道端の雑草

道端の雑草

平和研究のレポート



関連記事のために、全文を載せておきます。



 平和研究を政治学の観点から語ると、戦後思想と平和の間に、密接な関係があることがわかる。戦後思想とは、大戦が何であったかを伝えるものであり、平和を語る上では、戦後思想はさけられない。「命は大切だ」というのは、平和研究を始める上での動機としては素晴らしいが、それはスタートラインであって、結論ではない。
 平和の構造には、政治的ハードウェアとソフトウェアが、システムとして必要であるほか、結果責任を問えることが重要である。こうした事が、日本には宿題として残っている。
 まずその理念を見てみると、「あの戦争はアジアを欧米の支配から解放した」という解釈が近年存在するが、肝心の目的たるアジアでは、平和が著しく損なわれた事実がある。そもそも、こうした思想は「大東亜共栄圏」という言葉が使われてから初めて出てきたものであり、政治的には後付の理念である。すなわち、アジアの解放は最初から目的だったのではない。それどころか、中国の阿片や、南方の石油を狙って、日本軍はそうした利権にしがみつき、いつまでも軍を引き上げなかった。
 第2に、実践をみると、効果のわりにコストがかかりすぎている問題がある。日本軍の進軍が、アメリカの損害になったため、アメリカが石油を止めた。日本の726倍の石油供給能力をもつアメリカに対して、日本では勝ち目がないのは明らかである。しかし当時の日本は、備蓄している石油で1年半は戦えると判断し、無謀な戦争に突入した。
 最初は勝っていた日本だが、米軍が空襲を開始するととたんに敗走し始める。このとき米軍の空襲は、ギリギリまで空母で接近して戦闘機を飛ばし、帰りの燃料がないので中国方面へ着陸するという決死の作戦だった。これが国家に許された「ギリギリ限界の判断」であると、ひとまず言い添えておく。
 これに対して日本軍は、地上戦を開始した。食料を現地調達するのが普通になっていた日本軍に、補給線の概念はない。南方では思うように食料を調達できず、餓死者が続出した。普通なら、これだけでトップの首が飛ぶほどの大敗である。しかし日本は戦争を続け、沖縄で首里城が落ちたあと、降伏しないでさらに敗走する。この首里城陥落以来の敗走で、市民が15万人死んだと言われる。
 総計でみれば、日本だけでも300万人、アジア全体では1500万人もの死者を出したこの戦争にもたらされた効果が「欧米からの解放」だけでは、あまりにコストパフォーマンスが悪い。
 第3に、責任の所在を見ようとすると、システムが分散しすぎていて責任者が明確にならない。立憲君主制は、天皇自ら権力をふるうようにはできていない。帝国憲法は「内閣は天皇を補佐する」としているが、形式上あくまで補佐であって責任の主体になっていない。さらに軍は天皇に基づく特権で守られており、大きな権力をもっていた。当時の天皇はイギリスに留学し、君臨すれども統治せず、という慣習法を学んでいた。しかし、これは日本のものとは性格が違うため、本当ならそのまま日本で実行することはできない。しかしそれを無理に実行した結果、天皇は軍の独走を制御できなかった。つまり、どこもかしこも、自分が決めたことではないと言い張れるようになっていて、責任者が明確ではない。
 敗戦後、マッカーサーが来日し、急進的な民主化改革をおこなった。責任の所在を明らかにする努力もあった。しかし、冷戦が始まり、毛沢東の戦略に対処するうち、日本の改革が中断され、また元に戻ってしまった。
 そもそもアメリカの世界戦略は、共産主義を増やさない事に主眼があり、日本の戦争責任にはあまり興味がない。こうした事から、戦後思想を送達する条件が失われた。
 そうした中、市民の間で、絶対平和主義が唱えられ始める。絶対平和主義とは、「平和とは戦争がない状態である」という思想である。この思想は、市民レベルで生じて、現在でも残っているが、結局のところ何の実体的効果もない。
 なぜか? 絶対平和主義が唱えるのは「平和とは戦争がない状態」という事だが、ここでいう「戦争」とは、個別具体的な「あの戦争」「この戦争」というものではなく、包括的・抽象的に、ただ単に「戦争」と呼べるものすべてを指している。つまり絶対的平和主義で議論できるのは、せいぜい「戦争とは恐ろしいものだ」という抽象的なことに過ぎない。
 広島の原爆ドームや平和記念館など大きな活動から、地方の公民館での講演会など小さな活動まで、絶対平和主義の活動は様々だが、そうしたところへ参加した人々が学べるのは、「戦争はこんなに悲惨なものを生み出す」という事だけであって、ではどうすれば戦争が起きないようにできるのか、という最も重要なことには触れてもいない。
 全体として正しいスタートラインであり、平和研究を進めるための動機にはなるが、なぜ起きたのかという問題については、具体的な「戦争」を見ていかなければならない。つまりこれが、戦後思想と平和との関係である。戦争とは政治的エリートが起こしたものであり、平和を求めるは戦争を起こさないための工夫が必要であり、そしてそのためには、何者のどのような所に責任があるのかを研究しなくてはならない。これが戦後思想と平和研究だ。
 そもそも、戦争には相手が必要である。1つの国だけでは戦争は出来ない。それではただの内乱か覇権争いだ。「戦争」とは原因が異なることが多く、また別の問題として議論しなくてはならない。
 さて「戦争」については、相手が必要である。相手とは他人だ。他人の考えていることは基本的には完全に理解することは不可能である。すなわち、他人との関係では、必ず対立する可能性が存在する。
 しかし対立したからといって、そのまま戦争してしまう事をさけるには、どうすればいいか、という事が重要である。個人レベルの問題に置き換えてみれば、口論の末に殺害してしまう前に、法廷を利用しようという事が重要である。
 その「どうすればよいか」を語るには、「何が戦争を起こしたか」を明らかにしなくてはならない。その原因を取り除けば、対立はしても戦争は起きなかったのである。
 この点を考えた人物の1人に、丸山という人がいる。丸山は、日本を評して無責任体制と唱えた。丸山の研究によると、近代国家は、イコール中性国家である。ヨーロッパではかつて宗教戦争が頻発していた事から、近代では宗教と国家を分離する必要がある事に気づいている。どの宗教を信じるかという事と、どの国に属するかという事とは、無関係なのが、中性国家である。
 戦前の日本は、靖国神社との関係で、明らかに宗教国家だった。第1は、国家神道。国民は神道を信じなければならなかった。第2に、靖国神社は公的機関だった。単なる宗教団体ではなく、裁判所や市役所のように国家の機関だった。そして、第3に、国家神道では天皇が道徳の中心だった。道徳を体現する国家だったのである。これはすなわち、宗教戦争の危機を孕む、近代(中性)国家とは真逆のものである。
 政治とは、多元的な勝ちの中で、どれを優先するかを選択し、その優先順位を決定する作業である。その目的は国民の幸福であり、国家の発展である。責任は、結果どうなったかによって問うもので、何をしたとか、どれだけ頑張ったとか、そんな事は問題ではない。極論すれば、何もしないことで国がよくなっていったのなら、それが為政者の功績である。
 しかし、道徳を体現する国家では、まずスタートラインに「天皇や国家は間違えることがない」という問題がある。天皇が道徳そのものであり、国家がそれに従って政治をおこなうのであるから、天皇や国家は、理論的に、間違えることがないのである。
 しかし政治と道徳はイコールではない。道徳的には悪いことが、政治的には正しい事になる場合もある。先に述べた通り、道徳的にどうなのか、などという事は、政治の責任を問う上では問題ではない。結果どうなったかが問題なのだ。
 政治を道徳とイコールにしておこなっていた戦前の日本では、道徳によって政治をおこなった結果、悪くなったことについては、道徳の体現者たる天皇に責任を問わなければならない。しかし最初の時点で、「天皇は間違えることがない」というのがスタートラインにあるため、理論的に矛盾し、責任をとらない体制ができあがっていたのである。
 丸山は、こうした状況を打開するには、自律した個人によって、まっとうな近代国家を形成しなければならないとしている。
 また竹内は、日本の民主主義は血塗られていると唱えた。竹内は、欧米と戦うことを好ましく考えた人物だが、戦争の悲惨な結果をみて、苦悩する。しかしその苦悩の果てに、自分の信念は間違っていなかったという結論に達した。
 竹内の信念とは、「欧米に追従するのをよしとしない」というものだった。しかし、それが直ちに欧米と戦うことにつながるのではないという事に気づいたのである。この問題はつまり、2ページ目の24行目に書いたのと同じ内容である。
 竹内は、信念は間違っていなかったが、政治的判断が間違いだったと考えた。政治的判断が正しければ、戦争を回避しつつも欧米から独立した近代化を実現できたはずである、という考えだ。
 しかし現実には、戦争がおきた。であれば、政治的判断を間違えた責任を問うことが必要だ。そのためには、戦争責任を問う相手、すなわち責任の主体が必要である。国際的にみて日本が悪いのなら、日本国民全員で懺悔するというのが戦時下の全体主義では支配的な考え方であったが、竹内は責任の濃淡がある主体を要すると考えた。すなわち、国民全員で懺悔するなどとは、ていのいい責任逃れに過ぎない。日本が悪いのなら、日本が悪くなったのは誰の責任であるか、ということだ。
 第2の戦後と呼ばれる時期、戦前の様相に戻っていく日本の中で、憲法9条が社会党に取り上げられた。非武装・中立をうたう憲法9条は、日本の近代化には欠かせないものだったが、同時に保守党がナショナリズムを唱えた事などにより、全体として日本はナショナリズムに流れた。
 民族国家の統一・独立・発展を押し進めることを強調する思想。日本がナショナリズムに傾いたのは、アメリカとの間で結ばれた不平等条約を打破するためであるが、それによって国内で戦争責任を追及する動きは少数派になってしまった。
 平和を語る前に、日本には宿題が残っている。平和を求めるための個別具体的な戦争を研究することがまだ終わっていないということだ。このため、日本では成熟した議論ができていない。
 立憲主義とは、政府は法律で定めたこと以外は、やってはいけないという思想である。政府の力は、国民から痛くされた力であり、法律によって制限された力である。憲法は政府を制限するためのもので、国民を制限するものではない。だというのに、最近の政治家の動向はおかしな事になっている。
 憲法に「愛国心」という言葉を入れるかどうか。この議論は、すなわち国民を縛るかどうかという議論である。すなわち、議論する意味さえない。
 小泉総理は、靖国神社を参拝する。裁判所の違憲判断が出ているのに、やめない。罰則がないから取り締まれないのは立憲主義的だが、憲法違反を平気で繰り返すのは逆だ。
 ポスト小泉を争って、「靖国を参拝しない」と表明する政治家も、同様である。すなわち、靖国参拝をしないのは憲法を守るという事と同義であるから、「法律を守る」という表明が、総裁選に有利なものとして扱われる事は、まったく馬鹿馬鹿しい奇妙な現象である。
 果ては、靖国神社を再び公的機関にしようという話さえあるらしい。
 こうしたことが議論されること自体が、すでに、日本は平和を語るための成熟した議論が出来ていない証拠である。

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