アルジェンティーナ広場

アルジェンティーナ広場について語る PARLO DEL LARGO DI TORRE ARGENTINA

ローマには七つの丘がある、というのはよく知られたことであるが、
その中心部は古代ローマの時代から
CAMPO MARZIO (カンポ・マルツィオ=軍神マルスの原)と呼ばれる平地になっている。

具体的な地名で区切ると、
西はテヴェレ川、南端はカンピドーリオの丘、東側がクイリナーレの丘、最北がピンチョの丘である。
ローマの地理に明るい方には分かって頂けるに違いない。

さて、かつてそのローマの中心のCAMPO MARZIOの、更に中心部であったのが、
今、 LARGO DI TORRE ARGENTINA(トッレ・アルジェンティーナ広場) と呼ばれる場所である。
ローマ帝国、つまりフォロ・ロマーノなんかが形成されるもっと前、共和制ローマの時代には
4つの神殿 があり(今なお円柱などが存在するのでその遺跡を見ることができる)、
政治の中心はここであった。

AREA SACRA

今ではこの遺跡はたくさんの野良猫の棲み家となっており、
周りにはローマ市内の各地へ行けるバスの停留所が何ヶ所もあり、
猫や人の多く集うのどかな場所である。

建設された時代の異なる4つの神殿は南北に並んでおり、
その西側にはポンペイウス(カエサル、クラッススと組んだ政治家)の劇場があった。
ちょうど今、アルジェンティーナ劇場が建っている辺りである。
またこの裏手に、その名も“TEATRO DI POMPEO”(ポンペイウス劇場)という3つ星ホテルがあって、
内部には劇場の遺構が残っているという。
なお、紀元前44年3月15日、 カエサル (英語ではジュリアス・シーザー、
イタリア語ではジュリオ・チェーザレ=GIULIO CESARE)が
ブルートゥスに暗殺されたのがこのポンペイウスの劇場の階段 であった。

さて、LARGO DI TORRE ARGENTINA(トッレ・アルジェンティーナ広場=アルジェンティーナ の広場)には
確かに があるのだが、
この塔はLARGO DI TORRE ARGENTINAの“TORRE(塔)”を意味してはいない。
ここにそびえ立つ17メートル半の塔は中世にできた
TORRE DEL PAPITO(パピートの塔) というものである。
あーややこしい。
では本物の、というかLARGO DI TORRE ARGENTINAの語源となった塔は
一体どこにあるのかというと、
かつてポンペイウスの劇場のあったところ、
つまり現在のアルジェンティーナ劇場の近くのVia Sudario, 44にある。
今では建物の中に入ってしまっているので見られないのだが、
1503年にストラスブルグのJohn Burckhardtが造らせたものだそうだ。
ストラスブルグをラテン語でARGENTORATUMという ので、
それでTORRE ARGENTINAと呼ぶようになったのである。

ちなみにアルゼンチンとは何の関係もない(ARGENTINO/Aはイタリア語で「アルゼンチンの…」という意味の形容詞である)。

(2006年5月10日)



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