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過度なマイナス思考にも過度なプラス思考にも違和感を覚える。前者はうつ病に発展するし、後者はワーカホリックや躁病に転じる。何度となく書いてきたように人間、中庸(ちゅうよう)がよい。 とはいえ、人生、絶望の淵にいて、あえいでいる方々はかわいそうである。 絶望への唯一の妙薬は、精神科の薬でも励ましの言葉でもなく、希望である。 ●希望 ささいな、小規模な希望でもいいし、大きな希望だったらなおさら良いと思う。 希望こそ光!
2009.06.29
朝、五歳の息子がどうしても観たいというアニマックスのアニメを数本見てから、妻と息子を連れて母の病院に出発。 きょうの母は、少し機嫌が悪いように見えた。 昨夜、淡とりした看護師が下手くそだった為、呼吸が苦しくて眠れなかったらしい。そういうことはよくあるらしく、眠れないときは、睡眠薬を注入されて強制的に眠らされるそうだ。それを母は、嘆いていた。 見舞いが終わってから、マクドナルドによって、ポケモンのキャラクターをダウンロードしたり、軽い飲食物を買った。 その後、パソコンショップにより、パソコンを物色。 みよしのの餃子にいき、遅い昼飯をくった。 俺が食ったのは、みよしのセット。餃子とカレーライスのセットだった。 辛味パウダーというものが置いてあり、カレーに、ふんだんに 振り掛けて激辛カレーにして食った。うまかった。 たらふく食べた後、せっかくの日曜日だから海を見に行こうという話に急遽なって、銭函の海水浴場にむかった。 銭函の海は、今も昔も、あまり清潔ではない。それでも、多くの海水浴客が、海に入って遊んでいた。 俺たちは何の準備もしていなかったから、息子に膝まで海につからせて、まあ、ご愛嬌程度の海水浴?は楽しめた。 一度帰宅して、水着の準備をすればよかったと後悔。 帰り道、車の中で、マックでかったチキンなどを食べて、それから、西野のサンクスに寄り、ソフトクリームを三つ買って、これも車の中で食べた。 帰宅したら、もう夕方近かった。 ソファーに横たわり一時間ほど仮眠をとったら、もう、うす暗くなっていた。 と、まあ、そんな日曜日だった。 夕食は、妻の作った牛丼。 沖縄の霊能力者のユタを扱ったテレビ番組などを見ているうちに夜になった。 もうすぐ九時になる。 これから、風呂に入ったら、きょうはもう寝る。
2009.06.28
きょうは1日、風邪で休んだ。自己流の治療をして、今、この深夜に目覚めてみたら、さらに悪化している。扁桃腺が腫れ始めて、急激に風邪が悪くなるいつもの気配である。 参った……。 明日は社会保険事務所のアドバイザーの日だが、休もうと思う。 きょうできなかった急ぎの書類の作成と提出だけは、這ってでもやらねばならない。 そう言えば話は変わるが、きょう、友人の女性から相談のメールがきた。 三十代の旦那が、今、無職で、これから税理士を目指して学校に通おうと思っているそうだ。 税理士を目指して税理士になれなかった人々を沢山知っているだけに、よほどの覚悟がないと難しいよ、と回答しておいた。 だいたい、税理士のついていない会社はほとんどない。新規参入は難しい。俺の知っている税理士は、仕事がないので、冬場、除雪のバイトをしていた……。 よく、医者と弁護士と世間ではいうが、医者になるより弁護士になるほうが、五十倍は難しいと思う。 士業の国家試験は難しいのだ。 医学部を出たら大抵は医者になれる。金を積んだらトンマでも入学できる医学部も多い。歯科医も同じ……。 法学部を出たら、誰でも弁護士になれるか。法学部を出て、さらに司法試験という世界一難しい試験を通らなければ弁護士にはなれない。 それなのに、開業している医者と弁護士を比べたら、平均収入にどれくらい差があるだろう。勿論、医者のほうが儲かっている。弁護士の平均年収は皆さんが思っているほど、高くない。 鍼灸師、看護師、薬剤師、理学療法師、放射線技師、柔道整腹師、などなど、医療系の国家試験は、学校さえ出たら、まあ、ほぼ全員受かるだろう。 そうして、守備よく資格取得したら仕事があり、収入も良い。 それに比べて士業は? なんだか、世の中、不公平な感じがする。 医療系の国家資格者が優遇されすぎている。 だから、目指すなら、医療系の国家試験だと思う。 士業なんて止めておきなさい。 だいたい学校でても受かる人より落ちる人のほうがずっと多い。 受かったからって、就職があるわけでもないし、開業したら、すぐに食べていけるわけでもない。廃業する方も多い。 だから、友人の旦那には、せっかく大金払って学校いくならば、例えば整骨医になることを勧めておいた。 どうして、労多くして実入りの少ない「士業」をこんなに沢山の方々が目指しているのか、分からない……。 閑話休題……。 これ以上、風邪が悪くなるようなら、明日、病院に行こうかな、と思う。 いよいよ抗生物質のまないとマズイような気が……。 まあ、明日、決めよう。 とりあえず、ビタミンCを大量に飲んで、風邪薬と熱冷ましは飲んだ。 もう眠ろう。
2009.06.26
きょう、お客さんと話していると鼻水が止まらず、ティッシュを借りていたが、突然ふらつき、ただの鼻風邪ではないことをしる。 帰宅したら、熱まで出てきたから、妻に頼んでバファリンとビタミンCを買ってきてもらう。 この繁忙期に、また風邪かよ、と思う。 数年前までは、俺はビタミンCを含め、あらゆるサプリメントを食うように飲んでいた。 おかげか、あまり風邪ひかなかった。 最近は3ヶ月に一回は風邪引いているようなイメージがある。 咳と鼻水、それから微熱……。 息子が風邪ひくたびに、少し遅れて同じ風邪ひく傾向にある。 息子はもう元気に走り廻っているのに……。 医者には行かんぞぉー! 医者にいくほどの風邪ではない。 一晩で治してみせる!
2009.06.24
五歳の息子は先週金曜日、幼稚園を休んだ。そうして昨日も休み、きょうもまだ咳が止まらないので休ませるそうである。 オヤジにもっと甲斐性があったら、風邪なおったら色々なところにつれていきたいのだが、うちは今年に入ってから急速に金欠病に陥っており、どこにもいけない。近所の公園、婆ちゃんの見舞いが関の山である。 とにかく、動くとお金がかかる。 今朝、夢の中で高校の教師になる夢をみた。 俺は教師になるのが昔は目標だった。教員免許もとった。 それが、流れ流れて、今、社労士になっている。 今週は社会保険事務所のお手伝いが二回はいっていて、きょうはその一回目。 あまり楽な仕事ではない……が、勉強にはなっている。 昨日は、便所事務所に息子を連れていき、仕事していた。 仕事が立て込んできている。今は繁忙期である。出来れば社会保険事務所休みたいのだが……。 幼稚園年長さんの息子も来月にはもう六歳になる。来年は小学校……。 息子、おまえがいてくれたからこの六年、一家離散もせず、家庭を維持できた。夫婦喧嘩の毎日ではあるが。 俺はきょうも悪妻弁当を持って社会保険事務所に向かう。
2009.06.23
新宿、歌舞伎町にいったことはあるだろうか。 実は俺は、無い。 近くに行った時、歌舞伎町に寄っていくように随分と勧められたのだが、機会を逃した。 金城武主演の映画、不夜城は、そんな新宿、歌舞伎町を舞台としている。 不夜城のビデオを、夕べは二回も見てしまった。 うーん。やっぱりいい。原作は暗黒小説と呼ばれるジャンルで、同じ作者の作品は何冊か読んだが、我ながら影響を受けたと思う。 最初、不夜城の原作を読んだ時は、 「面白いが文章めちゃくちゃやなァ」 と思った。確かに原作より映画の方が完成度が高いと思う。 不夜城以降の作品は、原作者も文章に力を入れているが、やっぱり面白いのはデビュー作の不夜城で映画化されたのも不夜城。 小説って、文章ではないんだなァ、とつくづく思う。 不夜城は、音楽のサウンドトラックも持っていたほどのファンであった。 俺はなぜか、歓楽街を舞台にした映画や小説が好きだ。 人間の欲望渦巻く歓楽街……。 宮本輝原作の「道頓堀川」も数え切れないほど再読したものだ。 道頓堀には、若い頃、行ったことがあるが、歓楽街って、どこも、似たり寄ったりである。 仙台や盛岡の歓楽街にも飲みに行ったことがあるが、別に、フツー。 北海道の港町の歓楽街は面白かった。面白いというか、風情があった。 特に釧路の夜は面白い。すすきので遊ぶより、おれなら断然、釧路である。なんてったって美人が多い。 美味いものを食べようと思ったら函館で、田舎者の俺ですら函館より食い物の美味い歓楽街はないのではないかと感じてしまう。 あの日、俺が歌舞伎町によらなかったのは、東京の街で見かける女の子が、あまり美しく見えなかったためである。若かった。女性の美しさが全ての基準だった。 あの日、歌舞伎町をふって、千歳からススキノに直行して遊んだ。 今思えば後悔している。 今はあらゆる歓楽街に興味が失せたから、おそらくもう、歌舞伎町で飲むようなことは生涯あるまい。今は近所の焼き鳥にすら、行っていない。 さて、映画化された不夜城だが、俺は香港映画の中でもベストテンにはいる出来だと思っている。 人間の弱さ脆さが実にリアルに表現されていて、よろしい。 最近は漫画(劇画?)の、「静かなるドン」にもハマっている。 不夜城にしても静かなるドンにしても、いわば、マフィアの世界を描いた作品だ。 俺は、勿論、生のヤクザは嫌いだが、彼等の生き様は太く短いだけに、やはりドラマチックである。 まあ、実際のヤクザ者が、映画や劇画ほど、格好よくないのは経験上、知っている。 実際、しびれるほど渋いヤクザ者って、みたことないよなァ。 やっぱり映画の中だけなのかな?
2009.06.20
きょうは妻が居なくて、子供は幼稚園を風邪気味で休んだ。 俺は便所事務所に子供を連れてご出勤。 任天堂BSライトの音をききながら事務処理……。五歳の息子は他にも色々と絡みついてくるべし。 11時に耳鼻科に息子を連れていき、受診。たった今戻ったところ。 はっきりいって仕事にならん! 参った。先週は日曜日まで仕事していたけれど、明日の土曜日も、どうやら仕事になりそう。 子連れ社労士はハンデ強すぎる……。
2009.06.19
こと、エロにおいて、正常と変態のボーダーラインはどこにあるのだろうかと疑問に思って、多くの友人にインタビューしたことがある。大多数の意見は、 ●合意の上で行われる行為に変態は無い というものだった。 ただ友人のパブのマスターのみ、 「スカトロだけはいけない。あれは合意があっても変態だ」 と言っていたのが印象に残っている。 ちょっと前まで、俺は自他共々に認めるオナニストだった。想像の世界には限界がないから、実に色々と空想させていただいたものだが、最近はストレスの為が生気がすっかり減退して、オナニストたる資格の欠格事由 に該当していると思う。 セックスとは、しょせん、セックスに過ぎない……。 セックスとは赤ちゃんを造る行為だから、素晴らしいものだ。 セックスは最高のコミュニケーション手段である。 と、色々な意見がありそうだ。 そこで、何をもって変態というのか考えてみた。 幼児や子供相手じゃないと燃えないという男女がいるのは事実だ。 俺にも子供がいるから、これだけは許せない。 ●子供にだけは手を出してはいけない 子供に手を出すような大人は、拳銃をもっていたなら、その場で射殺したい。 では、くだんのマスターが言っていた、変態行為であるとするスカトロはいかに? 個人的には気持ち悪くて変態行為だと思ってしまう。 でも合意があるなら……。 皆さんはどんなふうに考えるだろうか。 エスエムは、一つの確立された世界であり、変態行為ではないと俺は思う。これを読んでいる方々にもマニアの方は多い筈だ。 人間ってのは、実に色々な趣味があり、内容も多岐に渡る。 理解できないのは下着マニアの存在。 下着より、中身の方がいいだろう? と、思う。 ところが世間は広く、シミつき下着を売ったり買ったりする方々がいる。理解に苦しむ。 思うに、女性が三人いたら、二人はエムだと思う。 ちなみに俺はベッドの上でのみ、支配欲の強いエスになる。普段は気さくなオンヤズなのに……。 幼い頃、父親が母親に暴力を振るっていた……その辺に俺の気質の原因はあるのかもしれない。 トルストイは、性行為には悪魔の影響が及ぶと、とある短編で述べている。 俺もベッドの上では悪魔になりたい方だった。 だから、合意の上とは言え、若い頃は多くの女性に迷惑をかけたと思う。 もしかすると俺は地獄に堕ちるかもしれない。 まあ、それで喜んでいた女性もいた訳だから、今もって、女性の心理には理解に苦しむ。 俺ももう、四十五歳。 本音を言えば、多少のスケベ心はあるにせよ、もう女は卒業したいと思っている。 ついでに男も卒業して、こだわりのない子供の時のような心に帰りたいのだが……。 歓楽街に飛び出して遊び狂っていたころの自分を、最近は、ほんとうにどうかしていたな、と、思う。最近は近所のスナックにさえ行っていない。 家庭がある。 犬がいる。子供が遊んでいる。その同じ空間に居合わせることに一番の幸福を感じる。俺はベックもふくめ、家族が好きである。 ●命みじかし恋せよ乙女 と、いう。 しかし、何事も中庸(ちゅうよう)が良し、である。 俺のように遊び過ぎるのも人生に禍根が残る。 正常と変態の間も同じではないか。 ●中庸が良し と個人的には思うが、まあ、加熱して色々な行為に及ぶのも合意の上なら良しとしよう。
2009.06.17
脳幹出血で倒れた母は、意識が鮮明で声も徐々に出るようになってきている。 「毎日、誰か来るのを必死の思いで待っている」 と、母は言っている……。 だから俺は、仕事も厳しいが、週に二三回は病院に顔を出すようにしている。もちろん、子供も連れていっている。 母にとっては、孫の顔を見るのが何より嬉しいのだと思う。孫の顔を見ると顔をクチクチャにして、笑う。 俺が母と同じように倒れたら、息子には勿論、毎日きてもらいたいだろうなァ、と思う。 何かと心身ともに忙しいが、俺も極力、毎日顔を出すようにしたい。 ●必死の思いで待っている。 その思いの強さを思うと、我ながらいたたまれないような、悲しい気分になる。 当面は、2日に一回は顔を出すようにしたいが……。 母は毎日のリハビリテーションで、体も、以前に比べたら、大分、動くようになった。 枕の位置がどうだの、ベッドの高さがどうだの随分とわがままな病人だが、倒れてからの母は、とっても可愛い。 その可愛い母が、必死の思いで待っているというのだから、極力、毎日顔をだすようにしよう。 ちなみに、五歳の息子は、お見舞いにいくたびに千円ずつもらって、オロナミンシーを飲んだりしている。 きょうは妻がパートの日だったから、幼稚園には俺が送り迎えをして、息子が幼稚園に行っている間に仕事を超スピードでこなしお客さんも訪問し、幼稚園に迎えにいった 後、母の見舞いに行った。そうして病院から帰ってきたら、もう夕方五時である。 きょうは6月にしては寒い日だった。 車に乗っている間だけ暖かかった。 車といえば、愛車のスプリンター、昨日、バッテリーがあがった。業者を呼んだら、どこかの接触が悪くて漏電している可能性あり、とのお話だった。 さすがにスプリンター君、平成八年車……。修理しながら、だましだましのように……そんな風に走っている訳ではなく、故障もなく快調だと思っていたのだが……こちらも、年には勝てないかな。 買った時は八十万もしたのに、今では十五万くらいの価値しかないらしい……。しかしこのオンボロスプリンター君、事故にもあったが、実によく走ってくれている。あと九千キロ走ったら十万キロに達するから、何だっけ、そう、ターニングベルトの交換が必要になる。 今年は妻の車が車検だし、金のかかることばかりだ。頑張って稼がねえとなァ。 そういえば、明日は今週一度きりの社会保険事務所の出勤日。来週は二回ある。このしごとが、知識不足、経験不足、打たれ弱さの為、本当にしんどい。半分はクレーム処理係りのような仕事。 今はしかし、収入源となることはなんでもやらないとマズい。 社会保険事務所の仕事も、必死の思いでやっている。
2009.06.16
きょうは社会保険事務所にて年金アドバイザーのお仕事。 いやはや、なかなか……、年金は複雑で奥が深く迷子になってしまいそうです。 他にも多数の社労士が、登板制のような形で働いているが、若い方、三十代の方々の優秀さには頭が下がる思いだ。 思うに三十代というのは、人生で一番、精神と肉体のバランスのとれた良い年代かと、俺は思う。 四十代もいいが、我が身を振り返ると、お恥ずかしい事柄が多岐に渡る。 俺だけかもしれないが、物忘れは激しいし、五十肩にやられて、ヒドい時など、ちょっとした振動でも肩が痛む。腰が痛く重い。これが、五十代になったらさらに悪化し、六十代七十代にはヨボヨボになることだろう。 三十代は、二十代の子供くささも取れて、まったくもってアブラののった年代だ。また、事業でもなんでも、まだ失敗の取り返しがつく年代だろう。 まっつよ、その貴重な三十代、お前は何をやっていた? 結論からいうと、三十代前半は、女性の尻ばかり追いかけていた。三十代後半は、今の妻に捕獲され、所帯をもち、まるで所帯やつれするためにだけ生きてきたような気がする。 俺は元来、天衣無縫な詩人のような青春をおくりたかった。 二十代は悩んでばかりいた。三十代は、遊び中心の生活の中で、妻によって鳥かごに閉じ込められた。子の親になったのは三十九歳の時。 これを読んでいる方々にも三十代が多いと思うが、貴重な三十代、大切にした方がいいですよ。 仕事や預金の好きな方には、事業なり財産なりの基礎を築くのに一番適した年代かと思う。 学問、芸術や宗教の道を志す方々にとっても、やっぱり基礎となるのは三十代かと思う。 まあ、例外もある。 俺の知っているある経営者は、会社を六十歳で定年退職してから、事業を起こし、十年あまりで百人近く人を雇用する会社にまで発展させた。 六十代で芥川賞を受けた方々もけっこういる筈だ。 ●人間、年齢ではない と、思う。年齢ではなくココロザシで人は決まると思う。 だから俺も、 「四十代だから」 と体力・知力の衰えを勝手に決めつけることなく、既成概念は打ち破っていきたい。 そうはいっても……。 実際に目の当たりにすると、三十代の方々の優秀さには頭が下がる。
2009.06.12
将来、年金だけでは暮らせなく時代は確実に来る。 俺を含めて将来の年寄りはどうやって暮らしていくんだろう。 今、母が療養型の病院に入院していて、医療費の他にオムツ代だのなんだの、毎月十万円以上かかっている。うちはなんとか払っているが、 将来の年金生活者には蓄えでもない限り払えないだろう。 脳内出血などの長期療養で倒れようものなら、家族は破産する。 おちおち病気もしていられない。
2009.06.11
親の恩わすれがたし……。 俺はどれだけ、両親からの愛情を受けて育ったことだろう。 昨日、きょうと、そんなことばかり考えていた。 悪く言えば過保護。おかげで、甘ったれになった面も強いが、この世であれほど、こんな俺様に愛情を注いでくれた二人はいないと思う。 酒乱で母に暴力を振るう父は、若い頃、給料もろくに家にいれなかったけれども、俺のことは、ひどく可愛いがってくれた。 俺は小学校、中学校の頃は今風に言えば学習障害であり、学校では差別されたりイジメられることも多かったけれども、いつも、家に帰れば母がいた。 家に母がいることだけが救いだった。 家計は貧しかった。常に赤貧状態だった。 両親とも人格的には荒廃した部分も多かったけれども、俺に愛情だけは注いでくれた。 これまで、四十五年生きてきて、こないだ、これまでの人生で嬉しかったことを考えていた。 するとやはり、俺にとっての人生最大の幸運は、両親から絶大な愛情を受けたことだと気づいた。 それから、たった一人だが、自分でも子供を授かったこと。 俺は、お恥ずかしながらマイナス思考タイプの人間だから(根っこは底抜けのプラス思考である)、時々、生きていることに疲れはてて、 「もう死んでもいいかな」 と思うことがある。 そう思う時の心中は、 ●あれだけ親の愛を受けたのだから後悔はない と、いうものだが、死を思いとどまらせてくれるのもまた、両親の存在あってだ。なぜならば、愛する両親はまだ二人とも生きていて、俺が死んだら悲しむだろうなァ、と思うからだ。 親より先に死ぬような親不孝は俺にはできない。 もう一つ、子供や親しい人々の存在がある。 まだ五歳の息子は、例え稼ぎの悪い親父でも、やっぱり親父が死んだら悲しみだろう。 息子には、本人が望みなら、大学にも行かせてやりたいし、いろいろな面で父親の存在は大切なんだと思う。 だから、だからこそ、俺は石を噛む思いをしてでも、強く強く、勝って生きていこうと思う。 今、母が脳幹出血で倒れて寝たきりだ。 父は元気だが、今年でもう七十九歳……。 親には親孝行をいくらしてもしたりない。 親孝行は勿論だが、親から受けた愛情は、自分の子供に返せばいいと思っている。 親の恩わすれがたし……。
2009.06.10
夕べ、しばらくぶりに、 「漫画でも読むべか」 という気持ちになって、自室にあった「静かなるドン」を何冊 か読んだ。 いやあ、面白かった。 乾いた心にオアシスを得たようだった。 俺は最近、いろいろな問題を抱えて悩み、心にゆとりがなくなっていた。それが、静かなるドンを読んで、少し楽しい気持ちになった。 こないだ親しい人から言われた言葉を思い出した。 「まっつさん、なにをするにしても、その中に楽しみを見つけないと苦しくなるよ」 と俺は言われたのだ。 ●楽しみ? そんなもの、ここ一年くらい感じたことなかった。 いつもクラ~イ気持ちでいた。 時々、自分の一年以上前のブログを読むが、いやはや元気だよなァ! と驚く。 静かなるドンは、実に面白い漫画である。うぬ? ああいうの、劇画っていうのかな? 零細な下着デザイン会社プリティーに勤務する平デザイナーの近藤静也は、裏の顔をもっている。関東一円を支配するヤクザ組織、新鮮組の総長でもあるのだ。 静也は、ヤクザの家に生まれついたが故にイヤイヤながら、ドンをやっている。内心は下着デザインに専念したい、平凡だが、幸福な家庭を築き上げたいと願っている。 ところが周囲がそれを許してくれない。 そこに静也の葛藤が生まれる。 二つの顔を持つ男、近藤静也の行く末やいかに? 秋野さんとの恋は実るのだろうか。 夕べは、笑って、うなって興奮して、また、感動の涙に暮れた。 確か連載はまだ続いている筈だ。数年前に、静かなるドンの売り上げ冊数が五千万冊を超えたという話も聞いているから、ご存知の方も多いだろう。 作者の新田たつお氏の漫画は、どれも面白いが、静かなるドンは格別だった。 一つ、俺は楽しみを見つけ出した。 人生、楽しんでなんぼではないか。元来、人間は地球という遊園地を満喫して楽しむ為に生まれてきた……と、思いたい。 現実問題として、悩んだり苦悩してばかりだと、カラダの方がついてこなくなる。 どんなことにも少しばかりの楽しみを見つけないと、笑って毎日を送れない……と、思う。 一頃の俺にとって、一番の楽しい場所は、歓楽街であった。俺にとっての歓楽街とは、歌舞伎町でも中洲でも道頓堀でもなく、あくまで、ススキノだ。 そのススキノに足が向かなくなってから、久しい。 毎日、小遣い制で、タバコ代プラスアルファーくらいしか、お金をもらっていない。いつもピーピー言っているから、ススキノから足が遠のいた……それだけが原因ではない。 女性に対する興味が半減した。それに、以前のようにネオンの光を観ても、ワクワクしなくなってきている。 年齢的なものだろうか、とも思う。単に所帯やつれして枯れてきているだけかもしれない。 俺はもっと、陽気に人生を楽しもうと思う。 一見キツい仕事などにも、楽しみを見つけよう! そう言ったことを、夕べ、静かなるドンは教えてくれた。
2009.06.03
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