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(おうみてんぽういっき)は、江戸時代後期に起こった百姓一揆。甲賀騒動・甲賀一揆・三上騒動・百足山騒動・天保十三年近江天保一揆などとも言う。
典型的な『惣百姓一揆』(代表越訴型一揆と異なり、庄屋等の村役人層に指導された全村民による一揆、大規模で政治的要求を掲げた)である。天保13年10月16日( ( 新暦 ) 1842年11月18日)近江野洲郡・栗太郡・甲賀郡の農民が、江戸幕府による不当な検地に抗議し、『検地十万日延期』の証文を勝ち取った。
一揆後、幕府により数万人を超える農民に対して苛烈な取り調べが行われ、土川平兵衛等指導者11人が江戸送りとなった他、千余人の一揆参加者が捕縛され、その中の多くが獄死や帰村後衰弱死した と伝えられている。これら犠牲になった人たちのことを 近江天保義民 (天保義民)と言う。
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国内の状況
一揆が起こった天保13年(1842年)は、天保の大飢饉(天保4年(1833年) – 天保10年(1839年))の直後で、当に飢饉により多くの人が餓死し、米価高騰や一揆・打ち壊しの姿がまだ生々しい記憶として残っていた。
天保7年(1836年)だけで大小129件もの一揆・騒動があったと伝えられる。
代表的な一揆としては天保2年7月26日(1831年9月2日)に長州藩で起きた
『防長大一揆(長州藩天保一揆・天保大一揆とも呼ばれる)』、天保7年₈月14日(1836年9月24日)に天領の甲斐で起きた
『天保騒動(郡内騒動・甲斐一国騒動・甲州騒動とも呼ばれる)』、9月21日(10月30日)三河の加茂郡挙母藩で起きた
『加茂一揆』、天保9年5月22日(1838年7月13日)に天領の佐渡で起きた
『佐渡一国一揆(佐渡一国騒動)』などがあるが、天保11年11月23日(1840年12月16日)庄内藩など三藩の領地替え(三方領知替え)に反発した
『三方領地替反対一揆(庄内天保一揆)』、天保12年12月4日(1842年12月15日)に徳島藩で起きた
『山城谷一揆』など、国や藩の政策を批判する一揆が起き始めていた。
農民等の一揆・騒動に加え、天保₈年(1837年には、2月19日( 3 月25日)大阪で、飢饉による米不足の中更なる利を求め米買占めを行う商人や、民衆の窮状を省みない役人に反発し救民を訴えた大塩平八郎による反乱(大塩平八郎の乱)が起き、6月1日(7月3日)越後柏崎では国学者生田万が貧民救済を掲げ蜂起(生田万の乱)し、天保10年5月14日には幕府の鎖国政策を批判した高野長英等の蘭学者を捕縛した蛮社の獄が起きた。いずれも幕府や役人への批判が元といえる。
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