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このごろ日記をお休みしていましたがもうちょっとお休みしたいと思います。 最近肩こりがひどく針治療に行っているのですが先生がコンピュ-タ-を使うのを控えてくださいと言うのでなるべくコンピュ-タ-から離れるようにしています。 一度良くなったのですがコンピュ-タ-や料理をはりきりすぎてまたちょっと肩がこっているので数週間休みよくなったらまた書きますね-。
2006.11.12
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ここ1週間お店や電話での対応で不機嫌な気持ちになることが多い。 イタリアに来て約2年が過ぎましたが今までにもサービスが悪くて頭にくることはありましたがここ1週間の間に不愉快な気分にされることが多かったのでちょっと聞いてください。 スーパーで買い物をしてレジで支払いをした時、おつりが3ユ-ロと2セントになり3ユーロは返してくれたけど2セントは返してくれなかった。たまに私が支払いのときに2、3セント足りないと”いいよ。”と言ってくれるので数回は端数の2、3セントを返してもらえなくても我慢をしていました。 きっとつり銭切れなのかな? それに2、3セントくらい、いいかって思って。 でも昨日うちに帰ってきて今までのことを思い出すといつもおつりをちゃんと返してくれないのは同じお姉さんでそれにいつも人と話をしていてレジの前で待ってる私達はそっちのけ。 たまにすぐにレジを始めてくれてもCiaoの一言もないしGrazieもなし。 だんだん腹が立ってきた。 アメリカに住んでいたときもレジの人が友達とプライベ-トの話をしていてお客さんを待たせている。という光景はたまにありました。 だからイタリアに引っ越してきたときもこういう人はここにもいるんだ?と思いました。 でももしレジでつり銭切れなのならちゃんと言ってほしいと思います。それなら私も納得して(それでもお金はお金だし、つり銭を用意するのは彼らの仕事なので納得してはいけないのかな?)不愉快な気分にならないのに。それと先日ドラッグストアーのようなお店でヘアージェルを買おうと思い、いつも使っているのを見つけたら運良くその商品が99セントと安売りのサインがカウンターからぶら下がってました。しかしレジでその商品をスキャンしたら普通の値段が出てきたので、レジのおじさん(きっとお店のオーナーでしょう。)に”この商品99セントって書いてありましたよ。”と言うと”この商品ではないよ。” と言うので(いかにもあなた、似たような商品がいっぱいあるんだから間違えないでちゃんとその商品持ってきなさいよ。ってナ素振り。)自分でもう一度確認したところやっぱり99セントって書いてある。 おじさんに言うとまたまた”この商品じゃないよ。”っていうので”それじゃ-どれが99セントなの?”って聞くと”じゃ-あそこの女の子に聞いてみて。”って従業員の女の子を指しました。(実はその前にヘアカラーの商品を探しているとき私の見たいなと思っている商品のあたりをこの女の子が台に乗ってはたきでほこりを落としてました。私が近づくと邪魔だったみたいでチェって舌でいやそうな音を出しその後ア-ってため息をつかれ、なんとも私がその場にいるのが悪そうな雰囲気でした。お客さんなんだからそんな風に思わなくてもいいんですけどね。)女の子のところに行って聞いてみると彼女も99セントと書いてあるのを見ておかしいな?ってな顔をし、もう一つのレジの方に行って調べ始めました。 そうしたら”来週の火曜日にこの商品が入るから火曜日にね。”って言われなんだかわけが分かんなくてえ---って感じでした。 だってあと2つほど安売りサインの出ている商品がカウンターにあるんだから売ってくれればいいじゃん。 もし私の買いに行った日がセールの日でなくあの安売りのサインが間違っていたのならそう言ってくれれば納得するのに。 セールのサインを出したのなら責任を持ってその値段で売りなさいよ!!!なんとも納得しがたいまま家に帰ってきました。 家に帰ってきて主人に話をしているうちにだんだん不愉快な気持ちになってきてまたまたプンプン!!!明日日本から友人がローマに遊びに来るのですが、彼女らの泊まるホテルの住所を確認するためにそのホテルに電話をしたところまず電話にでて5秒くらい電話を取った女性が電話の向こうで誰かと話をしていて私はむこうが何かを言うまで待ってました。 そのときはそんなに気になりませんでしたが住所を聞いたとき向こうの言った住所が聞き取れず”は?”って聞き返すと怒鳴ってコ・ル・ソ・ イ・タ・リ・ア・ ウ・ノ・。 ナ・ン・バー・ ワ・ン・。と言われ一瞬何も言えなくなってしまった。 この住所でどこのホテルか分かる人は分かると思いますが、一応ホテルのフロントの仕事をしている人はホテルの顔なのだからいくら電話でも怒鳴ることないでしょう?! どうしてこういう基本的なことが出来ないのでしょうか? たまにしか日本に帰りませんが私が体験するお店やホテルのサ-ビスは最高のものでした。 本屋さんで探しているものが見つからずレジの方に聞きに行ったとき、レジに2人の女の子が向かい合って話をしたのですが一人は私に背中を向けていてもう一人は私のほうを向いていました。私が近づいていくと私のほうを向いている女の子がもう一人の子に合図を送り背を向けていた女の子がクルリと私のほうを向き”いらっしゃいませ。”って言って頭を下げてくれました。 探している本のことを聞くとその女の子がさっさっさっさ-とその本の方へ走っていってその本を取ってきてくれて私に渡してくれました。 そのころ私はアメリカに住んでいましたがこのサ-ビスはアメリカではありえないな-と思いながらうれしい気分で実家に帰っていったのを覚えてます。ホテルに宿泊した時も金額の件で私が間違っていたのにホテル側のお姉さんが申し訳なさそうにそのことを説明してくれたので思ったより高い支払いでしたが気分よく支払うことが出来ました。 スーパーに行ってもお客様一人一人にレジでいらっしゃいませって言って商品をスキャンするとき両手で一つ一つ大事に右から左へ置いていく。 日本では当たり前のことなのでしょうがすっごいサービスに見えてしまう私です。日本を離れ15年ほど経つのであまり日本のことは分かりませんが大抵のお店がこのようにサービスが良いのでしょうか? それともたまたま私が入ったお店がこのようにサービスを良くしているのでしょうか? それともこのようなサ-ビスは当たり前でこのようなことは特にサービスと呼ばないのでしょうか?イタリアいやなことはたびたびありますが、いいこともいっぱいあるのでなるべくいいことだけを受け入れていやなことは捨てるようにしてます。 でも今回この日記で不満をはかせて頂きました。 皆さんはどう思いますか?
2006.11.02
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先週の日曜日はローマ市内から一時間ちょっとのところにある友人の家族が持っているブドウ園(Vigneti Massimi Berucci)の収穫期(Vendemmia)のパ‐ティ‐でした。 全てのブドウ園がこのようなパ‐ティ‐は開かないそうですが私たちの友人の家族は毎年お客様を招待し、まずは招待客がブドウを収穫し、そのあとお食事をご馳走してくださる。ということをしているようです。 私にとって生まれて始めてのVendemmia。どんなものか想像がつきませんでしたがブドウ園に着いてみるとすでにお客さんがブドウを木から切っていました。 私もいくつか切らせてもらいそれを主人が私たちの友人の指示に従い、箱の中に重ならないように丁寧に入れていきました。 私がブドウを始めて30分くらいでお客様の収穫は終わり、お食事が始まりました。 ビュッフェ式でまずはアペタイザ‐。ハム、リコッタチーズ、パンやピザがテ-ブルに並べてあり好きなものを好きなだけ自分で取り食べ始めました。 去年のブドウで作られたワインも出され、まずは白ワインをごご賞味させていただきました。 そんなにドライでなくでも甘すぎない私好みの白ワインでした。お食事は1時くらいから始まり6時くらいまでアペタイザ‐を始めにス‐プの中にヒヨコマメと手作りのパスタが入っているものが出され、そのあとポレンタ(とうもろこしの粉と水を混ぜて作るもの)とソ-セ‐ジのソース、そして鶏肉のロ-スト、牛肉と子羊を煮たもの、チコリアといってタンポポの葉っぱのようなお野菜をゆでてレモンとオリ‐ブオイルで混ぜられたもの(このチコリアはこのブドウ園のそばの土地で生えているものをその日の朝に収穫されてものらしいです。)、サラダ、ロ-ストポテト、豚のレバーのロ-スト、そしてデザートと次から次ぎえと食べ物が出てきて食いしんぼうの私は量はそんなではありませんが全て味見しました。赤ワインも出されお食事と一緒に飲みましたがおいしかった---。イタリア人のおばさんたち4-5人が給食のおばさんのようにブドウ園の横の家の台所と外でお客さま150人くらいの食べ物を作っていました。 どれも家庭の味のようなお料理でした。イタリアは結婚式もそうですがお食事を出すといくつものコースが出され、食べ終わるころにはおなかが張り裂けそうなくらいになるというくらい食べて、飲んでと楽しみます。食の国イタリアの国ですね。デザ-トが出されたころ赤ワインでもちょっと甘めの物を飲ましてもらいました。これもおいしかった。 デザ-トとよく合いました。 このワインをお土産にいただき家に帰ってきた私たち。いつこれを開けようかな? お昼にたくさん食べたので夕食はサラダだけでいいくらいでした。 ご興味のある方はこのブドウ園のウェブサイトを見てみて下さい。http://www.vignetimassimiberucci.it/main.htm
2006.11.01
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またまた夏の思い出を書き残してます。 毎年8月中旬にトスカ-ナのコルト-ナという町でフロレンティンステーキのお祭りがあります。 私たちのトスカーナの家から車で10分くらいのところにコルトーナの中心地がありますが、お祭りはこの中心地にある公園内で行われます。 8年ほど前に(まだ主人と付き合っていたころ)彼のお父さん、私たちのアメリカ人の友人、そして私たちの4人でこのお祭りに行ったことがありました。大きなグリルで大きなステーキを焼いているのを見て感激したのを覚えてます。主人はここ十数年、ベジタリアンなのでステーキに着いてくるパン、お豆、桃だけを食べてました。 今年は2人だけで行ってきました。大きなグリルを見てまた興奮した私。ステーキをもらうのに並んだんだけど45分くらいは待ったかな?結構たくさんの人が来てました。 公園内にはテ-ブルと椅子がたくさん置いてあってステーキをもらったら好きなところに座って食べるという感じ。横ではエレクトロニックピアノをひきながらイタリアの田舎っぽい歌を歌っているおじさんがエンターテーナーとしていました。 グリルで焼かれたお肉を係りのおばさんがオリーブオイルに付けてくれてその後自分でレモン汁をかけて食べるというかんじでした。 オリーブオイルなしでレモンだけで私はよかったと思う。 ステーキのほかにパン、お豆、(もしくはトマト)桃、ワイン(2人で一本)お水がついてきます。 チケットは1枚だけ購入したんだけど(25ー30ユ-ロくらいだったと思う。)パンやお豆は2人分くれました。 大きなステーキだったので全部食べれるかな?なんて心配しましたがおいしかったのでぺろっと食べてしまいました。 今年も主人はステーキに付いてきたパンやお豆だけをを食べてもらいました。ごめんね。 でも私はおいしいステーキをいただきました。また来年も行きたいで-す。
2006.11.01
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夏の間トスカ-ナの家に滞在していましたがその間にご近所さんと仲良くなり毎日午後4時くらいから彼女の家に遊びに行きおしゃべり/イタリア語の勉強をさせてもらいました。 この彼女の名前をDさんと書かせていただきます。 Dさんは生まれつき筋肉に障害があるらしくあまり歩くことができません。85歳くらいのお父さんと住んでいます。お父さんは元農家の方で今でも庭でお野菜を栽培したり鶏を買ったりしてます。家の中にエレベーターが付いていてお手伝いさんが家を掃除したり食事を作ってくれます。 家からなかなか出ることができない彼女なので近所の人たちは彼女の家によく遊びにきます。 私が遊びに行っている間何人の人々に会ったことか。 彼女は私がイタリア語で意味が分からないとやさしい言葉や類似語を使ってくれます。主人とは英語で話すのでなかなかイタリア語がうまくならない私ですが彼女はゆっくり話しても我慢強く聞いてくれます。おかげさまで夏が終わったころの私のイタリア語は少し上達した気がします。 Dさんと主人の家族はトスカ-ナの家を購入したころからのお付き合いなので彼女は主人の1-2歳のころを知っています。 実は主人の家族がこの家を購入する前は彼女たちの家族がこの家に住んでいたらしい。彼女たちが住んでいたころは一階は牛や豚を飼う場所で2階が家族の住む場所だったらしいです。 私たちの寝室は彼女のおばあさんが使っていたらしい。 とても歴史を感じる家です。 彼女の家で色々な人に会うとDさんは彼女はYo..そしてDottore M....の義娘さんよ。と紹介してくれました。Dottoreとは英語ではDoctorで、医師や博士号を獲得した人の肩書ですよね。 こちらでは英語の意味のDoctor以外に大学以上を卒業した人々の名前の前に付けることがあります。 Dottore以外にこちらでよく使われる肩書として、弁護士はAvvocato、先生、教授のProfessore、そしてエンジニアにはIngegnereです。 そうそう、伯爵にはConte、夫人にはContessaです。ロ-マであまり医師以外にDottoreと読んでいるのを聞いたことはありませんが{私も一応Dottoressa(Dottoreの女性形)ですが呼ばれたことはありません。}田舎では特にこういった肩書きをちゃんとつけて尊敬を示すみたいですね。Dさんの家によく遊びに来る伯爵夫人にはみんなやはりContessaと読んでました。 たまにロ-マでも年上の人ですが主人をIngengere M....と呼ぶ人がいます。 Electronical Engineerなので。私にしてみるとなんだか変な感じです。 彼女の家に遊びに行くときに数回、家で作った食べ物を持って行って彼女や彼女のお父さん、そして遊びに来ていた人たちに食べてもらいました。 まずはマフィン、これならイタリア人でも食べれるだろうと思ったので。その次はスコ-ン。 その次はお赤飯を炊いて小さくおにぎりにして持っていきました。 初めての日本食を食べる人たちがどういった反応を示すか興味心身でした。 みんな食べてみて特においしいとかまずいといった反応はありませんでしたがいくつか残ったので置いてきました。 次の日遊びに行ったときにDさんが、"昨日あの後お父さんが残りのお赤飯全部食べたんだよ。" と言ってくれて、びっくりしました。 85歳のイタリアのおじいさんがお赤飯を愛してくれるなんて。。。。。 その後肉じゃがを作っていきました。 夕食に食べてもらったのですが次の日またまたDさんが、"お父さんがほとんど食べちゃったんだよ。""お父さんは若いころ、食べ物があまりなかったころお芋ばかり食べていらからお芋は好きじゃないんだけど肉じゃがは食べてたよ。" 田舎の人に日本食が受けたのはびっくりでした。 今イタリアでは日本食がはやっていて(お魚をよく使って健康的ですしね。)ロ-マの人々が日本食を好むのなら分かるのですが田舎の日本食レストランのない町で中華と日本食の区別の付かない人たちのなか、こうやって日本食を好んでくれたのはとってもうれしかったです。いつもなにか作っていくと交換でお父さんの栽培したお野菜をいただいていました。 有機栽培なのと肥料も自然な物を使うのでとってもおいしかったです。 彼女たちの鶏の卵も何回かいただきました。 とても新鮮でおいしかったです。 と言うわけで夏の間色々なイタリア人と知り合うことができたのとイタリアの文化を少々学び日本やアメリカの文化をイタリア人にかたことのイタリア語で紹介できたこと、日本食をイタリア人に味わってもらったことなど楽しかったな-と思い浮かべてました。 そんな時ふっと思い出したのが約20年前、アメリカに留学したときホ-ムステ-の家族と同じようなことをしたのを思い出しました。 お互いの文化を交換し合い(あのころの私はかたことの英語を話しながら一生懸命日本の文化を語っていました。)料理をあまりしたことのなかった私が日本食を作ってあげたりしたことです。 このアメリカ人の家族は今では私の日本の家族と同様、私の家族です。 たまに電話したりメ-ルの交換をしてますがこのことを思い出した日は彼らが懐かしくなり電話してしまいました。 みんな元気そうで何よりでした。 久しぶりに刺激のある日々を過ごしました。
2006.11.01
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