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この9月に中3の孫娘がベルリンのバレエ学校に入学しました。中3はその学校の9年生に編入。10年生で進級試験があり13年で卒業とのことです。日本からは中1の男子2名と中3の女子2名が一緒に行きました。中3のクラスは18人で、ドイツ他ウクライナや世界各国から集まった人たち。授業はバレエの他にヨガやモダンダンス、ドイツ語や英語、政治・生物などの科目があるらしいのですが、ドイツは授業料が無料のようで、バレエの他にドイツ語や英語の学習があるから13年生まで在籍できればバレエだけでなく英語・ドイツ語もマスターできそうです。ただ、日本の大学に入るためには通信教育で高校過程を終了する必要アリとか。 ごく普通のサラリーマン家庭から海外留学なんて無理と思ったり、孫娘にプロバレリーナーになりたいと強い願望がないように感じたので、「留学なんて経済的にも無理なんじゃないの」とあまり賛成していなかった私も、このカリキュラムを見て、語学と身体能力のためには良かったかなと思ったりします。日本では週5日1時間半もかかってバレエ教室に通っていた孫、この学校では学校と寮が通路で結ばれていて5分もかからない。家庭教師をつけていたドイツ語、娘婿の特訓を受けていた英語も、授業で学習できる(ドイツ語は生徒2人に先生1人)。 家族と離れて外国で頑張っていけるかなと心配だけれど、15歳の適応能力を信じてみよう 10歳の小4の時に「私はバレエで海外留学したいから私立の中学にはいかないから塾は辞める」と宣言して、5年後15歳で夢を叶えた孫。15歳の夢を応援するのも夢を追いかけなくなった祖母の役割かなと思う秋です。
2024.09.15
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「お経もない孫からの送辞と仲間の演奏でのお見送りのお別れ会」1週間前に亡くなった長女のお舅さんS氏(86歳)の葬儀が昨日ありました。無宗教で一日葬でしたが、亡くなる直前まで元気で音楽活動や趣味で活躍されていた方なので、家族葬のつもりでしたが葬儀前も自宅に焼香客が絶えなかったこともあり、葬儀場を借りた「お見送りの会」になりました。会場は数十人も入れる会場でしたが、祭壇はお花と故人の写真、●焼香の後、お花を故人に手向けたあと、●孫4人の個人への送辞、●S氏が40年以上在籍し、最近まで練習会にも参加していたH市オーケストラ仲間の演奏。●喪主S氏の奥様(86歳)の挨拶。●故人の眠る御棺に参加者の花入れ。●S氏長男(娘婿)からの参列者への感謝の挨拶。●出棺。(式開始から1時間)(火葬場付の会場でしたのでロービーで出棺をお見送り)新型コロナの大流行以降、葬儀に出かけることがなくなりました。自分たちの終活を考えた時に無宗教で現役引退が長い私たちの葬儀を考えると、S氏は亡くなるまで音楽会や趣味で現役活動されていたから、参列者も多かったけど、私の場合は家族と親しい友人とご近所の方しかお見送りしてもらえないはず。無宗教のためお坊さんのお経はいらない、でも、家族のために頑張って来た人生ですから、孫からの思い出や感謝の送辞って嬉しいなと思う。 孫のバレエのコンクールや発表会で年に何回もお会いできたS氏。蓼科高原での屋外会場の「眠れる美女」の公演会には、1泊して旅行気分でご一緒に楽しみました。10年ほど前の「S氏の音楽コンクール」本当に素晴らしく素敵でした。亡くなる11日前に孫のバレエ発表会でお会いできて本当に良かった。そして、理想の葬儀をしてくださって、ありがとうございます。先月に互助会の「終活・家族葬」の話を聞きに行った時に、「最近は90%が家族葬です」と互助会の人の話です。「無宗教で自宅で家族で葬儀をするには?」と問うた私に主催者は「自宅でされると大変ですよ。ケースバイケースですからご相談ください」と言われて(自分や主人の葬儀は無宗教で自宅でひっそりしたい)と思った私に、この度のS氏の葬儀は本当に理想的におもえました。それでも、あまりに突然な死でしたから、これからの奥様(姑)のことを思うと胸ふさぎます。60年以上連れ添った夫を亡くすって本当にお辛いことでしょう。娘家族と同居している私にとっても夫こそ家族。
2024.08.30
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86歳のS氏のそれは見事な生き方(死に方)でした。8月に入ってから寝てる時に胸が苦しいと言って病院に行き、癌センターを紹介されて、8月13日に検査結果「肺癌ステージ4」と宣告されて、手術できないから今まで通りの生活をするように言われたのですが、癌の告知はショックだったのか、症状が出てきて入院できる近くの病院を探している時のことでした。告知前は、同じ年の奥様の習い事に車で送迎をしたり、8月11日に孫娘のバレエの発表会を見に片道2時間を奥さんを乗せて自分で運転して、5時間見て自分で運転して帰宅。12日13日は息子ファミリーが旅行だったので奥さんと病院に行き告知され、それまでの体調の悪さがこのせいだったのか悟って、「何も思い残すことはないよ」と言っていたようです。21日息子夫婦と男の孫が見舞いに来て談笑、22日9月のバレエ留学が決まった孫娘が見舞いに来た時には、2人でアイスクリームを食べた後、孫娘が帰って少しして、ソファーに座って足を組んでいたS氏が呼吸していないことに気付いた奥さんが救急車呼んで、4件くらいの病院のたらいまわしがあり死亡宣告を受けたそうです。優しかったS氏のあまりの見事な亡くなりかたでしたが、自宅で安らかに息を引き取ると、病院はたらいまわしで、警察の検視もあってとても大変なのです。 連絡を受けて思い出すのは11日にお会いした時に(お痩せになったな)と思ったのですが自分で車を運転されて会場にきてS氏よりも約10歳も若い私たちは2部の2時間程見て帰ったのに、1部2部3部をみて自分で運転して帰った体力(精神力)に脱帽させられました。音楽家で10年ほど前に開いた音楽会でのカッコよさ(管楽器・オーボエ)、最近まで街のオーケストラの副団長をされていた音楽家としての現役ぶり、なんでも作ってしまう器用さ、いつもみんなを笑わせるユーモア、忙しい息子の孫のアッシー役を快く引き受けてくれた優しさ、S氏の年の重ね方は見習いたいと思いました。。「自宅でソファーで足を組んで横たわり生き途絶えた」S氏らしいカッコ良い生き方死に方ですが、病院も警察もS氏と同じ年の奥様には苛酷でした。
2024.08.25
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明日29日で、楽天ブログを書き始めて20年になります。20年いろんなことがありました。最初の頃は「主婦の株投資」の話題でした。あれから、リーマンショックなどいろいろあって、主婦の浅読みで利益を出すことは難しかったうえ、利益がでると主人の扶養からも抜け出なくてはいけないと言われて、投機売買でなく配当期待の株を長期で保有する取引に移行してブログネタにはならなくなりました。楽天のネットショッピングに興味深々になり、自分で楽天市場に出店してみました。「主婦の一坪ショップ」を3年、その制度が無くなって「楽天市場」に移って16年経ちました。先日、大宮で「楽天タウンミーティング」が開催されて三木谷社長と初めて挨拶することができました。地元FM放送の番組のパーソナリティーを10年やったり、算命学を東京の白山の高尾学館に学びに通ったり、表参道までシナリオ教室に通ったり、イオンやデパートで「占い師」をやったり、そして、この春は会社を起業してみたり、娘2人が社会人になって子育てから解放された思いからか、好奇心のおもむくまま実にいろんなことをした20年。 家庭内のことも20年間にはいろいろありました。娘たちの結婚、そして孫たちの誕生。次女との同居のために2011年にニ所帯住宅に建て替えたこと。家族の動向など、この20年実にいろんなことを書いてきましたが、ブログってありがたい、いつ何があったかなんて検索できるのはブログです。手書きで5年日記書いていますが、いつ何があったか検索するのは大変です。無料で、こんな便利なシステムを解放してくれる「楽天ブログ」に感謝します。
2024.06.28
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「出生率1.2人で過去最低、東京0.99埼玉、神奈川、千葉1.1人(1人の女性が生涯産む子供数)の出生率」との記事。「婚姻数も最低、未婚化、晩婚化、第一子出生時の母親の年齢31歳」の記事にそれなら仕方がないと思う。ニ所帯住宅に建て替えて次女ファミリーと同居するようになって13年余り。私と同居する次女も40代半ばで小5と中3の息子を育てながら東京の会社に勤めている。この家を建て替えたのは中3の孫が1歳半の時でした。結婚後東京のマンションで暮らしていた次女は育児休暇を終えて正社員として会社に戻るためには親との同居が必要と考えたようです。(日中は留守で夫婦2人なのにマンションの下の住民からの音に対するクレームも一因でした)私の子育て時代よりも、企業も社会も子育てに理解あるかのような現代でも、母親の負担は変わりませんね。一番大変だったのは、今、中3の孫が近くの保育園に入れずに少し離れた認可保育園に入れた時でした。迎えが間に合わない娘に変わって時々私が迎えに行ったものです。娘も娘婿も東京の会社に勤めて当時は主人もまだ東京に出勤していました。当時は私も占い師として週に2回ほどデパートに出社していましたが、孫が熱を出したり、娘が迎え時間が間に合わない時は迎えは私の役割。そのころ娘が買ってくれたアシスト付き自転車を今でも使っています。時代が変わっても子供の面倒をみるのはやはり女たち(母親や祖母)です。自分たちの意思で結婚して子供を育てていても、いつ、1人で子育てをする立場になるかわからない。 豊かになったと言っても、今の日本では夫婦共働き世帯が多い現状で、夫婦で協力して子供を育てていても家事と育児の負担は7割以上は女性が担っています。子供育てる夫婦で教育や塾や習い事など私たちの子育て時代よりも親の経済と時間の負担は増えているように思います。学校が要求する親への負担、PTA,通学補助、体調悪い時は登校させるな等。そして、その育児を担うのは母親が9割。企業が育児には協力的になったと言っても仕事量が減るわけでもなく、男性が育児や家事に協力的と言っても部分的。共働きの場合は生活費は男女平等(?)のような現代で家事負担は女性が沢山負担するって凄い不平等に思うけど 会社勤務しながら40代になった娘2人が子育てに家事にと忙しくしている姿を(自分の健康だけには気をつけてほしい)と願いながら、少子化対策に国をあげて取り組んでも、家庭を持ち子育てをする女たちの負担は変わらないのは何故?日本人(特に男たち)の意識が変わらない限り女たちの負担も軽くはならない。結婚した女性たちが家事や子育てに疲れる様子を見たら、女性たちの結婚願望も子供を産む決心も増えると思われない。 子育ても家事も女だけに負担させないと言う意識改革が必要だと思う。そして、子供を捨てる離婚者たちには養育費の支払い義務を制度化しなくてはいけないと思う。家庭を持った女性たちよ、周囲(親や夫や家事代行)を頼って「子育てって本当に楽しく、人生を豊かにしてくれる」と、もっともっと子育てを人生を楽しんでほしい。
2024.06.09
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小学生の孫に「大谷選手が曼荼羅を作って実行して今の大活躍があるんだよ」と教えてもらって私の曼荼羅を作ってちょうど1年経過。「目標はあと10年は健康でいること」家系からいっても私も主人の家系もけして長寿ではない。私の母が79歳で脳梗塞で倒れて、85歳で心筋梗塞で亡くなった。今が元気でも、体質もやはり親の遺伝子を受け継いでいるに違いないと思う。目標は「あと10年体と脳の健康維持」(1年経ったけど今からあと10年)。9×9の89のコマに、中央に目標を置き、8つの行動目標と8つの具体的行動。9×9=81 ①8×9 改めて、大谷選手の「曼荼羅チャート」実践力に驚いています。大谷選手はやはり努力の人。1年前に作成した私の曼荼羅↓反省、「運を良くする」→1日1善って結構面倒です(日常+)ゴミ拾いや災害地へのカンパや忙しい方に変わってごみ当番等しか思い浮かばないけれど週1回がやっとで毎日はとても無理。「認知症予防」→自筆の手紙を書くも最近は本当に手紙を書かなくなった。(年賀状で自筆で一言添えて出しました)「体力」→1日8千歩以上歩く、夕方の犬の散歩を主人に任せていると未達。「日常以外の楽しみ」→映画や外食やデパートに行く回数が減っている。このことも1日8000歩未達の日を増やしている。去年の曼荼羅を今年用に作り直さなければと思う1年目の反省。
2024.04.17
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何年か前に教えていただいた数字ですが、企業の継続は難しいようです。先日書いた「あきない世傳・金と銀」では呉服屋五鈴屋を100年続く店にしたいと頑張る話でしたが、現在でも中小企業が設立から倒産及び廃業まで生存率は5年で15%、10年で6・3%、40年というのは0.0002%確率のようです。(あまりに低くて半信半疑)この3月に起業した私ですが、いつまで続けられるか今、再放送中の朝ドラ「まんぷく」はインスタントラーメンを考案した日清食品の創業者夫婦の物語ですが、安藤百福氏が開発したインスタントラーメンとカップラーメンが主力商品で76年。孫の現在社長は新しい商品を生み出すことを考えているようですが、新商品が大ヒットする確率は少ないようです。個人事業主として私が代理店をしている株式会社エレガンス社も創業47年ですが、主力商品は創業者が開発した創業当時の商品です。創業者が育てた代理店さんたちも高齢化して廃業されて、その商品を欲しがる方たちのおかげで、私の「楽天ショップ・愛美」に買いに来てくださるから、私も楽天ショップで16年継続できました。でも、新しいヒット商品がないとこれからの継続は難しいでしょう。いつか次女が継承してくれることを期待しての起業ですから、1社に頼らずに「売ってよし、買ってよし(五鈴屋のあきないの心得)」の製品をみつけたいと思うのですが、なかなか難しいのです先日、16年も出店していながら勉強会にも出たことがない私が、初めて楽天市場出店者向けのリアル勉強会に出席しました。会場が近くだったことと、起業したからには継続させたいの思いで出席したのですが、出店暦も短く若い方たちが多かったです。ネット苦手な私にとってはQRコードで読み取ったり楽天ネット用語が飛び交う4時間半の勉強会は疲れました。でも、起業したからには後継者にバトンを渡せる会社にしたいと5年10年継続を目指そうと思うのです。
2024.03.24
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熟年男性たちの「推し」の熱さに驚きました。「島津亜矢 歌怪獣襲来ツアー」との名で大宮ソニック会場だったので、東京のコンサートのチケットは取れなかったと言う友人と県内の友人と3人で行ってきました。実は私は島津亜矢さんの持ち歌をあまり知らないのです。でも、時々歌番組に出演されている時に見る歌唱力に圧倒されていました。東京の友人はご主人が「島津亜矢の歌う浪曲や浪花節が大好きで涙流して聞き行っているのよ」とのこと。私が以前、気学を教えてもらった先生も島津亜矢の大フアンで歌詞まで書いてあげたと言っていたので、その時まではあまり気に留めなかった島津亜矢を注目しだしたのですが、持ち歌よりもその歌唱力に聞きほれました。コンサートはMCもいない楽団との2時間半(休憩20分)の独り舞台。ニューミュージック、ミュージカル、歌謡曲、持ち歌と、次から次と歌詞を観る様子もなく歌う姿はまさに歌怪獣の異名をとるだけありました。次々にいろんなジャンルの詩を歌題もなく歌うので、次に何が飛び出すか休憩タイムに友人が「プログラム買ってくるわね」と受付に飛んで行ったのですが、プログラムなしとのこと。前から7番目の私の席の前の男性(70代?)が黄色いはっぴを着て大声援休憩時間に友人が話しかけたら、ファンクラブに入っていて追っかけしているとのこと「もうすぐ誕生日だから花を送ったんだよ。2週間前まで受付だったんだ」友人が「お陰で私たちも一緒に声掛けしたり楽しんでます」と言ったら「亜矢は本当に歌がうまいよ」と大フアンの顔。 「亜矢ちゃん」「アンコール」と熱い声で叫ぶのは皆年配の男性たち。島津亜矢さんって年配男性のフアンが多くて、そして「推し」されているんですね。友人の旦那様も島津亜矢の浪花節の大フアンだと言うし、コンサートでも大物歌手のカバー曲に聞き惚れてしまいました。あまりに歌唱力があり過ぎて何を歌ってもうまいから、自分自身の持ち歌もその一つだと思われるのかもしれません。3月28日で53歳になるのですが、晩年十二大従星が天将星だからまだまだ活躍期待できそう。どんなジャンルの詩も歌いこなせるから持ち歌が印象に残らないのかもしれませんが、あの声量を活かして代表曲を出してほしいものです。そして、やはりプログラムと司会がいると私のようにたまたま参加の聴衆者も楽しめるはず。
2024.03.18
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「縁と運と流れ」で、やっと個人事業主から合同会社の社長になりました。何事も「縁と運と流れ」頼みの私ですが、70代半ばで会社を作りました。ネット通販の売り上げがアップしてきたころから、法人化を考えていたのですが、法人化って結構難しく、一人で内職感覚でコツコツやっていただけの仕事で、(無理!)とあきらめて、ネット販売のシステムも、昨年秋からのインボイス制の申告など税金関係も面倒になるばっかりで起業どころか閉店を考え始めていたのです。でも、在庫もあるので、閉店も結構面倒なのです。そんな時に、ニ所帯住居で同居の次女が「閉店」をもったいないと言ってくれたのです。①娘を動かしたきっかけは一冊の本「40代からは稼ぎ口を2つにしなさい 坂口仁著」②そして、私に会社作りを決心させたのは「広告の会社、作りました 中村航著」と言う本。③娘と私の二人の意見が一致したのは、最近すっかり意欲を無くした父親(旦那)をもっと元気にさせたい思いでした。娘がネットで合同会社設立し、私と娘と主人が出資。比率は13:1:1。合同会社は株式を発行しない。出資金は設立社員だけ。決算書も公開しなくて良い。と、起業のハードルは低いのです。けれど、アマゾンジャパンもアップル日本法人も合同会社とのこと定款に事業内容を現状だけでなく将来の希望業種を入れたから、異業種追加可能。娘や他の家族がやりたいこともできる。人生100年時代、年金だけで細々と生活するなんて夢がなさすぎる。ひとりでやっていて一人で起業は到底できなかったけれど、娘が一緒にやっても良いと言ってくれて(ネット関係)、乗り気がない主人を引き込んでなんとか起業できましたが、受注処理は私一人でやれても、会社経営の登記費用や諸々の費用、マネーフォワードの事などとても一人ではできませんでした。 3月10日にテレビ朝日の「劇的ビフォーアフター」で、100歳の母親を75歳の息子と70歳の嫁が面倒をみるために同居する家のリフォームを放送していたのですが、75歳の息子は10年前に肺癌を患っていながら元気で清水焼の名工の仕事を続けていて、健康維持のためもあって8歳のニューファンドランドと言う超大型犬を飼って、さらに2ヶ月の子犬を飼うと言うことに、本当に良い刺激を受けました。40代からは「稼ぎ口」を2つにしなさい [ 坂下 仁 ]広告の会社、作りました (ポプラ文庫 日本文学 465) [ 中村 航 ]
2024.03.13
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大谷翔平選手の「曼荼羅」を見習って今年の4月に作った私の曼荼羅(80歳まで健康でいるための)のおかげで日常生活の目標がわかりやすいのです。大谷選手が「曼荼羅」を作って指針にしていることを教えてくれたのは小5の孫でした。野球をやっているせいか春休みに教えてくれたから4月に私の曼荼羅を作ってみたのです。やはり目標は目で見えた方が指針になります。年末に見直すと反省もいくつかあります。8つの課題の「体力づくり」は1日8000歩以上歩くが夕方の愛犬の散歩を主人任せにしていたせいで5000~6000歩になってしまっています。新年からは夕方の散歩もしなければ。「健康管理」では血圧が少し高くなりました(薬なし)。未だ現役経営者の学生時代の友人は青魚とタマネギの酢漬けのせいか20代の血液だと医者に言われたと言っていたので、酢漬けと青魚を食べる習慣つけるつもりです。脊柱管狭窄症は今年は針灸医院にも整形外科にも整体にも行かずに痛みもなく過ごせました。「認知症予防」は自筆で手紙を書くが未達成、せめて1か月に1通は出さなければ。新しい知識もちょっと不足気味。「運を良くする」は1日1善はなかなか難しいのです。大谷選手が実行している《ゴミ拾い》がまずまず実行可能でもあるのですが、コロナのせいもあって素手ではなかなかその気になれない。「日常以外の楽しみ」では8つのうちあと2つ埋まらないままですが、6つはなんとか実践。この空欄の2つを明日までに考えて来年の指針にしようと思う年末です。今年の4月に作った「私の曼荼羅」2023年日本で最も明るいニュースを提供してくれた大谷翔平選手の来年の活躍を期待します。
2023.12.31
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アマゾンから届いた娘宛の大きなダンボール箱を玄関に置いておいたら、小4の孫が学校から帰るなり2階の娘ファミリー宅に持って行ってしまった。(あれ?もしかしたらクリスマスプレゼントだった?)と気づいた時はすでに遅し。去年までは「アマゾンからの荷物隠しておいてね」と言う娘も今年は言わなかった。(もう小4だから知らせて良い頃かな?)最近は出社することが多くなった娘がかえってきた時に小4孫がもう空けてしまったと話す。夕食後に孫たちが2階にあがったあと娘が言うには「サンタさんは親なんだよと友達が言っていたけど、本当にそうだったんだね」と泣いたので私も泣いてしまった。思えば、その次女も小学生の時にサンタが親であることを知って泣いたことを思い出した。長女はいつの間にか知っていたらしい。そして次女の長男(中2)もいつの間にか知っていた。次女と小4の孫は外見も食欲も似ているけれど感受性も似ているようだ。そろそろ我が家にはサンタクロースが来ないことを知って当たり前の年齢だと思うけどレゴ LEGO シティ 60368 北極探検船【送料無料】
2023.12.24
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手取りが減る年収の壁がニュースになっている。給料が上がらない時代に主婦が少しだけでも家計の足しにと働いても、1月に8万5千円以上もらったら手取りが減るなんてあまりにもひどい。先日、出店している楽天市場からもインボイス登録NO申請を要求されて近くの税務署の説明会に出席したのですが、受講者の4割は女性でした。きっと私のように内職感覚で仕事をしている女性たちなのかもしれません。近所の同年代の知人にも会ったので、隣の席で受講しました。彼女は事業を経営していたご主人が体調壊して事業はたたんだそうなのですが、不動産収入などの雑収入の申告のために受講しに来たとのことです。新しい税の申告って本当に面倒です。売上1000万円以下の場合は「簡易課税制度」の選択ができるとのことで、この機会に「個人事業主」から「会社組織」にして売上を伸ばしたいと考えていた私の意欲がなえてしまいましたが、知人は不動産収入と言っても古いビルなので、修繕費もかかるし借り手もいるかどうか?心配。1000万以上だと簡易課税制度も利用できないとなると消費税の計算も大変。ビルを解体するにもかなりの費用がかかるしと悩んでいました。70歳半ばの私たちには新税制度の申告は本当に厄介です。昨日の日経新聞の夕刊の「明日への課題」のコラムに、小売業の購買売上で昔はサラリーマンの給料日の25日が高かったが、2007年ころから偶数月の年金支給日15日が高くなり、2013年ころには1日の生活保護支給日が高くなっているとの記事でした。現役の時は夫婦で働いてきちんと所得税を納めて来た団塊世代、定年した旦那様に代わって年金プラスになればと思って働いても、老後に備えての不動産収入も増税の対象になるなんて周囲にも年金でささやかな暮らしをしている人も多いのに、どうみてもお元気な人が生活保護をもらっている。年金よりも生活保護費の方が多いと言う現実年金生活者と生活保護生活者の収入源は何処から?給料の上昇のなかった日本で、働かない人だけが増えて行ったらどうなるのだろう?「自分の生活は働いて稼ごうとする庶民から、その意欲を取り上げないでほしい」と願う。
2023.09.26
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コロナ自粛からの解放感か?今年の夏のイベントは例年以上に盛り上がっている30日の大宮の花火4年前までの何倍も人が押し寄せた。午後5時、7時半の開始前2時間半まえから見物の人々が良い場所を目指して集まっていた。あまりの人込みで我がファミリーは家の窓から見ることに。東京の花火の混雑ぶりはテレビで見ていたが、さいたま市の大宮の花火にこんなに人が集まるなんて今まで4年分のうっぷんをはきだすかのように、人は群がろうとする 8月1日2日は大宮の祭り(武蔵一之宮・氷川神社の祭り)。連日の酷暑の中、4年前までの例年通りの日程で祭りが行われ始めた。70代半ばの主人は御神輿の設置や引き回し役は引退させてもらったが、主人と同年配の人たちは現役続行している様子。中2の孫と小4の孫も氷川様のおひざ元に住む氏子として神輿の街への誘導役に参加している。異常なこの暑さの中だれも熱中症で倒れることなどありませんように。 それにしても、年々暑くなるこの時期に、日本の祭りがあって、年々、参加者の高齢化が進み、子供たちの参加が激減している。6日からは、さいたま市よりも南の甲子園で「全国高校野球大会」が始まる。試合に出る選手も、応援する人たちも、どうぞ熱中症になりませんように。いつも一緒に出掛けている友人たちは明日は「長岡の花火」見学に出かけて行く。大宮の花火と祭りのイベントの混雑に恐れをなしている私、良い席が予約できたのに、私が不参加なので、友人の友達が(私よりも高齢)が参加してくれる。どうぞ、熱中症になりませんように、そしてトイレ混むから気をつけて
2023.08.01
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行動制限がなくなったせいか、それよりも少し前から友人たちと出歩く機会が増えました。仲の良い友人たち(5人)全員70代(71~78歳)、みんな忙しくしていて元気です。去年も旅行2回、暑気払い、忘年会、そして新年会、旅行、ランチ、展覧会、映画鑑賞と、1か月に1回以上とまるで3年の自粛生活を取り戻すように会う機会を増やしている。去年の秋の高野山と弘法大師ゆかりの寺への旅行の階段の多さに途中棄権したのは私だけ。みんな全コース突破。 梅雨に入る前にジャガイモとタマネギを収穫して、宅急便で友人たちに送ろうかと思っていたら、県内の友人は車で取りに来てくれた。スーパーで買っても宅急便代で買えるジャガイモとタマネギ。わざわざ20kmのところを取に来てくれるのも恐縮してしまうのですが、来訪してランチしてオシャベリしてと楽しいひと時を持つことができました。私が勉強する「算命学」からみても元気な晩年を過ごすOさんは、今は夫婦二人で暮らしているけど、週に2~3回は娘さんや息子さんファミリーが夕食を食べに来ているから、ジャガイモやタマネギの消費量は多いと言う。Oさんは中年と晩年に天将星がある身強の人、デイサービスの昼食の仕事を週に3回。会社も経営しているから忙しさは半端でないのに、フットワークの良さは抜群。Iさんは母屋の庭にお一人様の家を建てて1人住まいだけれど、母屋の娘ファミリーの世話をしたり、ボランテイアで仕事をしたり、忙しい。5月は新潟の友人の別荘に行って山菜取りをして、6月のもミステリーツアー沖縄に旅してきたという。お一人様のせいか、昔のボーイフレンドやジム仲間の男性から「人生相談」の電話がしょっちゅうかかってくるそうな?ランチの時その相談内容に二人でクスクスと笑いどおし、「病気の相談や、お墓の相談、相続の相談ばっかり」と言う。「仕事をやめた年取った男性たちって、友達や家族に相談したくないみたい」・・・「何日も人と話をしていなくて、言葉が出てこないなんて言われてもね」・・・8月は「長岡の花火」の良い席とれたし、宿泊は友人の湯沢の別荘。「長岡の花火」はいつもの仲間5人中4人参加(私をのぞ4人)。
2023.06.12
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久しぶりに爽快なストーリーのNHK朝ドラ「舞あがれ」が終わり方も素晴らしかった「夢を追いかけて一生懸命に生きている主人公を応援しながら楽しく見た半年間」番組編成期にはテレビガイドなどを買って、どのドラマを見るか楽しみにするのですが、1~3月までの夜のドラマは見続けたドラマはなかった。それでも、懲りもせずに4月からはどんなドラマが始まるのだろうと楽しみにしている。以前は刑事物語や推理ドラマを結構見ていたのに、(仕事を退職した)主人がスポーツ番組を見るようになってから、録画してまで見たいドラマが無くなった。「ラストマン?」だったか、福山雅治さんと大泉洋さん共演のドラマらしいので期待大。お二人ともステキな男性たちで俳優さんですから。どうか、録画してもみる気になる作品でありますようにNHKの朝ドラはよほど不快な気持ちにならない作品なら見ている。一生懸命に頑張る主人公と、素晴らしいわき役俳優さんたちの創るストーリーが楽しい。殺人や極悪人もいなくて朝から嫌な気持ちにならないで済む。(ちむどんどんは途中から見るのをやめた。詐欺、甘すぎる母、略奪婚は嫌)「舞いあがれ!」は夢を追いかけて、縁が繋がっていて、矛盾がなかった。 舞いあがれ!の最終回を観た後、新聞を読むと、夢の大事さが書かれていた。日経朝刊の「私の履歴書」3月の筆者はJR九州の唐池恒二(からいけこうじ)氏の31日の締めくくりに、吉田松陰の言葉が記してあった。「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なし者に実行なし。故に、夢なき者に成功なし」3月に日本中を虜にしたWBC、中でも、最も輝いていた大谷翔平選手。野球少年の孫の話では子供の時から「野球選手なる」夢に向かって自分を律していたとのこと?野球界の大スターになった今でも、少年のような目でさらに上を目指しているようだ。 70代の私も、生かされている間は夢をもちたいと思う。「夢を持たなければ計画も実行も成功もなし」暗いニュースが続いたこの3年、3月は、舞ちゃん、唐池氏、大谷選手、夢を追いかける人たちの活躍で明るい気持ちになれた。
2023.03.31
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「さまざまなことを思い出す桜かな 芭蕉」50年前の結婚式には咲いていなかった桜が今年は満開。「金婚式を迎えられる夫婦ってどのくらいの確立なのだろう」団塊世代の私たちは金婚式を迎えた。現役サラリーマン時代は旅行やイベントなどは主人が率先して企画してくれたのに、最近は旅行も乗り気でなく、金婚式が近づいてもなんの企画も立ててくれなかった主人が「近所のパスタ屋で2人でランチ食べて、夜は家族で近所のレストランで食事しようか」と言ったので(えっ!金婚式よ)と内心ガッカリ。そして、(私が企画するしかない)と行動開始。結婚式あげた椿山荘に電話するとスタンダードの部屋が一部屋だけ空きあったけど。でも、ディナーもランチもカフェも予約は取れませんでした。同居の娘に相談したら、ディナーは近くのリーガロイヤルホテルのレストランを予約してくれた。娘が孫2人と車で送ってくれて、チェックイン前に到着。ロビーラウンジでお茶(空き待ち40分)したあと、椿山荘の庭園を散歩。椿咲き、桜はほぼ満開、滝や三重塔まである庭園に時々雲海の演出。東京のオアシスのような庭園を初めての孫たちも興味深々。チェックイン後にみんなで部屋に移動。スーペリアガーデンビューで庭の景観も素晴らしく設備も素晴らしい。以前(十数年前)はフォーシーズンホテルだった部屋はソファーもベットもゆったり。孫たちは泊まれなかったことを残念がっていた。ディナー場所のリーガロイヤルまでは歩いて移動。坂道の勾配のきつさに驚きながら神田川沿いの桜に見とれる。東京なのに神田川沿いの桜並木は混雑無し。リーガロイヤルホテルのレストランからは大隈庭園が眺められて雰囲気良し。そのうえ、ディナーメニューもリズナブル椿山荘への帰り道、急勾配の坂道を中1の孫が後ろから押してくれた。(ラクチン・ありがとう)ホテルに着いて娘と孫は家に帰って行った(片道車で1時間)。次の朝はメインダイニングで食事したが、味はちょっと残念。部屋に戻ると、主人はテレビのWBC放送にくぎ付け。私は会計を済ませて、庭を散策したり、ショッピングしたりして、WBCの試合が終わるのを待ってチェックアウト(チェックアウトは12時) コロナの流行でこの3年以上いろんなイベントがなくなってしまった。小3の孫は入学式もなかった。冠婚葬祭のお付き合いも数えるほど少ない。その中で家族行事も少なくなっている。結婚式や入学式など祝い事も形にしなければ印象が薄くなってしまう。まして、長くつれそった夫婦の記念日なんて意識しなければ忘れ去られる。コロナも下火になって、さまざまなイベントが復活の流れの中で、「誕生日や卒業式や入学式など家族の記念日を特別な一日として過ごす」ことで、思い出として家族の記憶に残そうと改めて思う。あと、どのくらい元気で記念日をお祝いできるかわからないし・・・娘たちがホテルの部屋に届けてくれた花。椿山荘の庭の桜も満開でした。
2023.03.23
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結婚してもうすぐ50年。「縁は神様の世界」って算命学の師も言います。結婚式で花嫁が白無垢やウエデイングドレスを着るのは「死ぬまで添い遂げます」の意味。花婿の黒い紋付き袴、黒いモーニング衣装は「仏になっても一緒だよ」の意味(言葉が違っても確かにそんなことを教えていただいた) 「運を良くするにはどうしたらよいのでしょう」と問う人がいます。「算命学の高尾義政宗家の特別講義録」に書かれているのは↓運を掴むためには1)逃げないこと2)自分の家系を知り、そのカラーを認識すること3)先祖供養人生良い時も悪い時もあるけれど、この3つを守っていると不運にはならない。と「高尾義政宗家の特別講義録」に書いてあるのです。特に「縁は神様の世界」その縁で夫婦になったら添い遂げること。との記述もあります。「離婚は運気を半減する」神様のご縁で結婚した夫婦がお互い100の運気で頑張れば2人で200の運になる。離婚すれば元の100に減ってしまい、再婚すればさらに減ると教えられました。最近は芸能界だけでなく身近な人たちにも離婚が多い。神前結婚式にしてもキリスト教式結婚式にしても神に誓って夫婦になった男女。「縁は神様の世界」で神の前で添い遂げることを誓っても、「人生良い時も悪い時も、病める時も健やかな時も」あって当然。運勢を良くするには第一が「逃げないこと」逃げることで、自分だけでなく子供や孫まで影響するのです。「六親法」(6代祖先6代子孫)の世界も崩れてしまう。「どうしようもない理由で離婚したら100の運気になるけれど、半分の100で一人で生きる覚悟を持って生きる。でも、再婚したら、自分が亡くなる時は50の運気に減ってしまう覚悟も必要」と算命学の師は言います。(神との約束を破って逃げても運も悪くなり人間関係も複雑になる人生) 運命学からみても「金婚式を迎えられるって幸せな事」だと思います。我が両親も父が72歳で亡くなった時は母は65歳。主人の両親は母親が早世された時は父親は48歳。周囲をみても50年連れ添えた夫婦はそんなに多くはない。平凡な50年だけれど娘2人を育てて、結婚させて、孫が4人。2+4+4=10の単純で分かりやすい家系の構図。家族が10人集まると、姉妹はとても仲が良いけれど、娘たちが今の自分の家族を一番大事にしているのが良く解る。全員集合時に、なにかと忙しい私を一番気遣ってくれるのは主人。(夫婦ってやはり一対なんだと、50年連れ添えたのは幸運だと思う)でも、寂しいのは「金婚式」を祝う話がでない事。(自分で企画するしかない)
2023.03.17
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3月6日の日経夕刊の記事に妙高高原に一大リゾート施設を計画するケン・チャンさんの記事があった。私も去年の暮れに娘ファミリーと家族旅行で妙高高原のロッテアライリゾートホテルに行ってきた。中1と小3の息子がいる活動的な娘ファミリーと楽しめるホテルを探して選んだロッテアライリゾートホテル。新幹線で大宮から1時間半、妙高高原まで送迎バスがあり、スキーをしない70代の私たち夫婦も楽しめる。スキーのゲレンデやリフト乗り場はホテル前にあって、とても空いていて小3の孫も一人でリフトに乗っても安心できるスキー場。客もスタッフも外国人が多くてビックリ私の体験を聞いて友人がスポーツジムの友人(水泳のマスターズコース)4人で先月出かけて、水泳やスキー、スノーラフティングを楽しんできたとのこと。その妙高高原にシンガポール人のケン・チャン氏が大リゾートを計画している。ホテル・飲食・スキー・アパレルブランド・レジャーなどにと200haの土地を所得とか3年以上の新型コロナの大流行で様々なことが変わった。70歳過ぎたといえ人口の多い団塊世代の楽しみ方も変わってきている。夫婦で海外旅行やクルーズ旅行に行っていた私たちは、もう海外旅行やクルーズ旅行に行きたいと思わない。夫婦二人で温泉&名所観光などしたいと思わない。旅行するなら友人たちとオシャベリ楽しめる近くの温泉旅行(5人部屋はなかなか無)か、3世代で楽しめる家族旅行。ケン・チャン氏の構想は時代にあっていると思った。この春休みにも孫たちつれての家族旅行を計画すると、電車時間が短く三世代が楽しめるところはなかなか見つからない。春休みになるとファミリールームはどこも空き室無し。やっと伊豆のコンドミニアムタイプの部屋を予約して、遊び方はこれから計画たてる。はやく、施設内で三世代が楽しめるリゾート施設が完成してほしい。団塊世代は70代でもまだまだ時代を作っていけるはず。自分たちはもう企画も実行力もないから現役世代の企画力や実現力に期待してしまう。アライリゾートの図書館はこんな居心地の良い部屋がいくつもあって蔵書も素晴らしい。
2023.03.07
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総務省の日本全国人口移動の調査で、我が町のさいたま市が全国一位9282人。0~14歳の転入超過数は1520人。私自身、日本各地(たかが5県ですが)様々な地域に住んでさいたま市が一番長く住んでいます。冬の晴天率が高く、大宮は交通が便利で、緑地の多い環境です。そして、災害も少なく住みやすい街であることは確かです。リモートワークが進んだこの3年、都心より家賃も住宅価格も手ごろ。鉄道の便利さは格別で、週に1回ほどの通勤なら不自由しない。ショッピングや病院や学校など生活環境は整っています。子供の医療費もかからないさいたま市は子育てにも便利。朝刊のニュースではリモートワークが進んでも都心回帰の傾向もあって、東京集中が再加速しているとのことで転入超過は3万8千人超。そして、首都圏の神奈川、埼玉、千葉も転入が増えているとのこと。副都心に勤める娘の同僚も、今、大宮で家を探しているとのこと。勤め先への交通に便利で、自分の実家へも便利と言う理由。私も37年前に大宮を選んだのは主人と私の勤め先に便利なことと、両方の実家へのアクセスが良いことでした。大宮の東側は公園も広くて四季折々の自然が楽します。
2023.01.31
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首都圏有数のターミナル駅の大宮駅から2~3kmの我が町唯一のスーパーマーケットが10日に閉店した。歩いても自転車でもすぐに行けるスーパーの閉店は本当に不便。ペーパードライバーだった私は運転免許返納してしまっているので、日常の買い物にも主人に車を出してもらわなければいけない。先日はバスで行った駅近くのデパートで買い物したらあまりの重さで帰りはタクシーを利用した。(主婦感覚ではもったいない)ターミナル駅に近くても静かな住宅街の我が町。1・2・3丁目まであってスーパーが一つだけでした。隣の2丁目の95歳のオーナーのやっているカフェは移動スーパーが来る日だけ店を開ける。移動スーパーに買い物に来る人が車を待つ間、買い物した後カフェでコーヒー飲んだりビール飲んだりしていて驚いていた。高齢で1km圏内のスーパーも遠いと感じていた近所の人が利用していた。3丁目の我が町内にあったスーパーが閉店になって、本当に不便。調味料を買い忘れると、次の大量買いで車を出してもらうまで待たないといけない。喫茶店を出し損ねた我が家の隣地に「移動スーパーに来てもらったら買う人いるかしら?」と主人に話したら「高齢者が多いけど、商品価格にプラス2円かかるなら、いるはずないよ」と主人は取り合わない。コープも週1でたのんでいるけど、やはり生鮮食品は品物みて買いたい。機械置き駐輪場しかなくなった駅近くには自転車(アシスト式で幅広く重い)で行きたくない私は、この10日ですっかり買い物難民気分。氷川神社にも大宮公園にも近いスーパーは駐車場が買い物以外の人が使う場合も多かった。この通り沿いは最近宗教団体に買い占められていて、コンビニもストアもなくなって行く。スーパーの跡地には「食料品店」が来てほしい。そうだ、「先日見たポツンと一軒家の3Dプリンターハウス建てて隣地に移動スーパーに来てもらおうかな」
2023.01.21
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この秋、両親の故郷を訪ねる旅をしました。父の故郷は奥会津の只見線沿い、70過ぎた従弟が先祖の墓を守ってくれているのですが、2011年夏の大洪水で大きな被害を受けた只見線沿線はの過疎が進んだ村で大活躍。重機の運転の仕事をしたり、観光協会でボランテイァでそば打ちしたり、冬は雪除車の仕事をすると言う。「名湯・つるの湯」の隣に住む85歳の従姉も最近の只見線人気で「つるの湯」の手伝いで忙しい様子。そして、90歳の母の友人は午前中は畑に出て働き、午後はバスで町営の温泉に入りに行くと、足腰が痛くなっても温泉に入れば治ってしまうと言う。何年振りかで訪ねた田舎は確実に過疎化が進んでいたけれど、その分、年を重ねても元気な人たちには活躍の場がある様子。親戚や知人たちがみな元気でしっかり生きている様子にホッとできた旅。100歳以上の人が増えている。今年90歳以上で亡くなった方たちが亡くなるまで仕事をしていたことに憧れる。十数年も前に霊力のある知人に「貴女は生涯働きますよ」と言われてビックリしたことがあった。ちょうど、勤めを辞めて母の介護で主婦業していた時だったから(まさか)と思っていた。でも、あれから私も楽天ショップの仕事をしたり、占いの仕事をしたり、仕事とはいえないかもしれない趣味程度の仕事は続けている。それでも、もっと遣り甲斐のある仕事をしたいと願う。「算命学」や「隣地」でなにかできないかと思案してみる。朝霞市の「丸沼美術館サロン」のオーナーほどの資産家は、あんな風に収集した美術品や土地を地域の人たちのために役立たせてくださっている。我が町でも95歳の方が経営するカフェも地域の年寄りから喜ばれている。生涯働くなら、もっとワクワクできる人に喜ばれる仕事がしたいと思う。
2022.11.12
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95歳のオーナーとその奥様80歳がやっているカフェに行ってきました。以前は食事も出していたようですが、今は週2日(火金)カフェをするのが精いっぱいと、それでも凄い大宮駅からは2kmの住宅地。近くに食料品スーパーがないせいか(1km以内には沢山ある)火曜日金曜日には大手スーパーの販売カーが店の前に来るので、近所の方たちがその車が来るまでと買い物した後とコーヒー飲んだりビール飲んだりしながら集まるカフェ。 96歳の女性は自分の食事は自分でつくっているけれど、スーパーまでは遠いから移動スーパーを楽しみにしていると言う。買い物の後、ビール(中ビン)頼んでグイグイと美味しそうに飲む。「どこも痛いところや悪いところもない」と言う。買い物に来た人たちの半数はカフェに寄っておしゃべりをしていく様子。昼下がりのカフェでコーヒー半数とビール半数。車や自転車で買い物に行けなくなったひとたちだから75~100歳の人たち。ここにくるとみんなに会えるし、おしゃべりできるから楽しみだと言う。「儲からないし、面倒だからもうやめようとも思うけれど、主人も楽しようだし、みんなも楽しんでくれているから続けているけれど、最近は料理も掃除も面倒になっているの」と奥様。「人生100年時代元気なら、定年後だってまだまだ人様の役に立てると思うけれど」近くに大宮氷川参道の平成広場があり、大宮公園もある環境、さいたま市は高齢者に優しい町なのかもしれない。
2022.11.02
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今朝の日経朝刊に「さいたま市は負債の年収比が1位」という記事があった。全国の県庁所在市の調査で、1世帯の負債額が1・51倍で全国1位。負債額が全国1は名誉ではありませんが(平均は1.14倍)、持ち家志向が高いからとあります。私もさいたま市に住んで37年(持ち家年35年建て替えあり)さいたま市は住みやすい街です。首都圏いろいろ住みましたがさいたま市の大宮は東京にも実家のある新潟に交通のアクセスが良いことと、主人の職場に(定年までの)も便利で、私の仕事にも便利でした。我が人生で一番長く住んださいたま市、大きな災害にも逢わず、緑が多くて、日常生活も快適です。結婚して都内に住んでいた娘も子供を育てながら仕事を続けるために、職場にも通勤可能な大宮に戻ってきました。40代の娘の友人たちも都内へのアクセスが良いので都内で核家族で子育てするよりも親の傍で手伝ってもらえるから、さいたま市に住まいを持つ人が増えています。公園も広く犬も飼いやすい街(大宮第2公園)建売も環境良い場所が多い(大宮駅2km)保育園も学校もスーパーもすぐ近くにある建売住宅
2022.11.01
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憧れの女性、森英恵さんが亡くなった。生き方も、96歳で亡くなる直前まで仕事をされて老衰死という亡くなり方も見事です。恋愛結婚して(22歳)から主婦の生活に飽き足らずドレメ学院(?)に入って洋服づくりに夢中になって、新宿に洋服屋さんを出店(25歳)。主婦であり母親であったのに、一途に洋服づくりをして、映画スターたちの衣装を手掛けて有名になって行く、奥様を経営面からサポートするためにご主人が手伝う。父の仕事と放蕩に振り回されても自分の働きで私に貧乏を感じさせなかった我が母の人生を思うと、母と同学年でありながら旦那様にサポートされて才能を伸ばした森英恵さんの生き方には拍手喝采。ご主人が亡くなってから経営が行き詰って会社更生法の適応になったが、デザイナーとしての仕事は益々素晴らしくて、「今日よりも明日の方が良いものを作れる」との意気込みで96歳まで現役だなんて憧れるなんて言う言葉も恐れ多い気がする。それでも、日本文化を愛して世界の「ハナエ・モリ」として活躍された同じ女性として日本人として心から誇りにしたい生き方1枚だけ持っている私のハナエモリのツーピースはもう着る機会がないけれど、洋服ダンスから出して眺めていたら、娘が「着ないならメルカリで売ったら」と言ったけれど、「貴女が着るならあげるけど、メルカリには出さないでね」と言って娘にあげた。クルーズ旅行の衣装として買ったけれど、ノースリーブだったからなかなか着る機会がなかった。憧れのハナエモリブランドですもの手放したくはない。
2022.08.20
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先日、私が代理店をしている会社の創業45周年パーティーが熱海のホテルで開催されました。出席者は私と同様に事業所をしている方々が全国から集まりました。私は20年継続で招待していただいたのですが、30年40年の方達や会社創業時からの方もおられました。一口に45年と言っても昭和52年からの45年、バブルがありリーマンショックがありいくつもの大災害があった中で、中小規模の化粧品&健康食品の会社が存続できたことは凄い広告も店頭販売もせずに口コミ販売方法だけでの45周年はやはり商品力あってのもの。そしてなんと言っても創業者(女性)でもある会長の力なんでしょう。20代で死を宣告された創業者が、伯母さんが持ってきてくれた「水」で生を得ることができ、回復されてから、その水を探して9年かけて起業。「生かされた理由はきっと、このご神水の力で作った製品を求めている方たちに届けること」「女性がもっともっと活躍できるようにすること」と起業されたとのこと。私がこの会社に出会ったのもこの水の「ご縁」、家族や自分の健康のために出会った水「巖寿」を製造販売する会社の代理店になって20年。この水のお陰で、この20年は私にとっていろんなことに出会えた20年でした。更年期からの成人喘息で電話もできなくなって勤めていた会社を辞めて、母の介護と自分の喘息で苦しんでいたときにであった水「巌寿」。苦しい喘息から解放されて、10年ほど地元FMラジオ局で1時間番組のパーソナリティをやったり、(喘息で電話できなくなった自分が声の仕事と自分でもビックリ)。その会社の社長(当時は)から教わった「気学」や「人間学」に興味を持って、自分も東京の高尾学館に通って「算命学」の勉強をしました。そして、しばらくはデパートで「対面鑑定の占い師」の仕事をしてみたり。17年務めた会社の退職後に出会った「巖寿」のご縁でラジオのパーソナリティや占い師、楽天ショップでも継続14年。そして事業所として継続20年。自分を占っても、夏生まれで命式に火の多い私の守護神は壬癸(みずのえ・みずのと=水)なのです。「水ってつまり巌寿だったんだ」と気付いたからここまで継続できたのかもしれません。45周年パーティーの出席者も20~45年も継続している方ばかりですから、みんな50代~80代の方ですが、とてもお元気なのです。コロナ流行のせいで会社の方の話はありましたが、参加者の話はなく、いつもの創業記念パーティーに比べてひっそりしていましたが、食事が同じテーブルの方や、部屋が同室の方たちの話で、その元気さには脱帽その日初めてお会いした同室の方は四国から来られた84歳で、不思議な縁で私と誕生日が同じでした。温泉に入りにいってカラスの行水なみの私は早々に部屋に戻りましたが、彼女はなかなか戻ってこなかったので、(倒れていらっしゃるのかしら)と心配で浴場に見にいったらケロリとして、「内風呂、露天風呂、サウナ、水風呂と入って、サウナでは長々とおしゃべりしたから水風呂は気持ちよかった」とのこと。「水風呂に入ると体が何時までもポカポカしているのよ。私の体温は37度。巖寿のお陰もあるのか風邪などひいたことないわよ」とのこと。夏至に近い同じ誕生日の方だから彼女も守護神は水。寝る前に缶ビールを飲んで、すぐにコトンと熟睡されていた。朝は(5時)起きで耳体操されてビールを飲んで朝湯に入りに行ったら、やはり内風呂、露天風呂、サウナ、水風呂に入られたので私は早々に部屋に戻りました。今でもお茶の先生や料理の先生をしていて、スポーツジムにもマイカーで通っているとのこと。同じ誕生日のご縁で、話も面白くて、生活習慣に長寿の秘訣が散りばめられていて、同じ部屋だったご縁を大切にしたいと、再会を約束してお別れして、翌日、さっそくお電話した。「小才は縁に気付かず、中才は縁を生かさず、大才は袖すり合った縁も大切にする」柳生家の家訓
2022.07.16
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中1の孫娘が先日、イタリアのジェノバに旅立った。ロシアの上空を飛べないようで、ドバイ経由で行ったら21時間半もかかったようだ。半世紀も前に初めてフランスに行った時はアンカレッジ経由で17~20時間くらいかかったように記憶しているが、3~4年前まではヨーロッパ旅行は13~4時間(?)で行けたはず。「ロシアのウクライナ侵攻」の影響の大きさに愕然とする。小4の誕生日に「中学生でバレエ留学したいから私立中学校は行きません」と宣言した孫娘。ジェノバのバレエフェステイバルで群舞に出るために旅立った。ジェノバで迎えた13歳の誕生日はみんなにお祝いしてもらったとのこと。中でも2022年ローザンヌ国際バレエコンクールで1位の方に祝ってもらってツーショットで映してもらって大喜び。イタリアの後、モナコ王立バレエアカデミーのサマースクールに行く途中、カンヌのバレエ学校で練習中の今は、同室の人がコロナ感染してしまって濃厚接触者で隔離中とのこと。モナコ王立プリンスグレースアカデミーに行けるので「夢が叶ったわね」と言ったら「夢じゃない、目標の一つ」と言い切った孫。長時間の交通、そして、コロナと、難しいこの時期に夢に向かってまっしぐらの孫。どうか、無事にモナコのサマースクールに参加できて、笑顔で無事に帰って来ますようにと祈る。算命学では6月(午月)生まれは寅年の今年は自分自身が半会となって夢が叶う年。でも、誕生日の午月と6月(午月)時期は刑となる月で何かとトラブルに逢いやすい時期。どうか無事に帰ってきますように午月は7月6日まで。
2022.07.03
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明日は中1の12歳の孫娘が欧州に出発する。バレエの短期留学でイタリアのジェノバ~フランスのカンヌ~モナコと3か国廻って来る予定。私と1日違いの夏至近くに生まれた孫はジェノバで13歳の誕生日をむかえるのだろうか? 3年前の小4の10歳の誕生日にこんな決意表明した孫「私は、ローザンヌにでて、ファイナリストになってスカラシップを取りたい。中学の間にバレエ留学したいから、私立中学に入る必要がないと思うから、公立中にいく。だからもう日能研をやめさせてほしい」バレエが大好きで毎日でも喜んでレッスンに行く孫。コロナ下の中でも何か国かのバレエ学校のスカラシップをいただだいたけど、中止が続いた。やっと、今年に入って実現できるようになって、2月にもフランスに行ってきた。そして、4月のバレエ教室の発表会では主役を務めた孫娘。(学校は?勉強は?日本人の女の子がバレエで成功するなんて夢のまた夢)そんな私の心配も彼女の一途な夢を追う姿勢には通じない。3週間以上のバレエの旅、祖母としてはとにかく無事に帰って来てほしいと願うだけ。それにしても孫は夢に向かって頑張っている頑張れ
2022.06.17
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算命学の占技で「六親法」というのがあって家族のつながりの縁の深さがわかる占技です。私は両親が末っ子同士で故郷も離れて生活していたこともあり、祖父母も早くに亡くなっていて両親の兄弟の何人かが戦死していて、親戚が集まったりすることは本当に少なかったから親戚の関係の深さを知らなかったのですが、「六親法」を学んで親族は切っても切れない繋がりだがあると知りました。考えてみると、両親の葬儀にも親戚の人は遠くからでも出席してくれました。 先日、孫のバレエの発表会があって、我が家も家族で観に行ったのですが、親戚の方たちも何人か集まってくれました。主人の義兄の奥さんが佐渡からきてくれて、姪も、娘婿の親戚も80歳過ぎた両親や叔母さんたちも冠婚葬祭でも集まることが少なくなっているこの時代に、12歳の孫のバレエにみんなが来てくれるなんて、なんてありがたいことでしょう。この孫が10歳の時の誕生日の時、「私は、ローザンヌにでて、ファイナリストになってスカラシップを取りたい。中学生でバレエ留学したい」と宣言したほどバレエが好きで打ち込んできているのですそして、その頑張りがいまのところ評価されている。この3年間、集まることが少なくなって人との縁が薄くなっているこの時期、孫の頑張りに15人も親戚が集まってくれたなんてバレエ衣装の孫と親族の集合写真を見て、娘婿の叔母さんと孫が似ていることを発見。そういえば、この叔母さんは娘時代にバレエを習っていたとおっしゃっていた。「NHKのファミリーヒストリー」ではないけれど、親族って見えない糸で繋がっているのかもしれません。
2022.04.21
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12年前の本日、湘南新宿ライン武蔵小杉駅が開通しました。(12年前のブログに書いていました)埼玉県の大宮~東京(赤羽・池袋・渋谷他)~(神奈川県)武蔵小杉まで訳50分。(今は浦和駅に停車するから+数分)長女が結婚して武蔵小杉のタワーマンションに住んでいたので12年前には開通してすぐに行ってきました。あれから12年、孫が小さい時は、長女が働いていたため、孫が熱を出したりしたときなど何度も往復しましたが、武蔵小杉の駅周辺は行くたびに変貌していきました。娘のマンションは駅からすぐだったので間違えることなく行けたのですが、あまりにタワーマンションが増えたので、孫の保育園からの帰りに、どのタワーマンションだったか迷ったりもしました。東急東横線駅とJR駅までは少し離れているのですが、東急東横駅側は駅ビルも駅周辺も驚くほど整備されていて都会に変貌していきました武蔵小杉は何年か前に水害があったせいで少し人気が落ちましたが、ホテルやフィットネスクラブ、スーパーなどが駅周辺にそろっていて、住みやすい街になったせいか、人口が増えすぎて朝の駅までの行列にビックリしたものです。それに比べて、私の住む大宮駅東口はこの12年余りにも変わらないのです。リクルート調査の「住みたい街人気ランキング」には大宮は3位で武蔵小杉は10位かに入っていたようです。長女の今年4月に中学生の娘は、年長の時にたまたま入ったバレエ教室の熱心な先生のお陰で、この2~3年、いくつかの海外のバレエ学校からスカラシップをいただいて、先日もフランスの教室に行って、中学生になったら海外バレエ留学を希望しています。長女の今度小4になる息子は地元の野球教室の熱心な指導者のお陰で将来は野球選手になる夢にまっしぐらに向かって頑張っています。長女たちと同年代の子育て中の人たちが中心の町なのか?教育環境は良いようです。 孫たちの成長とともに私が武蔵小杉に行く機会は減っていますが、大宮と武蔵小杉は直通1時間弱なので、孫たちも休みには電車で大宮に来てくれます。寅年は私にとって願いが叶う確率が高い年なのです(三合会局、12年前は湘南ラインで直通に)、今年は何を願おうかしら?ロシアや東欧からもスカラシップをいただいて、中学で留学を夢見ている孫にとっても、1日も早く戦争が終わってほしいものです。
2022.03.13
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リクルートが3月3日に発表した「首都圏住みたい街」ランキングでさいたま市大宮は第3位。5位が同じさいたま市の浦和。首都圏の交通の要所の大宮、文教都市の浦和。そして、浦和レッズと大宮アルジージャのサッカーチームを持つさいたま市。全国的には知名度のない大宮駅はJRの路線数は東京駅についで全国第2位なのです。北の新幹線では首都圏の玄関口で池袋や新宿、渋谷には大宮からの方が便利。駅や駅周辺はビジネス街でオフィスビルが立ち並び、デパートもある街。そして、大宮の魅力はなんと言っても東口側の氷川神社を中心にした公園の広さです。日本一長い氷川神社の参道と、駅から1~3キロの徒歩圏内にある大宮第1、第2、第3公園。第1公園の中にサッカー場、野球場、競輪場、動物園、遊園地があり、第2公園は駐車場も兼ねた多目的広場、バスケットシュートや梅園やテニスコートや野球場があって、周囲1キロの貯水池があり23haの広さ。ジョギングコースがあるだだぴろい第3公園を合わせると3公園の広さは67・8ha。この町に住んで36年、災害も少なく、冬の日照時間の長さは日本有数とも言われるさいたま市。町の人々は大宮の良さを「交通の利便性と、生活の便利さと、災害の少なさ、緑の多さ」をあげる。愛犬家の我が家では犬の散歩コースにことかかないので、この町に住んでからは犬を飼い続けている。駅から2~3キロ圏内の住宅地も庭が広く季節の花が咲く庭が多い。でも、最近は、世代交代が進んで広い敷地の家が何軒かの新築住宅地になってしまう。それでも、まだまだ都心に比べればゆとりある住宅街の我が町。新しく売り出している近所の分譲住宅。大宮公園の梅(今年も梅まつり中止)
2022.03.04
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「今日はみんなを遊ばせてくれてありがとう。○○の友達のお母さんからも電話もらったよ。麻雀を○○君のお祖父ちゃんから教えてもらっておもしろかった」って言っていて、「○○君のお祖父ちゃんってどんな人?」って彼のお母さんが聞いたら「ゆめみずきよしろう(夢水清志郎?)みたいな人だよ」と言っていたんだって。(それは???)冬休み最後の日の6日はさいたま市でも大雪が降った。公園の傍で庭が広い我が家には冬休み中、小6の孫の友達が毎日遊びに来ていた。あまり寒いので家の中に入ってきた子供たちを2階の娘ファミリーの居住場所は娘と娘婿がテレワークで仕事中なので、1階の私たち夫婦の居住場所に入れて、暖かいココアで体を温めてから、「2階は仕事中だから静かに遊んでね」と言ったが「スマホゲームやDVD以外でってなにしようか?」と迷う少年たちに「麻雀おしえようか?」と言うことになり(孫は知っている)主人が教えてからゲームをしてみた。小6の少年たちは覚えが早い。すぐに覚えて自分で上がれるようになった。暗くなって帰っていった少年から「ゆめみずきよしろう」って言われても娘に聞いたら、小6の少年たちが愛読している「はやみねかおるの物語に出てくる人で、背が高くてメガネかけている男」とのこと小6の少年たちに麻雀教えることの良し悪しはわからないけれど、家の中で退屈しないで遊べるゲームって私たちの世代は麻雀かトランプ。そういえば、今年の新年の年賀状に私の友人たちの何人かから「旅行もできないので、仲の良い友人たちと麻雀して楽しんでいます」と書いたものをもらった。クルーズ旅行や温泉旅行で主人が麻雀教えた友人たちからの年賀状。今日から学校が始まった少年たちは、またやりたがるだろうか?退職した後、暇そうにしている主人に娘は「ロボット教室を開いたらいいのに」とか「小学生の宿題熟でもやったらいいのに」とか言うけれど、「子供相手の仕事なんて面倒なだけ」と言っていた主人。ユメミズキヨシロウって少年探偵団の先生だったら、子供相手の仕事が向いているかもしれないのに・・・と思う。2022年1月6日の朝の景色
2022.01.07
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先日亡くなった瀬戸内寂聴さんの言葉です(奇縁まんだら)。運命学を勉強した私にとっても「運命は縁によって導かれていく」と思うのです。外出することが少なかった今年も、今までであって来た人たちとの縁はもちろん、コロナ下でも新しい出会いもありました。先日、近くのさいたまスーパーアリーナで「全日本フィギャースケート」で羽生選手が優勝した日、同じ、さいたま市の別の会場で小6の孫のバレエのコンクールがあって、寒さの中、8歳~82歳までの親戚たちが11人も応援に集まってくれました。数年に1度の寒気の中で、荒れる日本海側の佐渡からも来てくれました。夏にも、「清里フィールドバレエ」に出演した孫のために皆さん集まってくれたのですが、こんなご時世でも孫の頑張りが親戚たちを集めてくれたのだと思います。「生きるということは日々新しい縁を結ぶことだと思う」とも寂聴さんが書いています。70歳過ぎた私のコロナ下での新しい出会いは、楽天の勉強会での出会いです。私は「楽天市場」にマイショップ「愛美」を出店してもう十数年になります。ただ、愛用者に届けばよいと「商品を載せる」だけしかしていなかった私が、今年の秋から「楽天の勉強会」に参加して(ZOOMで)、苦手なパソコンと取り組みました。そしてこの12月で卒業です(もちろんZOOMで)。先日、一緒に勉強してきた仲間と卒業式のあと親睦会があったのですが、もちろん店舗場所も扱う商品も店舗の規模も違う仲間たち19人。年齢も20代から70代(私)。親睦会で「占い師」をしていたことを話したら、何人かに占いを頼まれました。そして、誕生日の命式を見て驚きました。勉強会に出席した時期回りや性格など繋がりに共通点が多いのです。19人の大半が経営者(中小の)やネットショップ責任者ですが、天将星が多いのです。天将星を持っている人たちは人につかわれるよりも一国一城の主が似合う。そして今年は店を拡張する時期(三合会局や半会の時期)にあたっていました。4か月にわたる勉強会で、私もパソコンやネットは苦手なんて言っていられなくて、いろいろ頑張ってきましたが、他の店舗さんもみんなそうだと思います。リーダーの楽天社員さんとリーダー店舗さんが熱心なので、みんなその熱心さにつきうごかされたのだと思います(私がそうだから)。このご縁をこれからどうするか?どうなるか?「小才は縁に気付かず、中才は縁を生かせず、大才は袖すり合う縁も生かす(柳生家の家訓)」
2021.12.29
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7月17日に娘婿の欲しがったアーロンチェアーを買いに新宿の家具店に出かけた娘夫婦。近くの家具店では取り扱っていないし、実際の座り心地を確認したいと出かけて行って、購入手続きしてきたのですが、1か月たっても入荷の連絡もないので、キャンセル。ネットで申し込んで1か月でやっと届きました。《全3種》HermanMiller アーロン リマスタード ミネラル/ダークミネラル 堅床/カーペットキャスター ビニールレザーアームパッド 【ハーマンミラー デザイン雑貨 オフィス デザイン雑貨 モダン インテアリア 椅子 イス】※ 受注後に納期をご連絡いたします。2世帯住宅の娘夫婦。産休中だった娘は、この家に引っ越した時にデスクワークの長い人に評判が良いこのアーロンチェアーを購入した。去年からの在宅勤務でも快適らしく腰痛などの不満はない。畳み生活が好きで書斎も畳敷きで座卓と座椅子で仕事をしていた娘婿が娘の椅子を気に入り、自分用にと都内まで出かけて買いに行ったのに、家具店からの入荷の連絡がないまま1か月。ネットで申し込んで1か月、2か月かかって届けられた椅子。椅子に合わせて机と袖机と書斎に置くまでに一苦労。広くない書斎に座卓と座椅子と机とアーロンチェアーと・・・(手伝ったわけでないけれど、普段彼の書斎には足を踏み入れなかった娘があまりの煩雑さに驚いていた)コロナが終息したら出勤が増えるかもしれないが、娘夫婦は在宅でネットで仕事できる環境を喜んでいる。高額の新しい椅子が仕事の能率をあげますように。
2021.09.20
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梅雨が明けて本格的な真夏、昨日に続いて本日も34度越えそうです。午月(6月)生まれにとってトラブルが多い甲午月を脱しましたが、この暑さの中で、テレビではコロナと政治家たちの揚げ足取りのニュースにテレビみる気もおきません。7月は1~6月までの進気に後押しされた目標が達成可能かどうか?判断して方向を決める月なのです。7月は未月、未は未熟、未だ未だ、未完、未来の未。自分の未熟さを自覚して、未来に向かって努力する月。そして今年の7月(節入り7日)は60干支の32番乙卯月です。乙は陰の木性の草や花を意味します。花の可憐さや草の柔らかさの意味や、群生して華やかさや強さが出る意味があります。乙は十大主星の石門の意味があり、仲間や和合の意味があります。 7月は自分の力をしっかりと見据えて、周囲と和合しながら花を咲かせる時。未だ未だですが、周囲の理解を得ながら未来へに向けて努力する時。さて、私の目標の達成度は???隣地の利用方法を主人に話したら反対されました。「イングリッシュガーデン風にして自動販売機を置いて、近所や散歩の人、犬の散歩の人に立ち寄ってもらえる庭作りにしたい」と、二所帯住宅で同居中の次女は賛成してくれました。近所の人に「私のプラン」を話したら、賛成多数、反対少々あり。反省はやはり自分の思い付きの未熟さです。未は目標には一層の努力が必要の意味があり、乙は周囲との和合が大切の意味。思い付きで突っ走っしまうて私には意味深い乙未月です。それに比べて、私と誕生日が1日違いの12歳の孫は次々に夢を実現しています。8月は野外で開催されるプロのバレエ公演の中で踊るようで、(家族中で応援に行くつもり)9月には海外へ短期留学の予定。先日「徹子の部屋」にでていらっしゃった瀬島未香さんは、65歳から始めたジム通いから91歳の今、筋肉モリモリでジムでインストラクターされている。夢は「海外でも教えたい。そのために英語を勉強中」「ブラジル人のようなキュッと上がったお尻を目指して日々努力」友人に聞いたら「筋肉婆さん」として有名人とのこと。夢の実現に年齢を言い訳にしたくない。さて、私の夢の実現には何が必要か真剣に考えてみたい。
2021.07.17
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新しく始まったNHK朝のテレビ小説「おかえりモネ」をみていたら、主人公の百音(清原)が山を新田サヤカ(夏木マリ)と歩いていて見つけた大樹をサヤカが「樹齢300年のヒバでアスナロともいう・・ヒノキは福島県が北限だから」と話していた。(檜って福島県が北限なんだ)(アスナロの木は明日は檜になろうと思ってなれなかった木と聞いたことがある)(だから青森はヒバなんだ)と新知識を教えてもらったようでビックリ(木の知識がないもので)友人に「青森ヒバは体に優しいのよ」とヒバで作った入浴材をいただいたことがあった。そういえば以前、佐渡の主人の友人が佐渡アテビ=アスナロで家を建てた。「アテビを山から切り出して宮大工に建ててもらった家」というので見学させてもらったことがあった。(2017年11月7日のブログに書いた)テレビでは森林組合の人たちがサヤカに「あの貴重なヒバで能舞台を立ててほしい」とたのんでいた。主人の友人の家は太い佐渡アテビが玄関にも中の柱にも使っていた。(1本でも能舞台が建つほどのアテビをあんなに沢山使っていたんだ)(なんと贅沢な豪邸)と改めてビックリ子供2人で抱える太さのアテビの柱が家の入口と中の柱にもある家
2021.05.18
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ラインで庭の花の写真を送ってくれた友人に「ステキ!見に行きたい」と書いたら「いつ来るの?」との返信に「ワクチンうってから」と書いたら「春の花が終わってしまうから、明日いらっしゃいよ」と招待してくれた。駐車スペースから小高い丘の家までのアプローチに沢山の春の花が咲いていて、その手入れの良さに(流石が天将星2つのスーパーウーマン)と再認識。ハナミズキ、コデマリ、ツツジ、モッコウバラなどきれいに剪定されて草もない。40年以上の付き合いになる友人の仕事ぶりにはいつも感心してしまう。私の得意な算命学占いでみても、友人は胸が司禄星(私も)で、天将星が2つもある。結婚前は病弱な母親に変わって主婦役(我儘な父親の世話も)をしていて、結婚後はやはり病弱な姑の世話をして、還暦過ぎてからは舅、実母、実父の介護をして、その間もずっと仕事をしていた(今も週3回以上仕事をしている)。算命学でみると(私自身が胸に司禄星を持っていることもあって)司禄星の特徴はわかりますが、土星の陰の引力本能の司禄星は財や愛や様々なことを蓄積する。自分の存在感は誰かを支えていることで喜びを感じる。財の蓄積も家を建てるためや教育費のためなど家族への準備で貯める。コツコツ貯金して、地道に積み上げていくことで増える財。同じ胸の司禄星所有でも彼女と私の違いは所有する十二大従星が違いすぎる。天将星2つの彼女、私は天印星他身弱星。庭にバスケットシュート場や木と木の間につくったブランコがあるから、お孫さんたちには大人気の庭のだ。同県内の友人と一緒にデパートでお弁当とドリンクを買って、蜜を避けるために庭でランチをいただくはずが、広い室内で窓を開けて、友人が買ってきてくれたフェイスシールドつけておしゃべりしながらのランチ。広い室内も隅々まで掃除が行き届いている。5人の孫たちが週に2~3日は来ているのに、本当に整理整頓されている。友人たちとのオシャベリしながらのランチは本当に楽しい。「早くワクチン接種して旅行やランチ楽しみたい」
2021.04.15
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この冬「緊急事態宣言」で家族旅行やスキー旅行が中止になった孫たちに麻雀を教えた。神奈川に住む孫たちには1回しか教えられなかったが、同居の孫たちとはもう数回以上ジャン卓を囲んでいる。5年生の孫は2年前に教えたからもう一人でできる。去年まで興味を持たなかった1年生の孫は、今は夢中で毎晩でもしたがる。私か娘(ママ)が後ろで交代で教えているが、強運なのかこの冬一番勝っている。時間がないから、東のみで1時間で終わる家族麻雀。神奈川に住む長女の舅姑さんたちは以前は80歳過ぎても月に何回か仲間と麻雀していた。去年は自粛で回数を減らしたとのことだが、それでも「頭の体操」だと機会があればジャン卓を囲んでいるとのこと。「学生時代があって良かった」と地方から上京した私たち夫婦は思う。主人は将棋も麻雀も学生時代に友人から教わった。私は将棋も麻雀も主人や主人の友人たちから教わった。クラスメートやサークル仲間とは半世紀も付き合いがある。スマホもゲームもなかった私たちの学生時代は友人たちとのコミュニケーションからいろんなことを学んだ。この冬、緊急事態宣言と自粛生活がなかったら、孫たちに麻雀を教えることもなかったと思う。麻雀でも将棋でも孫たちに教えられることは教えたい。自粛生活の中でも人生はいろんな楽しみがあることを知ってほしい。
2021.01.17
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1月4日菅総理大臣から「今週中に東京・神奈川・埼玉・千葉の1と3県に緊急事態宣言を出すか検討中」との発言がありました。対象地域に住む我が家族は去年の春に出た時よりも冷静にうけとめています。都内の会社に勤める娘夫婦ともにテレワークができる職種。昨春に緊急事態宣言がでてから、出社回数が大きく減っているから、短期間なら問題なさそう。ただ、小学1年生と小学5年生の孫たちは学校が休校になったら困る。小学1年生は入学式もなかったので通学期間が短すぎる。担任の先生が大好きでやっと友達と仲良くなれたのに、また休みだと1年生の期間が短すぎる。現役引退の主人と私の生活は自粛生活に慣れたせいかそれほど不自由は感じない。今日はデパートに行って頼んでいた福袋を受け取り、銀行に寄って通帳記帳してこよう。明日はスーパーで買い置きできる食品を買う予定。明後日は持病(逆流性胃炎)の薬をもらいに病院に行こう。親たち世代の戦争戦後の体験を聞いて育った団塊世代。衣食住に困らない生活ができれば、命を大切にして明るい未来に備えようと思う。友人たちのラインにはこの正月に家族が集まった写真とコメントが報告されている。私を含めてみんな首都圏1都3県に住む家族構成で、お正月に家族がみんな集まっている。昨年の春は「コロナに負けないでまた生きて会いましょうね」との合言葉が、今度は「ワクチン接種後また会いましょうね」とコロナ終焉を見越した合言葉。コロナで生活が変わっても命があれば未来は暗くならない。昨年は〇家族と一緒にいる時間が増えた。〇家族みんな読書時間が増えた。〇冠婚葬祭・お付き合い飲食や旅行などが激減して気を使うことが減った。今年はコロナの出口が見えてきている時の「緊急事態宣言」では食料品や日用品を売るスーパーと病院が休みになりませんように。学校や図書館や公園も休みになりませんように。辛丑の年、辛抱すれば暮らしやすい未来に道が続いているはず。(2021年2月2日までは庚子の年で今までの惰性の過去と決別して、気分一新、新たなスタートの年)
2021.01.04
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令和3年元旦「明けましておめでとうございます」令和2年はコロナウイルス騒動で大変な1年でした。昨日12月31日のコロナ感染者は東京で1337人で全国で4519人。コロナワクチンが開発されたので、あとは接種まで自粛を続けなければと思う年明けです。でも、さいたま市の元旦は天気に恵まれて梅が咲いてありがたいと思います。新潟育ちの私たち夫婦は朝の犬の散歩の時に「今日も晴れて穏やかでありがたいわね」と言うのが日課。新潟や北国の今日も大雪のニュースには「大変でしょうね。雪下ろし頼める人いるかしら?」と高齢の知人たちを心配します。令和3年2月3日から(今はまだ庚子年で1月5日から己丑月です)辛丑の年。辛(かのと)は陰の金星で、細かな鉱物で磨くと輝く宝石ですが、辛抱の辛でもあって、輝くためには磨く努力が必要です。丑は冬の土用で、湿った凍土。作物を春が来るまで保護する土壌。そんな、2021年はまずは自粛生活を続けるなどの辛抱が続くことでしょう。丑は糸へんをつけると紐になります。何かを結ぶ、決着をつけるの意味。ワクチンも開発されて接種を持つだけのコロナに決別の決着をつけたら、きっと明るい未来があると思わずにはいられません。オリンピックも無事に開催してほしい。「1年の計は元旦にあり」夢はイメージして、実現に向けて進んで行けば大抵は実現できるはずなのですが、残念ながらまだイメージがまとまりません。自粛生活中にもっと具体的にイメージを作って行かなければと思いながら、前進力が落ちたのは年齢のせいかなと思ったり生涯現役を目指して楽天市場にマイショップを出してもう18年になります。歌も話題も団塊世代の自分たちに向けた番組が欲しいと地元FM局で番組を10年担当しました。算命学を勉強して「占い師」になる夢も実現できました。18年前は若かったし、算命学を勉強始めたのも14年前。面白いテレビ番組を作りたいとシナリオの勉強しましたが、いまだ応募もせず70歳過ぎた今の私が経済的にも体力的にも無理しないで実現できることは、なかなか難しく、気力も周囲の協力もあまりなく。今はまだアイディアがまとまらないので動き出せませんが、縁やキッカケがあれば目標に向かって動き出すはずと思っています。(無理しなで流れを待つ)でも、高齢の私は夢の実現以前に健康が大事です。健康のために実行できることは続けることがとりあえずの目標。①朝一番に巖寿を10滴レモン水に入れて飲む。②愛犬(ラブラドール7歳)の散歩を主人と毎朝20~30分する。 (朝の散歩をあと10分増やし1日1万歩歩く)③栄養のバランスとれた食事を摂る。④友人に薦められて始めた「美木良介のロングブレス」を続ける。 (ジャパネット高田の社員のためのメニュー)⑤コロナワクチン接種まで自粛生活をする。ジャパネットの社員が毎朝実践する ロングブレス 1週間即やせプログラム [ 美木 良介 ]
2021.01.01
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高齢者の重症化を懸念して自粛生活していた同年代の友人たちと「うかい亭東京タワー店」でランチ。2月上旬に新年会兼ねた旅行に一緒に出掛けたメンバー5人中4人が揃った。千葉に住む1人は東京に出かけるのはまだ気が進まないと欠席。年に2回は旅行して年に数回以上会食していたメンバー5人コロナによる自粛生活もマチマチです。埼玉に住む1人はマスクと手洗いの習慣はきちんと守りながら自粛前とあまり変わらない生活。埼玉に住むもう1人は習いものや友人たちとの会食や付き合いをも激減していて、おしゃれな彼女には珍しく美容院に行く回数を減らしている様子。東京に住む友人は週2回の仕事を辞めて、義母の介護や家族の世話で仕事をしていた時よりも大変そう。そして、私は2月以来JRに乗ったのは昨日が初めて、逆流性胃炎の薬を近所の病院にいただきに行く以外は、歯や目の定期健診もさぼって、人間ドックの申し込みもしていない。Suica乗車を月に1万円以上使っていたのに0円に。代わりに書物代金が1万円以上。年齢にしては行動的な私たち5人の出費の内容が大きく変わった今年。(団塊世代の消費傾向が変わったことは日本の消費にも大きく影響していそう?)本日の日経朝刊には外食産業の売り上げの落ち込みが顕著だという記事が載っていた。吉野家やサイゼリアやハイデイ日高などサラリーマンやファミリー層に需要が高い外食産業も20%以上の売り上げ減。「うかい亭」のような高級料亭ならもっと売り上げが落ちていると想像する。東京のど真ん中に広いゆったりとした庭園と低層階の建物の料亭。このコロナ時代をどう乗り切るのか心配になる。この場所は20年前はボーリング場だったとのことで、これから時代が変わっていくのでしょうか?食後に東京タワーに昇る予定を雨で中止して、喫茶室「吉祥庵」でお茶をしておしゃべりを楽しんでからラッシュ時前にと帰宅。気の合った友人たちとの会食とお茶は何よりの解放感で気持ちがすっきり。新年会はまたどこかに旅行しましょうと約束したけれど、昨日の東京都の感染者は284人で埼玉県は57人で増えている。「ヨーロッパでの感染者が急増していて、スペインのマドリードでは非常事態宣言、フランス(パリ)では夜間外出禁止になった」コロナ重症化の高い高齢者の私たちはこれから何回こんな楽しい集いができるか?コロナ前にもどれるか?
2020.10.16
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私と1日違いで誕生日を迎えた10歳の小4少女の孫の決意表明は「私は、ローザンヌにでて、ファイナリストになってスカラシップを取りたい。 中学の間にバレエ留学したいから、私立中学に入る必要がないと思うから、公立中にいく。だからもう日能研をやめさせてほしい」バレエが大好きで週に5日でも毎日でも喜んでレッスンに行く孫。彼女の頑張りに結果もついてきている。でも、上には上があって、日本人の女の子がバレエで成功するなんて夢のまた夢、挫折したらどうしようとちょっと心配する私。でも、子供って素晴らしい。可能性にチャレンジする姿勢と情熱に脱帽!私が誕生日にしたことは1)遺言状(資産価値を調べないまま簡易遺言状)を書いて日記に貼った。2)健康目標を立てた⇒1日1万歩、体重半年で3kg減、毎日3時のテレビ体操、週1ヨガ。先日テレビで今年の7月から相続の法律が変わると話題にしていた。遺言状も手書きで意思が伝わるものであれば有効との話だったから、資産状況も把握しないまま、便箋に書いて5年日記に貼りつけて、家族に伝えた。健康目標は今の健康維持くらいしか効力ないだろう。夏至に近い誕生日を持つ孫と私。守護神は水。我が家族は夏生まれが10人中5人。長女と次女の旦那様の誕生日は12歳違って同じ日が誕生日(同じ干支だけれど誕生日の命式では年干も月干支も日干支も違う)。鑑定をしていても家族の誕生日の不思議な関係に驚くのですが、とても不思議です。でも、私も孫に負けずに夢を持たなければと思つてみたり☆シナリオのコンクールに応募しようかな!☆隣地の利用をなにか考えてみようかな!でも、孫のような情熱はないのを自覚
2019.06.25
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朝から雨が続いている。こんなに続く雨って珍しい。昨日、庭から切り取ったバラがうっとうしさを和らげてくれる。こう雨が続くと今まで庭に華やかに咲いていた花々もかなり痛んでしまうはず。庭に咲いている時よりも薫り高く大きくみえる。外出するのが億劫な雨の昼下がりは、花を見ながら考え事をしてみる。この1年間は平凡に平和に過ごせたけれど?自分自身の何か成し遂げたものはない。もうすぐ誕生日。父が亡くなった年齢になる。「もっと1日1日を大切にしなければ」と思う。「そうだ!健康こそ」と思って市の「健康マイレージ」に申し込んでみる。大型犬を飼っているから1日1万歩は歩いているはず。でも、公的な評価があった方が実感がでるかもしれない。あと、何を目標にしよう?
2019.06.10
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沼津港を出航して23日目、今日は種子島~屋久島にわたって宮之浦港に着いたとラインあり⛅途中イルカと帆走した動画もあったけれど、イルカは鮮明ではない。行きたいと言っていた屋久島なのに観光はなしで買い出ししただけのよう島の頂上も曇っていてみえないとのこと
2019.04.13
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夫が小さなヨットで沖縄を目指している。今日は九州の日向港に着いたとラインがあった。沖縄を廻るまでどのくらい時間がかかるのか?「林住期は燃えながら枯れて行く不思議なエネルギーを放つ時期」と五木寛之氏は「林住期(50~75歳)」に書いている。 夫も長年の夢「ヨットで日本の海を廻る」を学生時代の友人と始めて3回目の春。 女(私は)はリアリストで、男(夫)はロマンチストなのかな?日向市の港に着いて、クリーニング、買い出し、給油とのこと。退職後の男のロマンならゆとりあるクルーズをしてほしい、ちゃんと食事してお風呂に入ってぐっすり眠ってほしい・・・日向市の港?
2019.04.07
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3月1日の朝刊に「首都圏の住みたい街」ランキングが載っていて大宮は4位でした。浦和が8位、さいたま新都心が23位、とさいたま市は住みやすい街のようです🎵大宮は昨年は9位から順位を上げて横浜、恵比寿、吉祥寺に続いての4位私も首都圏いろいろ住みましたが大宮に住んで34年になります。 主人が埼玉県に転勤になった時、実家のある新潟に交通のアクセスが良いこと、主人の職場にも便利で、私の仕事も大宮へ転勤させてもらえたことで大宮に住みはじめました。 それから34年、大きな災害にも逢わず、子育てや日常生活も快適です。 結婚して都内に住んでいた娘も子供を育てながら仕事を続けるために、職場にも通勤可能な大宮に戻ってきました。先日、娘の高校大学(埼玉県内の)の同級生8人が子供を連れて我が家に集まりましたが(総勢20人)ほとんどが仕事をしながら子育てするために県南の実家(二所帯建てたり実家近くに住んだり)に戻ってきていました。都内へのアクセスが良いので都内で核家族で子育てするよりも親の傍で手伝ってもらえるから、仕事を続けられることが魅力のようです。 大宮駅東口地域は今は開発途中で自転車置き場やタクシー台数など不便なのですが、2~3年後には便利になる予定です。 首都圏で東京に次ぐターミナル駅の大宮駅、新幹線も東京上野ライン、新宿湘南ラインなど通勤の便が良いのが一番の魅力ですが、東口から2~3キロ圏内には氷川神社を中心にした緑地地帯が広がっていて、四季折々の自然がたのしめます。 大宮公園はサッカー場や野球場もあり、第1第2第3合わせると67、8haという広さ。今は大宮第2公園で「梅まつり」が開催中。梅が終わると桜が見ごろになり、次はハナミズキと続きます。 この地に住んでからずっと犬を飼っていますが犬を飼うのには最高の街❗ 朝に昼に夜に散歩する度に新しい発見があって、犬のおかけだと嬉しくなります。
2019.03.04
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朝刊に米沢さん(80歳)の訃報が載っていた。1月17日に自宅で亡くなったとのこと。「米沢は化け物だと言われる」と2012年の日経新聞の私の履歴書に書いてあった。私も「私の履歴書」を読み終えた後は「凄すぎるスーパーウーマン」と感動した。さっそく「算命学」でそのエネルギーの正体を知ろうとした。伝達力やサービス精神に溢れていること、専気大運の所有者であることくらいしか読み取れない。中村天風氏の理論「生命の力=霊魂という気の力が肉体を生かしている」を実現した人なのだろう。 1938年生れの米沢さんは日本の理論物理学者で専門は物性理論、アモルファス研究で国際的にも第一人者。私の履歴書を読んで驚いたのは優秀さだけではなく、女性としての情熱。 1963年に夫がロンドンに単身赴任すると、自力で夫を追いかけて渡英しキール大学大学院に留学。最初の妊娠で胞状奇胎で流産した時にガン化を懸念されて子宮をとることを薦められたのを拒否して 1966年に長女を出産。学問も主婦業も子育てもやりながら京都大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了。そして夫の東京赴任で自身も東京に移ったが、同年8月、京都大学基礎物理学研究所助手に採用され、長女と共に京都へ赴任。1967年に次女を出産。1971年三女を出産。1972年夫のニューヨーク転勤で渡米しイェシヴァ大学の客員研究員となる。 1976年京都大学基礎物理学研究所助教授。 1981年:慶應義塾大学理工学部助教授 、1983年同教授。1983年乳癌手術、翌年乳癌で二度目の手術。 1996年:夫が肝臓癌で病死。2004年:慶應義塾大学名誉教授学者としては活躍し、女性では日本初で日本物理学会会長を務める。女性としても夫の後を追ってロンドン・ニューヨークへと赴任して育児をしながら研修・研究をして、3女を育てた。 最終回では73歳の自分が94歳の母親を介護(老老介護)していること。専門書などの執筆や私の履歴書などの執筆など著作者としての活躍。新聞には「自宅で心不全で亡くなられた」と書いてあった。「女性として母として科学者として、そして娘として与えられた命を燃焼させて」安らかに逝かれたと信じます。
2019.01.22
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孫たちになにをしてあげられるかと考えると、それは日本の大自然と触れあって自然を体感することかもしれない。 主人の故郷の佐渡島はその最適地。 今回の家族旅行で孫たちも海や川で思う存分遊び回った。 透明度の高い海や川で魚と一緒に泳いだり捕まえたり、田畑で食べ物が育つことも体感した。 先祖の墓参り、親戚たちとの触れ合い、 祖父母として未来につなげてほしいことはそんなことかなと思いながら、子供たちが付き合ってくれるあいだは、家族旅行を続けたいと思うのです。 主人の実家のデッキからの景色 朱鷺の里 新穂の田んぼアート
2018.08.22
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退職後2年目の主人が去年に引き続いて今年も小型ヨットで航海に出かけて35日ぶりに帰ってきた。最初は沖縄周遊の予定でしたが、老艇のエンジン故障や水回り故障などのため出発が遅れたため、台風シーズンに入る前にと、四国をまわって帰って帰途についたようです。去年の半分の航海でしたが真っ黒に日焼けして少しやつれた様子。35日間の旅の仲間は大学時代のヨット部の仲間3人、途中で先輩や後輩が参加したとのこと。去年の半分の日程でもキャビンの固いベットでの寝泊まりは大変でしょうね。肴も釣れて、魚料理も上手くなったようです。
2018.06.13
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駿河湾から出航して12日目で牛窓ヨットハーバーに到着したと、主人からメールがあった。関西最大級のヨットハーバーと聞いていたが写真ではよくわからない。悪天候が多かった中、瀬戸内海なら穏やかに違いないと安堵する。
2018.05.17
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去年の3月に会社を退社して4月早々に小さなヨットで船出して2か月半かかって五島列島周遊して帰宅した主人。帰ってくるなり「来年は沖縄を周遊する」と宣言したのに、この春は老舟はエンジンが故障したり、トイレが故障したりと修理に時間がかかって、やっと先日、6日に出港したのですが、悪天候続きで大変な航海のようです。今日も海は荒れている様子で、本日の目的地の紀州半島にたどり着けるか心配。今年は梅雨入りもはやいようですし、台風も早そう。台風シーズンの前に帰ってくると出かけたけれど、どこまで行けるか?四国は回りたいと言っていたけれど・・・「男のロマン?」ってなんなのでしょう?学生時代の友人と、あちらこちらガタが来ている老艇に乗って悪天候でびしょ濡れになっても暖かいお風呂にも入れない生活。このところの悪天候を「こんな日に通勤しなくていいって幸せだな」と思っている私には理解できない。長年、忙しく働いてきた団塊世代の主人は退職後の日々はつまらないのかしら?
2018.05.09
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