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2013.11.30
しばらくブログを書いていなかった。 ユーチューブのアップロードに凝って、動画はかなり配信した。 ブログの文章を書くのは久しぶりだ。 一昨年の9月、家族と別居して、祖母の残してくれた小屋にしばらくゴールデンレトリバーのベックと暮らしていた。 そのときに俺は、実は餓死しかけた。 経緯を話すと永くなるが、いま思うと本当に餓死しかけていた。 お金がなくて食べ物を買えなかったんではなく、色々なことが重なり、手元に食べ物がない状態が続いていた。 餓死しかけているなかで、古式にのった瞑想をしていた。 そこで、不思議な体験をした。 不思議な体験をしてから、翌朝、皮膚ガンみたいにひどかった全身のアトピー性皮膚炎が全部きえていた。複式呼吸になっていた。 その体験があってから、人間というものは誰も繊細だが、実際は誰もみな本当は偉大な神だったんだと、分かったんだ。 それから……。 あれから二年以上過ぎた。 俺はいま、札幌市の桑園のアジトで暮らしている。 二年以上前の便所事務所での熾烈な体験があってから、俺は変わったらしい。 相変わらずの変態のエロオヤジっぷりではあるが、あれから、ああ、ほんとに俺は変わったなァ、と思う。 書きたいことは山ほどあるんだ。 しかし、 「私のこと書いたら訴えるからね」 と述べる人もいたりして、書けないことも多い。 二年前のあの奇妙な体験があってから、もともとエキセントリックな性格なのに、更に抑圧が外れて、もっとエキセントリックになり、俺を嫌うひとは増えたと思う。 しかし、良くしてくれる人々は、嫌うひとの数倍は、増えた。 アンチエイジング治療というものを自前で医者にいかずに、始めたのは、一年半前。 一時は、物凄く若返ったが、いまはカレーの食べ過ぎで太ってしまい、それでもまあ、アンチエイジングは継続している。 写真はたしか先月、風呂場で撮影したものに少しラインカメラで修正をいれた松尾だ。 この二年くらいで、また、ツイッターのフォロワーさんの数が伸び、いまはフォロワーさんが10万人以上という、でんじゃらすな状況下にいる……。 なぜ、こんなに増えたのか戦略的に論理化して理解してるんだったら格好いいんだが、結局、理由がわからない。 きっと、最初、ウンチしながら呟く、「ウンチングツイート」ばかりだったのが受けたのかもしれないが、やはりツイッターの関係でも、周囲の状況は変わってきた。 それは、忘れたころに、いたるところで、 「松尾さんですよね」 と、声をかけられることでもあり、 「どうせ儲かっているんでしょ?」 と、タカをくくられることでもあり、そのたびに、 「儲かっていないよ、食べるのがやっとだよ」 と、本当のことを言わなければならない惨めさだったりしてきたんだ。 「会いましょう」 というお誘いがめちゃくちゃ多くもなる。 そこにはまあ、ビジネスチャンスってやつもあるんだろうが、実はツイッターとかを商売に使う気はあまりないんだよ。商売にするだけの能力もないし……。 敵愾心をもって、突っかかってくるひとも多くなったよ。 あれは、自分の方が負けていると思うから、突っかかってくるような気がするよ。 でも実際は俺なんてホントに低脳だし、オゲレツだし、カネないし、汚いし、ただエロいだけの変態オヤジだから、そういうのは困るんだよ、かなり。 突っかかってこられると、なるべく相手に勝ちを譲り華を持たせるようにしているが、そうすると今度は、 「松尾に受け止めてもらえた」 と思うらしく、普通に距離をおいて接していると逆上したりするんだ。 「最初から本音で話せばいいでしょう?」 と言われそうだが、それはオレサマの気の弱さが許さないし、不特定多数の人々に完全に本音で話すのは不可能なんだよ。 この二年間、実際に離婚したのは去年の3月なんだけど、……だいたいこの二年間の変化はものすごかったと感じている。 一昨年は、餓死しかけたし、昨年は春先に、虫歯が悪化して、感染症になり、死にかけていた。 体温計のマックスより熱が出ている状態が2日つづいたから、あれは実際、死にかけていたんだ。 というわけで、俺は長年、割と平穏にくらしてきたが、一昨年は餓死しかけて、昨年は高熱で死にかけていた……。 二回も死にかけて、そうしていま、生きているんだ。 社労士の仕事は、相変わらず、ゆるくやっている。 一昨年、餓死しかけたときには、近所のカワシマさんのおばさんがたまにご飯をもってきてくれて、それで一命をとりとめたりもしていた。 なぜ、餓死しかけたかというと、実際は銀行のキャッシュカードを紛失したにすぎないんだが、部屋がグチャグチャに散らかり、カードすら探せない精神状態だったのさ。 そうして、旧宅に帰ったときに、妻子がいて、そのときパパの様子がおかしいのに気づいたのか、小学校二年生だった息子が自分の小遣いで自動販売機のジョージアを買ってきてくれたので生き返ったんだ、あのとき。 妻は無関心にそのまま用事に行ったが……。 二回、死にかけてみて、まあ、古来、精神的な修行は多々あるが、 「死にかけるのは最高の修行」 と、はっきり分かるようになった。 一昨年、そんな死にかける出来事があってから、年はあけ、俺はベックを妻に返し、諸事情あり、桑園のいまのアジトに越してきた。 昨年の離婚したその翌日から、評判は悪いが、ユーチューブの配信をはじめた。 二回、死にかけてみて、社労士の仕事にも、新しい視点で当たれるようになりつつあるかもしれない。 やっぱり文章を書くと考えがまとまってくるよね。 助かる。ここまで読んでくれてありがとう! またあおう、明智くん
2013.11.28
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