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隠れ家近くの京都一周トレイルを極々一部を歩き新しい発見が3つありました。まずひとつは杉の切り株から立派に成長した竹です。古い株から新しい芽がでて成長するものを『ひこばえ』と言いますが、字は『蘖』と一字で書くことを初めて知りました。 この字に出くわしても読めませんし、見ながらでも書くことも出来ません。 もちろん写真の竹は『蘖』ではありませんが・・・・何か『蘖』を連想してしまったことからこんな字を知ることになりました。こんな切り株を見つけた事と、こんな難しい字があることを知ったことでふたつの新発見です。もう一つは住宅地から一周トレイルに入りますと・・・・・ 直ぐ東山のこんな自然の中を通るのですが・・・・山道に入って直ぐこんな案内が立っていました。 豊臣秀吉の墓のある阿弥陀ケ峰が『京女鳥部の森』と言われるようになっていました。 アップしますと・・・京女(京都女子大)の直ぐ裏山では有りますが、勝手にこんな立て札を立てて????と思ったのですが・・・ ネットで京都女子大のホームページを調べて見ますと森林管理局のお墨付きがあることを知りました。 http://www2.kyoto-wu.ac.jp/detail.cgi?target=6&news_id=358案内図の阿弥陀ケ峰と表示されている所が豊臣秀吉のお墓がある山頂なのですがお墓のことを何も書いていないのがちょっと不親切だと思うのですが・・・・ 豊臣秀吉のお墓の周辺が『京女鳥部の森』なんて名付けられたのは知る人ぞ知る、で私には新発見でした。
2013.01.31
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孫の高校入試合格願いのお守りを頂きに錦天満宮に行ってきました。錦の商店街の東の端が天神さんです。本殿手前右に見えますのが、天神さんのシンボルの牛です。(北野天神にも同じものがあります) アップしますとこの様に頭がピカピカに光っています。お参りの人がみんな願いが叶うように頭を撫でるからです。 ご利益がありますようにと頂いたお守りはこれです。所で、帰りに三条大橋西詰めの弥次喜多像の前を通ったのですが・・・・こんな案内があり・・・・ 立派な石があるのですが、新しいからでもあるのでしょうが、余り撫でられた形跡がありません。 天神さんへの勉学のお願いや、わら天神の安産願いは凄い数なのですが、弥次喜多さんへの旅の安全祈願は余り人気が無いようです。
2013.01.30
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またまた映画のことで恐縮ですが、吉永小百合の『キューポラのある街』を初めて見てきました。 昔から有名な映画であること、吉永小百合主演と言うことでいつもは空いている約170人余の座席の会場も今日は満席に近い状態でした。 51年前の画面の世相は、白黒テレビの画面に先日亡くなった横綱大鵬の相撲、植木等のスーダラ節、在日朝鮮人の方の北朝鮮への帰還画面、そして川口市の鋳物の町工場とそれに代わる大手電気メーカー(日立武蔵)の沢山の若い女工さんの活気等でした。沢山の女工さんが昔の制服で並んで作業する姿は正に現在の中国の工場を見るようでした。見終わった後の感想はまたまた『昔の映画は良かった』でした。
2013.01.29
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昨日の続きです。東福寺の塔頭で門の上で外からはみ出した紅葉がきれいなこのお寺、明暗寺は前をいつも通りながら紅葉に見とれて中を除く事はなかったのですが・・・・・尺八道場のお寺とかいてあるのですが、中を覗くとこんな石碑が立っていました。 初めて見た言葉なのですが調べてみると座禅に対して吹禅と言う言葉があるのですね少し歩いて清水焼の窯元の多い町に入りますと・・・地元でありながら初めて足を踏み入れて町なのですがこんなお地蔵さんがありました。 六地蔵でなく13地蔵とでも言うのでしようか、上には町内の案内板があり家を探す人は自然に頭を下げるのでしょう。
2013.01.28
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暫く歩いていませんでしたので今日は少し歩こうと・・・・・。 日頃は京阪電車を七条駅で下りるのですが、今日は二つ手前の駅から歩くことにしました。駅近くの鳥羽街道のプータローさんが居られれば表敬しようと家の前を通ったのですが、マイカーが無いためお留守だろうとパスして東福寺に向かいました。いつも通るこの門もシーズンオフではこの通り人影もありませんて゜した。いつも何気なく通っている門も桃山時代からのもので重要文化財です。そしてさすが東福寺塔頭のガレージ横は今も紅葉の名残りの絨緞が残っていました。シーズンには人人人の臥雲橋へ向かう道も・・・観光客でなく、地元の人のウオーキング道でした。 この季節の臥雲橋からの通天橋の眺めは何回も紹介しましたが・・・・もう一度・・・・。橋の内部はこうなっています。シーズンオフでもやはり女の子ひとり・・・・そして暫く歩くと…先日共に新年会をしたウオーキング中の中学同窓生に遭い、立ち話し・・・別れたあと、後ろ姿をパチリ。 ということで久しぶりに11,800歩の歩きを達成出来ました。
2013.01.27
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昨日は今年最後の新年会は高校同窓生の集りでした。毎年恒例の二条城近くのここ、二伝 http://niden.jp/ でした。 今回は10人(男9人女1人)の参加で相変わらずワイワイガヤガヤ、まだしゃべり足らない有志4人は二次会の延長戦が有り、5時の開始から大変遅い帰宅となりました。ここ二伝は正月に行きますと毎年干支の竹細工をもらえるのが楽しみなのですが、今年は・・・・・ 勿論こんな巳でした。
2013.01.26
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石原慎太郎の太陽の季節の映画を見てきました。昭和31年の映画ですから57年前の映画ということになります。当時の世相、風景を観ることには意義がありましたが、昔の評判のわりには私には良い映画を観たという実感がありませんでした。面白かったのは主演が結婚前の長門裕之・南田洋子であり、石原裕次がちょい役で有ったことでした。 また、元東京都知事、石原慎太郎日本維新の会代表がワンシーン、ワンセリフで出演していたことも今との対比で面白かったです。 当たり前のことですがみんなみんな若かった・・・・。 主演に名が挙がっている4人のうち3人は今は亡き人であることに57年の年月を感じます。もう一人長門裕之の兄役で出ていた三島耕は全く忘れていた名前でしたが、画面で見た顔は見覚えのある俳優でした。 『あの人は今??』ではないですが本当に長~く見たこと事ない俳優でしたのでネットで調べたのですが・…出演映画等は検索出来たのですが、消息は分かりませんでした。ギターを持った渡り鳥シリーズは数本観た記憶がありますがパスです。
2013.01.24
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今日は中学同窓生の新年会でした。女性6人、男性12人の計18人が集まり約4時間ワイワイガヤガヤやって来ました。〇〇さんは参加資格が無いという話が出て『なぜ??』となったのですが・・・・。 答えは、まだ現役の為『ヒマ人仲間』ではなということでした。とは言え、同時に学校を卒業し仕事の卒業は、多少の早い遅いは有りますが身体は別にしてみんな相変わらず口は達者でした。そして次は高校同窓生の新年会を最後に一月が終わる予定です。
2013.01.23
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1/10のブログに書きました日活の古い映画の内、一昨日昭和30年のこの映画を観てきました。 この映画は磐梯山の麓の警察署が舞台のモノクロの映画です。 この映画は子供の頃た映画で詳しい内容は憶えていなかったのですが、♪♪会津磐梯山は宝の山よ~♪♪ の歌とともに磐梯山の景色が何回も出て来る、節々の場面が未だに記憶に残っていた映画でした。 是非もう一度と思って観たのですが・・・世の中が貧しい時代のほのぼのとした人間関係が描かれたやはり素晴らしい映画でした。58年前の映画ですから出演している俳優がびっくりするほど若いのは当たり前ですが、左端の宍戸錠の若さと、右下に写っている二木てるみの可愛さと涙ぐむ演技にうっとりして、昔の映画は良いなあと再認識したのは歳とったせいだけではないと思うのですが・・・。
2013.01.22
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昨日の続きです。3日目はJRで沼津から由比まで移動しました。 駅前にはこの辺りの名物、さくらえびの看板があるのですが、この通りは旧東海道53次の街道で以前に歩いて通った道でした。 駅前からタクシーに分乗し目的の浜石岳中腹まで移動して登山開始したのですが頂上に近付きますとうっすらと雪景色で・・・・。快晴の頂上は・・・・・ こんな感じで3日目にして富士山と対面出来ました。(2日目にJRの中からは見ましたが) アップしますと・・・・・。 南の駿河湾の方向は太陽光線が反射してこんな景色でした。 360度のパノラマは遠く南アルプスが・・・・中央左の三角に見える山は富士山の次に高い100名山の北岳です。 頂上から長い下りを薩埵(さった)峠まで下りますと・・・東海道53次歩きのガイドブックの表紙を飾るこの景色です。東名高速、国道1号線が走っています。 この薩埵(さった)峠は安藤広重の由比宿に取りあげられてこの様に描かれておりこんな立て札が立っていました。 そして富士山の右に見えるのは、富士山をもっと近くに眺られる越前岳の山並みです。(数年前この山からも富士山を眺めたことがあります)ということで最後に素晴らしい富士山と対面して満足して帰路につきました。
2013.01.21
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昨日の続きです。 二日目は沼津アルプスの縦走でした。2日目も天気は良かったのですが一層温かく、登山開始が午後近くなるので富士山が見えないのでは??と危惧した通りとなりました。 焼津駅からJR東海道線で約1時間余の移動で沼津に向かいました。 途中JRの窓からはこの様に富士山が見えたのですが・・・。 沼津駅から30分程バスに乗り・・・・・登山開始が10時半を回っていましたので悪い予感がしたのですがやはり・・・。昨日は茶畑の中の登山でしたが、今日はミカン畑や・・・・・、 和歌山のように備長炭の材料のウバメ樫の林の中の登山が続きました。沼津アルプスは最高峰がこの『わしず山』の392mという低い山並みなのですが、ノコギリの歯の様なアップダウンが続くハードな登山でした。駿河湾の付け根であるため、駿河湾から伊豆半島方面を眺めながらの登山だったのですが・・・・・ 、肝心の駿河湾越しの富士山は・・・・とうとう一度も顔を出さず、またまたこの様であったのだろうと想像するばかりでした。街並みは沼津市です。富士山を諦め、汗をかきながらの登山を終わり、沼津のビジネスホテルで3日目に備えました。 3日目はついに最高の富士山と対面することが出来ましたが明日に書かして頂きます。 長く引っ張ってすみません。
2013.01.20
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2箔3日でいつもの大阪(2人)、和歌山、千葉、浜松の5人のメンバーで静岡県へ『富士山を眺める登山』に行ってきました。 まず一日目は焼津駅近くの満観峰という富士山を見るのに絶好の山へ向かいました。 新幹線で静岡まで、在来線で2駅引き返し焼津駅で集合、タクシーに分乗し登山口へ。 出発前、関東地方の雪と寒さの報道が有ったので寒さ対策は万全に、アイゼンまで持って出かけたのですが、さすが温暖な静岡、寒さより暑さに着ている服を一枚づつ脱いで行く登山となりました。温かい日は空気が熱っせられ水蒸気が上に上がり、午後には眺望が悪くなるのが常なのですが、今回も正に午後からの登山となり・・・・・恐れていたいた通りと言うか、予想通りというか天気は良いのに・・・・・富士山が真正面に見える(らしい)頂上では富士山が全く顔を出してくれませんでした。多分この様に見えるはずだったのですが・・・・。 この満観峰は東名高速道路にも新幹線にもある長い日本坂トンネルの上の山でした。登山道には茶畑もあり・・・・ 西を向くと・・・遠く焼津の町と海岸線が見え・・・・東を見ると静岡市と日本平も良く見えたのですが・・・・・。 肝心の富士山を眺める事が出来ず、下山し、山の麓、断崖のような海の近くの・・・かんぽの宿焼津がこの夜の宿でした。天然黒潮温泉という温泉は海の近くということでしょっぱい温泉でした。 部屋からの眺めはこの様に最高で、明日、富士山に会えることを楽しみに1日目を終わりました。 富士山を報告出来ない一日目でしたが、懲りずに明日書きます続きを見てください。
2013.01.19
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毎年アチコチにお参りして貰ったお札や、お参りに行かないで何等かの縁で貰ったお札を壁に貼っているのですが、今年の顔ぶれはこの様になりました。並べておくのは礼を失しているのかも知れませんが・・・・・ 毎年火の用心のための愛宕神社のお札を飾っているのですが、今年は狸谷不動尊のお札にも火についての御利益があるようなので代わりになってもらっています。
2013.01.15
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昨日は三十三間堂の通し矢の日でした。 周辺には朝早くからたくさんの晴れ着に袴姿の出場選手がうろうろしているはずなのですが生憎他の予定が有ってその景色を見られませんでした。 午後三時過ぎになってから近くを通りますと・・・・・ 戦い(?)済んで、多分写真撮影も済まし元の姿にかえった、この様な光景が散見されました。 長い弓を持ってバスに乗るのは大変でしょうね??成人の日はスライド制で毎年日が変わり通し矢の日も毎年変わりますが・・・・ ここ智積院の成人式は15日固定のようです。 この方がすっきりするのですが・・・・。
2013.01.14
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ホウキグサ(箒草)を御存知でしょうか??いつも竹材をもらっている稲荷山の仙人さんからこの手づくり箒をもらいました。 お手のものの竹の部分はさておき、掃く部分が天然のほうき草製なのです。 畑で栽培したほうき草を何本も束にして結わえたもので庭のコケの落ち葉掃除にともらったのですが・・・・ソフトなタッチでウッドデッキの塗装をしようとデッキの上の掃除にも役立ちました。 ついでながらこのウッドデッキは近所に住む娘の家に数年前我流で作ったものなのですが・・・・ 塗りなおしまして・・・この様にきれいになりました。(模様のように見えるのは木の陰です)
2013.01.12
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大河ドラマの平清盛が続いている間に紹介しようと思いながら、その町をいくら探しても町名表示板がどうしても見当たらず断念していたのですが・・・・軒下ばかり探していたのが間違いでした。探すでもなしにぶらりと歩いていますとこんな案内板がありました。 ここに書かれている『三盛町(みつもり)』を紹介しようと思っていたのです・・・・・。 この地に屋敷を構えていた平氏一門の清盛・頼盛・教盛の三兄弟の名からついた町名らしいです。 話は変わりますが・・・・・嵐の前の静けさとはこう言うことを言うのでしょうか???明後日の13日には通し矢出場の若い男女の着物姿や見物客、観光バスでごったかえす三十三間堂の駐車場が・・・・こんな状態でした。 通し矢に関係なくともこんなにひっそりしている三十三間堂も珍しいので写真に収めてきました。 ついでながら13日の通し矢の日は日頃600円の入場料が無料です。
2013.01.11
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今までに京都文化博物館のフィルムシアターで上演される古い映画を観て当ブログに書いて来ました。その後、書きませんでしたのは、観に行かなかったからなのです。 何故かと言いますと極めて古い戦前の映画の特集が続いて観る気になれなかったからです。 所が張り出された1月の上演案内はこうなっていました。 観たい映画や観たけれどもう一度観たい映画が・・・・ 少なくとも幾つかは観に行くことになりそうです。
2013.01.10
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今回は京都らしい商売をされている家です。この家は・・・・・ 見ての通り珠数屋さんです。 この家は、清水焼の窯元です。そしてこの家は・・・・・ 普通の民家でした。 前回載せたのと同様、立派で駒寄せ、格子に圧倒されます。
2013.01.09
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前回書き忘れましたが新子安~保土ヶ谷までは6,800歩、約4.8kmの歩きでした。 そして20日後に続きの保土ヶ谷から国府津に挑戦しました。夜行バスで京都から戸塚まで行き、戸塚からJRで前回終了した保土ヶ谷まで移動し駅前からのスタートし、茅ヶ崎まで36,700歩、約22.6kmを歩き1泊し、翌日国府津まで30,700歩、約21.5kmの歩きでした。 スタートして直ぐ保土ヶ谷宿本陣跡を通り・・・ 箱根駅伝の難所で有名な権太坂では・・・駅伝で走る1号線と旧道の分岐を間違い、かなりの距離引返し旧道へ戻るロスもありました。旧道はそれはそれは細い道でした。そして武蔵の国から相模に入り・・・・順調に戸塚宿を過ぎ・・・・ 藤沢を過ぎ茅ヶ崎では相方のコネで某電器メーカーの保養所で一泊し・・・・翌日相模川を越えると平塚市です。街道筋にはこんな茅葺の家も残っていました。平塚宿を過ぎ・・・・ 大磯に入ると・・・・京都の洛柿舎、滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場とかの『鴫立庵』(しぎたつあん)と言う立派な建物を見学し・・・・ 松並木を通り・・・・ 大磯では吉田茂邸から海に回りますとこんな銅像が有りました。そうして黙々と歩き東海道沿いにあるJR国府津駅で歩きを終わりました。 先を急がないヒマ人の旅はまたまた在来線で京都まで帰り・・・・ 車中泊を含む2泊3日の旅(歩きは2日)で約44km京都へ近付きました。次回は駅伝ではないですが、いよいよ箱根八里越えです。
2013.01.08
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1/4の続きです。前回書きました内容は下の画像記録から抜粋です。 アップしますとこんな文章で記録をスタートしていました。 さて翌日は川崎のホテルから京急で新子安駅まで戻り駅前から西へ向かいスタートしました。新子安駅から程なく『神奈川宿』で・・・・・ 坂道にf今も昔ながらの料理旅館が2軒有り、この旅館の看板にはちょっと読み難いですが文久3年と書かれていました。 しかしこの2軒の旅館以外はマンション街と化していました。 直ぐ近くにはこんな石碑と案内が有りました。 アップしますと港が見える坂道だったようです。昔の面影が偲ばれます。 そして程なく街道の分岐・追分です。 そして相鉄天王町駅を過ぎると『保土ヶ谷宿』です。 宿場跡をまっすぐ行くとJR保土ヶ谷駅でした。当初の計画では戸塚宿まで歩く予定でしたが、雨が降り出したため、予定変更ここで断念してJRで帰路につきました。 途中断念で時間が早かったため、保土ヶ谷から京都まで在来線の旅でした。 今回は5/4~5/6の行程でしたが、次は20日後の5/26~5/28に保土ヶ谷から国府津まで歩来ました。 そのことは次に書かして頂きます。
2013.01.07
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三十三間堂で行われる通し矢は成人の日の15日と決まっていました。 いつからでしたか、連休を作るために祭日がスライド制になった為成人の日が固定された日でなくなりました。その三十三間堂の前を通りますとこの看板が・・・・・良く見ますと・・・・日にちが貼りかえるようになっていました。 昔はこんな手間なことせずに15日とだけ書いておけば良かったのにご苦労様なことです。 我々も通し矢と言えば15日という頭でいますのでスライド制になってからはどうもややこしいことになり、なかなかピンときません。と言うことで13日は他の予定を入れたため通し矢に行けませんので昨年のブログに載せた通し矢の日の写真を載せさせてもらいます。上段左は参加者のリストで、殆どが全国の大学弓部別にリストアップされています。 アマチュアカメラマンはどうしても女学生の着物袴姿の方に集まり、男の学生は可哀相なものです。
2013.01.05
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第一回の東海道53次歩きは初日、も平成18年5/5夜行バスで東京へ、朝7:10に日本橋をスタートして品川宿、川崎宿、そして川崎のビジネスホテルで一泊し翌日神奈川宿を通過し保土ヶ谷宿で終了しました。 まず日本橋の道路の真ん中にある道路元標を踏んでスタートし、京橋でこんな碑を見て・・・・ 江戸の出口『高輪の大木戸跡』を通り・・・・昔は旅立つ人をここまで送り、別れの水盃を交わしたとか。 赤穂浪士で有名な泉岳寺は東海道からちょっと入ったところ。 幡随院長兵衛の『お若えのお待ちなせい・・・』のセリフで有名なここで小休止。多摩川の六郷の渡しで弁当を食べ橋を渡ると・・・・いよいよ神奈川県、川崎宿は六郷の渡しから直ぐです。 芭蕉の麦の別れの句碑を見て・・・・幕末島津久永の行列の前を馬に乗って横切ろうとしたイギリス人が薩摩藩士に切りつけられたことで有名な『生麦事件』があった場所を通り・・・。第一日目の歩きは15:43京急新子安駅で終了しました。 歩数37300歩、約26.1kmの歩きでした。 計画では川崎宿で終了予定で川崎駅前にホテルを予約していたため、ここから京急で川崎までバックしてビジネスホテルで泊り明日に備えました。歩いていて感じたことは・…東京の交番には必ず警官がいて、交番の前に立っている姿もかなり見かけました。 警官の居ない交番を多く見かける関西では考えられないことでした。続きます。
2013.01.04
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正月の2.3日は箱根駅伝の中継で日本橋から箱根までの景色が中継され、レースを見ると同時に映し出される景色を懐かしく見ていました。と言いますのは、友人から誘われ 2006/5~2007/12に旧東海道53次を東京日本橋から京都三条大橋まで23回(延べ27日間)で歩いたことがあるのです。 正に二人での弥次喜多道中でした。そこで、残していた記録(紙とデーター)で順に紹介させて貰おうと思います 当時は勿論ブログをしていなかったので撮った写真の枚数が少なく、記念写真が殆どが人間(私)が写っているものが大半でしたので人間を消してアップさせて頂くものが多くなりますがご容赦の程お願いします。 長くなると思いますがお付き合い頂ければ幸甚です。記録として残したものの表紙がこれなのですが・・(終了日が遅れて修正しています)一回毎の記録に安藤広重の絵も載せています。全行程の総括表がこれです。アップしますと・・・・使った交通機関、歩いた歩数等かなり詳しく書いています。と言うことで第1回は京都から東京まで夜行バスで行きこの『お江戸日本橋』の・・・・(白い部分は人間を消した箇所です) 道路に埋め込まれたこの道路元標からスタートしました。続きを折に触れ書かして貰おうと思いますのでよろしくお願いします。
2013.01.03
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我が家で正月恒例にすることは3つあります。ひとつは全員揃って記念撮影、もうひとつは近所の氏神さんへの初詣です。 有名な神社ではなく地元の人だけで人が少なくこの通りです。そして最大のイベントが竹筒貯金箱割りです。孫たちが全員で竹を割り・・・・ お金を取り出し・・・・ 金種ごとにに仕分けをして・・・・・。 3家族に分配です。 今年は少ないかと心配したのですが1軒当たり 24,779円の配当があり貰った方はお年玉に加算で大満足、貯めたじーちゃんばーちゃんも一応メンツが保たれました。(お年玉は孫たちのものとし、このお金は親たちが吸い上げているようです) 因みに昨年の正月は・・・・・なんとなんとほぼ同じ金額でした。 もう一年遡り、一昨年は84、018円で一家族当たり28,006円でした。 1年間じーちゃんばーちゃんが無意識に入れているお金も結果的にはほぼ同額になるとは?????そして今年もまた、先日貰った新しい竹筒に1年間つこつと貯めて行かねばならないのです。
2013.01.02
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明けましておめでとうございます。 旧年中は拙いブログにお付き合いいただきましてありがとうございました。 今年よろしくお願い致します。ところで正月のお雑煮の事ですが、地域に依って白みそであったり、澄ましであったり、お餅が丸であったり角であったり、焼いたり、焼かなかったり、入れる具もそれぞれに違うようです。我が家のお雑煮はこんなのです。 白みそに焼かない丸餅、具はエビ芋、大根、金時人参、色どりに菜の花、そしてカツオをトッピングします。皆様のお宅では如何でしようか???
2013.01.01
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