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2016.01.29
大昔、船山馨という作家が「北国物語」という作品を描いていて、……これは故・渡辺順一さんの「北都物語」の参考になった作品だと思うんだが、……。さっき、大泉洋の「本日のスープ」を聴いていたら、♪時計台の鐘の音……というフレーズが出てきて、サッポロ生まれサッポロ育ちである手伝いのAが、「時計台のカネの音なんてラジオでしか聴いたことなーい」と、言った。サッポロだから時計台、という発想は如何にもブンガク的じゃないのに過去のサッポロのC級アーテストは見事にこれをやり遂げてしまう。そうして大泉洋のよう電波芸人として名をはせてまで、♪時計台のカネの音と、やっちまった……。表現者としてサッポロを出して欲しくないしできれば大泉くんにはサッポロ出身であることも北海出身であることも隠してほしい……。そういうのがSMAPと同じ琴似のバーのマスターレベルだと言っているんだよ。渋谷が舞台ならハチ公を使うのは必然性があるならいいが、使い古されているからマトモなアーティストなら使わない筈だ。時計台は本日のスープにも『北国物語』にも『北都物語』のストーリーにも必然性がない。ならば渋谷ハチ公前に突如としてサッポロ時計台が現れた方がいい。必然性があるならば。恥ずかしいことだ。琴似のバーのマスターレベルのことは止めようよ
2016.01.27
最近、「ブンガクだねえ」と思ったこと。スープカレー編。法事で、叔父の家に自家製のスープカレーを持って行った。叔母さんが、「ひとりちゃん、食器はこれでいいかしら?」と、ご飯茶碗と味噌汁の器を出してきた。「は、はい、……なんでもいいっす」そうして味噌汁の器にスーカリを入れて和製の卓袱台を囲んで、みんなで黙々と食べはじめた。従姉妹の旦那の関西人が、突然、ご飯茶碗の中のライスにスーカリのスープをスプーンでぶっかけて食べはじめた。『ブンガク的な、なんとブンガク的な風景……』自分は感動のあまりに泣けてきた。スーカリは西洋式の食器と西洋式のテーブルで、できればクラシックかジャズかレゲエを聴きながら食べる、……そんな決まりはないのだし、……ましてや、ご飯にスープを混ぜて、ごちゃごちゃにしてからかきこんではいけない、……そんな決まりはない。そんな決まりがあるならば、相撲部屋ではスーカリ禁止になってしまう!しかし、……。自分は軽いカルチャーショックを受けて、サッポロの円山に帰ってきた。スーカリ大好きな手伝いのAに、「ブンガクだったねえ」と述べたら、「ブンガクだった」と微笑んでいた。むかし知人に北海道生まれのガイジンの女の子がいた。幼いときのトラウマを話してくれたことがある。日本文化にすっかり馴染んでしまったガイジンの両親がいて……。子は、DNAはガイジンだが中身が残念ながらド日本人。楽しみにしていたクリスマス会で、クリスマスツリーやプレゼント、ケーキやチキンに舞い上がっていたら、最後がいつもの、●焼き魚アンド、●味噌汁アンド、●ほうれん草のおひたしアンド、●ご飯茶碗のご飯……だったそうだ。涙。涙。涙。当時の俺は、『ブンガクだねえ』と思ったが、今回もまた究めてブンガク的な気分になることができた。オジサンありがとう。そうして、自分がしでかしてしまった過去の失敗例が頭の中で、復活。そのとき自分は西洋式テーブルで丸裸の鶏の唐揚げと寿司を食いながら、息子と嫁とゴールデンレトリバーとクリスマスをやっていた。丸裸の鶏の股間が気になって仕方なかった自分は、あまりに不謹慎で恥ずかしいその姿に死した者の哀愁を感じて、ニワトリの股間にそっと、寿司のイカのネタを置いてみた。計らずも昭和の時代の「前バリ」を再現してしまい非常にブンガク的な気持ちになっていた時のことを思い出し、感慨深く運転席から円山のお洒落なカフェのテラスをみていた。
2016.01.27
SMAPという電波芸人たちの「謝罪会見」というやつをみていた。まず、表情や話し方は、「琴似のバーのマスター程度の人間力やな」とリアルに感じた。俺は同じ電波芸人でも福山雅治は、そこいらのバーのマスターを遥かに超えた品性を感じている。人間は顔に出るからなァ!ネットでは夜回り先生という輩が、「ジャニーズは大切な子供たちを奴隷にしたいのか!」と怒っていたが、SMAPはどうみても子供じゃないべさ。貧相でスレッカラシの中年男たち……。それから今回はじめて気がついたんだが、「ジャニさんの事務所」という意味だったのか、ジャニーズ事務所。「SMAPが解散。テレビの時代が終わった吉相。世の中少しは佳くなるかも?」と、期待していただけに、残念だ。しかし貧相きわまりないあの男たちをみていて、なにやら電波に翻弄されてきた元若者たちの哀愁すら感じた。もう、やめればいいのに。そうしてそれぞれの故郷でカラオケバーでも運営すればいいのである。そういう顔をしている。カラオケバーを運営するのもかなり大変だと思うが、たぶん10年はもつ。
2016.01.26
「ロックだねえ」「ロックじゃないし」などといった表現がある。自分はロックンローラーじゃないし、ロックはあまり聴かない。自分は、元ブンガク青年である。いまは文学ブロガーである。だから、「ブンガクだねえ」という表現を使っている。誰かがなにか述べたら、「正論だがブンガクじゃない」とか、餓死しかけてトマトケチャップを食べてる友人には、「ブンガクだねえ」と喜んでカンパしたりしている。貧乏=ブンガクではないし、金持ち=ブンガクじゃないわけじゃない。主観に過ぎない個人的美意識だが、「ロックだねえ」=ブンガクだねえ」……ではない。しかしかぶる部分はある。ロックンローラの友人によると破けたジーンズをファッションで履いているのはロックじゃないらしい。「たまたま破けてしまったけど、履いている」これならロックになるそうだ。しかしジーンズ自体がブンガクではない。けれど、貧しすぎてたまたま捨ててあったジーンズを履くならブンガクになる。●毎月努力して預金し大金になった。これはブンガクじゃない。●好きな仕事をしていて気がついたら自然にカネがたまっていたことに気がついてびっくり。これならブンガクだ。要するに計算があってはいけない。「お前のいいたいことはわかった。だが、それはブンガクなのか」これは元ブンガク青年にはかなり通じるセリフだ。ロックの人はお洒落が許されるがブンガクは基本、お洒落はNGだ。そこいらにあるものを着るのがブンガク。百年いきようとするのはブンガクじゃないが150年生きようとしたら、ブンガクになる。そういう計算なら可。わかるかな?
2016.01.26

2016.01.25
この世に新しい生命が生まれる。人の赤ちゃんが生まれるとき……。その前後、親を試すように様々な試練が親に現れることが多いな、と、私見かもしれないが自分はそう観察してきた。「赤ちゃんの1歳の誕生日はママの1歳の誕生日」と聞いた。あまつさえ、新しい命を誕生させがたい時代、経済的にも精神的にも環境も、赤ちゃんを世に出しがたい時代である、と思う。1歳になったばかりのマイリトルブラザーが、昨日はじめて、靴を履いてアパートの前を歩いた。歩く。通りすがりの老婦人が何かを察知して、「まあ、歩いてるんですね」と立ち止まり話しかけてきた。「はじめてのお外歩きなんです」と述べたら、マイリトルブラザーを拝むようにして、「頑張ってね」と述べて去っていった。マイリトルブラザーはアンチエイジングをやってる上に異人の血も入っているから透き通るように色白で、まつお家伝来のフレンドリーさも強いから、円山タウンの一部のファンにカリスマ的人気がある。その子が歩いた。俺はロクデナシの50歳以上、年の離れた貧しい兄だが、リトルブラザーのカリスマ性を誇りに思う。兄バカではあるが通行人が次から次へと歩を止めて、「まあ」と話しかける赤ん坊はそうはいない。この子は強い強い瞑想と祈りから生まれた子なんだ。また、アンチエイジングなしでは出てこなかった命でもある。人は誰でも奇跡を体現して生まれてきたんだ、と根源的に信じてきた。マイリトルブラザーもまた、瑞々しい光のような子である。奇跡は起こる。本当に起こる。試練がチャンスだと認識した場合、多くの場合、新しい命が生まれるほどの「フォースの集中」が起こりやすい、と感じている。生まれる奇跡。1歳の誕生日を迎える奇跡。はじめて外を歩いた日の空から降り注ぐ奇跡の花びら……。半世紀以上いきても、自分はまだはじめて歩いた日のままであり、命そのものと等しい。
2016.01.21
DNAの本性とは浅学の自分から観ても、やはり、●再現であると思う。男は、自分のDNAが松代まで残る女性を選ぼうとする。これは一般論だといえよう。女もまた同じであると知るべきだ。真面目な草食系男子よりも女は、装飾系男子に弱い傾向がある。装飾系男子のDNAに自分のDNAを乗せたほうが遺伝情報が代々続きやすいからだ。「学歴も仕事もしっかりしている性格も円満な公務員の○○さんと結婚しなさい」と自分の母は若い頃、親に言われて結婚しそうになっていたそうだ。ところがロクデナシで劣等感が強く時々、女性をシバくような男と母は結婚した。父だ。「指に惚れた」と母が述べていたのを思い出す。性格の円満な公務員の○○さんは指が短かったらしい。それで親の反対を押し切り結婚。母方の墓と父型の墓は近い。母方は真面目な人々ばかりだったが、墓に花を手向ける人が盆のシーズンですら、ほとんどいなくなった。ところが父方の墓は、盆になるとお祭りのように花はなハナで賑わっている。つまり女は自分の遺伝情報を残してくれる男を本能的に知っている。しかしそれは愛なのか?近年、Skypeで東京方面からの女性の恋愛相談によくのっている。「愛よりお金」という女性が目立つ。地元サッポロでもそういう本能の壊れた女性が激増中だ。預金残高の高い男はは貴女のDNA情報を松代まで残してくれるとは限らないのだ。DNAは少なくとも数万年単位での自己の再現を設計していると感じる。そうなると判断基準は資産よりも造形、性格、顔立ち、センス等々になるのは必定。重ねて問う。それは愛なのか?
2016.01.21

2016.01.17
ネットに強い友人が『でんじゃらす社労士まつおひとり』の月間アクセス数を調べてくれた。「まつおさんのTwitterのアクセスは、毎月、七十万人から八十万人です」と友人。「それじゃあ俺は有名人なのか?」と俺が尋ねたら、「今頃、気づいたんですか……」と友人。変態としては有名になりつつあると思っていたが、変態としてじゃなくてもネットでは有名になっているみたいだ。驚いた。ちなみにアクセス解析の結果、アクセスの八割は男性。二割が女性……。まあ、男に人気があってもあまり意味はないんだが、YouTubeでのアクセス解析では女性が一割くらいしかいないから、二割という数字は嬉しいぜよ。
2016.01.13
イスラム国の処刑動画は俳優によるスタジオ動画だったということは、インターネット上では、主流になってきた。考えもなしに怒り狂っている人々がいたが、ものごとは認識してから評価だ。フランスで起こったとされているテロしかり、じゃあ今回のドイツの暴動はどうかというと、今、調査中だ。これは推測に過ぎないのだが、いわゆる偽ユダヤ人=アシュケナジーユダヤ人=ハザールマフィアの工作ではないかと考えている。奴らは都合によってイスラムになりイスラエルになりテロリストになりテロリストを制圧する「正義」を演じて、その基本的な行動原理は、たぶんマキャベリの時代に定着してからかわっていない。自分はSkypeでイスラム教徒の友人が10人くらいいるが、とうてい千人で数百人の女性に暴行するような人々とは思えない。たぶん、イスラム国の問題と同じように、アザールマフィアによる資金と人件費をかけた工作活動ではないかと、推測している。これから本格的に調べてみるつもりだが、少なくとも、テレビや新聞の報道を鵜呑みにした情報を前提として議論を展開してはならないと自戒している。二十世紀少年の「友達」よろしく犯罪者が犯罪をおかし同じ犯罪者が犯罪を解決し、正義の旗をかかげている構図。数百年つづいてきたこの構図を我々は理解しなければならない
2016.01.13

2016.01.11

2016.01.11
引っ越しがようやく完了した。去年は秋から地上げ屋さんとの対決に随分とエネルギーを費やしてしまって、晩秋、交通事故を起こし鞭打ちとなり、身体の不調に鞭打ちながら幾多の友の助けを借りてなんとか同じサッポロの裏参道の新宅に越してこられた。生きていると、ひょんなことから地上げ屋と対決しなくちゃならないし、地上げ屋の手先のヤクザ者と舌戦をしなくちゃならない局面もリアルにあった。ヤクザ者という人種は意外にもスジミチを立てて恫喝しようとしてくるものだ。しかしながら世の中のスジミチの最高権威は「法」であり、自分も法律屋のハシクレであるし、もともと小心者ながら、せこい舌戦には強い性質があり、なおかつ母校の校友会の集まりで常々、スジモノより普通に迫力のある奴らと接して怯えてきた甲斐もあり、なんとかガラス細工の繊細で可愛い性分に鞭打って円満に話をおさめることができた。古い友人である弁護士の援護もあり、割と良い条件で立ち退いた。色々あってストレスがたまる。ストレスが溜まってくるとイライラして、手伝いのAにあたったり、逆に卑屈になり強がってみたりとロクなことがなかった。「自由で崇高な純粋なる魂とは何か」と考えていた。なぜ、それを考えていたかというと、ルパン三世のテレビスペシャルを観ていてルパンのライバルがルパン三世を称して、「自由で崇高なる魂」と述べていたのが印象にのこったからである。人は誰でも本来、自由で崇高なる魂をもっていると信じているが……。近日の自分のようにイライラがつのると、その自由で崇高なる魂が出ずらくなるのは確かだ。ましてや子供の頃から親の虐待を受けたり大きなトラウマの渦中にありながらも自由で崇高なる魂を保つのは現代では不可能に近い。だいたいみんな忙し過ぎるのだ。新宿駅や、混雑時の都市のラッシュアワーの中で痴漢を警戒したり痴漢に間違われないように両手をあげて過労死が日常茶飯事の街に出ていき帰るだけの毎日の中、「自由で崇高なる魂? なにそれ?」と怒気を含んだ声で叱られても仕方ない。しかし、それは誰にもある。隠れて出ていない、出せないだけ……といまも明確に信じている。人間はモーターがついてるわけでもエンジンがついてるわけでもゼンマイがついてるわけでもないのに動いている。それはなぜか。学校でならったような生物の基本システムではとうてい説明できない「なにか」がそこにはあるのではないか?それは何かわからないがエネルギーであることだけは確かだ。自由で崇高なる魂とは、つまるところ、純粋なるエネルギーそのものだと理解している。どんな極悪人であれ結局は生きて動いている以上はその崇高なるエネルギー場からエネルギーを得て生きていると信じている。だから人は生きてるだけで誰でも尊いし、死んだら死んだで肉体を失っただけで崇高なるエネルギー場は残ると思うのだ。死んで尊い。生きて尊い。どちらにしても尊いのが「命」というものだと、インケツな地上げ屋や手下のヤクザ者の顔を思い出しながら、そう思う。我ながら実に愛に満ちたなんと素晴らしくも可愛いらしい人間ではないか、と驚くばかりだ。イオナ。わたしは、素晴らしい。
2016.01.09
「人は学んだようにしか働けない」これはピータードラッカーの名言であったが、自分はこれを拡大解釈して、「人は適応した環境しか再現できない」と、当たり前すぎる理屈をネットで展開してきた。この考えを更に突き詰めていくと、人は学んだようにしか働けないのだから、二十世紀の受け身主体の一斉授業的な学び方では、受動性は養われるが、能動性が育たない。言葉をかえるならば、インプットが得意な奴ばかりでアウトプットができる人間が少ない。人はアウトプットするために学ぶ。アウトプットするという動機がインプットに繋がるし、インプットすると自然とアウトプットしたくなるのが自然な筈なのに、なぜか独自のアウトプットが特に戦後日本ではタブーであった。少なくとも傾向としては、あった。「日本人はなぜ英語を話せないか」これは戦後教育の致命的欠陥だ。要するにアウトプットを学ばせず、暗記的な受動性ばかりで学習させたから、アウトプットしようにもできるわけがない。楽譜の読み方は楽器を演奏したいからこそ、覚えられる。ところが、「楽譜は覚えろ。演奏はするな」と、微にいり細にわたって、つつがなくアウトプットを禁じられた人間がいま、世の中の比較的上層部にいるのに、相変わらずアウトプットできない。彼等が自己確認のためになにをするかというと他人を潰す苛めるバカにする権威に乗っかろうとする。有能な者の足を引っ張るか能才の実績の上に自己の都合を乗せるしかないんだ。思えば悲しい現実だ。世の中の受動的エリートや受動的成功者の会議の風景をみるといい。顕著なのは、一触即発の揚げ足とりのムードだけ。そんな日本に誰がした
2016.01.08
現在の身体データ。体重64キロBMI20体脂肪率15%内臓脂肪8%身長179センチ身長は交通事故のあと、伸長体操をしていない為、一センチ下落体重は事故後の鞭打ちからくる食欲不振で60キロくらいまで落ちていたが、年末年始、不具合なりに暴飲暴食をしたおかげで、増えた。体脂肪率は、内臓脂肪が足を引っ張っているから、見た目の体脂肪率はたぶん12%くらいで、ガリガリというか、細マッチョである。怪我の功名というやつであろう。電波女優の藤原紀香という女性は、水素水のお湯に重曹とビタミンCをいれて、毎日、長時間入浴していると聞いた。自分は水素水というものにこれまでスジミチのたつ科学的根拠を感じたことはないから、水素水の風呂には入っていない。自分が風呂に入れているものを公開する。●拳大より少し多めのヌカ。これはサラシにいれて、浴槽を米のとぎ汁よりもっと乳白色にしている。●ビタミンC40グラム。●重曹40グラム。入浴後は、スキンケアとしてヒルドイドローションとビタミンEの原液、それから植物性プラセンタの原液を混ぜたものを顔と首に塗っている。自分は数えで52歳になったが、たいてい、「普通に30代にみえます」と言われている。ところがこれにファスティングも加えてしばらく断食をすると、「二十代後半くらいですよね?」といわれたことも多々あった。もとより我々のアンチエイジングは美容のためのシステムではない。しかし、最近は美容の成果も恥ずかしながら、取り入れている。
2016.01.08
五十年たったら、自分は102歳。五十年後の世界を想像するのは、割とたやすいが、十年後の世界は、あまり、読めない。今後十年で人類は数万年分の「変化」を実感することだろう。ピータードラッカーの述べていた「歴史上かつてない大転換」は既に起こっているが、人々がテレビ新聞的な視点を卒業して「変化」を認め一部でも実践するだけで、数万年以上の進化が実感できる筈だ。五十年後の世界は、たぶん、エイリアンや未来人の介入が公然たる社会となっている筈だ。エネルギーは化石燃料を燃やしたり、物質と物質の摩擦や、原始的な核融合の時代は終わっている。いや、違う。ほんとうは既に終わっていることが基本のキとなるまで半世紀かかるということだ。街中にはもう原始的な車は走っていない。スカイウェイを反重力カーでぶっ飛ばせば東京・札幌間はたぶん二十分くらいだろう。いたるところからエネルギーを取り出せる時代となっているから、もう、飢えや貧困の問題も解決している。ところがスラムはまだ地球上いたる所にあるのだ。未来型スラムは情報スラムになると思う。情報=変化についていけない人々が旧コスモポリスで未だに旧態依然たる暮らしをしている。そこは、動物園や博物館のように、人々が時々、バカンスなどで遊びにいく場所でもある。
2016.01.08
デンジャラス社労士が開発して個人的に飲んでいる貧乏型アンチエイジングジュースには、ノーベル賞の成果が2つ入っている。一つはライナスポーリンク博士のメガビタミンC摂取の理論であり、もうひとつはアルギニン等のスーパーアミノ酸が成長ホルモンを増やす研究成果。レスベラトロール等の研究もこれからノーベル賞を受けるかもだが、ノーベル賞自体がもはやオバマや安倍政権なみに噴飯ものの砂上の楼閣なので、まあ、どうでもいいのだが……。貧乏型アンチエイジングは、やり方が貧乏くさいという意味ではない。低所得でもタバコやコーヒーを止める程度でできてしまうコストの安い正規のアンチエイジングである。アンチエイジング学会のスタンダードな方法を、工夫して我々ビンボー人でもできるようにした。しかも、みんな本を読んで自分で研究して自己判断でやっていて、商売として誰から一円もとるわけでないから薬事法違反にもならない。医療としてのアンチエイジング治療の難点は千人いたら千人に無難なサプリメントの投与等になってしまうから、若返りが遅い。おまけに、貧乏型アンチエイジングを開発した札幌市在住の男性には思考力があるから、ファスティングならファスティング、プラセンタならプラセンタ、ゴボウ茶ならゴボウ茶、エクササイズならエクササイズ、美容コスメなら美容コスメ云々と一カ所に滞る気がサラサラない。思考力とは体系的にまとめる力。貧乏型アンチエイジング開発者の男性は、それをやってしまった。だから、たぶん十年年後くらいには、貧乏型アンチエイジングは世界一有効な若返り方法だと一般に知られるようになっているだろう。ただし、貧乏型アンチエイジングとは象徴的表現であり、結局は本を読んでみんな自己判断で好きなようにやっているわけだから、ウィルスのように変化を遂げながら、広がる。ただ、安価にアンチエイジングができる最初の思考パターンだけは、開発者のオリジナルだった。
2016.01.08
年末年始の休みは英会話の勉強ばかりしていた。私はイングリッシュに疲れた。中学の単語帳を愛用するようになったが、中学レベルの英単語でも出てこないのがたくさんある。英会話の道は1日にしてならず、ぢゃ、と猪熊ジゴ郎にもなるわけである。なぜ英会話かというとそれが半世紀以上生きてきて、英語が人類に一番普及した言語だと気づいたからだ。英語の分からない民族は自分の経験だけでいえば非英語圏の一部のヨーロッパ人と一部のロシア人、それから大多数の日本人くらいではなかったか。リアルに話して、例えばロシアからきたタレントのお姉ちゃんを若いとき一生懸命に口説いた記憶があるが、英語だめ日本語だめ、結局、ボディーランゲイジのみで話すしかなかった。そういう実戦体験で、英語の話せない外国人はほんの一部であることを知り、逆に英語の重要性に気づいた。まあ、実際は翻訳機械の進歩で、たぶんと五年十年で、どんな言語圏の人々とも話せるようになるだろう。じゃあなぜ英会話の勉強をしているかというと、それは、英語の日常会話くらいは普通に英語圏じゃない外国人もできていることに、ススキノやSkypeでよくわかったし、こないだ渋谷のスクランブル交差点付近でブラジルからきたという凄い美女と下手な英語で話したが、やっぱり英語はブラジル人も話せるんだよね。ブラジル、たしかポルトガル語かスペイン語だったべさ、母国語は。戦後日本人の異常性ってどこに出ているかというと過労死の問題もそうだし、イジメの問題もそうだけど、『外国語が話せない』という点にも大きく出ている。みんな英語は普通に話すんだよ外国人は。話せるのが普通。話せないほうがおかしいんだ。そう思えたら俺のような度胸英語でも案外、通じる、とわかった。
2016.01.08
自分は2011年の晩夏に旧宅の一軒家から、通称『便所部屋』に居を移し、それから同じ札幌市の桑園、円山裏参道、ススキノの事務所でしばらく暮らし、また円山裏参道の同じアパートに落ち着き、落ち着いたかと思いきや地上げに遭って立ち退き料はいただいたが、同じ裏参道のいまは2LDKのアパートに住んでいる。たった四年あまりで、六ヶ所に居を構えたことになる。小学校五年から、47歳まで、ずっと札幌市の山奥の平和の持ち家に住んでいた。一カ所に住むということがなくなり、形は様々だが、しばしば所を終われ、今は裏参道のこんなところに逢着(ほうちゃく)している。型の古いプロペラ機みたいに不時着を繰り返してきた。まつおひとり君よ。本当に愛した人は誰だったのか?それは、誰だったのか?既に答えは出ている。本当の自分自身、……本当の尊いあのエネルギーのルツボであるところの「自己」、そうして、誰の中にも存在する光り輝く栄光に満ちた無限大の「自己」であった。心は開かれた。しかし心が開かれたままだとエネルギーが強すぎて肉体は保てない。だから、肉体とか煩悩というツールを使って『自己』にチャックをしているようなんだ、無意識で……。肉体という着ぐるみは、粗雑で不完全だがよくできていて実際の着ぐるみよりも遥かに精巧な構造でそれは驚くほどリアルである。ここに昔、ダイブしてきた。ダイビングスーツは、二十世紀の昭和うまれの日本人で、非常にエロく身長は180センチで痩せ形筋肉質のずいぶんと変な機能をもつマニアックなタイプを『彼』は選んだみたい。みんな自分を失ってダイビングスーツの方を自分だと勘違いしていきていることが、まず、驚く点なんだよ、峰不二子くん。ダイビングスーツはダイビングスーツで大切だが、アナタではないではないか?ダイビングスーツを脱ぎたまえ不二子くん。裸の胸を開きたまえ
2016.01.08
世の中のブスとブサメンの成り立ちについて。ほんとんとこ、ブスとかブサメンはいないんだよ、自分の考えでは。ただ、多くの場合、鏡に映った自分を正確に観察できないという性質がブスとブサメンの特徴だ。鏡に映った姿を正確に把握できたら、対応策はいくらでもある。こればかりは100%と言ってもいいほど、当たっていると思う。どんなに外見が構造上わるかろうと、家と同じように古民家は佳いカフェになるし、欠陥住宅は増改築すればいいんだし、欠点とは大概、裏返すと長所かつ一番の強みなんだ。つまり、構造上の問題ではなくどんな状況にあろうと『五体不満足』の筆者みたいに輝こうとする意思が美醜を決めるのだ。五体不満足の筆者は現にイケメンだ。ヘレンケラーは、動画をみたことあるが、物凄い素敵な人だったし……。頼むから病気や障害を異性にもてない理由にしないでほしい。結局、ブス・ブサメンとは心の問題であり、意思の問題、認識の誤り、つきつめていくと『自己中心性』という怪物が、鏡に写るリアリティをねじ曲げて自分に解釈させる。自分はまずまずだと思うから、だんだんと劣化するし、見せ方を学ぼうとしない。俺か?26歳くらいまで、かなり偏差値の高いキモメン・ブサメンだった。要するに、自己中心性ゆえに心が現実を正しく認識できていなかったんだ
2016.01.08
愛知県の自称凄腕社労士が物議をかもしていた。他人を自由自在に操る悪の心理術の類いの著作を書いている心理学者の方がよっぽど悪質だと思う。それらは心理学者たるものが書いてはいけない内容ではないか?愛知県の社労士も、社労士たるものが書いてはいけないことを書いてしまった。なぜ、悪の心理学の類いの著者たちが制裁を受けないで、くだんの社労士だけが制裁を受けたか?原因は2つあると思う。●雇用破壊にイライラしている大衆の存在●社労士の知名度と難易度がうなぎのぼりである点。くだんの社労士の書いている内容は、個人攻撃になっていないから、刑法の構成要件を形成していない。社労士の品位というが、『品位』なるあやふやな基準で退会勧告までした愛知県の社労士会の良識を疑う。自分は個人的には愛知県の自称凄腕社労士は、黙っていても自滅する人間だと思っている。良心も教養もない愚かな人間だ。しかし……。社会的な背景のスケープゴードにされた感じを少なからず感じている。彼は悪質な人間だが、同じように悪質な人間は裁かれていない。法律で一番大切なのは公平の原則ではなかっただろうか。妻子あるカウンセラーや精神科医や弁護士や行政書士や税理士がクライアントと肉体関係に陥り、それが発覚した場合、退会勧告まで受けたという話は自分は聞いたことがない
2016.01.08
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