子を気軽に受け入れてくれたものだと思います。

互いに接し方の無骨さはあっても、そこに魂が存在していれば、決して今の世の様にはならないのかもしれません。
おせっかいにも似た真の関わりというものは、いつの世も大事なのではないでしょうか。


・・友達の家に遊びに行った時
必ずその時には、おばさんがテーブルに何か出してくれて。
夏はスイカ、そう白い『初恋の味』がキャッチフレーズのカルピスも定番。

あの映画の様にそれぞれの人の『個性』というものは良い意味で尖がってもいて、そしてその人としての『尖り』そのものに、頑固も、明るさも、物静かさも、がさつさも・・そういった性格の部分を超えて、人としての心の温もりがあって。
近所の頑固親父も、おせっかいなおばさんも、子供が成長する過程で遭遇する事象と登場人物の誰もが、しっかり息吹いて存在していたような気がするのです。
粘土をこねくり回す様な、がちんこの関わりのなかで、人は気付き、考え、感じて成長していくのではないでしょうか。

・・
昭和二十二年、光文社刊による定価二十五円なる『一握の砂』石川啄木。
私のまだ生まれぬ前の、父が独身時代の青年期に買ったと思われる一冊。
子供の頃、これを父の机のなかに見つけ、その後こっそり自分の机に移したまま、私は密かに大切に保管していたものです。
父子の会話もほとんどなく、しかしその後姿に愚直さと誠実さを子供心にしっかりと感じていた私なのですが、青年だった父はどのような気持ちで読んでいたのだろうと。

私が中学一年になった時、私は自分の小遣いで、新潮社から発刊された『一握の砂』を買ってきて古い一冊と同様に、それもまた大切に今も手元に置いているのです。

私は、どちらかというと口数は少ない方です。
特に子供頃は孤独に自分の世界に遊ぶというか。
(というと知っている人は!?と笑うかもしれませんが、寡黙も時に饒舌も、どちらも二面性を持った私は、もちろん事実の私。”^_^”)

映画を観ても、音楽を聴いても・・
感動した感情というものは、更に無口になって、どちらかというと内に、内に広がってくタイプでした。

ほとんど父子で交わす言葉も少なく、成長期においての反発もしながら、しかし世渡りの決して上手くない父の背中に、その人としての奥にあるものを観て、そして私自身はそれ以上の何をも表現することもなく、心の中に父としての信頼の気持ちを落としている。
いかに暗い印象を受けようとも、自分自身としては、父とのほとんどない会話の関係も、今でも思い起こせば、深く胸の内に膨らんでいくのです。

『尖っている』ことは、良しなのだと思います。
私など、多分にお節介で、やや空回りで時に自己嫌悪に陥ることもありますが。^^;

尖るということは、決してつっぱるというのではなく、人が人として先ず心が存在して、例え欠点多く、人間としての荒削の部分があったとしても、やはり感情豊かな『個人』として、この先も生きて行きたいと思うのです。

今の世は、何故か妙に分別くさく、オブラートに包まれた様に、相手への関わりも希薄で、人もゲーム上に登場するもののように無機質で。
小さな時から塾通い。それよりまだ子供の成長過程にあって大切なものがあるのではないかと思うのです。
端から競争のなかで育ち、しかしそれはあくまで『自己愛』というもので人生を終始する。
常に自己に向いた被害者意識と傷の舐めあい、馴れ合い的関わりの蔓延。
時には必要な、相手を思う故の心の怒りも関わりも・・
現代の喧騒の世の中で、その内ピクリとも人の感情に揺れもなくなる恐れ。

小説を読むのも、音楽を聴くのも、自然を愉しむのも、・・
人として、悲喜、恐怖・・感情と想像力を膨らませ、育んでいく事こそ長い人生におけるその人の幸せを全うする上で、真に大切なのではなかろうかと考えるのです。
暴力の傷みも戦争の恐怖も自分ごとのように感じることができる。

『明るい』、『暗い』、それらを超えて、心の内に豊かな感性を育んでいる子供は、そして大人というものは、感謝と謙虚さと持って、他人の傷と痛みを我が事のように察しえる事ができるのではないでしょうか。

hon





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Last updated  2006年12月05日 08時17分49秒
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・・三丁目の夕日(12/05)  
☆kumi  さん
いいですよね
どの 子も集まれる家があるって
kumiも友達の家ではなかったけど隣の家にTV観に行ったり電話借りに行ったりありました。
小学何年生でしょう、電話がなかったの
高学年までなかった記憶あります。
今ではいい思い出になりました。
今の時代では考えられない事ですよね。
(2006年12月06日 01時07分13秒)

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