「源義経黄金伝説」 飛鳥京香・山田企画事務所           (山田企画事務所)

■義経黄金伝説■第26回


作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
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第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま)

■3 一一八六年文治2年 足利の荘・御矢山(みさやま)   

競技場は、頼朝、西行の2人流鏑馬対戦のため準備が
はじめられている。
観客の叫び、興奮は、もはや尋常ではない。
伝説ともなるべき試合が、今繰り広げられようとして
いるのだ。
夫々が、1町離れて、対面にたち、馬上から狩俣の矢を
つがえて突進する。

木製弓は、強靱だが弾力がない。弓がしならないために
、深く引き絞る事ができない。そして飛距離がでない。
お互い馬上であらえば、なおさら引きしばれない。相手
の至近距離で構える理由はこれである。
流鏑馬は、左横の的を射る。弓は左手に持ち、左横の目
標を撃つ。的が正面にあるうちにねらいをさだめ、流鏑
馬では走路(さぐり)から、わずか3尺5寸(約100
センチメートルで)で鏃がふれんがばかりに射る。
矢でねらうは、「最中」つまり体の腹部である。


頼朝にとって、西行は、京都王朝のシンボルだった。板
東王国をつくるべき今、自分、頼朝に将軍位を渡さないの
も、いわば、ご家人衆からもれば、京都におわす後白河
法皇の考えであると
し、西行の行動の後ろに、後白河法皇が見え隠れする。
西行が、この不穏なる時期に、奥州平泉に行ったのは、
京都王朝と奥州平泉の協同作戦の話に相違あるまい。そ
してその作戦中心人物は、義経に相違あるまい
。西行の後ろに義経の陰を見るのだ、西行は義経にとっ
て、いわば育ての親代わり。
西行は、この板東の最初の独立国、平将門の王国の夢破
りし藤原秀郷の子孫、それゆえ、京都王朝の意志を感じ
るのだ、
ともかくも、西行は、これから頼朝が打ち倒すべき敵の
象徴であった。
いくら年齢の差があろうと、負けるわけにはいかぬ。
まだ、完全に、頼朝は板東地方を把握している訳ではな
い。平家という宿敵が南海に沈んだとしても、鎌倉が堅
固なる国家にはなっていない。
武家の象徴であるべき頼朝は、ここで、京都王国と武
家の象徴である、西行を、後家人衆前で、倒す意味がある。

逆に対手である西行は、考えている。
さてはて、十蔵どの、ご準備の方はよろしいかな。
山並みのいずかにいるはずの十蔵に、願いを送っている。
西行の動きは、天下静謐が、目的なのだ。そして、あの
麗しき方への、人生をかけた約束をはらさねばならない。
崇徳上皇様との約束も、
また、日本を敷島道でもって霊的に保護する企
てもなしてはいない。まだまだ、人生においての宿願が
、西行の胸にはあるのだ。
義経が、この鎌倉を打ち破る可能性もあるのだ
。この砂金が、重源に届き、京都後白河法皇法王が手助けの
方策をとるならば、、、
この頼朝ひきいる板東王国も盤石ではない。

意志として、鎮守府将軍藤原秀郷の後裔は、西行の血が、
頼朝を破れと命令していた。

御家人衆の興奮の中、大江広元は、まわりの武家とは異
なり、おそれをいだく
。もし、頼朝殿があの西行に負ける事があれば、源氏が
、この板東の、また、奥州においても、武門の誉れで
ないことを意味する。武門の王ではないのだ、とすれば
、大江広元が頼るべきは、いったい、誰を。大江広元は
密かに、北条家の面々の方をゆっくりと、盗み見た。

文覚は、せっかくの板東王国が滅ぶ事があれば、奥州平
泉が、日本を支配する事になれば、京都の寺の勧進を誰
をたよるのか。
仏教王国である奥州平泉に頼む事になるのか。いやはや、
とすれば、また、後白河法皇に依頼せざると。
いあやいあや、滅相もない。ここは頼朝殿に一勝負挑ん
でいただけなければ、ここでの武家のメンツはたつまい。

それぞれの想いをよそに、準備はとどこおりなく整う。
盛装となった2人は、流鏑馬道の両端にいる。
「頼朝殿、ワシがこの勝負に勝てば、砂金の安全を。
この西行を京都に帰らせ、黄金を、後白河法王に渡す。
これで頼朝殿の名前をあがりましょう。まして、頼朝
殿は仏教三昧の方と聞き及びます」
伊豆に流された後の、頼朝は、たしかに朝から晩まで、
仏教を唱和してきた。
「くどい、西行どの、はじめにご家人の面前にて、その
事告げておろうが、この鎌倉の勢力及び範囲であれば安
心あれかし」


「いあざ、いざ」
「そうれ、それ」

両者は、駆け抜けた。
1射は、鏑矢の羽音が西行の耳をそぎ、頬には擦過傷の血
がうっすらとにじむ。
「はずしたか」頼朝がくやむ。
馬の首をめぐらし、再び対戦に入る。
「いざや、2射を目にもの見せん」
西行は、顔をそらさなければ、つきたっていたかもしれ
ぬ。
お互いに矢をいるは1本、1射のみ、走り貫けるに、次の
矢をつがえる間はない。
ましてや、背面から射るは、作法にもとる。

2射目、、頼朝の矢は、西行の正面法衣をつき抜けていたが
。体は触れてはいない。
が、逆に西行2射目は、頼朝の防衣をつき抜けようとした。
が防具が、そのエネルギーを別の方向に逃げさせ、馬の鞍から
弾き飛ばしていた。
思わず、頼朝は馬から背面にころがる。
時が止まったように、観客のざわめきが、静寂に変わった。

「そこまでじゃ」
大江広元が叫んでいた。これ以上の醜態を、ご家人ども
の前では見せられぬ。
「皆の方々、おわかりであろう。西行殿、秀郷流武芸は、
ここ板東で発生し、京都にいっても不滅である。その西
行殿の腕
を頼朝殿は、しめされたのじゃ。無論、どちらも相手を
射殺す事はないのじゃ」

が、道に落ち足る頼朝は、たちあがり、そばに落ちてい
る弓矢をそれぞれ拾い上げた、
矢をつがえ、馬上の西行に向けた。

西行もしかたなく3の矢を頼朝に。
静かに、精密に北条家からなる近衛の弓兵隊が頼朝の動
きに合わせ、会場の各所から、西行1人に向けて、その
鏃を向かわせた。
頼朝の弓が、西行をねらっている、
て、西行もゆくりと、的を頼朝にしぼった。
西行は思った。
(よいか、頼朝殿、私をまた、藤原秀郷にしたいか)
藤原秀郷は、平将門の額を打ち抜いている。それをもっ
て、平将門の乱(935年から940年)は終わり、最初の板
東独立国はついえたのだ。
そして 藤原秀郷は、鎮守府将軍となり、武家の尊敬を
あつめた。秀郷はそのとき64歳だった。

場は沈まりかえっている。誰一人動こうとはしない。

「おまち下され」全員がその声の主を見た。
頼朝の妻、北条政子だった。土壇上部から、叫んでいた。
「弓をさげよ」
そばには、娘大姫がうつろなる表情で、たくましき母
親の様子をかいま見ている。
「西行殿を、頼朝殿以外の射手が、射るは卑怯でござ
いましょう。武門の名折れ。我が夫、頼朝殿の武門の
名前をあげるときです。頼朝殿に恥をかかせてはなり
ません。みなさま弓をさげれれよ」
「そうじゃ、皆、弓をさげよ」舅の北条時政が、和した。
板東武者は、武威を好む。武家の棟梁とと仰ぐ頼朝が、
その武威を見せねばならない。と北条家はいうのだ。
弓手隊は、下がり弓を下ろした。

「そもそも、西行殿はお客人。まして板東武者の端源、
藤原秀郷殿の腕目を、みなさまにお見せするた、こ
こに来ていただいた。頼朝殿はその座興に的になられた
のじゃ。いかに頼朝殿が武芸の達人といえど、秀郷流に
はかないません。これは我々坂東武者が一体となれりて
、奥州をせめんがための座興ぞ。我々が油断せず、平泉
を攻めるがためじゃ」

「先の保元の乱以来、親子、兄弟合い争うは、この世の常
じゃ。我々が仲間割れせず、平家を南海にしずめ、先に
は白川の関を越え、奥州をうつは間近ぞ。
義経は、我が夫、頼朝殿や、皆様方へのご恩を忘れ、平泉
に逃げ込み、我々をねらう。坂東をまた、いずれかの支配
の地におきたいか。これは我々の宿願であろう。
我々、板東が勝つか、平泉が勝利するかは、それは皆様の
お力や、お働きによる。
我々が砂金をもって、京都に行き、後白河法王に閲覧に拝
し、奈良大仏も再建しようではございませんか。さすれば
、京都の貴族たちも、我々、板東武士の意向にはうかう事
は不可能でございましょうぞ」

政子の傍に控えている、父親北条時政は、弁達の我が娘に
向け、うっすうら笑いをこらえている。

競技場にいる頼朝が、矢を下ろして、政子の言葉に続けた。
いかんせん、熱くなりすぎたぞ。今は。政子に助けられた
か。ここが潮時。如何に納得させるかじゃ。
「西行殿と、砂金を京都に送り返すは、我々鎌倉の誠意と
実力をみせんがためぞ。板東の武家の方々、、そして、源
氏、我が北条家の方々、坂東名家の方々、心して聞かれよ。
この日本をこれから、動かすは、我々坂東武士ぞ。」

西行が、頼朝の演説を途中で止めた

「でものう、頼朝殿、この周りの様子、そしてあの音を
聞かれよ」
やっと、か。十蔵殿、時間がかっかったのう。
地鳴りが、競技場にすこしづつ響いてきている。
「なに、これはいったい」
業腹の武士たちも、あたりの異音にきづき、騒ぎ出す。

御矢山の山奥から、、その近在の山腹からも、人々の気配
と異音が津波のように押し寄せてくるのだ。
目指すは、どうやらこの御矢山競技場。

御矢山神社参道や周囲にいた、道道の輩も、自らの仕事場
所を打ち捨てて、競技場周りに集まりつつうあった。
この人間達を北条家の護衛兵が押しとどめようとするが、
多勢に無勢である。

「京都には貴族があらえる、板東には武士、しかしなが
ら、いにしえより、大和地方で今の京都王朝が、成立する
前に、民がいた。この日本の各地、国々に、京都の意向
、お主ら武士にも承伏できぬ民草がおられる。この方々と
の縁も、この西行はもっておる。その方々が、この西行を
助けようとされておる。さあて、如何なさるぞ、頼朝殿」
(続く)
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