Angel &Rose Gallery

秘すれば・・・。



秘すれば花なり。。。



秘すれば・・・




「秘すれば花なり秘せずば花なるべからず」

世阿弥の「風姿花伝」の有名な一節。
観客が予想もしない演出こそが驚きと感動を生む。
しかしそれを悟られると演出の効果は失われてしまう。



これは世阿弥の書き残した『風姿花伝』の中の、よく知られた一節です。
この伝書で、世阿弥は芸上達のアドバイスと、
興行を成功させるための方法論を具体的かつ詳細に書き記しています。

残念ながら、我々は世阿弥の演技を、今、鑑賞することはできません。
彼の役者としての才能がどのくらいのものであったのかわかりませんが、
演出家、能作者としては間違いなく天才です。

花伝書を読んでみると、世阿弥がこれを書いたのは抽象的な演劇論、
芸術論などを書きたいからではなく、やむにやまれぬ心情からであったことが
ひしひしと伝わってきます。
ただただ、一座の発展と、この芸を志す者に、世阿弥自身が獲得した
奥義を伝えたいという、それだけで書かれています。

私たちが今読んでも迫ってくるものがあるのは、
決して空理空論ではないからです。生き残って行くための方法論と自分自身の
心の軌跡を記録しておきたいという、そのことだけで貫かれていますから、
世阿弥の生の声が伝わってくるのでしょう。

この伝書は、能についてのものですが、観客を相手に何かを見せて、
また再び来たいと思わせるためのコツなど、
どのような分野にでも当てはまります。音楽などのライブでも、芝居でも、
サーカスでも、何にでも当てはまります。

先に紹介した一節、
「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」というのもそのようなものです。

その前に、「花」という言葉ですが、これは世阿弥自身、広範囲に、
様々な意味で使っています。そのひとつとして、
「花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり」と言っています。
人が舞台で発見する「珍しさ」、この感動が花であり「面白さ」である。
つまり、「花」と「珍しさ」と「面白さ」、この三つは全く同じものであると
言っているのです。

そして、


ただ珍しさが花ぞと皆人知るならば、
さては珍しきことあるべしと思ひ設けたらん見物衆の前にては、
たとひ珍しきことをするとも、見手の心に珍しき感はあるべからず。
見る人のため花ぞとも知らでこそ、為手の花にはなるべけれ。
されば見る人は、ただ思ひのほかに面白き上手とばかり見て、
これは花ぞとも知らぬが、為手の花なり。
さるほどに人の心に思ひも寄らぬ感を催す手だて、これ花なり。


つまり、「意外性が感動である」と観客が知ってしまえば、
その効果は激減すると言っています。
ここで重要なことは、「感動とはそのような心のメカニズムで起こるのだ」
という原理を観客に知られてはまずいということなのです。
観客が予想もしていなかったときに、ふと予想外のことを見せると、
観客は驚き、感動します。意外性など期待していないときに、
そして演技者の側も、意外なことなど起こすつもりはまったくないと
いうような態度のなかで、ふと予想外のことを起こすと、観客は感動します。
観客が「何か珍しいものが見られる」と、最初から期待しているのでは、
意外性の効果はそれほどありません。

「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」は
古今東西、共通ですが、これが観客を驚かせる秘訣であると、
観客に知られることなく使ってこそ、はじめて威力を発揮するのでしょう。





© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: