全26件 (26件中 1-26件目)
1

6月30日と言えば・・・今年も丁度半分を過ぎたことになり夏越しの祓の日です。いつも京都新聞の季節ごとの記事を、「定番記事」なんて書いていますが、夏越しの祓は当ブログでも定番記事で毎年書いていますがも今年もお付き合いください。先ず夏越しの祓とは・・・・netで借りますと、こういう事です。夏越の祓とは、1年の半分にあたる6月30日に、半年の間に身に溜まった穢れを落とし、残り半年の息災を祈願する神事です。神社には人の背たけよりも大きな茅の輪が据えられ、参拝者はここをくぐって厄除けを行います。・・・・で、今年も新日吉(いまひえ) 神宮へ行って来ました。立派な楼門をくぐりますが・・・楼門からも・・・拝殿越しに茅の輪が見えています。拝殿の前に立つと・・・立派な茅の輪が・・・説明書き通り、3回くぐって・・・階段を上がり・・・・本殿でお参りし、残り半年の無病息災を祈りました。・・・と書きたいところですが、色々の病もちの身としては「無病」は無理なので「息災」である事を祈って来ました。お祈りをして、振り返るとこんな光景です。更に、この楼門をくぐって帰って来ました。ここでひとつお断りが有ります。有名な行事なのに、全ての写真に人っ子ひとり写っていません。・・・・・実は、今日(6/30) は/都合が悪いので、昨日様子を見に行くと、既に茅の輪が立てて有って準備が整っていたので・・・・前日の昨日(6/29)にお参りして来たのでした。
2025.06.30
コメント(10)

過去のブログを紐解きますと・・・・2015.12.21に門の前にこの様に敷石をして隙間タマリュウを植えたことを書いていました。その後10年経過する間に、タマリュウはほゞ消滅し、駐車時にタイヤの動きで敷石がズレてこんな状態になっていたことも書きましたが・・・・今年の5/30のブログで敷石のズレをこの様に修正?? したことも書きました。その時・・・「あとは所々セメントで固めて、砂利を敷くだけ」と書いていたのですが、設計?? を変えて隙間に石を詰めることにしました。前から拾って来てアチコチに使っていた石がかなりあったのですが、それだけでは勿論足りず、何日もかけて拾って来た石を順次埋めて行き・・・ほゞ全ての隙間を埋めることが出来ました。これだと見た目と敷石がズレることもまずない筈なので一石二鳥の対策が出来ました。何故そんなに石が拾えるのかと言いますと・・・昔々(私が子供の頃) 国鉄の東海道線の東山トンネル線路増設工事でトンネル現場から掘り出した土砂の捨て場だったので岩を砕いた様な石が沢山転がっているところが有るのです。
2025.06.29
コメント(6)

京都新聞にこんな「京うちわ」の記事? が載りました。京都の扇子は有名ですが、装飾用のうちわも昔は良く飾られたものでした。この記事が載ったのでそんなことを書こうと思っていた矢先に何と言うタイミング!!!姉の家の断捨離の一環でこのうちわを貰ったのです。装飾用ですので随分大きいのです(比較のためスマホを置きました)V字型のものは装飾用フックです。実は昔から我が家にもこんなうちわが有るのですが、幾ら何でも6月から大文字のうちわを飾る訳には行きません。・・・・で、大文字のうちわを飾るのまでにまずこのうちわを飾りました。カワセミの季節はいつなのか知りませんが、全体の色からして今にピッタリ!!!8月なればこう飾るつもりです。簾戸と御簾と涼しげなうちわで「自然の涼」を感じるお膳立ては出来ました。因みに、このうちわの記事の会社ですが、1月に小野小町を訪ねて随心院へ行った時にその前を通って来たばかりなのです。
2025.06.28
コメント(8)

前にも書きましたが、勝手に落ちた種や移植した苗から成長した青じそが庭のアチコチに、無尽蔵?? に生えています。切り取って貰って貰ったり、わが家で色々の料理の使っていて、そんなことを先日青じそづくしとしてブログに書きましたが (ここ) ・・・・。今回はまた違う使い方での消化?? を・・・。これだけの青じそを・・・お好み焼きに混ぜました。初めてのことで味を想像できなかったのですが・・・・ばっちり。実に美味しいお好み焼きになりました。青じそのある間にまだ2回はこれをすることになりそうです。それから別の日に・・・ハンバーグにも・・・これでは分かりませんので・・・・、食べている途中を撮りと・・・これも「青じそハンバーグ??」で青じそのある間の定番料理になりそうです。葉をそのまま食べるなら虫食いの無い奇麗な葉を収穫しないといけませんが、これらの料理はきざむので多少虫食いが有っても大丈夫なんです。それからサラダに混ぜるのははしょっちゅうです。
2025.06.27
コメント(6)

夏を迎え、建具替えをしました。毎年書いているテーマですが・・・・この障子を簾戸に替えます。この写真の右側は・・・襖なのですが・・・・昔は簾戸に替えてたのですが、今、襖の向こうはエアコンゾーンなので最近は簾戸に替えず襖のままにしています。・・・作業開始・・・ 今から書くすべての作業は一人で大体30分余りの仕事です。・・・・でこの面は完了。右側は襖のままです。そして、簾戸に替えた反対側は障子ではなく襖なのですが・・・替えるのは御簾です。手前一番左が襖のままなのは・・・・御簾がこの様にばらけてしまったのです。何しろ89年前のモノなので編んでいる糸が退化してしまうのも当然です。上の写真の椅子から撮ると、こうなります。座敷を終わると次は玄関の衝立です。下の足を外して・・・交換です。・・・で、作業が完了です。秋になれば・・・この作業の逆の作業を行います。
2025.06.26
コメント(4)

今年の水無月は老舗のこの店へ・・・昔は細い通りの大和大路に有ったのですが、今は五条通りに面しています。梅雨で雨の多い6月を「水無月」と言うのは・・・netでお借りすると、こういう事です。さて買って帰ったのは我が家の分も合わせて6軒分。帰り道で届けた家が有って我が家に待ち帰ったのは4軒分でした。生菓子ですのでその日のうちに・・・。水無月を食べて無病息災を祈り・・・・夏越しの祓に行って「半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願すれば完璧」と言う事で 次は6/30に夏越しの祓に行かないと・・・・。
2025.06.25
コメント(2)

前に書きましたず、6/22の妙法院の仏教文化講座「小野小町と随心院」を聴講して来ました。妙法院と言えば門跡寺院の格と、三十三間堂の凄い観光収入がある(はず) の天台宗の立派な寺院ですが・・・・その一部である三十三間堂は余りにも有名なのに、常の妙法院は まず訪れる人と出会わない静寂の寺院ですが・・・この日ばかりはゾロゾロと・・・講座はこの建物の2階、畳敷の部屋で行われます。20分前に行ったのに最前列には座れませんでした。先ず最初に講師の経歴と紹介があり・・・(講師は随心院の住職)立派な資料を貰い、分かり易い講義が始まりました。この資料は裏表ぎっしりでした。1月に随心院を訪れた時これらは見たので記憶と結びつけて聴きました。小野小町の伝承地は33都府県、260ヶ所以上あるらしく、ハッキリしない事ばかりなのですが、秋田県で生まれであることは比較的はっきりしているようです。・・・が、あの小野篁の孫であると言う伝説は?? の様です。54代仁明天皇の更衣であったとも、55代文徳天皇の更衣であったとも伝わり父親が身分の高くない天皇の后を更衣という事の説明を聞きなるほど・・・・深草の中将が小野小町に100日訪れてくれたら付き合うと言われ99日目に凍死したした話で、カレンダー無かった時代何で日にちを数えたか・・・・と言うところで1月に訪れて見たカヤの実で数えた・・・云々の説明もありました(笑)水戸黄門が本名でない様に小野小町も本名でない事の説明も・・・昔は本名を名乗ると呪われると言われたとか。黄門と小町の意味の説明も有りました。・・・・これらの話をレシピ通りにたっぷり、きっちり1時間30分で終わられたのはさすがと思いました。尚冒頭の資料は裏もあるぎっしりのものでした。感想は・・・・小野小町が少し分かった気がして聴きに行った良かった・・・です。1月に随心院を訪れたブログと安楽寺を訪れた時のブログとこのブログを「小野小町」のカテゴリーを作り纏めましたのでもしおよろしければ覗いて下さい。長くなりますが・・・追記です。仁明天皇と文徳天皇の御陵ついて・・・・祖父と父で回ったこの昭和7年の皇陵参拝記念帳、私も以前に残っていたところの朱印を貰いに回ったことを書きましたが・・・出して来て見ると・・・このお2人の天皇陵は祖父か父が回って御朱印を貰っていました。私は行っていないので、俄然行く気になったのですが・・・・
2025.06.24
コメント(6)

前に友達の家で繁殖し過ぎた半夏生の苗を貰うと書きましたが・・・・・・・貰いに行って来ました。行った時に友達が掘り起こしててくれたのです。これなのですが・・・・まず前に、庭の石をベンチにする為にプロに移動と向きを変えて貰ったことを書きました石の後ろに植えることにしました。今回は2枚だけ残っていた瓦を先に埋めました。そして貰って来た半夏生を植えました。植えた時は萎れていましたが水やりをして、翌日には生き返った様にピンと立ちました。 繁殖力の強いドクダミ科なので当然かも??残った半夏生は植木鉢に仮植えしました。隣の角の植木鉢は半夏生にくっ付いて来たシャガです。両方とも後日また他の場所に定植するつもりです。こんなことを書こうと思っていましたら、何と言うタイミング・・・・・今日の京都新聞にこんな両足院の記事が載っていました。何回も書いていますが、アジサイは宇治の三室戸寺、沙羅双樹の花は妙心寺東林院、そして半夏生はここ両足院が代名詞でそれぞれの見頃には京都新聞の定番記事であります。
2025.06.21
コメント(6)

昨今の灼熱の太陽の下、歩くのは大変です。私は・・・・ずっと前から帽子にサングラスは常に着していたのですが、さて数年前から日傘も常用するようになりました。その日傘をもう一本買って来てもらったのですが・・・・袋にはsun and rain なんて格好良く英語で書かれていたのですが・・・・ついていたラベルと柄を覆っていたビニールに・・・・「晴雨兼用」ではなく「雨晴兼用」と書いてあるのです。何??? 晴雨兼用なら分かるけど 雨晴兼用 なんて聞いたこと無い、誤植では??と私は思いました。それで念のために調べると・・・私が無知だったようで・・・傘には雨傘、日傘 に雨晴兼用 と 晴雨兼用 の4種類があると書かれていました。私は雨晴兼用なんて初めて知ったのです。雨傘をメイン使用としながら日傘としても使えるのが・・・・雨晴兼用日傘をメイン使用としながら雨の日にも使えるのが・・・・・晴雨兼用とか。私の傘は 日傘として使う目的なのに、雨の日の使用がメインの傘を買ってくれたことになりました。(笑)性能がどれだけ違うのか分かりませんが・・・・。
2025.06.20
コメント(6)

1/15のブログにに、妻が友達に薦められて少しだけ貰った陀羅尼助が何か効きそう・・・と初めて買ったことを書きました。1/15のブログはここをその後、私はすっかりそんなことを忘れていたのですが・・・今日宅配便受取り、何?? と思ったら・・・又々陀羅尼助が配達されたのでした。訊くと・・・・ずっと飲んでいて胃腸の調子が良いので又注文したとのこと。前回の分で半年もったことになります。長い年月廃れずに広く販売され、飲み続けられているのはこういう事か・・・と改めて感心したのでした。
2025.06.19
コメント(6)

菊池寛の小説ではないですが・・・56年前に鬼籍に入った父が、毎年お盆の頃にシオカラトンボに身を変えて帰って来て、庭や家の中に入って「視察?? 点検??」などすることは書いて来ましたが・・・・何んと何んと・・・・今年は早やばやと帰って来てくれて・・・ことしはベンチに止まって・・・(分かりますか右下の方ですが)じっと半夏生を見てくれていたのです。今年は半夏生が奇麗に化粧したことを何回も書いたのが伝わったのかなぁ?? (笑)
2025.06.18
コメント(10)

我が家の半夏生ですが、6/5にこの写真を載せて化粧を始めましたと書きましたが・・・・その後順調に化粧をしてこの様に見頃になりました。去年までの余り密集していなかった時とは比べ物にならない程の化粧映え? です。近々友達に追加の苗を貰って植える事になっているのですが、何処に植えるか?? なんて、俄然やる気が出て来ました。それから先日祇園祭りが長丁場で有ると書きましたが・・・京都新聞にこんな記事が載りました。毎年「くじ取らず」で先頭を行く長刀鉾でしめ縄切りをするお稚児さんの「結納の儀」の様子です。人間のお稚児さんが乗るのは唯一長刀鉾だけ。しめ縄切りは、確か麩屋町辺りで行われます。宵山、くじ改め、しめ縄切り、辻回し、そして最後に鉾が細い新町通りを進む迫力・・・前にも書いていますが祇園祭りの私のお薦めシーンです。
2025.06.17
コメント(6)

長年京都に住んでいますと・・・市内の道は大体知ってるつもりでいました。ところが先日、仁和寺・竜安寺の裏山の一条天皇陵を参拝したことを書いたブログに東京在住のブロ友さんから・・・「以前に原谷苑 から 仁和寺へ歩きました」とのコメントを頂きました。私の頭の中の地図では原谷から仁和寺へは金閣寺の横を通りきぬかけの路を行く地図しかなかったので・・・得っ!! 山越えのそんな道があるの!!! でした。地図で表しますと・・・赤い線がブロ友さんがおっしゃる道で、黄色の線が私の頭の中に有る道です。そこで、今日、その赤い線の道を探訪?? に行って来ました。初めは上の地図の敷地神社(わら天神) 前のバス停から赤丸の原谷へバスで行くことを考えたのですが、調べると一時間に1本程しか無いので、意を決してJR円町駅から青い線のルートを歩くことにしました。ナビで見ると徒歩で所用時間50分と出たのです。JR円町駅からは市街地をひたすら北上・・・この金閣寺の裏にぶつかる辺りを・・・左折すると予想以上のきついヘトヘトで通過したこの原谷への峠は・・・標高197mも有りました。ここを下って、原谷の街を過ぎて・・・原谷から仁和寺への山道に入ると・・・・昨年の6月に熊が出たのでした。更に峠道を進むと・・・右手に案内板が・・・・近寄って見ますと・・・・なんと、仁和寺の裏山の四国八十八ヶ所巡りへ行ける道でした。(この四国八十八ヶ所巡りについては後述)更に進むと・・・京都市街が見えたのですが・・・場所は特定出来ませんでした。曲くねった山道を下ると見覚えののある景色のここに出ました。(階段の方向から下りて来ました)右方向へ進むと、前述、及び後述する八十八ヶ所巡りの山への登り口なのです。・・・・で、ここからはよく知った道となりました。直ぐあるのが仁和寺の西門です。この門をくぐって・・・振り返ると・・・右手に英語も駆使した八十八ヶ所巡りの大きな案内板です。山を登ると次々と四国八十八ヶ所のお寺の祠が有るのです。こんなに良い眺めも楽しめると言う案内です。右には石柱も・・・。私は今までこの八十八ヶ所巡りを3回したのですが、全て10年以上前のことでした。境内を進みますと・・・あとは写真の羅列です。何んと言っても桜も無いオフシーズンなので、人は疎らでしたがここでもやはり外人さんが多かったです。(小さく写っている人は殆ど外人さんです)ここからJR花園駅まで歩くつもりだったのですが・・・・疲れたのでここから市バスで三条京阪まで出て京阪電車で帰りました。・・・・で、今日の記録は次の通りでした。
2025.06.16
コメント(6)

毎年同じ様なことを書いていますがお付き合いください(去年は行っていませんが(笑))今日は法衣を着たお坊さんが交通整理をしている受付で朱印用紙等書類を貰います。院内のこの5つのお堂をお参りして・・・御朱印を貰います。(これは講堂で御朱印を貰った後の写真です)御朱印を貰うと言っても自分で押印するのですが・・・受付のあとは・・・桔梗が咲いている参道を進み・・・一番最初に利休好みの庭園と言われる庭に面した講堂へ・・・写っているアオサギは偶々飛来したアオサギですが、じっとしていました。大河ドラマ「べらぼう」を 私は見ていないのですが、ここが田沼意次の屋敷の設定でロケが行われたらしくこんなポスターが貼っていました。寺紋の桔梗の幕の向こうは七條通り面したの総門です。そのあとお堂巡りをして・・・全部ご朱印を頂きました。私が行った時は既におねりは済んでおり、護摩焚きの前でした。この杉の葉の山を燃やす訳ですが・・・今日は見ずに帰りました。さの様子は・・・2023年のブログに載せています。ここです。それから訂正が有ります。先日宝物館も無料と書きましたが、有料になっていたらしいです(今年私は宝物館へは行っていないのです)
2025.06.15
コメント(6)

昨日は友達と・・・実に久しぶりに夜の街へ繰り出しました。・・・と言っても店の前に行ったのはまだ明るいうち・・・琵琶湖疎水の直ぐ傍・・・琵琶湖から12kmの東大路丸太町の店でした。出されたビールのグラスと敷いた紙には・・・京都で飲んだことを表わす文字と・・・祇園祭の鉾が描かれた紙が敷かれました。ちょっと分かり難いですが、長刀鉾でなくて・・・月鉾がが描かれていました。確かこの月鉾が数ある鉾の内で一番大きな鉾です。こんな絵を見て否応なしに祇園祭に心は馳せますがまだ1ヶ月先。その前に6/30の夏越しの祓い、そして7月の祇園祭、更に8月の大文字と夏の催しが続きます。祇園祭は前祭り、後祭りと別れて行われるようになったので長丁場になりました。祇園祭の日程と山鉾巡行ルートは・・・ここをところて明日は智積院の青葉まつりです。
2025.06.14
コメント(6)

友達に「風と共に去りぬ」やっているよ と教えてもらって、公開最終日の今日観て来ました。余りにも有名な名作の為殆どの方が観られたか、ご存知の映画だと思います。私も何十年前(50年以上前60年前?) に観ましたが、初めて見る様なものでした。クラーク ゲーブル ビビアン リー主演です。1939年の映画、なんと86年前の映画です。私が生まれるより遥かに昔の映画なのにカラーの綺麗なこと。今の映画並みでした。全231分の長篇映画、予告編や10分の中間の休憩を挟んで・・・10:00分開演で、劇場から出たのは14:15分 延べ4時間15分かかり、字幕の映画でしたがアッと言う間に済んでしまいました。この映画で感動したら、「誰がために鐘はなる」も観たくなれました。イングリッド バーグマンの姿はビビアン リー以上に瞼に焼き付いているのです(笑)
2025.06.12
コメント(8)

我が家の半夏生がついにここまで化粧しました。今年になってこれだけ密集したので化粧映えがします(笑)ところで今日の京都新聞の一面に・・・6/8に書きました東林院の沙羅双樹の記事が載りました。拡大しますと・・・この時期の京都新聞の定番記事なのですが・・・・一面にですよ(笑)正に主役、新聞の一面に載る正に主役の花です。
2025.06.11
コメント(2)

1月に山科の小野小町ゆかりの随心院へ行ってブログにこれらの写真を載せました。4月には哲学の道の安楽寺に小野小町の九相図を見に行きました。九相図は見られませんでしたが、庭園の素晴らしさと住職の説明に感動してブログにこんな写真を載せていました。今年は小野小町に縁が有ると思っても、有名な小野小町なのに詳しい事は知らないのでした。ところが三十三間堂の掲示板に貼ってある、妙法院の仏教文化講座の案内を見ると・・・・・・・でした。これは是非とも聴きに行かないと・・・・無料で勉強させ貰える有難い催しです。
2025.06.10
コメント(2)

つい先日の事なのですが・・・思い立って、コーヒー持参で又々阿弥陀ヶ峰に登りに行きました。この階段の前まで行くと、西洋系外国人女性が階段を見上げたりスマホで写真撮ったりしているのです。(写真に写っている女性なのですが・・・)英会話がからきしダメな私ですが、スマホに残しているこの頂上から見える清水寺等の写真を見せて、こう云う景色が見えると教えてあげました。説明が通じたからか、元々登るつもりだったのか会話が出来ないので分からなかったのですが、笑顔としぐさでで分かったと言ってくれて階段を登り始めました。それが上の写真なのですが・・・。私は山道から登るつもりでしたので階段の右の山道を追いかけるように登り始めました。下の写真の赤線が階段。ブルーの線が私の歩いた軌跡で、登りは左側のルートでした。(黄色矢印は京都女子大)さて、頂上に着くと・・・その女性は既に登っていて、写真を撮っていましたが笑顔で応えてくれました。階段は直線距離ですが、500余段の急な階段なのに階段の方が早かったのです。体力と距離と傾斜角度が微妙に反応するこの登り方の違い、今度は自分で両方のタイムを計ってみるみるか・・・なんて思いました。頂上の右端の木に結わえられていた板は・・・・・・・という高さです。先日登った竜安寺裏の朱山の一条天皇陵が150mだったので豊臣秀吉の墓の方が高いと言う事になります。それから他の山の頂上表示板には無いもう一つの31と言う表示が有ります。これは何か・・・・↓↓最後に書きます先日久しぶりに登って、今まで眺望が全くなかったのに、いつの間にか木が伐採されて、こんな眺望が開けていることに感激したのですが・・・左の方のこれらの木も伐採してもらうと・・・京都市内全体を一望出来る素晴らしい展望所になるなあ!!! なんて贅沢なこと考えてしまいました。木が邪魔して街は見えませんが愛宕山は見えています。丸太のベンチで持参したコーヒーを飲みながらしばしこの眺めを楽しんで。又山道を(少しルートを変えて) 下山しました。この日の活動記録は・・・コーヒータイムを含めて下記の通りでした。31 と言う数字は・・・比叡山から稲荷山まで繋がる「ふとん着て 寝たる姿や 東山」の東山三十六峰の31番目の峰 と云う事がご親切に書かれているのです。
2025.06.09
コメント(8)

京都でアジサイと言えば、宇治の三室戸寺、 沙羅双樹と言えば妙心寺の東林院が有名で沢山の人がわざわざ見に行く「主役の花」ですが・・・智積院は沢山の花が有るのですが、「これが・・・」と言う花がありません。何故こんなことを書くかと言いますと・・・今日智積院を通ると、アジサイ目当てのカメラマンが沢山来ていました。まだ見頃には少し早いのですが・・・この通り・・・ところが、その横に咲いている沙羅双樹は先日書きました時は一輪だけしか咲いていなかったのに、今日は・・・・満開近く沢山咲いているのに・・・・見向きもされないのです。 東林院では主役の花なのにここでは主役になれません。梅の木もこんなにたわわに実が生っているのに無視です。話は変わりますが・・・近くの国立博物館で開催されているこの特別展ですが・・・地味な催しと思っていたのですが・・・・午後の時間帯にこんなに行列が出来ていて・・・美術に関心お持ちの方の多さ、その人気の程が知れました。
2025.06.08
コメント(6)

我が家では毎年の様に山椒の実を買って冷凍保存して、都度一部取り出して使っています。今年は5/12のブログに載せましたが自家製のものが初めてこんなに採れたのですが・・・・まだ足りないと、言っている内にもう売っているところが無くなった、今年は自家製もモノだけで凌がないと・・・それにしてもちょっと少ないと言っていたのですが・・まだ売っているところが有ったと・・・喜んで買って来たと言うのです。これなのですが・・・これだけで620円とか・・・山椒の実を採る手間の事を考えると、まあ妥当な値段とは思うのですが・・・なかなかの値段です。我が家で採れたものも同じ位の量なので620円か・・・・と、何回も庭に植えては枯らした山椒の木、諦めずに植えて良かったと改めて自己満足の巻でした。(勿論木の芽の収穫が有るので猶更です)今回買ったものの軸を取って灰汁だしすると更にこれだけの嵩になってしまいました。
2025.06.07
コメント(6)

智積院に毎年恒例のこの看板が立ちました。境内に入ると・・・これも毎年載せている風景ですが、早や護摩焚きの準備が始まっていました。この護摩焚きの準備です。傍らでは・・・沙羅双樹が一輪だけ花を咲かせていました。青葉祭りについては何度も書いていますが・・・・護摩焚きは見られるし、日頃有料の宝物館、庭園も無料で見られますので是非どうぞ。詳しくは・・・・ここ と ここ です。
2025.06.06
コメント(7)

庭の半夏生が3株程、化粧が始まりました。 赤丸の中です。アップしますと・・・去年の事を調べると、同様の事を6/9日に書いていました。ここです。去年はもう少し化粧が進んでいましたが、書いているのが4日程遅いので、化粧のスピードは良く似たものです。ただ、生えている面積と密集度が全然違います。
2025.06.05
コメント(10)

昨日の続きです。麓で見た他の天皇陵は3軒長屋の様な御陵に対し、一条天皇陵は規模が大きく・・・・山頂なので京都市内を見下ろす素晴らしい眺望でした。手前正面の二つのコブは双ヶ丘(ならびがおか) です。 (あの左側を歩いて来ました)少し右へ転じると・・・右が嵐山方向です。1枚目の方向をアップしますと・・・右の山は天王山です。更にアップしても・・・・霞んではっきりしませんでした。・・・で眺望を楽しみながら休憩しているとスマホに電話を受信。実はこのウオーキングは火曜日(6/2) は雨の予報の為、天気の良い月曜日に急遽思い立って行ったのですが・・・JR花園駅から友達に一緒に行かないかと電話したのですが繋がらなかったのです。繋がっておれば、彼の自宅は竜安寺に近いので竜安寺で待ち合わせすれば・・・・なんて勝手に考えていたのですが・・・その友達からの電話だったのです。既に私は目的地に来ているので、彼にとっては急な話だったのですが、平野神社の前で会う事にして下山開始しました。竜安寺の石庭は60余年前に行ったきりなので、超々久しぶりに拝観しようかとも考えていたのですが、そんなことで、拝観せず横を歩いて・・・睡蓮がいっぱいの鏡容池(きょうようち)の横を通り振り返ると・・・右が多分衣笠山、御陵はその左方向の朱山の頂上なのですが???このあたりは外人さんでいっぱいでした。きぬかけの路に出て平野神社へ向かいますと、正面に比叡山が・・・京都人にとってこの形が比叡山であって・・・先日ゴルフ場から写したこの比叡山は・・・・まるで別の山です。余談はさておき、更に進むと、立命館大学の前にある堂本印象美術館が・・・美術館は有名ですが・・・その隣にこんな堂本印象邸が有ったのは知りませんでした。歩いているからの発見でした。そのあと平野神社の前で友達に会って・・・上七軒の蕎麦屋へ・・・さすが花街の蕎麦屋さんです。天井には一面に・・・いろはにほへと・・・・・が。食べたのはにしん蕎麦、茶蕎麦でした。ここのあと、二人して四条河原町へ繰り出したのですがこの辺で・・・・。
2025.06.04
コメント(2)

枕草子を読み始め、清少納言の仕えた中宮、定子(ていし)と、源氏物語を書いた紫式部の仕えた中宮、彰子(しょうし)の二人の女性の夫であった一条天皇に関心を持って前々から行ってみようと思っていた一条天皇陵に昨6/2に行って来ました。市バスや嵐電では近くまで行けますが、私は歩行距離は長いけれどさっさと行けるR嵯峨野線・花園駅まで行ってあとは歩くことにしました。花園駅からまず仁和寺へ向かって歩いていると・・・なんと、兼好法師の旧跡が・・・実は酒井順子の「枕草子REMIX 」を読んだ後、今この「徒然草REMIX 」を読んでいて・・・背中のリュックに入っていたのです。偶然の出会いでは有りました。そして、その向かいには・・・こんな石碑が・・・・ここの地名は「御室(おむろ)」今や世界的企業「オムロン」の社名のルーツです。少し歩くと嵐電・白梅町線の踏切、遠く見えているのが・・・仁和寺駅です。踏切を渡り少し歩くと仁和寺に突き当たります。ここを竜安寺方向へ右折。赤丸が目的地の一条天皇陵です。竜安寺の前を通るのですから、それはそれは凄い観光客、勿論外国人が主です。その喧騒を抜けると、今度は気持ちが悪い程の静寂・・・素晴らしい、無人の青もみじの小径が続きます。左側が竜安寺です。人っ子ひとりいない道を進むと、まずあったのが・・・そして少し離れて・・・・3つの天皇陵が並んでいました。ところが・・・その先は長く細い石畳の径で、先の方にゲートが見えるだけで目的の一条天皇陵の案内も何も無いのです。いくら見回してもそれらしきものが無いので、半信半疑で進んで行くとその扉は開けられるようになっていてこんな紙が・・・これ以外何の案内も無いので、こんな先に御陵が有るのか?? と思いながら進むと・・今度は九十九折れの登り階段が続きました。一条天皇陵は見晴らしが良い事だけは予備知識で知っていたので、これはこの先に天皇陵が有ると確信、てくてくと登っていくと・・・・その間も誰ひとり逢わずでした。そしてついに有りました、一条天皇陵が・・・スマホの高度計を見ると・・・標高150mもありました。長くなりますので。一旦ここで区切りまして明日に続けます。
2025.06.03
コメント(8)

古来より、初物を食べると寿命が75日延びると言われています。我が家の畑? のキュウリはまだ花が少し咲き出した段階で小さい実すら一つも生っていないのですが・・・・お向かいの若いご主人が丹精込めておられたキュウリが初めて1本採れたと、その貴重な1本を「長生きしてください」と真っ先に我が家に下さったのです。 早速我が家の手作りネギ味噌で食べさせて貰いました。お陰で寿命が75日延びました(笑)我が家の畑で初めて採れたキュウリを食べたらプラス75日 延びたら良いのですが・・・。
2025.06.01
コメント(10)
全26件 (26件中 1-26件目)
1