玄鏡

玄鏡

夏の日 -12分の7-



 細い風が地表から天空に一息に駆け上がる。
 それを眼を細めてやり過ごすお前がとても愛しくて。
 俺は、しばし見惚れた。
 そう、柄にもなく。

 我に返って、苦笑する。

 そんな俺をお前は不思議そうに見ていた。


Vol.1

 喧騒の中で○○に会った。

 空の明るさに僅かに眼を細め、少し不思議そうな顔をして、やあ、と笑った。
 俺はその屈託のない顔に同じ微笑みでもって笑い返す。

「思ったより、人が多いだろ?」

 すると○○は感慨深そうに頷く。

「そうだね。この辺も変わったなぁ、なんて科白は陳腐かな?」
「間違いなく」

 くくっと肩を震わす。

「でも変わってないんだろ?」
「至言だ」

 断言する俺にやはり懐かしいような笑みを浮かべた。白い開襟シャツが空に解けて行きそうに鮮やかで、俺はぎゅっと眼を閉じる。

「この辺も学生時代はよく歩いたよなぁ」

 変哲もない場末の商店街。
 最近は郊外型の大型ショッピングセンターなんかに押されて、こういうアーケード型の商店街は寂れる一方だ。
 俺や○○が知っている商店もずいぶん店を閉めたようだ。
 当てもなくぶらぶら歩いていた頃は。
 いや、それだってほんの数年前だっていうのに。もう少し、人だって歩いていた。
 それでも。
 こんな真昼の平日は。
 やはり人が少なかったんだろうか?
 そんなことも俺は知らない。

「そりゃ、勤めるようになればコンナとこ歩かないよ」
「あと2、3年もすればわからなかったかも」

 どうでもいいと言わんばかりに肩を○○はすくめる。
 俺はそんな○○にやり切れなさを覚えた。
 急に息苦しくなって、ネクタイの結び目に人差し指を突っ込んでそれを緩める。煙草を吸いたいな。そんな焼け付くような焦りすら覚えた。

「そうだな。家族連れなら、こういうトコなら金かからんしなぁ。けど、駐車場ないからここには来ないだろ?」
「あれっ?やっぱそういうこと考えてんだ?」

 からかうように笑いかける。
 もともとよく笑う愛想のいい奴ではあったが。その笑顔が今日ばかりは痛かった。

「考えるさ。お互いいい年なんだし」
「んー、就職して3年かぁ~勝負時だよね。仕事も面白くなってくるし、収入も安定してくるし。真面目に貯金してりゃぁー、そういうこともね」

 俺は更にいらいらとネクタイの結び目を引っ張る。それでも息苦しさは消えなくて、ワイシャツの一番上のボタンを外した。その拍子に今日、おろしたての真っ白な袖口から抹香が強く匂った。
 ぎょっとしてその手を脇に下ろす。
 そんな俺をどう思ったのか、慈しむような笑みを浮かべて俺をじっと見る。
 まるで俺の姿を止めておこうとするように。
 やめてくれ。
 そんなふうに、慈しむように、愛しむように、俺を見ないでくれ。

「どうして」
「ん?」
「どうして、こんなところにいるんだ?会いに行かないとあいつは怒るぞ?約束したんじゃなかったのか?」

 もうこんな時間だ、と非難がましく腕時計を見せ付ければ、ああ、とくしゃくしゃに顔をゆがめた。

「この辺が、さ。急に懐かしくなって」

 ふっと俯く。

「おかしいだろ?ここって毎日横の通りを車で通ってるんだよ?ほら、通勤でさ。でも国道からちょっと離れてて道が狭いって理由でここは通らない。学生時代は毎日ここを通って駅まで行ってたのに。どんな店に何を置いているのか知ってたし、小学生の頃はどの店の人の顔も知ってたのに」

 なんでだろ、ね。

「そ、それはそういうものだろ。置かれてる環境が変われば生活領域だって変遷する。それがそんなに不思議か?」
「いいや、そうじゃなくて。ナンテいうかここは変わらないって思ってたんだ。源風景って奴かな。どんなに自分自身が変わっても変わらないものって気がしてたんだ。例えここに来ることがなくなっても」
「・・・・・・・・・そんなにここが気に入ってたとは意外だな」
「そうかな?でも、何だが急にここが懐かしくなって」

 日焼けすらしていない若々しい顔で○○はまた笑った。
 それはどこか晴れ晴れとした吹っ切れたような笑みだった。
 俺は泣きたいような気分に、○○にそうと悟られないように拳をぎゅっと握り締めた。

「あれ?そういや、会社は?」

 やっと気付いたか。俺はむっとしたように切り返す。

「休んだ」
「そうなの?」

 何か、悪いなぁ。
 そう言って朗らかに笑う。

「お前、それタチ悪いぞ」
「お前がいまさらそれを言うか」

 楽しそうにくっくっくっと肩を上下させる。
 ○○は大学時代からの腐れ縁の友人だ。何かと言えば穏やかに笑ってみせる奴で、そのくせ人当たりのいい笑顔で誰の言うことにも耳を貸さない頑固者だった。
 そう俺は友人だと思っていた。
 他人の話にはきっちり耳を傾ける奴だが、奴は決して本心を明かさない奴だった。
 それに何年も気が付かなかった。
 今回、こんなカタチで思い知るなんて。それは耐え難い。

「水臭いんだよ。お前は」

 俺の非難の眼差しに○○は視線を泳がす。

「でも、お前はそういう奴だな」

 我が意、得たり、と○○は笑った。

「それじゃ、俺は」

 軽く右手を振り上げれば、○○は、ああ、とそれに答える。
 ちらり、と笑みを浮かべて、ぶらぶらと喧騒の中に消える。時折、その視線を空に投げ上げながら。
 俺はそれがとてもきれいだと思った。


Vol.2

失うのを恐れる者は
失う怖さを知ってるモノ

得ることを恐れる者は
失う絶望感を知ってるモノ


 磨き上げた床に俺の薄汚れた靴音が響いた。
 それがとてつもなく際立って俺は足音を殺す。
 黒い服装の人が何人も何人も目の前を通り過ぎる。落ち着いたしめやかな雰囲気。白と黒、そして何故か金と銀を主色に選んだ装飾。
 高い天井に足音を飲み込むカーペット。
 痺れた感情の俺には周囲の音はすべて曖昧で、目の前で歩き回るすべてはモノクロのパントマイムめいていて、意味をなさない。
 どうして。俺は。
 親族でもないのに、ここまで来たのかな。
 本当は焼香だけにしようと思っていたのに。

 煙草、吸いたいな。

 ふっと思う。いや、さすがに非常識でしょ。そう自分で突っ込んでみる。でもよく見てなかったけど。確か喫煙スペースがあったような。
 なかったような。
 愕然とする。
 ここまで俺は。
 そんなことに気が付かないほど。注意力散漫になるほど。
 ショックなのか。

 ばたばた

 何の音だ?
 それは足音。大慌てで室内を駆け出す足音。さっき気を使ったのが嘘のような自分の。

 ばんっ

 先程しずしずと通り抜けた正面扉を乱暴に開く。
 むあっと蒸れた空気が俺の顔を打つ。建物内はひんやりと空調が利いていたのだ。そして耳を聾さんばかりの蝉の声。
 俺は建物を出てすぐの駐車場を突っ切り、駐車場の際まで走る。

 はあはあはあ

 息が上がる。
 運動不足だなぁ。ひどくドライな感想が胸の中に湧き上がる。

 ざぁっ

 駐車場の際は切り立った崖になっていて、そこから風が駆け上がる。その風が火照った頬に心地よい。
 そうだ。
 たいがいこういう施設はちょいと人里離れた山の中にあるんだ。だってそうだろ?誰がさ、すぐ側に焼き場なんてあって欲しいと思う?
 フェンスのない駐車場の際、ぎりぎりに立って背後の建物を仰ぎ見る。後ろは崖だ。用心しなくては。だが俺はその建物の全貌が見たかった。
 焼き場。
 煙突なんかがあるんだと思っていた。
 簡素な抑えた建物。ま、浮かれた概観でも困る。
 煙突からうっすら煙が上がって、それがたなびいて、それであいつが天にメサレルんだって感慨に耽れるんだと思っていた。

「あと1時間くらいらしーよ」

 崖っぷちで反っくり返っていた俺にふいに声がかかる。
 わっと情けない声を上げて俺は落ちそうになった。慌てたように声の主は俺の腕を捕まえる。

「何やってンのよ」

 呆れたような声に俺はジト目を向ける。

「何だよ?一体?」
「だから。あと1時間くらい?焼き上がるまで?」
「・・・・・・・・・焼き上がるってもう少しましな表現ないわけ?」
「そんなこと言ったって。場違いに焼き場を走り回るやつよりマシだと思うけど?」

 うっ。返す言葉もない。俺の困惑を感じ取ったのか相手は微かに笑った。この場に相応しく控えめに。茶髪に喪服って似合わねぇよーなー。
 薄化粧の相手、こいつも大学時代からの悪友だ。容赦ない口の悪さを誇るこいつは俺たち同期の中で一番情が厚い。こんな時も泣く代わりに、挙動不審の俺の心配をして追いかけてくる。そんなやつだ。
 薄っぺらな慰めなど逆立ちしても口に出さない。
 そのくせ。骨まで拾いにくるような。
 告別会場までの友人。焼き場までくる友人。
 なあ、どっちがよかったよ?お前?

「・・・・・・・・・・焼き上がりってどうやったらわかるんだろう?」
「時間計ってんじゃないの?」
「えっ?!焼き上がりにちーんとかってブザー鳴ったりして・・・・・・」
「で、焼きが甘いと追加料金とられるとか・・・・・・・」

 あはははーと乾いた笑いが俺たちの間を通り抜けた。さすがにしゃれになっていない。ついついいつもの調子でいらん軽口を叩いた俺たちはその間抜けさに落ち着きなく視線を足下にそらす。
 盛夏を間近に控えたこの季節。正午すぎた陽光はくっきりした影をアスファルトの駐車場に落とす。
 ほぼ天頂にある太陽のために影は長く伸びず、短く濃く足下に縫いつけられる。
 暑い。
 急に意識がそこに集中した。

「ちゃんとリーマンやってんだ?」

 唐突に気まずい沈黙を破る声。俺は無意識にリーマンの象徴とも言えるスーツの喉元を引っ張る。

「何だよ。それ」
「何となく。だってさ、アンタ学生時代にけっこうワイルドなコトしてたじゃない?講義さぼったり、落としたり」

 そのくらい普通だ。少なくとも俺は留年はしなかったし、このご時世でもまともに一般企業に就職した。

「何、言ってんだろね」

 ふっと視線を上に向ける。

「ナンかさ。会いたいなぁ」
「?」

 真っ直ぐに俺を見る。僅かに青ざめた顔。俺たちはまだ25ぐらいで、こういうことは友人内では初めてで。
 しかも俺たちは知らなかった。
 あいつは何も言わなかったから。

「いままでさ、会おうと思えば会えたじゃない。そういうときは会いたいとも思わなかったのに。っていうか、いつでも会えると思ってたわけ。でもさ、いざ、会えなくなる、二度と会えないってわかると、今度はすごく会いたくなった」

 ヘンかな?と笑う。

「俺も」

 いぶかしげな表情。

「俺も会いたいよ。あいつに。会って文句言ってやる」
「そう。そうだよね」

 すっと俺の横に立つとひるむ様子もなく崖から遠い町を見下ろす。

「○○の薄情モン~」

 って叫んでやりたいよね。腰に手を当ててつぶやく。普段、アホなやりとりばかりしてる俺たちでも焼き場の駐車場で騒ぐことはできない。
 すまんな、○○。俺たちは理性が勝るようだよ。

「会いたいって思ってくれるかな?」
「誰が?」
「あいつも」
「・・・・・・・・・・・・」
「逝くやつに会いたいように、逝ったやつもこっちの連中に会いたがるかな?」

 弾けるような蝉の鳴き声がぼわんと耳に木霊した。

「帰ろっか」

 ナンカ場違いだし。肩をすくめる気配。

「いや、骨拾ってやろう」

 思わず肘の辺りを掴んでいた。その語調の激しさに俺たちは二人して硬直した。あわあわと俺は彼女の肘から手を放す。

「うん、わかった。そいで約束させてやるね。会いに来いって。んでさ、こっちが恨み言言ってやるんだ」

 ふふっと笑う。その儚さに俺はさらに慌てた。

「泣きたいなら、お、俺の肩、か、貸すよ」

 うわ、かっこ悪。どもっちゃったし。その場を和ませるつもりがまじっぽく響いちゃったよ。
 雰囲気が凍り付く。

「・・・・・・・・・・・・・・・・ごめん、硬直しちゃった」
「いや、俺もいまのはきつかった・・・・・・・・・・」
「発言、デリートしていい?」
「お願いします」

 デリート、デリートっていうか、イレーズ。らしくない科白も行動も、全部○○が悪いっ!!
 そんな俺をどう思ったのか。彼女はまた視線を町に飛ばした。

「戻ろうか、ここ、暑いし。毛虫、降ってきそうだし」

 そして。
 俺たちは親族でもないのに。
 ○○の骨を拾った。

 それはとても軽かった。

Vol.3

 近くの駅まで車で送ってもらった。
 送ってくれた悪友の一人はこれから会社に行くらしい。俺はもう今日は会社を休む。ナンカそうしたい。昔よくそうしたように、寂れかけた商店街を通り抜けて、ゆっくりと家に帰ろう。

だが、俺はそこで。
 ○○に会った。
 どうして、とか。疑問、とか。俺は問わない。あれも問うまい。
 そして最後に。
 ただ、人懐かしく笑って。
 夏日に背を押されるように雑踏に消えた。


 白い空が眼前に横たわる。
 細い雲が高い夏日を薄く通してくる。
 蝉が。
 蝉が一時の夏を恋しく謳い上げる。
 彼らは7年を暗い土の下で過し、その思いを一週間で天へと謳い上げる。それを思えば。あの姦しさも何やら愛しい。

 ああ、俺は誰にも言うまい。
 ○○に会ったことを。
 今はまだ名前を思い出すことも、意識することもできない○○に会ったことを。
 そして○○が。
 うれしそうに。
 晴れやかに笑ったことも。
 誰にも入院を知らせず、一人で逝ったあいつを。いやその場にはやつの家族がいたはずだが、それでも。
 俺たちも一言くらい教えて欲しかった。何ができたわけでもなかっただろうけど。
 俺があいつを悼むように、あいつも俺を悼んだんだと思いたい。

 夏日が眼に沁みる。


 あいつは夏に逝った。


 夏日が眼に沁みる。
 夏日が眼に沁みる。

 これは。

 夏日が眼に沁みたんだ。

 今日は。
 これから。家に帰って。
 そうだ。
 ビールでも飲んで。会社が終わる時間に電話をかけて。

 会ってくれるっていうなら、悪友と会って。
 薄情な友人の話をしよう。

 夏日が眼に沁みる。
 振り仰いだ空は。
 月並みだけど、果てしなく澄んでいて。
 目尻からこめかみにするりと消えた流れは。
 その眩しさに誘われたんだ。

 俺は乱暴に拳でごしごしとその流れを消した。


 噎せ返るような緑の匂い。潤むような芳醇な風。
 無限の中に木霊してゆく蝉の声。
 それは間違いなく生を謳歌する声。
 暑い夏日に、こめかみに頭皮に背中に汗が浮き上がる。

 だからと言うわけでもないが。

 俺も。
 俺もまた。

 ああ、俺も。
 こんな命溢れる夏の日に。
 逝きたい。

 ふとそう思った。

<終>


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