玄鏡

玄鏡

花忘れ -12分の3-



――――土手沿いの・・・・・いやいや、今の国道ではなくて、旧吉野川沿いの土手沿いの道だよ。見た事あるかな?あの息を呑むような花時を?
 こう、ゆったりと蛇行する川幅に沿って、ぐるっと土手があるのさ。吉野川っていったら、そりゃあ、すごい暴れ川でね。昔から、何度も何度も堤を破り、決壊しては甚大な被害を下流域に与えたものさ。
 それが戦後、川筋が整備されて、今の吉野川になったんだがね。そうそれでさ、その旧吉野川沿いの土手っていったら、素敵な具合にうねっていて、眺望としてはなかなか綺麗なんだよ。
 土手ってのは、大概一段高くなっているだろ?その緩斜面いっぱいに春になったら、黄色い芥子菜の花が咲くんだよ。
 それで、その土手の斜面と川面の間は、段丘になっているからちょっとした平地があるんだ。そこに梨畑なんてあったりするんだよ。梨の花を見た事があるかな。楊貴妃に喩えられたあの澄んだ白い5枚の花弁を。
 イメージは桜に近いけど、そこはあくまで果樹園だから梢を木組みで抑えているんだ。平ったく。その下の部分に人間が入ってね、梨の手入れをするんだ。
 土手から一段低くなっているから、上から見下ろすと一面の花畑さ。蓮華畑みたいにそこを歩けそうに見えて、実は梨の梢だから決して歩けやしない。
 そして春霞の空。それを受けて青銅色に染まる川面。
 なかなかに綺麗なのさ。
 それがあろうことか、2、3kmは川筋沿いにあったもんだ。ただし、20年くらい前までかな、最近じゃあ、減っただろうな。


Vol.0

――――花時にいなくなった子供がいるんだってさ。ずいぶん前にいなくなって、それっきり。見つからなかったらしいよ。
――――ふーん
――――まあ、怖いねえ。春の弥生にさらわれたんだよ


Vol.1

「休みぐらいあるんだろ?」
「・・・多分」
「はっきりしないな」
「直近になるまでわかんないだよ」

 不機嫌に会話を切り上げる。だが、問い掛けた相手はしつこく会話を続けた。

「4月になればもっと忙しくなるぞ」
「・・・・・・・・・」
「お前、こっちに就職してから、いやもっと前だな。大学に行ってから、ホント、ほとんどあっちに帰ってないだろ」
「別に、両親とは連絡取ってる」
「そういう問題じゃないだろ、柚木?」
「関係ない」
「・・・・・お前な」

 高橋はふーっとため息をつく。わざとらしくポケットから煙草を取り出した。

「じゃあな、俺の前で二度と郷里の話なんぞするんじゃない」

 指先で煙草を摘み出し、それを手の中で返してぴっと柚木の顔を指す。

「意外そうな顔をするな。お前さんがここに来てから話したことって言えば、菜の花と梨の花とそれが咲いている土手の話だけだ」

 こっちが何喋ろうとおかまいなしにな、と付け足し、かちりと火をつけた。深々と吸い付ける。濃い紫煙が立ち昇った。

「そりゃ、きれいだろーな、お前の郷里は。だからってそれを俺に押し付けんなよ。自分の目で確かめてこい、よ。そんなに気になるなら」
「・・・・・気にしていたわけじゃない」
「説得力ねーよ。さっぱり」

 ったくと高橋は煙草をもみ消した。

「付き合いきれねーな。この時期になったら、毎年毎年、浮つきやがって。口開きゃあ、郷里のどこそこの犬の話とか、猫の話までおっぱじめやがる。今時、はやんねーよ。ホームシックなんて」

 にっと柚木に笑いかける。

「だから、いー加減、帰っちまいな」
「・・・・・・・理由がない」
「ばーか。実家帰るのに理由がいるか」

 だから柚木はここにいる。
 苦笑した。高橋に乗せられたつもりはない。とはいえ、奴はわざわざ駅まで送りに来て、なおかつ、ひつこく土産を請求した。それがそもそもの目当てだったのだろうか?
 勘繰りたくなる。
 本当に久方ぶりの実家は、大げさなぐらいの歓迎振りで、柚木の好物が所狭しと食卓に並び、実家に残った妹の機嫌を大いに損ねた。実際の所、長居はできない。土日と次の日の月曜日に有給を入れて、もう明日には帰らなくてはならない。
 呆れたことに少なからず、ほっとしていた。だが、あれほど実家に帰るのを嫌がった理由が我ながらよくわからない。苦しいほどに実家は居心地がよい。
 苦しいほどに・・・・・・・・・
 そう今日だって、友人と約束がある、と口からでまかせを言って実家を飛び出してきた。高校卒業と同時に県外に出た。それから、積極的に地元の友人との連絡を切ってきた。だから友人なんて(連絡を取るような)一人も地元にはいない。
 気の向くままに車を走らせ、吸い寄せられるように吉野川流域の土手道に来ていた。

「どうかしてる・・・・・・・」

 車を止め、春が匂いたつような土手を見下ろす。静かに滔々と流れ下る川は覚えていた通りに空を両岸の景色を写し込みいわく言いがたい色だった。そして土手。覚えているよりは少ないが芥子菜の花が咲き乱れていた。菜の花と同じ胸のすくような黄色だ。
 思わず深呼吸する。埃っぽいような芥子菜の花粉が鼻腔を刺激した。

「花粉症でなくてよかったよ」

 ぽつりとそれでも笑みを含んでつぶやく。何であんなに不安だったのか柚木には全くわからなかった。

「やっぱ、故郷はいいよな」

 一人ごちて何だか照れくさかった。照れ隠しに河原を見渡せば、家族連れらしい人達がピクニックを楽しんでいた。子供の歓声が聞こえる。
 途端に黒い棘が胸に突き立ったように漫然とした不安がこみ上げた。
 ぽすっ
 足元の芥子菜が乱れた。

「おーい、そこの人すまないがボール投げ返してくれんかぁ?」
「えっ!?」


Vol.2

「ほうこの辺の人なの?」
「ええ、まあ、眉山のあっち側の」

 人の良さそうな男はふんふんと熱心にうなづいた。その子供が二人、何が楽しいのか歓声をあげて走り回る。まるで子犬だ。それをこの男の奥さんらしい小太りな女性が追っかけ回す。全く元気な家族だ。

「元気なお子さんですね」
「いやあ、元気がだけがとりえで」

 『私は中間管理職!!』その太鼓腹に大文字で書いてあるも同然の笑い方だ。
 足元に転がった白いソフトボールを柚木は投げ返したはよかったが大暴投してしまい、あえなく河に落ちた。きっと明日には海まで流れ着くだろう。それで謝罪しているつもりがしっかり、男の家族団欒に巻き込まれてしまったのだ。

「おとーさーん!!」

 声変わり前のボーイソプラノが呼ぶ。おうっとうれしそうにそれに答え、よたよたと走り出す。それを潮にお暇しようと挙げかけた腰をぐいと引っ張られた。

「待ってよ、お兄さん」
「え、君は?」
「いやあね、さっき紹介されたでしょ」

 柚木は妙に渋りがちな思考に首を傾げる。果たして自分はこんな子供を紹介されただろうか?家族連れはまるで子犬の親子のように転げまわっている。それを思えば、この子は。なぜ家族と一緒にいないのか?

「いやぁねぇ、お兄さん。若そうな顔して結構、おじさん?」

 あいた。さすがにおじさんは凹む。老け顔のつもりはないし、腹だってまだ出ていない。この年の子供ならおじさん呼ばわりも仕方ないかもしれないが。
 まだ柚木としては抵抗がある。

「あ、あぁ。なつみちゃんだろ?」

 そう、そんな名前だった気がする。柚木は霞のかかったような脳みそを振り絞って名前を拾い上げる。
 そんな柚木をなつみは小馬鹿にしたような顔つきでふんと見下ろす。

「なつみちゃんはあっちに行かないの?」

 そんな子供に取りなすように笑って見せて、駆け回る子供とその両親に視線を飛ばす。指さすの憚られたので軽く顎をしゃくる。

「・・・・・・・・・・いいの。あんまり好きじゃないから?」

 家族が、か?それとも。

「ああいうの。家族団欒?っていうの?苦手」

 小さな膝小僧を抱え込む。当然の帰結として俯いた頭に白く細い項が剥きだしになる。二つに分けられ、きれいに編まれた二つのお下げ。恐らくこの子供の母親が丹念に編んだんだろう。
 その項に細さに胸の奥がさわさわした。

「お母さんもお父さんもあたしのことがあんまり好きじゃないの」

 何を言い出すのか。この子供は。柚木は動悸を刻む胸を撫で下ろす。この会話を続けてはいけない。心のどこかで警鐘が鳴り響いた。

「そ、そんなはずはないよ。自分の子供が嫌いな親なんていないよ」
「ううん。そんなことあるの。だってあたしのこと思い出しては泣くのよ。あんまり会いに来てはくれないし」
「一緒に暮らしてないの?」
「・・・・・・・・・・・・・うん。一緒にいれないの」

 どういう意味なんだろう?

「あたしいらない子なんだよ」

 そんなことはない、とどうして言えない?柚木はからからに乾いた口腔内を膨れ上がった舌でぎこちなく舐める。言葉が出て来ない。

「だって探してもくれない。あたしはここにいるのに」

 ざうっ
 無数の芥子菜の花がざわめいた。


Vol.3

 白い首筋に誘われるように両手を回していた。
 細い。
 そして温かい。
 びくびくと脈打つ血流。滑らか隆起する喉仏に親指を這わせればひくりと震える吐息。深々と澄んだ瞳を覗き込めば、潤んだように開いた瞳孔の奥に恐怖が揺らめいた。
 引きつるように唇の端が歪み、泣き出しそうな顔でぐっと睨んでくる。
 その表情にぞくぞくした。
 こんな小さな少女のどこに。
 こんな激しい気性が潜んでいるのか。
 しっかりしている、なんてそんな言葉で片づけれない。果たして柚木は、この年でここまでの分別を働かせることができたか。どう思い返しても鼻垂らして泣いていたような気がする。
 心のどこかで何をしているのだ、と叱咤する声があった。
 だがそれよりも強く、このまま先を見たいと望む声があった。
 この手に力を込めればどうなるのか。
 その思考に雷に打たれたようにびくりと両手を放す。
 自分は一体何をしているのか。
 少女が自分の下で苦しそうにあえいだ。
 そりゃそうだ。でかい図体の自分が腹の上に馬乗りになっているのだ。成人男子として痩せ形ではあるし、体重は少女の両脇に落とした膝にかけたとはいえ。
 重いに違いない。
 何をしているのだ?
 ぶるぶると少女の首の上で両手が震えた。
 もう一度。
 もう一度、あの滑らかな首筋の感触を味わってみたい。
 突き上げるような情動が・・・・・・・

「放してよ」

 震えを含んだ甲高い声。

「あたしが何をしたっていうの?」

 怯えに強張り抑揚に欠ける澄んだ響き。


 何を?何を?何が?何で?な、ん、で?


 その声が。響きが。瞳の色が。
 火を。
 火をつけた。

 へし折る強さで少女の首に両手を廻した。
 細い首は両手で作った輪でもまだ余る。
 親指を喉首の上で交差させ、脈打つ二つの頚動脈を両の親指の腹で圧迫する。腕をぴんと一直線に突っ張り、交差させた親指の下、喉首に体重をかける。

 ひゅぅ

 呼気が溢れ、悲鳴に成れずに、柚木の手首で消える。その手首を少女のか細い指が引き剥がそうとむなしい抵抗を繰り返す。陸揚げされた魚のように上体が激しく動く。
 だがその両足は。柚木の身体が乗り上げているため動かせない。
 いや動かせないだろう。
 妙に醒めた心のどこかで、それを確認できない自分を蔑んでいた。

 それよりも。

 蠢く少女の指が。
 細くなってゆく少女の息が。
 狂ったような鼓動が。
 恐怖とショックと苦しみと怒りで、黒々と輝く瞳が。

 いや。その場を支配する少女の存在すべてが。

 柚木の深い部分に働きかける。背筋を這い登るのは間違いなく快感。内耳を狂ったように駆け巡る己の鼓動。息が付けないのは少女であるはずなのに、呼吸困難の喘ぎを繰り返すのは自分の喉。
 頭の中が白熱した。
 同時にすべてが。これ以上はない鮮明さを持って柚木を支配した。

 少女と自分を取り巻く川原の土手に揺れる無数の芥子菜の花。
 その芥子菜の花に埋もれるように隠された自分たち。
 穏やかに雲の流れる空。それを移しこむ滔々たる河の流れ。

 黄色く、黄色く、黄色い、芥子菜の花弁。

 川上から川下へ一気に流れ落ちた風。それに誘われるように頭を振り下げる無数の芥子菜の花の群れ。

 少女の喉から漏れる最後の吐息。
 限界まで見開かれた瞳。
 その長い煙るような睫毛。
 わななく口元から唾液が溢れ、酸欠からその紅潮してゆく顔。

 意識はあるのだろうか?
 頚動脈を適確に押さえれば、7秒で落ちる、とこれはどこで読んだ事だったか。

 柔らかい喉、首筋。ぎりぎりと力をかければ、みしみしと音がする。それは自分の骨の音か?それとも少女の首から聞こえるのか。額から汗が滴った。
 それはおかしい。だって今日はむしろ肌寒いほどで。

 生をこれほど意識した瞬間はなかった。
 生きている!!
 そう叫びたかった。

 だが喉から零れたのは吐息に似た満足そうな溜息だけで。


Vol.4

「ねぇ、どうしてなの?」

 なつみの声が柚木を現実に引き戻した。

「あたしが何をしたっていうの?」

 白昼夢の中の少女の科白と重なる。今、柚木は何を考えていた?それもこれ以上はないくらい鮮明に。締め上げた少女の細い首の感触も、背筋を這い上がり、脳髄を蕩かした熱さもすべて。
 この手の中から。
 愕然とした。
 本当にこれは白昼夢なのか?
 これはあったことなのか?
 なかったことなのか?
 柚木自身の願望か?
 それとも?

「ねぇ?」

 なつみが嘘のように邪気のない微笑みを浮かべた。記憶の底で何かがかちりと収まった。土手の上から見下ろせる家族団欒の図がまるで無声映画のように感じられた。

「なつみ・・・・・・ちゃん?君は・・・・・・あの人たちは・・・・・」
「ここねぇ、なつみのお気に入りの場所だったの。いつもよく遊びに来てたの。ここならお父さんもお母さんもあたしのことを捕まえられないから。あんまり人も来ないし」
「・・・・・・・怒られたって」
「そうよ。あの子が、あたしのお人形を取っちゃったの。でもお母さんはなつみはお姉ちゃんなんだから、貸してあげなさいって。いつもそうだよ。お姉ちゃんだからって」

 父親に飛びつく、なつみと年のさほど変わらない少年を暗い表情で見詰める。

「ね、ちょっとくらいね。なつみのこと考えてくれるかなって、ここに来たの」

 柚木は根が生えたように動けない。

「でもね。みんなあたしのこと忘れちゃったの」

 ひっと柚木の喉から悲鳴が毀れた。それを満足そうになつみが眺める。その背後でいつかのように無数の芥子菜の花が揺れた。

「ねぇ、なんで?」
「そ、そんなはずはないっ!!」
「あれは、誰にも知られてない?」

 びくりと打たれたように柚木の身体が揺れた。顔面からは血の気が引いているはずだ。ここに来てはいけなかった。来るべきではなかった。それを言うなら、帰って来るべきでもなかった。
 でもナンデ?
 どうして?どうして?

「忘れちゃったの?」
「な、何を?」

 ひどいなぁ、となつみの顔が悲しげに歪む。
 あたしはずっと待っていたのに。
 ここで。
 この花の下で。

 口だけが。なつみの口だけが動いて柚木に意志を伝える。

 ずくん、と10の指先が疼いた。

「ここに」

 なつみがすいと立ち上がり、一点を指差す。

「埋めたでしょ、あたしを」

 芥子菜の花に埋もれるように。その背丈と芥子菜の、伸びすぎた芥子菜の花丈は同じくらいで。

「受験結果が出て、ほっとして、気が緩んで、俺はあの日、ここに来た」

 言葉が口から溢れ出た。柚木は救いを求めるようになつみに手を伸ばした。

「それから、俺は誰かに会った。子供だ。泣いていた。この土手で芥子菜の花に埋もれるように膝小僧を抱え、親に叱られた、と言っていた。とても可愛い、お下げの少女。名前は・・・・・・」

 そう、名前は。なつみ。

「それから、俺は」

 柚木はぼんやりと両手に顔を埋める。

「俺はその子を」

 ふるふると首を振る。

「誰も見ていなかった。誰も知らなかった。どうしたらいいかわからなかった。そしたら、芥子菜の花が俺に囁いた」


―――隠してあげる。その子とあなたを


「・・・・・・・・・・・・・囁かれるままに俺は素手で土を掘り・・・・・・・・・・・指先が裂けて、爪が割れて、剥がれて、血が溢れて、真っ赤になって・・・・・・・泥だらけになって・・・・・・・・・・芥子菜の花の褥に埋めた」

 家族すら。そして通行人すら。
 目撃者もなく。
 誰も気付かず。
 都合よく。おかしいくらい。誰か気付いてくれと叫びたくなるくらい。

「逃げるようにこの街を離れて」

 そして、忘れた。

「そんなはずはない」

 頭を抱える。いやいやと許しを求めるようにそれを左右に揺さぶった。自分の声がひどく幼くて、甲高い響きを含むのを柚木は他人事のように感じていた。

「何が?」

 とてつもない現実感。
 これ以上はないくらいリアルに響く肉声。

「だって」

 舌足らずの口調が混じる。嘲笑うように芥子菜の花が揺れた。

「君はここにいるのに」

 春の暖かい陽光を受けて影を落とす姿態。春風にかすかに揺れるお下げ。小さな足が青葉を踏み躙り、潰れたその青葉が芳醇な土の匂いに混じって、馨しく鼻腔をなぶる。
 その身体に触れて、抱き締めて、もう一度、首を締め上げれば。

 柚木は。

―――じゃあ、確かめてみれば?




Vol.5

 手で土を掘った。
 絡み付くような芥子菜の茎を掻き分け、雲霞のように散る黄色い花弁と花粉を払いのけながら。
 土を掘った。
 指先がずたずたに裂けた。
 手で引き裂いた芥子菜の茎が強く匂った。
 爪が割れた。
 そしてその割れた爪が剥がれ落ちた。
 痛みは。
 痛みはあるはずだったが。血が滴って、黒い地面に吸い込まれても。
 痛みは感じなかった。
 ただ無心に硬い石のような地面を、名も知れぬ草の根の絡む地面を掘り返した。
 その感覚の失せ果てた指先にある感触が。

 過たず。

 そしてそこに。

 記憶の奥の奥に眠る服の端が。
 ついで温かみの欠片もない肌色の腕が。

 土をかぶり。
 色を失った肌。

 芥子菜の花がざわめいた。


 慎重に、だが、これ以上はないくらい焦って。
 土を掘り崩した。

 ばらばらばら

 手で。指先で。両手で。


 ゆで卵の殻を剥くように。
 固い蕾が解けるように。

 土の下から。

「・・・・・・・・・・そんな、バカなっ!!」

 叫んだつもりが力ない呟き。
 ゆっくりとその蒼白の頬に手を伸ばす。

 ぱらり

 指先から土くれが落ちた。

 ぽとり

 指先から血が滴った。

 すぅ

 とそれがまろやかな頬を伝い落ちる。
 鮮やかな朱を刷いて。

「・・・・・・・・・・・なんで腐ってもいない?」

 あれから何年過ぎている?それとも過ぎていなかった?
 その血の気のなさを除けば、眠っているような少女。
 穏やかな相貌は苦しみの影もない。硬く閉ざされた双の眼。小難しく引き結ばれた唇。青褪め透き通るような肌色。
 芥子菜の根に抱かれるように眠っていたなつみ。


―――隠してあげたでしょう?


 いつか聴いた声。
 周囲の花垣が興じるように輪を描いて揺れる。

 震える指先でなつみの頬に触れる。
 冷たい。
 生者のものではない。

 と。

 首の周りに黒々と残る痣に、鬱血の跡に視線が行った。珍妙なネックレスのように細い首を彩る。
 あれは、あの跡は。柚木の指と一致するのだろうか?

 触れてみたい。
 もう一度、確かめたい。

 溢れた吐息が手首に纏わり付いた感触。狂ったような鼓動が次第に小刻みに消えてゆく感触。何より自分が圧倒的に他者に対して支配権を持った、というその高揚感。
 まるで少女の命がその瞬間、柚木の中に移った、とでも言うような錯覚。

 ひやり

 冷たく、湿った感触。
 息が、あがる。
 そっと愛撫するように指を這わし、優しく力を込めた。
 僅かな抵抗感、弾力さえ感じさせる質感。
 それが。

 ぐちゃり

 両手の中で唐突に崩れた。

 哄笑が湧き起こった。
 そしてそれを圧し去る絶叫が。腹腔の底から搾り出される根限りの絶叫。

 絞めた両手を緩めることも出来ず柚木は叫び続けた。

 ざぅ

 風が巻いた。
 崩れた身体から無数の黄色い花弁が舞い上がる。それは絶叫に乗るように周囲に舞い散り、重く降り注いだ。
 木霊する哄笑に甲高い子供の声が混じった。
 そして残ったものは。
 残ったモノは。

 腐った肉の僅かに残る白骨死体。
 と。
 それの喉首の辺りを接着されたように掴む柚木。
 と。
 止め処なくその喉から毀れる絶叫。
 と。


<終>


―――で、どうなったの?
―――別に。死体が発見されて。偶然にもその親族が近くで遊んでて?犯人が掘り出した場所に居合わせたわけ
―――なんで、その男はそういうことしたわけ?
―――さあぁ?罪の意識に耐えかねたんじゃないの
―――でも忘れてたんでしょ?
―――・・・・・・・・・・・・春の弥生に魅入られたのよ
―――えっ?
―――人の狂気と命を孕んで、花はより一層鮮やかに咲き誇る
―――ちょっと待ってよ。じゃぁ、男や少女、そしてその遺族を誘き寄せたのも、その川原に潜む‘春の弥生’とやらだっていうの?
―――極まりたる光よりも、底に暗い闇を抱えるモノのほうが綺麗に見えるのよ
―――・・・・・・・・・・すごく恣意的だ
―――男は自分の罪を暴いて欲しかったし、少女は自分の敵をとって欲しかった。それは遺族も同じ
―――男の罪を唆したものは?
―――さあ、それが春の弥生なんじゃない?
―――狂気に追い込んだのも?それって都合いい
―――で、何か不都合?
―――・・・・・・・・・・・・特には
―――じゃ、そういうことで


<再終>


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