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「札幌市には、まだ原始人がいるか」というテーマで色々と調べてみた。ここでいう原始人とはテレビ新聞の視聴者や読者、購読者、真にうけている人々のこと。新聞配達をやっている友達に訊いてみた。札幌市の円山の場合、比較的大きなマンションやアパートですら、オール新聞をとっていない建物もあるそうだ。テレビ離れについてはWikipediaで調べたんだが、世界的な現象で、日本だけの傾向ではないみたい。円山裏参道のまつおのアジトの場合は、既にテレビすらない。新聞はもちろん購読してない。とはいえ、まだテレビ新聞を信じて日常的に試聴購読している原始人の人々がいるので、インタビューしてみました。「インターネットには良い情報もあるが、いい加減な情報も多いので、見ないようにしている」「新聞ならではの客観的な報道もある。お悔やみ欄など役に立つ」など、様々な意見が聞けた。僭越ながら、「まつおさんはインターネットの情報に当たりをつけるのが上手いですね」と何人かからお褒めをいただいたことがある。なぜか直感的に、これは嘘、これは半ば本当、これは事実、これは事実だが操作されている、……とか、わかっちゃうんだよね。Twitterのフォロワーが10万人を越えているのもその辺に原因の一つがある。信じられないだろうが、一部でまつおひとりの発信する情報には信用がある。なぜか、と考えていた。そうして思わぬ部分にその理由があることがわかった。「法律を少しは学んだからだ」と思う。例えば社労士試験の合格レベルに達してくると嫌でも、法律と法律の「整合性」ということがわかるようになる。例えば雇用保険や年金の適用基準は労働基準法に基づいている。労働基準法はもちろん憲法や民法に基づいており、憲法や民法の契約法の趣旨に反する労働法の条項は整合性がとれない。しかし特例を定めることはできる。例えば民法の契約解除の予告はた14日前だった筈だ。しかし労働基準法では労働者保護の観点から解雇予告は30日前。これは特例として整合性がなりたつ。要するに自分の場合、論理的に整合性が成り立つかどうかで嘘か誠かを見極めている、と気づいた。法論理という場合、様々な定義があるとWikipediaで知ったのだが自分は計らずも、法論理の整合性で物事を判断していた。
2016.03.30

だいたい何時もネットサーフィンをしている。近くで手伝いのAがつらそうに社労士の事務処理をしている。手伝いのAがわからないことがあると、ちょっと教えて、また興味深い動画などを観る。思いついて散歩にでる。いく場所は一杯40円の珈琲屋さんだ。若く可愛い店員数人とすっかり顔なじみなので、毎日のように四十円はらって、そこをガールズバーとして使っている。アポが入るとたまにお客さんの企業を訪問する。真面目な話をしているんだと思うだろうが、八割は猥談だ。残りの一割が社会情勢の話。肝心の仕事の話は一割程度。だから必然的に淘汰されてお客さんはエロい経営者ばかりになってしまった。円山に戻るとまた珈琲屋をひやかしたり、近所の煎餅屋の超美人がちゃんと働いているかチェックしたりして、ダラダラ過ごす。弟と遊ぶ。手伝いのAがわからないことを紙にまとめていたりするので数分答え指示をだす。ゴロゴロしたり昼寝したり、気ままにすごす。役所やお客さんから電話がなる。ゴロゴロしながらダルそうに会話するのだが必ずエロいギャグをいれるので、なんとなく許されているみたいだ。まあ、そんなふうに一生懸命、働いている。そうやって毎日、必死に働いている、
2016.03.28

花さか爺さんって、別にどこにいても花さか爺さんなんだろうな、と思う。イジワル爺さんの場合は、花さか爺さんに対する嫉妬心からイジワル爺さんになってしまった気がする。イジワル爺さんはイジワル爺さんが優越感を感じられる場所にいたなら、案外よいオヤジ的な存在で、みんなから好かれていたかもしれない、と思う。イジワル爺さんは花さか爺さんのお隣に住んでしまったのが失敗だった。しかし……。多くの場合は、実際は、イジワル爺さんの方が役にたっているのかも、と思うこともある。古今東西、ソクラテスさんやインドのクリシュナムルティーさん、我が国の場合、鹿児島県ナクネ市の元市長の竹原信一さんのような賢者は、イジワル爺さんに対する観察から慧眼が生まれたのだ。反面教師としての使命を帯びて生まれてきた命もある、と感じることがある。そういう意味で言えば本当の偉人はソクラテスさんの場合でいえばソクラテスさんではなくアテナイの政治家や芸術家、職人たちの方であった。むかしとんでもないアル中の兄貴分がいた。札幌西断酒会の大谷顕という人。大谷さんは物凄いアル中だったらしいが、俺と出逢ったときはソクラテスのような賢者だった。アル中になど普通、なりたくてなるもんじゃない。家族や近隣にかかる迷惑はハンパじゃない。しかし、大谷さんが一人、アル中になることで、いったい何人のアル中が、いや、家族や家族のご町内の方々まで含めて、救われたことだろう。花さか爺さんは、どこにいても花を咲かす人だ。しかし、花を咲かすには、肥やしもいるんだ。種を蒔く人と肥やしになる人はどちらが偉大か?仏教では答えが出ている。たぶんどの宗派でもイジワル爺さんの方が霊格が高いと述べるのは容易に想像がつく。残念ながら自分は花さか爺さんタイプ。出逢う人々がみんな成功していく。若返る。恋人ができる。キチガイがただの名物男、名物女になってしまう。だけど、本当はイジワル爺さんの方がずっと偉い、……そこに気づいてしまった花さか爺さんなんである。普通にしていたら、瞑目して敬意をはらわれてしまうのがイヤで、「日本一の正しい変態を目指す」などと宣言しているが、イジワル爺さんにはどうしても叶わない、何もかも中くらいの花さか爺さんだったのだ。さて、センズリでもこくべ……。
2016.03.26

「」とアンチエイジングをはじめてから、現在のパフィーをみて感じた。パフィーと言えば、自分から観ると物凄く若かったんだがなァ。森高千里は、「私がおばさんになっても」を歌っていたが、やっぱりおばさんになっていた。足ながおばさん。安室直美は子供だなァ……と思っていたのに、もう自分の弟の母親より年上。いったいどうなっているんだ、と思うこの主観的真実。SMAPはむかしは全員ガキに見えた。今は全員、一番若かった兄ちゃんまでオジサンに見える。こうしたことは貧乏型アンチエイジングを実践している人みんなに、たぶん起こっている筈。息子がオジサンになっていく姿だけはみたくない
2016.03.26

フェイスブックの友達から教えられた、親鸞の、●非僧非俗という言葉を自分の信念に置き換えて、変えてみた。●有僧生俗心は僧でありながら積極的に俗に生きるこれだ右手に聖典左手にエロ本罵詈にも雑言にも負けない丈夫な神経をもち欲はあり決してひるまずいつもニヤニヤ笑っている生肉ばかりを食い散らかし女体もりに舌をならしてあらゆることを自分本位に考え認識しないで人を決めつけ恨みは忘れず夜間の街のネオンの陰の大きな安いショットバーにいて東に病気のねえちゃんあればつけこんで看病してやり西に疲れたシングルマザーあれば行って愛人にならないかと言い南に自殺しそうなねえちゃんあれば行ってカッティングをやめてペッティングをしましょうといい北に喧嘩や裁判あれば自分の胸に手を当ててよく揉んでみなさいとといい貧乏なねえちゃんの足下をみて不景気の夏もキョトキョトと見渡しみんなに変態と呼ばれ貶されもしお前が憎いと指さされそういう最低野郎にわたしはなりたい
2016.03.24
俺は突然変異種、ミュータントではないのか? と、時々思う。春から中学生になる息子の口癖が、「パパって馬鹿でしょ。算数の九九できないんだもん」それが最近は本など相当に読み込んでいるから、「思っていたほど馬鹿でもないらしい」と分かってきたみたい。4月になったら、昔から息子を知っている老若男女を裏参道のアパートに招いて、別居中の息子の中学校入学記念焼き鳥パーティーをやることに決定。息子は親からみても、俺の子だけあってイケメンだ。弟も1歳にして、通りすがりのお姉ちゃんがチューしたがるほどのイケメンだし……。松尾家はイケメンの神様がついているんだね、たぶん。さい先おそろしいわいな。ひ。ひひひ、ひ、ひ。
2016.03.24
旧帝大を卒業した同級生から電話があり、 「社労士試験を受けたい」 と言う。 それで自分は以下の現実を教えた 平成27年度の主な国家試験の合格率 社会保険労務士 2.58% 司法書士 3.95% 弁理士 6.65% 公認会計士 10.31% 今の社労士試験に受かる自信はあるか?」と、たまに訊かれる。「受かるわけないべや。平成二年合格だが、当時でもギリギリで受かったんだ」と答えている。社労士試験に挑戦したいという人は、なるべく止めるようにしている。負け戦は初めから避けるのが正しいあり方だからだ。とはいえ、受験生の方々は頑張っていただきたい
2016.03.22

大前研一さんの講演をYouTubeで観た。うーむ、なんか、凄く勉強になった。しかし、時代認識の捉え方では、自分が勝ったと感じた。勝った負けたじゃないんだが……。大前研一さん親子は講演の最初で二十年後のそれぞれの老いた姿をCGで作ってビジネスマンたちに見せていた。初めから時代が見えていない……。二十年後は、大前さん親子ほどの知識人ならば、必ず現在より若返っているのが現在のリアリティなのだ。ピータードラッカーは過去のデータから未来を読むことの無意味性を繰り返し述べた。大前さん親子は、過去のデータから未来を読もうとしていた。だから冒頭から、アンチエイジング科学の今の進歩を抜きにしたCGを出す。つまり今が見えていないんだ。その前にYouTubeで、ブルースリーがヌンチャクで卓球をしている神業を観た。カネの次に来る時代が情報経済の時代、そうして今は情報経済の時代すらストリートではもう終わり、真に価値あるものは健康であると、マトモな人ならば気づいている。もちろん、あと十年もしたら、アンチエイジングの時代になっている。いや、本当は1990年代終わりころには、本当はもうアンチエイジングの時代だったんだ。それが表面化するだけ。今の本当のリアリティは精神性の時代だと思う。ドラッカー風に言えば1980年に情報経済に移行したとするならば、ざっくりいえば彼は時代のスパンを二十五年単位で読むから、2005年には情報経済すら終わりを告げ、アンチエイジングの時代、集団より個、個の情報力プラス個の健康力の時代がもうきていた。認識や予測にはズレはつきものだが、譲って2005年からアンチエイジングの時代がはじまったとするならば、それが広く大衆に浸透するのは2030年。この原理からいえばストリートの現実がカネ→情報→健康→精神性、最後の精神性の時代に入るのは、重ねてざっくりですまないがいくら遅れても14年後の2030年。さらにその現実が民衆に浸透するのは2055年以降となるだろう。俺は2055年には、91歳となっているが、少なくとも事故や動乱などを抜きに考えれば、2055年の自分の外見を想い描くことができる。まず、外見は25歳くらいを選択している筈だ。AI搭載の次元カーで地球を転々とワープしているだろう。
2016.03.21

「日本人は名誉白人」と白人と信じている彼等から言われたら、普通の日本人ならば、「アホか」と思うだろう。だいたいそんなことを言う阿呆なガイジンは、いまどき稀だ。「まつおさんは地方の三流私大の出身ではなく、少なくともマーチクラスのにおいがする」と最近、変な誉められ方をした。マーチとは車のことではなかったみたい……。俺は、いまどき、本当に他人をそうやって画一的に評価する人が実在するのだ、とアンモナイトと遭遇した時のような驚きを隠せなかった。いのかくいう自分も、知らず知らず、他人を格付けしてきたのではないか、と思う。資産で格付けする方が最近は学歴カースト主義者よりも増えてきた感は、ある。預金残高カースト制度が学歴カーストにとって代わった感じ。俺の場合は健康オタクであり、アンチエイジングがライフワークだと思っているから、知らず知らず、「若さ、健康、美しさ」で他人を格付けしている模様だ。同じような価値観の友人と車に乗っていて、俺が運転していたら、彼が通行人を指差して、「あれは不細工だからひき殺しても犯罪じゃない」と言う。それは極端な例だが、心理的カースト制度の果てにある帰結はそういうことになる。暴力団には暴力団のカーストがあるし、驚いたことに浮浪者には浮浪者同士の格付け制度があるみたいだ。格付けカーストにこだわって一番、被害を受けるのはリアルに格付けしている御当人であると我々は反省するべきだ。特に女性は自分の胸に手を当ててよく揉んで……失礼、自分の胸に手を当ててよく反省してほしい。どちらかというと女性の方が格付けカーストにこだわる人が、経験上、多かったから。
2016.03.20

「若い」と思う有名人を何人か思い浮かべていた。●郷ひろみさん郷ひろみは若かったしいまも若いが、年齢が六十歳になって、さすがに三十代には見えなくなってきた。その原因を貧乏型アンチエイジングの視点でみると、やはり、貧乏型アンチエイジングのビタミンCメガ摂取と成長ホルモン前駆物質の摂取をしていない点に自分は見いだしている。この二点を実行していない点は以下の人々もたぶん同じなので、以下は省略。ただ、郷ひろみさんは流行的なアンチエイジングの方法と運動は、かなり努力している印象があり、たぶん日本一わかい六十代の有名人かと思う。●白鳥一彦(タニミツ)さん一部では知るひとぞ知るアンチエイジングの達人。この人のアンチエイジングのやり方は主に運動とファスティングだと思われる。この人は五十代くらいまでは実際、三十代くらいにみえたんだが、やっぱり六十すぎてからは、普通に五十代後半くらいのオジサンになった感じがする。運動とファスティング、食事だけでは、やっぱり、六十過ぎると地が出てくる感じがする。これは次にあげるドクター南雲さんにしても、同じ。●ドクター南雲やっぱり六十くらいまでは、三十代に見えたんだが、今は五十代に見える。見ようによっては四十代。南雲先生の特異な点は白鳥一彦さんらと違い、「トレーニングはするな」という点。アンチエイジングに運動は禁物。●黒木瞳さん黒木瞳さんのアンチエイジングの方法は「腹八分目と早寝早起き」だそうだが、ネットで詳しく調べたところ、発酵玄米を食べているみたいだ。だから正確には、発酵玄米と腹八分目と早寝早起き、となると思う。●アンチエイジングの鬼さん本名は忘れてしまったが、この人は四十代後半だが、確かに若い。しかしどちらかというと美容のアンチエイジングの人というイメージはある。●福山雅治さん彼はなぜ若いのだろう? 実際に自分が把握しているのは、シュートボクシングを日課にしていることと、石鹸類を一切使わないタモリ式入浴法と、エスケーツーの使用くらいだ。この人は若い上にイケメンだから、自分としてはライバルだと思っている。さて、いろんな人々の例を出したが、共通しているのは、「」「六十歳の壁を破れそうにない」という点だ。六十歳くらいまでは、無理をしてもしなくても、みんな三十代には見えたのに…
2016.03.20

数年前からSkypeで話しているキャバクラの手待ち時間を利用して社労士に合格した元キャバ嬢の女性に、昨日いわれた。「まつおさん、収入が増えつつあるみたいだけど、私、まつおさんには、収入に関係なく、いつも飄々としていて欲しいの」。「まつおさんってイケメンだし」と彼女は言った。まあ、おれほどのイケメンに真正面から、「イケメン!」と言える勇気ある女性は減ったから、私は彼女の勇気を立派だと感じた。最近はイケメンすぎるから、自分の似顔絵を描く時も、ただの円としか表現できなくなったほどだ。とは言え、そんなオイラも来月誕生日、52歳になっちまうわけだよ。身体は、今は、色々な方法があるにしても、まあ、若返る時代になった。運動や食事で、成長ホルモンの分泌を促しながら、身体の酸化を抑え、同時にファスティングなどで寿命遺伝子を修復する……どんな方法をとるにしても、そうすると若いまま免疫力を高めて、来るべきヒトゲノムの寿命リミッターを取り外せる時代まで、青年のまま、待つことができる……。問題は心だ。「我が心、すでに空なり」と、むかしの時代劇で服部半蔵が述べていた。色即是空の空……。とらわれた心でいると、とても二百年三百年は生きることはできないと、最近、分かってきたんだ。身体に自然の劣化がある。それは我々が実践しているような進化した生命テクノロジーで解決できるとして、●心のフリーラジカル●心の劣化みたいなものは、心を常に空に近づけておかないと、厳しいと思う。表現は、どうでもいい。空でもインナーセルフでもブラフマンでもハイヤーセルフでもワンネスでも真我でもゼロポイントでもなんでもいいんだが……。そういった本当の自分自身に自分を据えて、市井に陸沈していきる。そうしないことには、長生きなんてできない……。社会システムは時代とともに変化していく。そこに適応できる新鮮な自分を保つ。「どうして私のまわりにまつおさんみたいな人がいないんだろ」と女社労士は言った。とまあ、モテる男はつらいわけだよ、明智くん。俺が宗教団体をつくらないのも、今のままで充分、もてているからだわな。ひひ
2016.03.20

2016.03.18

2016.03.18

三年前に叔父がまだ六十代の若さで死んだ。同じ年の冬、ゴールデンレトリバーの俺の唯一の弟子だったベックが死んだ。二年前には母が死んだ。バイクの事故で従兄弟が死んだ。友達や友達の親やその他の自分の関係者も、これまでに随分と亡くなってきた。叔父が死んだ時は、身体がもう養分を受け付けなくなっているように見えた。飢餓状態にある人が衰弱するように死んでいった。母もまた……。人が死ぬには、●生老病死の4つの原因があると思う。仏教用語を利用して四つに分類しただけだから仏教用語の本来の意味ではないが……。生きることそのものから至る死。精神病や自殺など、か。老いることから至る死。身体の免疫力が低下し、寿命遺伝子の炎も消えて死に至る。病むことから至る死。ガンや白血病、同年代では脳梗塞など、多い。最後が死そのもの。爆撃や事故、天災などで避けられない死……。自分は貧乏型アンチエイジングというものを提唱して、人々が若返るのに勿論、無給で協力してきた。人々はみんな超人のような若さと心身のパワーを手に入れて、ある人は五十ちかいのにテニスの大会で二十代を破り優勝、ある人は四十歳になろうとしているのに25歳くらいにしか見えない人もいる。貧乏型アンチエイジングをやると、社会システムの首輪が外れて本当の紳士淑女となるから、社会的にもみんな成功しつつある。たぶん数年後には今、貧乏型アンチエイジングをやっている人々の所得は平均を大きく上回っていることも、分かっている。「貧乏型アンチエイジングというが全然、貧乏じゃねえじゃねえか」と言われてもおかしくない人々も増えてきた。しかし、実は、……自分は、また、本当の奥義はインナーセルフを呼び覚ますことであり、裏を返すとインナーセルフを呼び覚ましたから貧乏型アンチエイジングの奇跡が生まれたという、その究極の部分、奥義をまだ誰にも教えていない。「いってもわからないから」「教えてもわからないから」という理由にすぎない。生老病死の「老い」と「病」だけならば貧乏型アンチエイジングは、ある程度、乗り越えてきたのだが……、生きることそのもの、死そのものに対抗できる奥義は、まだ誰にも公開していない。七年だ。自分自身インナーセルフを呼び出してから七年後、つまりあと二年半たったら公開する。
2016.03.18

2016.03.16

2016.03.16
この頃、社労士として外回りしていると、なぜかお金の話しかできないようなイカレタ経営者が目について吐きそうになる。経営者なんだからお金の話をするのは当然なんだが頻度が高すぎる。システム=お金に洗脳されすぎている。もうほんとうに嘔吐しそうになる。勘弁してけれ……社労士を雇うような経営者だから普通に従業員が何十人とかの中小零細の会社。「この業界あわねえんじゃないべか」と思いながら、社労士を二十五年やってきた。気がついたら創業者で事業を二十五年以上、継続している人がほとんどいなくなった。経営者の集まりにいくとたいてい、俺が経営者として一応、誰より先輩ということになる。しかし、どこに行っても軽蔑されてバカにされる存在ではある。男は軽んじられバカにされているうちが花だ、と信じている。しかし、レベルの低い人間との交流は疲れる。レベルが低いというか、「人間性重視よりお金重視」という有り得ない価値観の中にいると、本当にゲロが出そうになる。もう嫌だ、俺はJASRACに登録したし、歌手になる。天才型アンドロイド・宮野徹の助けを得た。そういえば、次、5月くらいに東京にいく。「雨あがる」や「蜩の記」で有名な映画の黒澤の一番弟子の小泉監督とうちの高校のOBの電波音楽をつくっている宗本康兵というミュージシャンと、元気舎の横山先生、それからオレサマの4人で、映画談義の飲み会をやることになった。小泉監督は文化勲章を受けた人だし、宗本康平くんは、中森明菜などの曲づくりに関わっているベーシスト、音楽プロデューサー。横山先生は一応、一部では日本中に名前の轟いた社会教育家で元暴○教師。そんな凄い飲み会になぜ呼ばれるのだろう。しかもティーチャー横山によると、「お前が東京にいく日にあわせて席をつくる」と、いう。そりゃ俺は映画に詳しいよ。しかし、俺は社会的にはただの市井の冴えない社労士さんで……。というわけで、今年は激しく東京にいくことになりそう。
2016.03.16

それがまるで使命であるかのように、幼少から、「人間とはどんなものなのか」というテーマについて考えてきた。世の中の多くの人々は、何かしら芸事にハマるものだが、自分の場合はそれがマスプロ的なポップカルチャーの類いではなく、文芸、なかでもいわゆる純文学とハードSFだったことが良かれ悪しかれ幸いした。キャパシティの大きな媒介をツールとして、より自由に思考することができたからだ。一昨日まで東京にいた。東京の人々は、より激しく機械化されていた。歩く速度、デパートの店員のお辞儀の仕方、歩いてると目にとまるあらゆるサービス業の人々の画一的動作が北海道に比べて板についていた。アクトロイドのように頭を下げ続けているバスの案内係りの女性をみていて、自分はこんなふうに考えていた。そこは渋谷の東急デパートのあたりだった。喫煙コーナーから彼女が見えたから、自分は彼女をずっとみていた。青山通りの新しいアジトから、朝方、渋谷を散歩して、夕方、また渋谷に戻ったら、彼女は同じように、ヘソのあたりに両手をあてがって、同じ動作をしていた。「それが仕事というものだべさ。まつおさん、何を驚いているのさ」と思われるかもしれない。たしかにそうなんだ。システムの中の基準では彼女は偉い……。しかし、……。生身の人間が朝から晩までアクトロイドみたいに均一な礼を数千回も一万回も繰り返すことは尋常なことではない。異常だ!「異常な行動に何が彼女を駆り立てたのか?」と、考えていた。金だ。つまりお給料がほしい。また、彼女はたぶん、多くの人々と同じように自分のやっている仕事にステイタスを感じているのかもしれない……。本当は転職間近だが無理してやっているのかもしれない。彼女が本当は宇宙人で1日だけ地球人の真似をしていたのかもしれない……。バスの乗降客に毎日お辞儀を一万回やる姿だけがそこにはあり、その背景にあるものは勿論、わからなかった。話はまた変わる。自分の弟が、こないだ1歳の誕生日を迎えた。友人達を招いて、弟の誕生会をやった。弟はまだ言葉もまったく話せないのに、「自分のためにみんなが祝っている」と理解したらしく、誕生会が終わり夜となり、寝る時間になっても昼間誕生会が行われていた居間に戻ろうとしていた。「こんなに小さいのにもう自己意識、自己愛があるんだな」と自分は嬉しさ半分と悲哀を半分感じながら、ハイハイして居間に戻ろうとする弟をみていた。つまり、どんな行動であれ、アクトロイドのように1日に一万回もお辞儀をする異常行動であれ、「根っこにあるのは自己意識=自己愛だったのか」と、バスの乗降客に頭を下げるお姉ちゃんをみていて、おもっていた。特攻隊の兵隊さんたちが敵艦に突っ込んでいったのも、おれの認識では自己愛の拡張された家族愛や、郷土愛、さらに郷土愛の拡張された愛国心ゆえだったと思う。彼等の多くは今の日本に少なくなったホンモノの能動的インテリだったから、しっかり自分の頭で考えて敵により大きなダメージを与えられる場所に効率的に特攻ができた。しかし、まてよ、……いや、ちょっと待て、ちょっと……。よくきく話だが、日本のヤクザでもイタリアンマフィアの伝統でも、そういうチンピライズされた人間というものは、いざという時の鉄砲玉育成の為に、幼い子供を養子にとるらしい……。大切に育てられた子供は、自分の自己愛を一家なり仲間まで拡張しているから、一家なり仲間のために死すら厭わなくなるそうだ。むかし、東北などで凶作の年に、一家を飢えさせないために身売りをした。よく知られた話だが、なぜ、それができたかというと、最初に生じた自己愛を、●受け止めてくれたと感じた人々なり場所に人のみならず哺乳類は、●愛を感じるみたいだからである。その愛ゆえに人は異常行動をとることも可能となる。しかし俺はバスの乗降客に一万回あたまを下げるお姉ちゃんをみていて、「それは、根っこにそういった疑似愛があり、それがシステムによってすり替えられたり、取引されたり複雑に体系だった道筋の末に彼女はこのように生身のままで生きたまま機械化ゾンビ人間になってしまったんだ」と、嘆いていた。自分は教員免許をもっているから、教育の基本のキが、「三つ子の魂百までも」であることは、わかる。まあ、教員免許に関係なくみんなわかること。3歳くらいまではとにかく誉めて受容し自己承認させる。そうしないと一生、自己承認できないで「他者承認」つまり他人の評価を軸に生きる人間のクズができあがる、……そう信じて、上の子も弟も、3歳まではとにかく誉めて自由に育てたつもり。子供には時には体罰も必要だが、3歳くらいまでは絶対体罰も駄目。それが教員の基本であり、それはそうなのだが、そこまでしてマックスで育んだ「自己意識」ですら、システムに組み込まれて優等生たらんとするならば、●1日に一万回お辞儀をつづけるゾンビ人間の出来上がりと、なってしまうんだ、と嘆いていたんだ。ネットで調べたんだがゾンビ映画を最初に流行らせた監督の意図は「ブレードランナー」と同じように、●ゾンビとはあなた達現代人のことなんですよという点にあった。今回の東京棲息では渋谷でも新宿でも、もはや生物ですらない機械化されたゾンビの兵士が、ざっくざっくと画一的に歩いていた。そうして現代では人を機械化ゾンビ兵士に仕立てる原動力がプログラム化された「疑似愛」であることがわかった。自分もまた上の息子と弟に疑似愛を植え付けてしまった。●自分じゃない属性を早くから自分だと思いこませるロジックそれが疑似自己愛だ。少し誉めて育て過ぎた。
2016.03.12
「行動と理解が一定に達すると三つの障害とその人を殺す働きが紛らわしく起こってくる」これは13世紀のある僧侶の言葉。紛らわしく色々と怪我や病気や事故や関係性の分断にみまわれ、何度も死にかけ、家族すらその人を分断し、権力者からの迫害にあい……。不思議と貧乏型アンチエイジングを志している人々の周辺ではこういうことが起こってきている。俺はこの四年半でアジトが六回も変わった。今は落ち着いているように見えるが……。突然、変な方向からやってきた借金問題で裁判所騒ぎになった人もいるし、現場での怪我で労災がつかえなかったり、死にかけたり。ある人が述べていたが、「悪魔の手口とは国家から個人にいたるまで常に『分断』『分断』で仕掛けてくる」つまり、その人の使命が重要であればあるほど、悪魔は時空を超えて観察しているから、まずその人が生まれてこないように働きかけ、うまれてもなるべく覚醒しないようにハードルをつくり、これは俺の考えだが酒や薬物など、使えるツールはなんでも使う連中なんだ。自分は古典を読んでいるからこうしたことが起こると、喜ぶ。統計的な平均を上回ってそういうことが起きてくるのは、喜びである。なぜならば貧乏型アンチエイジングの目指す方向が正しいと認識できる材料となるからだ。ちなみに三つの障害と殺す働きを乗り越えたとき、その人はどうなるか?これも古典にある。紛らわしく災いや死の働きを乗り越えるたびに、その人は前よりずっと強くなるのだ。こうしたことを、自分は古典からつまびらかに知る。映画のマトリックスで言えば、その人が現れたら、誰もがみんなエージェントになりうるのだ。運転中、運転手が二日酔いでトラックを運転し突っ込んでくるとする。それは二日酔いだから間違えて突っ込んできたように思えるが本当は違うんだ。その時、運転手の中にエージェントが一瞬、入るのである。貧乏型アンチエイジングはもうそういうことが起こる段階に入ってきた。悪魔の正体?これについては永らく考え最近、やっとわかった。悪魔の正体は自分自身の頭蓋骨の中の「脳」そのものだったんだ。
2016.03.07
資本主義というものについて友人と話していた。「そもそも資本主義という名前をつけたのは誰か」という話題になり、調べてみた。マルクスの「資本論」のドイツ語から派生した言葉だということが分かった。資本論のドイツ語を翻訳機で日本語に変換すると、●資本金・政治経済批判という結果が出た。さらに意訳すると、●カネや政治や経済への批判という意味になる。面白いことにマルクスがユダヤ金融家から援助を受けていたという話は、たぶん事実だろう。英語で言えばキャピタルへの批判という意味らしいから、「資本論」という日本語翻訳は、いまになれば誤訳だとわかる。だから、●資本主義が終焉したという場合、正確には、「カネや政治や経済のシステムが終焉した」という意味となり、資本主義の終焉は政治システムのみならず、キャピタル、つまり都市に一点集中する体制も終焉したことを意味するのかもしれない、と思う。学校教育の中世という時代のラストスパートが中央集権的な絶対王制だったとするならば、『資本主義』とは絶対王政が民衆をたばかるために資本主義と名前と表向きのシステムをかえた形態に過ぎない、と解釈することも可能。ドラカッーが述べたように1980年代に資本主義はすでに崩壊して情報主義経済になっている模様。市場にあるモノを何十回でも何百回でも買えるだけの紙幣が数字的に世の中に存在している現実。何回分、全部買える紙幣が数字的に存在するのか知らないが、そういった馬鹿げた規模であることはたしかだ。その結果、本当の悪党がどう考えるかというと単純で、「現実に存在するものの単価を現実に存在する通貨に近づくまで物価を上げてしまおう」そういうことだと思う。そこまでなら誰でも分かることだが、資本主義の終焉で困るのが、政治システムや都市システムに頼ってきた人々。ここいらになると難解だと感じる人々も増えると思う。俺にとっても難解。東京では情報や経済的富裕層から地方へ脱出しているというニュースを数年前にテレビで確認。別に放射能の問題だけではなく時代がそういう段階になった。地上の全部を何百回でも買えるカネが溢れているのに、モノあまりでモノが売れないから必然的に賃金が下がりモノが買えない貧困層が増えている……。大切なのはそれが「いま」の現実ではなく30年も前に起こっていた現実だと理解すること
2016.03.06
昨日、読売新聞の若い営業マンがきた。「新聞はとりません」と俺が述べたら、「収入が少なくてこまっているからお願いします」と言う。「俺も収入すくなくて困っているから新聞とりません」と俺が応えたら、「子供がたくさんいて養っていかないといけないので新聞取ってください」と言った。「俺も子供が沢山いて養っていかないといけないから新聞とりません」と応える。すると営業マン、「自分、頭が悪くて中卒なんです。中卒で仕事ないから新聞とってください」出たァ……無敵の中卒マーケティング、と思いながら俺は応えた。「おれも中卒でたぶんあなたより頭わるいから新聞とりません」……しかし、上記のセールストークの中で「中卒」という言葉には瞬間的に負けそうになったのは事実。チンピラや押し売りみたいなタイプなら簡単に追い出せるわけだが、自分自身で中卒あたま悪いマーケティングに負けそうになったくらいだから、これはけっこう有効な技で、例を出すと斎藤ひとりさんの繰り出す最強の武器のひとつだ。被害者マーケティングは強し。そういうわけで俺も一応札幌市立西野中学校を卒業している「中卒」だから、これからは中卒になることにする。その方がいまのシステムの中では得だから。中卒なんだけど頑張って勉強して社労士資格をとった人になることにする。
2016.03.06
こないだ小学校の同級生のオッサンが遊びにきた。彼はコックさんだ。彼が職場のイジメについて、こう述べていた。「まつお、厨房に10人くらいいて、一人がみんなからイジメられてるとするよな。そいつが辞めたんだ。そうしたらイジメがなくなるとおもったのに、今度は9人の中の別の奴がイジメの対象になっている。不思議なもんだよ」俺は言った。「人はストレスを貯めるとはけ口が必要になるからね。家畜小屋では全員が全員に対して噛みつく対象となってる場合も多いらしいぞ。だから子豚の尻尾はあらかじめ切断されると動画でみた。要するに俺達も家畜と同じなんだべさ」「まつお、本当にそうかもしれないぞ。今日は俺にマナ板の洗い方で因縁つけてきたやつがいた。相手はおれじゃなくてもいい感じだった」彼とは、小学校から親しいし、人柄もよくわかり、コックとしてはベテランだし腕もいい。そう言えばこないだ近所のコンビニ前で小学生たちと話したんだ。最近の小学校の「イジメ」について。「イジメっ子っているの?」すると小学生の高学年の集団が声を揃えて、「いないよ」という。「そんなワケないべさ。ドラマとかで小学校のイジメの様子でるじゃん」「イジメはないけど、イジメアンケートがあって、イジメっ子のレッテル貼られた人はもう学校では永遠にイジメっ子として生きることになるんだ」俺は驚き、「それがイジメだよ。誰も参加しないが全員が参加しているイジメ」「そうだよ。ドラマのイジメより数倍強烈だと思うよ」「……」びっくりして黙りこんでしまった。そんなんじゃ、目立ったことが何もできないじゃないか!俺は繰り返しきいた。「ワラジムシかムカデの集団みたいじゃないか。喧嘩もないんだべ?」「喧嘩はないけど、学校内の最大の勝利は後ろに回ってくすぐることさ。くすぐるだけならイジメにならないから、それがマックスの攻撃なんだ」「そんな家畜小屋みたいな場所が君らは好きなのか?」「友達と遊ぶのは楽しいよ。それにそういうルールだから仕方ないよ。いい学校に入らないと安定した給料の会社に入れないでしょう?」「進んでワラジムシ人間になりたいわけかい?」「ワラジムシになりたいんだよ。そうなんだよ」「……」俺は再度、びっくりして黙り込んだ。●ワラジムシの巣にいるのだからワラジムシとして生きて当然新しい
2016.03.05
風邪がまだ治らない。ひきはじめに近所の円山公園内科にいったが、ひきはじめだから葛根湯しかもらっていない。今朝になり、セキが出て熱もあり、身体のダルさは鞭打ち症が原因なのか風邪が原因なのかもわからない。そんな中、昨日は埼玉に住むメンヘラの女性からメールがきて、「誕生日なの」というから短時間、電話で話した。我ながら優しい……。宇宙人を観察するような興味から観察してきたに過ぎないとも言える。そうだ、俺はいつも宇宙人を観察するようなポジションで生きてきた。学校でも会社でもそうだった。いまの仕事は社労士だが、役所にいても顧問先にいても、宇宙人に取り囲まれている。逆に言えば「捕まえられた宇宙人」みたいな弱い立場で生きている。俺は人間を宇宙人としてみているみたいだ。いま、灯油屋さんが部屋の室内タンクに灯油を入れて帰っていった。宇宙人が灯油のホースを持って、わっせわっせと働いていたから、俺は宇宙人の手伝いをして一緒にホースをもったり卓袱台をよけたり、労をねぎらったりしていた。俺は四年半前から、更にいっそう人間が不思議な宇宙人みたいに見えるようになってきた。客引きにのせられてソープに入るとする。四年半前まではめちゃくちゃ欲情していた。それが、本当のことをいうと……。哺乳類、いや、ただの脂肪の塊を抱いて喜んでいるような感覚しかなくなった。それでいてマイソンはちゃんと反応しているから不思議だ。俺ははっきりと、「この惑星は彼ら宇宙人のもの」と理解している。だから、宇宙人のルールはまもる。とてつもないメンヘラの女性ともいまでも多数、交流がある。そんなスケールのデカいメンヘラ女性がくだんの埼玉の人だった。みんな宇宙人。じゃ俺はなんなんだろう。どこからきたのだろう?それがわからない。自分も宇宙人だと仮定して、じゃあどこから何の目的できてどこにいくのか、それがわからない。だから時間がほしくてアンチエイジングをはじめた。四年半前に自分の腹の中と全身にエネルギーの集中が起こって、自分は生物ですらなくなりかけた。その先があることは分かったが、行かなかった。帰ってきて目覚めたら、近所のコンビニのオッサンも隣のオバサンも道行く学生も宇宙人になっていた。たまたま偶然のようにアンチエイジングの最適な方法がいたるとこから先方からやってきた。自分の息子らしい小学生の宇宙人がジョージアの缶コーヒーを自分にくれた。それで自分は蘇った。これからも自分が誰かわからないまま宇宙人の中を歩こう
2016.03.05
先般、日本著作権協会(JASRAC)に歌手、作詞家、作曲家として登録書類を発送した。ひと月くらいで登録が完了する見込みだ。既に別のJASRAC登録作曲家の作詞をした分はJASRAC登録されて、売り出され、毎日、収益を上げている。嘘だと思うだろうが事実。自分の場合は歌手としても作曲家としても作詞家としても、たぶんクオリティーを一切追求しない珍しいタイプのプロ・アーティストである。収益が馬鹿にならんくらい現に発生しとるから、間違いなくプロのアーティストなのである。歌はカラオケ親父以下、作曲能力は鼻歌程度、作詞能力は無く、それでもプロの音楽家としてWikipediaにも登録するつもりだ。繰り返すがレベルがどうあれ、プロだから、「歌手のまつおひとりです」と自己紹介するようになるだろう
2016.03.02

2016.03.02

楽天ブログはしばらく放置していたんだが、ただいま、140万アクセス達成いたしました。いま、ダルマに目が入りました。よく冗談で、「全国100万人の俺のブログの愛読者へ」と、昔は述べていたんだが、まんざら冗談でもなくなってきたな。ネタを明かすとブログはアクセス数で評価されるみたいだと知って数ヶ月でTwitterから強引にアクセスを呼び込んだんだけどね。Twitterのアクセスが月間80万アクセスなわけだから、こういうこともできるわけだよ、明智くん。しかし世の中にはブログアクセス、1ヶ月に百万ある人もたくさんいるわけだから、まあ別にささやかな祝いなわけであります。とはいえ、楽天ブログ140万アクセス達成おめでとう、マイセルフ
2016.03.02

ね。逞しさにも色々とあるが、例えば信念を堂々と述べられるとか、頭がいいとか単純に腕力があるとか、だよね。自慢だが俺は腕相撲でプロボクサーやアメリカ人の元アメフト選手や極真の有段者などを破ってきた。五十歳過ぎてからだぜよ。繊細な文科系のイメージで可愛さだけが目立つお茶目なだけのオッサンだろうとお思いだろうがバカ力だけはある。鍛えてきたし……。実は今、整形外科の待合室にいる。去年、交通事故にあってから、鞭打ち症でいつものトレーニングができなくなり、セクササイズすらままならず、身体が急激に老いて逞しさを失っている気がする。軽いストレッチだけはしているが、ちょっと動くと頭と身体がグワ~ンと痛み、動けなくなる。参っている。それでもセクササイズだけならば好きこそものの上手なれで、無理にでもできそうな感じがするんだが、五十歳すぎた中年オヤジを相手にしてくれる人は、いない。逞しさのない男になりつつある。
2016.03.02

風邪をひいてしまった。鼻水と微熱が少々……。月が開けて、今月、東京にいく。東京をあるいていると人々がワラジムシかムカデに見えてくる。●極東機械化ムカデ人間都市という小説か作詞を試みるつもりだ。ともあれ人口が密集しているからウワサ話的レベルの情報やポップアートや退廃的芸能は盛んな街では、ある。しかしそれは自分が常識とするアートではない。アートとは海や山や川から霊感を得てアウトプットするのが基本。極東機械化ムカデ人間都市は東京だけの問題ではない。政令指定都市ではどこでもムカデ人間が大量発生している模様で、地元サッポロも例外ではない。極東機械化ムカデ人間都市から北海道に帰る方々は、お願いだが、サッポロに棲みつくのではなく郡部のそれぞれの故郷の街に帰還を願う。Uターン型ムカデ人間が一番、駆除しずらいので、みんな困っている。俺もできればもっと気候のよい場所に住みたいのだが、自分も半分はムカデ人間化しているので、かなり迷惑だと思われる。不思議なもので今は、ひまわりや薔薇や蝶のように光の下に育つ生き方よりも、ジメジメと湿った狭い空間向きの生育、……例えばキノコとかカビとかワラジムシとかムカデとしての生き方の方が「クール」だとみんな思っている。自分もこないだ歩いたのだが、ファッションにしても若者は原宿ワラジムシファッションや渋谷ムカデブランドを目指す。キャリーパミュパミというキノコ人間の歌が流行しておりキノコにはキノコの良さやワラジムシにはワラジなりの激しい美があるのかもしれない。しかし俺はひまわりや蝶が好きだ。蛾は夜とぶ。夜に飛ぶ蛾はみずから炎に飛び込んで死ぬ宿命。そんな極東機械化ムカデ人間都市にまた、いく。
2016.03.01
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