「源義経黄金伝説」 飛鳥京香・山田企画事務所           (山田企画事務所)

第10回■大江広元、磯禅師とたくらむ!


作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
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第1章12 1186年(文治2年)10月

 京都・九条兼実の屋敷。
京都の九条兼実の屋敷に僧がおとづれている。
「兄上、どうでござりますか。後白河法皇様は」精悍な僧服の男が言った。
「何にも、お上は麿のことなどかもうてくれはりません。あのお方は、先の
関白の事しか考えておりはらしません。わかってはりますやろ。藤原基道さ
んのことや」
先の関白の藤原基道は後白河法皇の愛人であった。
「そうでございますか。しかしながら、兄上もその関白職につけたのは頼朝
様のおかげ。」

「ふふ、慈円(じえん)殿、そういうこと言わんといて下され。麿の身がか
なしゅうなりますやろ」。
関白、藤原九条兼実は悲しげな顔を、弟慈円向ける。九条兼実は藤原氏の氏
の長者になり、いわば京都王朝の政府代表となったのだ。
「で、慈円殿、西行殿から頼まれたお仕事はお進みか」
兼実は、当代一の学者でもある弟にたづねた。
「そうですな。兄上、ゆるゆると進んで居ります」
 慈円は後年、「武者(むさ)の世は」という歴史書愚管抄(ぐかんしょう)
を書く事になる。また、比叡山最高責任者天台座主(てんだいざす)にもなる。西行より38歳年下の友人である。

「西行様には、東大寺の、いや、勧進職、重源様のお手のものがついておりはるから、まあ。あのお仕事のほうは無難にこなしはるやろ」
東大寺勧進職は、並みのものでは勤まらぬ。重源は、この世のあちこちに手づるをもっている。
「麿のかてる相手ではないでうやろ」
関白九条兼実は悲しげな目で比叡山を眺めている。
「それは、西行様のことでございますか」
「いあやはや、もっと多くのかてすやろな、たぶん、慈円殿、おわかりやろ」
京都王朝は、追い詰められている。
―――――――――――――――――――――――――――
第2章1185年(文治元年)から1186年(文治2年) 平泉

話は1年さかのぼる。
■■1 文治元年(1185)10月18日。京都

「法皇様、ありがとうこざいます」
義経は、涙をとめどもなく流し、後白河の手に頬を擦りつけんばかりだった。
出自は争えぬものじゃ。所詮は雑色女の子供か。
義経に役取を与えた時の反応だった。されは、わざと、鎌倉にいる頼朝を怒ら
せる意図を持っていた。

 当時、日本最大の政治家であった後白河法皇にとって、感激家の義経は極めて扱いやすい駒であった。後白河は京都の貴族政治を守るべく、鎌倉の源頼朝に対する諸勢力の集中点に、義経をあてた。

 文治元年(1185)10月18日。後白河法皇は、頼朝追討の宣旨を義
経、行家に与えた。感激家の義経は涙を流した。所詮、義経は京都に弱い武将
であった。武家政権を確立しようとする源頼朝の考えなど、義経には思いもつ
かなかったのである。
 つまり義経は古代に生きる貴族であった。

 が、逆にこれを利用したのが鎌倉側であった。鎌倉には、勢いに乗り、新し
い国家を打ち立てようとする意欲のある人がいる。その一人が大江広元だっ
た。

■■2 文治元年(1185)10月。鎌倉

「大殿様、これは千載一隅の機会でございますぞ」
 大江広元は、その貴族らしい細面の顔を赤くして、頼朝に近づけて言った。
「義経様追討の宣旨を、法皇様よりいただきましょう」
「まて、みなまで言うな。義経追捕の名において、日の本津々浦々に守護、地
頭を置こうというのじゃな」

「さすがは大殿様。さようでござります」
「諸国の国司より、我が手の者共に軍事権、警察権を与えることができるとい
う筋立てか」
「広元は私の合わせ鏡か」
 頼朝はそう思うときがある。性格がよく似ている。側に広元がいると頼りが
いがあるが、疎ましいときもあった。時折、辛辣な言葉を広元から返される
と、その言葉が返ってくるであろうと予想できただけに、よけいに腹立たし
く思えた。

「京都の貧乏貴族のお前を拾うてやったのは、誰だか分かっているのか」
 そう、頼朝は広元に怒鳴り返したくなった。が、止めた。広元の眼を見据え
ると、自分の心の動きを読まれているのでないかと思うときすらあった。
 それに、頼朝の鎌倉の政庁が形を整えることができたのは、明らかに明法家
である広元の手柄であった。田舎育ちの関東の野人にはできぬ。いまや幕府
は、広元なしには動かぬところまできていた。それが、時折、頼朝の恐怖心を
芽生えさせていた。

 このころ義経は、近畿の寺社のあちこちを移動して、匿われていた。義経は
伊勢神宮に愛用の太刀を献じていた。 興福寺、延暦寺などの寺社である。
 当然ながら、これは京都貴族、つまり後白河法皇のバッアップがあってのこ
とである。が、寺社側も「頼朝」の武家政権を建てるという考え方、思想方法
を受け入れなかったのである。

 頼朝はいわば、彼ら古代の寺社勢力の勢力基盤である荘園制度の破壊者であ
った。
頼朝は義経が後白河院を頭主とする反鎌倉派の寺社を隠れ場所とするの
を、皮肉な眼差しで見ていた。その桓武帝以来の奈良・京都の寺社勢力の中
へ、義経探索という名目で軍馬を進め、鎌倉の手勢を送り込むことができたの
である。
この世の趨勢は頼朝が握っていることを世に見せるにはちょうどよい機会で
あった。

 義経の頭にある理想の政治家は、大化改新を行った藤原鎌足であった。藤原
鎌足の愛読書は太公望の書いた「六闘」であった。
 鬼一法眼から幼時読まされた戦術書は六闘であり、奥州藤原氏の先祖は無
論、藤原鎌足であった。義経がその逃亡の時期、吉野山から多武峰に向かった
のは藤原鎌足の霊廟に祈願するためでもあった。

「鎌足様、いったい政治とは何でありましょう。ましてや民の望む政治とは何
であり、国を引き得る政治家とは果たして兄者でいいのでありましょうや。さ
すればこの私の平家を滅ぼした役割は一体何だったのでしょう。平家は天皇を
蔑ろにする曽我氏であると思いましたが」
義経は藤原鎌足の霊廟前で叫んでいる。

■■3 1186年(文治2年)10月 鎌倉の大江屋敷。

 鎌倉の大江屋敷では、静の母である磯禅師と、大江広元が密談している。
大江広元は西行との会談後、磯禅師を呼びつけている。
「ここは腹を割っての相談じゃ。二人だけで話をしたい」
 怜悧な表情をした広元は、ゆっくりとしゃべる。

「これはこれは何事でございましょう。頼朝様の懐刀といわれます広元様が、
この白拍子風情の禅師にお尋ねとは?」
磯禅師は身構えている。広元は京都の貧乏貴族、昇殿できない低格の貴族だ
った。それが、この鎌倉では確固たる権力を手にしている。侮れぬこの男と
禅師は思う。

「あの静、本当はお前の娘ではあるまい」
 磯禅師の返事は少し時間がかかる。やがて、答えた。
「さすがに鋭うございますね。広元様、確かにあの娘は手に入れたもの」
「禅師殿、赤禿を覚えておられるか」
 急に広元は京都の事を問い始める。

 磯禅師の頭には、赤禿の集団が京都を練り歩く姿が思い起こされた。
「何をおっしゃいますやら、平清盛殿が京都に放たれた童の探索方、平家の悪
口を言う方々を捕まえたというは、広元もご存じでございましょう」

 続いて白拍子が清水坂にたむろしている姿も思い出していた。

「いや、まだ話は続くのじゃ。この赤禿以外に、六波羅から清水寺にいたる坂
におった白拍子が、公家、武士よりの悪口を収集していたと聞く。その白拍子
を束ねていた女性(にょしょう)があると聞く」
「それが私だとおっしゃるのですか」
「いやいや、これは風聞じゃ」
「……」
磯の禅師は黙った。次に来る言葉が怖かった。

◎ーーー
尼僧が禿(かむろ)を呼び止めている。京都、六波羅の近くである。
「どうや、あの方のこと、何かわかったか」
「あい、禅師様。残念ながら、も一つ情報がつかめまへん」
「ええい、何か、何か、手づるはないのかいな」
「へえ、でも禅師様…」

禿は、いいかけて言葉を止めた。自分の想像を禅師に告げたならば…。仕返し
が恐ろしかった。禿の思いには、何故そのように西行様の情報を…、何か特別
な思い入れがおありになられるのか…、答えはわかっているようであった。つ
まりは嫉妬である。
西行が皇室の方々に恋をし、またその皇女の方も、西行を憎からず思っている
ことを…。、どうしても邪魔をしなければならなかった。

◎ーーー
大江広元の前、磯禅師の追憶で、顔色は変わっていた。
がしかし、次の広元の言葉は禅師の予想とは違った。
「が、安心せよ。本当に聞きたいのは西行殿のことじゃ」

「え、西行様のことですか」
 磯禅師はほっとした。平家のために行っていた諜報活動を責めるのか。いや
そうではない。私はお前の過去のすべてを知っているぞという威しであろう。
ともかく、安堵の心が広がっている。そこは同じ京都人である。

「そうじゃ。今日、西行殿が頼朝様の前に現れた。西行殿は東大寺重源上人よ
り頼まれて、奥州藤原氏、平泉へ行くと言う。目的は東大寺勧進じゃ」
「確か、西行様は、七十才にはなられるはず。西行様と重源様とは、高野山の
庵生活の折りからお知り合いとか聞いております」
「そうじゃ、が、その高齢の西行殿は、よりにもよってこの時期に、平泉へ行
くというは何かひっかかるのじゃ」

「それで、何をこの私にお尋ねになりたいのですか」
「まずは、平清盛と西行殿の繋がりじゃ」
「確か、北面の武士であられたときに知己であったとか、また文覚様とも知己
であったと聞いております」
「あの文覚どのと、重源どのは京都で勧進僧の両巨頭だ。清盛がこと。西行庵
と六波羅とは指呼の間、六波羅へは足しげくなかったか」
「特にそれは聞いておりませぬ」

 広元は、しばし考えていた。
 広元の声が、磯禅師の耳に響く。
「聞きたいのは西行とは奥州との繋がりだ。私も京都にいたとき聞いておる
が、あの平泉第の吉次じゃ。あやつが数多くの公家に、奥州の黄金や財物を
撒き散らしておるのは聞いておる。そこで、吉次と西行との関係を知りたい」

 金売り吉次は、奥州藤原秀衡の家来であり京都七条にある平泉第の代表であ
る。平泉第は京都の一条より北にあり、現在でいう首途(かどで)八幡宮のあ
たりを中心に、広大な屋敷を構えている。いわば異国の大使館である。
 吉次の率いるの荷駄隊は、京都にて黄金を、京都在住に多くの貴族に贈り物
として差し出していた。

「そういえば、平泉第は一条より北にありましたな…」
「西行法師は平泉第へは通っておらなんだか」
「ともかくも西行様、平泉の秀衡様とも確か知己であったはず。そうなれば、
京都での西行様の良き暮らしぶりも納得がいきます」
「さらにじゃ、西行は西国をくまなく訪ねている。これは後白河法皇様の指示
ではなかったかじゃ」
「そこまでは私には断言できませぬ」
「それもそうじゃのう」
「広元様は、西行殿をお疑いですか」
「この時期に平泉に行くのが、どうもげせんのじゃ」

 西行殿…、なつかしい名前を聞いた。思わず磯禅師の顔は紅潮している。広
元に気付かれなかったろうか。
◎ーーー
 京都・神泉苑でのことを、磯禅師は思い出している。多くの白拍子が踊って
いる。観客は多数である。その中に一際目立つ、りりしい武者がいた。磯禅師
は、近くの知り合いの白拍子に尋ねる。
「あの方はどなたじゃ」聞かれた白拍子が答えた。
「ああ、あの方は佐藤義清様じゃ。このお近くのお住まいの佐藤家のご長男
ぞ」
 磯禅師は佐藤義清の方を見やって、溜め息をつくように思わずつぶやく。
「佐藤義清様か」
 その白拍子が、微かに笑って言う。
「ほほほ、さては、磯禅師さま、一目ぼれか」磯禅師ははじらった。
「ばかな、そのようなこと……」
 が事実だった。頬が紅色に染まっている。禅師十七才の頃の思い出である。
◎ーーー
(続く)
作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
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