| この作品は、1995年に伊那谷童話大賞に応募して、準大賞を受賞した作品です。当時、書いている途 中からも、賞の内容を見ると童話、児童文学とあったので、応募してもいいかなと迷いながら書き上げました。一応、小学校の高学年程度の子供でも読めるよう に、漢字を少なくして書いたのですが、今回、ここに掲載するにあたり、多少、手直しをしました。また現在は、学校へ行かない子供を“登校拒否”ではなく “不登校”というそうで、それもここで“不登校”に変更しました。一方で、作中に出てくる、ファミコン、スーパーファミコン、さすがに書いた時代から時が 経過しているなと感じましたが、そのままにしてあります。 続編の「ゆびきりげんまん」「砂時計」もupしています。 中学2年の少年、直樹が、不登校になります。こわれた自分の心と、向かいあいながら一歩一歩前進していきます。軽井沢で、白血病とたたかう少女、さやか との出会いで、直樹は、生きるということの意味やたしかな手応えを感じとります。 自分で書いた作品ながら、この少年と少女のピュアなオーラに、忘れていた何かを思い出させてもらうこともあります。 |
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| 十四歳の休暇 1 |
| 第一章 1 その日も朝から雨が降っていた。庭先の淡いブルーのあじさいが、雨に打たれてひときわ輝いているのを、ぼくはベランダに立ってながめていた。雨はたえまな く降り続き、時おり通行く人の色鮮やかな雨がさが目にとまった。 「直ちゃん……直樹」 ぼくは、はっと我にかえって部屋に入った。だまったままソファーに腰をおろして、うつむいていた。 「あじさいがきれいでしょう」 ティーカップを差し出しながら母がいった。ぼくは、昨日のことを思い出しながら母の顔色をうかがっていた。 「どうして怒らないの?」 紅茶にレモンを浮かべながら、母は微笑んだ。レモンの香りがうっすらと漂ってきて、ぼくの目にしみた。 「なぜ?」 「なぜって……」 ぼくは、口ごもった。生まれてこの方ぼくは、母にしかられた記憶がなかった。 「昨日は、ごめんなさい。昨日じゃなくて今もだ……」 母はまた微笑んで、 「はやく飲みなさい。冷めちゃうじゃない」 と、やさしくいった。熱い紅茶がのどもとを過ぎていった。 「昨日、ぼくがあんなことをいって驚いた?」 「……そうね」 母は紅茶をすすりながら、やさしい笑みをたたえている。昨日ぼくは、学校から帰るや否や『明日からもう学校にはいかない』と母にどなりつけるようにいう と、そのまま部屋に閉じこもってしまった。今日、母が何といって学校に連絡したのか知らない。 「ぼく、しかられると思った」 「なぜ?」 今度は、母が問う番だった。 「だって、いけないことだもの。お父さんには仕事があるでしょう? お母さんは、ぼくたちの食事の用意や洗濯するが仕事でしょう? ぼくは学校に行くのが 仕事だもの」 「でも、行きたくないんでしょう?」 ぼくは、こくりとうなずいた。 「だったら仕方ないじゃない」 「でも、普通の親なら怒ると思うよ。学校に行きなさいって」 「そうね。直樹は怒ってもらいたかったの?」 「そうじゃあないけどさ……」 ぼくは不思議だった。母がしかろうともせず、ほほえんでいる姿が不思議でしかたなかった。 「あなた、いくつになった?」 ぼくは、ドキリとした。近ごろの母は、ぼくのことを『直ちゃん』と呼んだかと思うと突然『あなた』と呼ぶことがある。急に大人あつかいされたような、つ きはなされたような、うれしいもののもの寂しさを覚える言葉だった。 「ぼく? 十三だよ。この夏で十四歳になるよ」 「そう? だったらもうお母さんの話もわかるかな」 ひとりごとのようにいうと、母は話し出した。 「直ちゃんは、『愛の鞭』って言葉、知ってる?」 「うん、自分の気持ちとは反対に、心を鬼にして、相手のことを思うからしかったりすることでしょ?」 「そうね……でのお母さんは愛の鞭なんてうそだと思うの。鞭はね、しょせん鞭なのよ。子供が悪いことをしたからって、たたいたり体罰を与える人もいるで しょう? たたいたら自分も痛い。だから相手がどのくらい痛いのかもわかる。それに人間って言葉というものももっているでしょう? 言葉で自分の思うこと を伝えることができる。でもね、言葉は気をつけないと、人をたたく以上に相手に深い傷を与えてしまうの。言葉の傷は見えない。はれて赤くもならない。体罰 も言葉の戒めも、鞭は鞭。世の中にはいろいろな考え方をする人がいるけれど、愛の鞭なんてものは、一生に一度使うか使わないかくらいのものだと思うの。む やみやたらに使うものではないと思うの。少なくともお母さんはそう思っている」 ぼくには、母の話はちょっと難しかった。でも、やさしくてもろいと思っていた母の中に、激しい炎のような光をはじめて見た気がした。 2 その日の夕食は、ぼくの大好きなカレーライスだった。昼間はほとんど部屋の中でマンガを読んだりファミコンをしたり、なんとなくごろごろしていたのに、 食べられるかなと思ったカレーライスも二杯おかわりした。 「それだけ食欲があれば大丈夫ね」 そう母がいったとき、玄関のチャイムが鳴った。聞き覚えのある声だった。あの声は担任の山岸先生と、学年主任の青木先生だ。ぼくが、あわてて居間からと び出そうとしたとき、運悪く山岸先生とぶつかってしまった。 「神谷くん! ちょっと待ちなさい」 先生を突き飛ばすようにして、ぼくは二階にかけあがった。 十五分ほどして気持ちがおちついてくると、下のようすが気になりだした。ぼくはそっと階段をおりていき、ドアのところで聞き耳をたてた。 「だから、さっきも申しましたように、お母さんがそんな態度では困るんです」 山岸先生がヒステリックに叫ぶようにいった。 「そうですよ、お母さん。不登校なんてものは、こんなことからはじまるんですから。今だったら間にあいます。神谷くんともちゃんと話をして、学校に出てく るようにいってください」 青木先生も間をおかずつめよった。 「先生、学校に出て来いという前に、どうして学校に行かれないのかとお聞きにならないのですか?」 「いえそれは……。神谷くんが仮に登校拒否になるとしたら、わたしどもでもよくわからないんです。学級委員の仕事も責任もってやってくれますし、友達とも 仲よくやっています。元気すぎて困るというほどではないですが、活動的ですしね」 「今、話題になっているいじめもないとおっしゃるのですか?」 ぼくは、ドキっとした。 「わたしの感じるかぎりではないと思っています。ただ、ワイドショーでやっているように、いじめられている生徒も見ている生徒も教師には何も訴えてきませ んからね。今の子たちは」 山岸先生は言葉を選びながら慎重に答えているようだった。 「でもわたし、あの子に死なれたくありませんから」 ぼくは、目の前がくらくらした。母の言葉がぼくの頭の中でぐるぐるとまわっていた。はうようにして階段をあがって部屋にむかった。ごろんとベッドに寝こ ろんでいるうちに、ぼくは眠ってしまったらしい。気がつくと朝になっていた。昨日の雨はあがって、青い空が広がっている。この日から、ぼくの長い休暇がは じまった。 第二章 1 ぼくはクラスの中では特に目立つ方でもなかったし、そうかといって妙におとなしい方でもなかった。一年生の後半から学級委員をまかせられ、二年生になって も引き続きやっているので、どちらかといえばほんのちょっと目立つ方のグループにいるのかもしれない。成績も学級委員の名にはじないくらい、そこそこのも のだと思う。クラブ活動だって、背は低いもののバスケットボール部で人並みにがんばっている。ぼく自身としては、とりあえず自分の決めたこと与えられたこ とに対しては、責任をもって頑張りぬくことが長所だと思っている。また逆に短所は、いいだしたらきかないような頑固さと、ちょっと矛盾するようだが相手に 対して自分の意見を最後まで主張しきれない弱さがあることだと思っている。だって、ぼく自身のことだから、ぼくが一番わかっているに決まっている。正直 いってはじめにぼくがショックを受けたのは、三学期の通信簿に書かれている先生のコメントだった。 『学級委員として責任を持ってまじめにとりくみました。入学したころのくらべ、物事に積極的になってきました。その反面まだ自分の殻に閉じこもってしまう ようなところもあります。友達を批判的に見るようなところが気になります。友達を限定するのではなく、多くの人と友達になり、友達のいいところをたくさん 見つけましょう』 先生がいうほど、友達が少ないわけでもないし、そんな批判的じゃないけどなぁ。ぼくの心に入った最初のきれつだった。 2 二年生になって教室が一階から二階になっただけでなく、クラスのみんながちょっと大人になった気がする。一番下っ端の一年生ではなくなって、 子分ができた ような感じ。でも親分はいるから、ちょっと気ままな存在。自由が広がって、でも責任ものしかかってこない。学校の帰りにコンビニに寄って、ジュースを飲ん だりアイスを食べたり…。なかにはパンをかじりながら帰るやつもいる。育ちざかりの中学生だもの、クラブ活動の後はおなかもすくし、のどもかわく。誘惑す るように、学校のすぐ近くにコンビニがあるんだから仕方ないかとも思う。たった百円くらいのジュースやアイスで、目をつりあげてどなりつける先生。規則、 規則という言葉がとても窮屈に感じられるようになった。でも、ぼくは学級委員としてコンビニの誘惑には我慢した。本当は、ぼくは注意する立場かもしれない けれど、あえて気がつかないふりをした。 「直樹、こっち来いよ」 そんなある日、浩一によびとめられた。浩一は小学校からのくされ縁で、今年で同級生として八年目。小さいころからよく遊んだ。最近では。浩一は高校生と 間違えられるくらいの体格で、たまに授業をさぼったり規則を破ってわざと先生の感情を逆なでするようなことをする。またそうはいっても中間テストの前など は、ぼくのノートをあてにしてくる。 「直樹、ほら」 ぼくは、一瞬驚いたが、うまくキャッチした。 「ナイスキャッチ!」 冷えたコーラだった。 「飲めよ」 「うん……でも」 「大丈夫だって。何もおまえ、学級委員だからって、すべて規則を守っていたら、頭おかしくなっちゃうぜ。息抜き、息抜き」 プシュっと音がして、泡がふきだした。 「はやく飲めよ」 「うん」 のどがかわいていたせいか、のごもとをはじけて落ちていく炭酸が体全体にしみわたった。 「うまいだろ? なんかさぁ、学校の帰りに飲むから最高にうまいんだよな。家に帰れば、冷蔵庫にジュースでもなんでもあるけど、やっぱこれに比べるとな。 ちょっとスリルもあるし……」 「あっ、お金」 「いいよ、おれのおごり。遠慮するなって」 浩一は大人びた口調でいった。 「これで直樹も共犯だぞ」 ぼくは、内心びくびくしていたが、この日はコンビニ誘惑初体験の日となり、また規則違反の第一日目でもあった。 翌日のお昼休み、ぼくは担任の山岸先生に呼ばれた。ホームルームの資料をとりに行くのだと思いこんでいた。ところがぼくの予想は、おおはずれだった。 「神谷くん、そこにすわって」 ぼくは正直いって、この担任が苦手だった。二年生になって、副担任から担任となったから、またとんでもない。こんなこというと差別だといわれるかもしれ ないが、ぼくは女の先生は好きじゃない。誰もが必ずしもそうだとは限らないが、妙にヒステリックにしかりつけたかと思うと、逆に同情をかうようにしんみり したり、感情の起伏が激しいからたまったものじゃない。特に友達を批判的に見ているなんてこと書かれてから、嫌いになった。 「昨日、昨日の帰りにどこにいた?」 昨日の帰り。ぼくはドキリとした。 「昨日、どこかに寄っていった?」 激しい動悸がして、胸が苦しくなった。 「そんな誘導尋問みたいないい方、やめてください」 「神谷くん!」 「すみませんでした。ぼくは、学級委員として本当は浩一を注意しなくちゃいけないのに……」 ぼくは、山岸先生の言葉をさえぎるようにいい放った。 「まあ、今回は多めに見るけど。あの山口くんには少々手を焼いているの。何度行ってもきかないし。授業に出なかったり、服装が派手になってきたりでね。学 級委員の神谷くんから堂々と規則を破ってもらうと、先生とても困るのよ。もうしないことね、いい?」 ぼくは、こくっとうなずくと足早に職員室を出た。どうして先生はぼくに、コンビニに寄ったことを注意するだけなんだろう。でも、どうしてもうひとこと、 なぜ寄ったのかきかないんだろう。そりゃあ、浩一とは友達さ。いつまでも昆虫取りに行ったり、キャッチボールをしたり、そんな小学生も友達でいられるわけ ないのに。それに浩一は普通の子に比べて、ちょっと不良っぽいよ。でもそんな浩一が小学生のときのように、ぼくと接してくれるからうれしいんだ。規則をや ぶったのは、わるかったさ。だけどあのとき、ぼくがコーラをつきかえしていたら、浩一とはほんの少し距離が出来てしまう。たまたま投げたのが、ボールでな くてコーラだっただけだ。でもあれを投げたのが浩一ではなく、他の子だったらぼくはどうしていたんだろう。子供には子供社会のルールがあるんだから。大人 や先生はぜんぜんわかっていない。ルールが守れなかったら、子供社会からはじきだされてしまう。頭ではいけないことだとわかっていた。でも、それ以前の問 題がのしかかっているのを全く気づいていない先生。これがぼくにとって、二番目のきれつだった。 3 近ごろ世間では、小中学生のいじめによる自殺が多い。またかという日常的な事件になっている。日常的というと、ぼくがあまりにも無関心で冷たいやつのよ うに思われるかもしれない。でも、ぼくはとりあえず高校に行かなければならない。受験までまだ一年半以上ある。ひと昔前は、とりあえず大学をでれば就職は できたらしい。今はバブルがはじけて以来不景気で、就職できない人も多いらしい。ぼくはそんな先のことまではよくわからない。ひところいわれた学歴社会の 土台がある以上、とりあえず人並みに高校へは行かないといけないんだと思っている。二年生になってからにぼくは、とりあえず自分の進む道に向かってまっす ぐに歩きたかった、そう思えば思うほど、他人には無関心になっていったのかもしれない。 朝食のとき、またいじめによる女子中学生の自殺というニュースをやっていた。 「いやね、こういう話って。直樹のクラスは大丈夫なの?」 母が眉をひそめて、ぼくを見た。いじめがないわけではなかった。一年生の秋ころから、世間でいういじめのようなものがチラチラ目につくようになった。 ちょっとからかっているくらいのものだ。はじめは、教科書や運動着をいたずらでかくす程度のことだった。でも授業がはじまって先生が教室に来る前や、校庭 に遅れないくらいには、返していたはずだ。二年生になったころには、さすがにぼくもちょっと気になりはじめた。いじめと断言していいのか、ぼくには自信が ない。遊び半分にしては、度がすぎると内心思っていた。いじめられているのは、和広で、ぼくの小学校からの友達だった。そして、いじめっ子の大将は浩一 だった。ぼくたちは、小学校からの友達だった。どっちかといえば、ぼくたちは体が大きくて力があった浩一の子分のようだった。それでもぼくたちは、仲良し だったはずだ。中学生になって、そんな仲良しの三角形が、だんだんとゆがんできてしまった。クラスの連中は、浩一に目をつけられないように気をつけてい る。そうかといって無視もできない。つかず離れずしてクラスメートとしてやっていけば、特に害のなるやつだとは思っていないらしい。 「今日さ、直樹の家に行ってもいいか?」 浩一がぼくにいった。小学校のころは、毎日のように一緒に遊んでいたが、中学生になってクラブ活動やら塾やらでこんなことはめったにないことであった。 それにぼくの思い上がりかもしれないけれど、浩一にとってぼくは特別な友達として扱われているような気がした。クラスの連中が浩一に一目おいているなか で、ぼくは少し誇らしい気がしていた。 「ほら、新しいソフト」 ぼくの部屋に入ると、浩一はかばんからゲームソフトをとりだした。 「よく見つからなかったなあ。でも、気をつけろよ。先生たち、おまえのこと要注意人物だってチェックしているからさ」 ぼくは少し強い口調でいった。 「大丈夫だって」 浩一はスイッチを入れてゲームをはじめた。 「でも、いいよな、まだ出たばかりで買ってもらってさ」 「借りたんだよ、和広に」 「和広に? あいつ、もうやっちゃったのかな。だって、それ昨日発売だろ?」 「あいつが貸してくれるっていうんだから、いいんだろう? 細かいこと気にするなって。直樹もやってみろよ」 ぼくはそのうちゲームに夢中になって、和広のことなんかすっかり忘れてしまっていた。 翌日ぼくは、ゲームソフトを紙袋に入れかばんの奥にしまいこむようにして学校へ向かった。昨日の浩一は『直樹にやるよ』といってそのまま帰ってしまっ た。 「やるって、これ和広のだろ?」 ぼくは、あわてた。 「じゃあな」 背をむけたままの姿で浩一は手をふると、ぼくの方をふりかえらず歩いていった。 びくびくしながら学校に持ってきて、先生に見つかればまた校則違反になる。それにこの前のコンビニ事件という前科がある。でも、ぼくは、一刻も早くこの ソフトを和広に返さないと、ということで頭がいっぱいだった。ぼくは小声で和広を廊下によびだし、そっと紙袋を差し出した。 「これ、和広のだろう?」 「どうして?」 ぼくは、昨日のことをおおまかに話した。 「あいつがぼくに持って来いっていったんだ。あいつが、ぼくからとりあげたんだ」 ぼくがだまったままでいると、和広がいった。 「直樹、助けてくれよ」 ぼくは困った。 「直樹はいいよな、あいつに気に入られていて」 「なにいってるんだよ。和広だって友達だろ?」 ぼくは、わざと明るくいった。 「友達なんかじゃないよ、あんなやつ。友達が友達をいじめたりするもんか」 そういいすてると、和広はかけだした。和広はやっぱりいじめられていたんだ、という事実をここでぼくは認めざるをえなかった。ぼくの心に、またひとつき れつが入った。 4 その日、よりによってぬきうちの持ち物検査があった。かばんを机において、机の中のものもすべて出す。担任と生活指導の先生と二人で、チェックして回 る。ぼくは、しまったと思った。和広に返したゲームソフトは、どうなったんだろう。うまくかくしただろうか。ぼくは、そっと和広の方をみた。和広はあきら めたようすで、うつむいていた。 「松井くん、これはなんだね」 ぼくは、その声にびくっとした。 「これは学校に持って来ていいものかどうか、わかっているね」 和広はだまったままうなずいた。 「どうしていけないとわかっていて、持ってきたんだ?」 ぼくは、ドキドキしていた。和広が、本当は持ってきたのが、ぼくだということをいうのではないかと、血の気が思いだった。 「これは先生が預っておく。放課後、職員室へ来なさい」 先生は和広にそういった。ぼくは、ほっとした。次の瞬間に、後悔の念に襲われた。どうして自分がゲームソフトを持ってきたといわなかったのだろうか。借 りたのを返すから持ってきたと言い張れば、多少は大目にみてくれたかもしれない。この前のコンビニ事件に続いて、ゲームソスト事件を起こしたなんて思われ たら、ぼくだって要注意人物になってしまう。ぼくは、被害者だ。そうだ、あのとき浩一がコーラなんて投げなかったら、ゲームソフトを置いて帰ったりしな かったら、ぼくはこんなことに巻き込まれなかった。 帰ろうとしていたとき、浩一がぼくのところにやってきた。 「直樹、あれ返したのか。もらっておけばいいのに」 「そんなわけにいかないよ。あれは和広のソフトなんだから」 ぼくは、むっとして浩一にいった。 「でも、直樹がわざわざ持ってきたりするから、あいる、見つかっちゃったんだぜ」 「浩一がさ、ぼくのうちに置いて帰ったりするからいけないんだろう?」 「怒るなよ、直樹」 ぼくは席を立って廊下に出た。浩一もあわててぼくの後を追ってきた。 「ぼく、職員室に行ってこようかな」 「やめろよ、わざわざ説教されにいくなんて。おまえが悪いわけじゃあないだろう」 「そうだよな、もとはといえば浩一が悪いんだもんな」 「でも、おれはあやまりになんかいかないぜ。ああ、むしゃくしゃするなぁ。ここのさ、廊下のガラス全部割ったらすっきりするかもな」 「浩一さ、なんかあったの? 最近ちょっとやりすぎじゃないか?」 「べつに……。なんかさ、和広、見ているとむかつくんだよな。やることとろいし、頭の回転だってにぶい」 「でも、ぼくたち友達じゃないか」 「友達? 直樹だってさ、中学生になってからは、あいつとそんなに仲がいいわけじゃないだろ?」 たしかにそうだった。いわれてみると、和広とは友達には違いないけれど、小学生のときとは感じが違う。いつまでも、小学生のような気楽な子供ではいられ ない。友達ってなんなんだろう、そう思ったとき、和広がぼくたちの前を歩いていた。 「和広」 ぼくが声をかけると、和広は立ちどまって、ぼくたちを見た。 「あのとき、直樹がなんかいってくれると思ってたよ。信じていたのに。直樹も浩一の仲間なんだよな」 ぼくは、返す言葉がなかった。ぼくの心にまたひとつきれつが入った。 「和広、おまえいうなよ。直樹が持ってきただなんて」 浩一が和広の襟をつかんで、おどすようにいった。 「やめろよ、浩一」 ぼくはそんな浩一を突き飛ばして、かけだした。一刻も早くこの場から逃れたかった。 5 ぼくは近ごろ学校に行くのが憂うつでしかたがない。ゲームソスト事件以来、和広が浩一たちにいじめられているのが、目に見えてわかるようになった。浩一 と一緒になって、おもしろ半分にからかっているやつが数人いる。そして、ぼくのように無関心を装っているやつ。無関心ではないが、見て見ぬふりをするや つ、でも、和広はもう二度とぼくに助けてとはいってこなかった。そしてぼくも、浩一にあえて和広のことでは何もいわなくなった。ぼくと浩一は、今までどお りけっこう気のあういい仲間だった、趣味とか考えが似ているわけでも、性格が似ているわけでもない。小学校のころを考えても、和広だけがとばっちりを受け て、ぼくは無傷でいるばかりか、逆にぼくの意見は案外すなおに受け入れる。性格的には、ぼくは和広の方に似ている。どうしてなんだろうかと考えた。三学期 の通信簿の先生のコメント。 『友達を批判的にみている、殻にとじこもりがち』ひょっとすると、浩一はこんなぼくのところが気に入っているかもしれないな。 もうぼくは和広のころは考えないことにした。いちいち気にしていたら、ぼくの方が参ってしまう。見ざる、言わざる、聞かざるとはよくいったものだ。『信 じていたのに』という和広の言葉がぼくの頭の中をぐるぐるとまわっていた。ぼくは、その声を掻き消すように休み時間でも英単語や数式を覚えようと、教科書 を広げていることが多くなった。 体育の時間。教室で着替えを終えて、みんな校庭へと向かいだした。和広がはじめは大騒ぎして探していたが、やがてあきらめたらしく肩を落としてすわりこ んだ。声を殺して泣いていた。ぼくはわざとのろのろ着替えながら、みんなが教室から出て行くのを待っていた。 「和広…」 ぼくは、ほとんど聞き取れないくらいの声でつぶやいた。また運動着、かくされたのか、この前はごめんな、のどまで出かかった言葉を飲みこんだ。ぼくは、 無意識のうちにいい子ぶっている自分がいることに気がついた。ここで和広に何か声をかけてやれば、心に入ったひび割れのひとつくらいは治るだろう。そうか といって、ぼくはそれ以上なにもしれあげられない。浩一ひとりだけなら、ぼくが何かいえばひょっとして変わるかもしれない。チャイムの音で、はっとしてぼ くは慌てて教室を出た。 和広は十分くらいおくれて、学生服のままでやって来た。和広を見るなり、先生は、 「また忘れたのか」 と、どなりつけ市内をふりおろした。竹刀を勢いよく校庭をたたきつけ、前にすわっていたぼくのところに土が飛んできた。和広は何もいわなかった。どうして こうたびたび忘れるのかと、先生は不思議に思わないのだろうか。どうしてどなりつける前に、ちょっと考えてくれないのだろうか。こんなのって犯罪だよ、先 生たちにわからないようにみんなグルになって、和広をいじめている。ぼくを含めて、見てみぬふりをしている人や無関心な人だって、間接的には加害者だ。そ して何かおかしいと感じられない先生だって、本当は加害者なんだ。ぼくは、だんだん息苦しくなってきた。心臓がドキドキしている。先生の声で立ち上がろう とした時、目の前がチカチカしてそのまま倒れたらしい。気がつくと授業は終わっていて、保健室で寝ていた。浩一がぼくのかばんをもって保健室までやってき た。 「帰るぞ、直樹。まったく、だらしないんだから」 ぼくにとって浩一は結構いいやつだ。 6 和広はお昼休み、ひとりでお弁当を食べている。理科の実験とか、体育の時とか、誰かとやらなければならないような時は、いつもポツンとひとりでいる。ぼ くはそんな和広を遠くから見ていた。ぼくには、関係ないことだと、何度も自分にいいきかせ、それでもぼくの目はひとりでいる和広を追っていた。最近、和広 は一週間に一日か二日学校を休むようになった。 放課後、ぼくは帰る前にトイレに寄った。入った途端、まずいところに来てしまったなと思った。浩一といつものメンバーが、和広をいじめていた。浩一が和 広を突き飛ばした。和広はよろけて倒れた。 「浩一、やめろよ」 ぼくは思わずそうさけぶと、和広を起こした。和広はウッといって顔をしかめた。今、裸にすれば、和広はあざだらけなんだろうと思った。ぼくの手をはらう ようにして、和広は立ち上がった。そしてぼくを押しのけて、だまったまま出て行った。今さらぼくが何をしても、何を言っても、信用は取り戻せない。浩一は ちょっときまりわるそうな顔をしていた。ぼくは、浩一の腕をつかんでこの連中を押しのけて歩き出した。 帰り道、ぼくたちはほとんど口をきかなかった。沈黙をやぶるように、ぼくはポツリいった。 「浩一、もうやめろよ。和広をいじめるのは」 「直樹には関係ないことだからさ」 「ぼくもそう思っていたよ。でもさ、日に日に元気がなくなってくる和広を見ていると……。和広が自殺でもしたら、どうするんだよ」 浩一は一瞬、言葉飲み込んだようだった。 「あいつに自殺なんか出来るわけ、ないだろう。あんな弱虫に」 「でもさ、和広が自殺して遺書に浩一の名前とか書かれてみろよ。おまえだって罪になるんだぞ」 ぼくは、ムキになっていた。本当は遺書に書かれるから罪になるのではなく、ぼくたちの行為そのものが罪なのであり、明らかにされたときはその罪をつぐな いべき時なんだと思った。でも、明らかにされない時は、罪が罪でなくなってしまう。 「浩一がいじめなくなればさ、おまえについている連中だってやめるんじゃあないのか?」 「和広見ているとさ、なんかむかつくんだよな」 「浩一がむかついているのは、和広じゃなくって他のことだろ? 和広にあたるのはよせよ」 もうぼくはいやだった。このままでは、いやだった。 「親が離婚したくらいで、やけになって、他人にあたったりして。もっと大人になれよ」 「おまえに何がわかるんだよ。離婚したくらいっていうけど、おまえにおれの何がわかるんだよ。おまえなんかにわかってたまるか、おれの気持ちが」 浩一は、顔を真っ赤にしてぼくにいった。ぼくを力いっぱい突き飛ばした。ぼくはブロック塀にぶつかってよろけた。浩一の姿はもうずっとむこうだった。つ いむきになってあんなことをいってしまった。離婚したということは、母がどこからか聞いてきたことであり、この前浩一がぼくの家に来た時、「浩一くんっ て、ずいぶん変わったわね。やはりご両親の離婚が原因かな」と母もいっていた。ぼくは、このことについては一度もふれなかったが、思わず口走ってしまっ た。後悔していた。浩一のふれてはいけない部分に、土足で踏み込んでしまった。またぼくの心にひとつ、新しく大きなきれつが入った。 翌日から和広はまったく学校に出てこなくなった。そして、ぼくの生活も少しずつ変わりつつあった。 7 和広が学校へ来なくなってもうずいぶんになる。浩一は、あの日からぼくと口をきいてくれなくなった。二、三日もすればきっと仲なおりするさ、と軽く考え ていた。ところがぼくの予想は大きく外れた。浩一ばかりか浩一の仲間たちも、ぼくのことを無視していた。もっとも浩一はともかく、浩一の仲間とは特別親し くもなかったから、気にしてはいなかった。こうなってはじめて気がついたことは、このクラスの連中は無関心や気がつかないふりをしているやつばかりだとい うことだ。やっぱり浩一につかずはなれずした方がいいと、みんな思っている。そんでもないことに巻き込まれないように、結果的にクラス中から無視されてい た。 最初のころは、ぼくにだって意地があった。そっちがその気ならと思っていた。ただ学校に来て授業を受けて帰る。もし学校というものがそれだけのもので あったら、ぼくはなんとか頑張ったと思う。学校はただすわって授業を受けていればいいものではない。体育のように、みんなでやらなければならないものもあ る。掃除の時間だって、お昼の時間だってある。音楽ではグループごとに練習したりする。技術では二人一組になって、のこぎりを使うことだってある。結構、 つらい時間が多いんだ。ぼくが、あえておもしろおかしく話しても、誰も笑わない。答えも返ってこない。まるでぼくはピエロだ。ピエロなんておもしろいけ ど、本当はかわいそうなやつなのかもしれないな、そんなことまでぼくは思った。ぼくは、学校ではほとんど口をきかない子になっていた。 梅雨入りしたせいか毎日雨が降っている。まずまずぼくは、憂うつになった。ひび割れたぼくの心に、カビがふいてしまう。 和広はたいしたヤツだなとぼくは思った。一年生の秋からだったから、半年以上こんな状況に耐えてきたんだから。さすがに浩一は、和広に対してしたように お金を持っていこいとか、ファミコンのソフトをとりあげるとか、そんなことまではしなかった。和広が来なくなったせいか、今度はぼくがいいカモにされたこ とは事実だ。 ぼくは、一度浩一にあやまった。和広をいじめるなといったぼくの主張は正しいと思うけれど、「離婚したくらいで」と軽々しくいったのは、ぼくがわるかっ た。でも浩一はぼくのいうことなどに、とりあってくれなかった。ぼくは二年生になって二人の友達をなくしてしまった。どうして、ぼくが和広をいじめていた わけではないのに、苦しまなければならないのだろう。逆に今度は、ぼくがいじめられているのに、浩一に許してもらえないんだろう。ぼくの言葉で浩一が傷つ いたのは認める。でも、ぼくはそれ相応の罰は受けたと思う。 ぼくの運動着がかくされた時、はじめて和広の気持ちがわかった。和広は大声をあげていたが、やがてむせび泣いた。大声でわめけばわめくほど、自分がピエ ロになるだけだ。人の運動着を勝手にどこかに持っていくなんてドロボウじゃないか。腹立たしく思っても、ぶつけるところはない。ぼくは結局体育の授業には 出なかった。 朝になると気分が悪い。学校に行かなくてはいけないと思うと、体がだるくて吐きっぽくなる。ぼくは、二日ほど学校を風邪ということで休んだ。でもこのま ま行かなければ、ぼくはもうきっと学校へは行けなくなってしまう。この前までは、いじめによる中学生の自殺なんてニュース、人ごとだと思っていた。遺書に 残して死ぬくらいなら、どうして死ぬ前に訴えなかったのかとも思っていた。本当は訴えていたのかもしれない。和広がぼくに、「助けてよ」といったように。 いじめなんかで自殺するのはバカだと思っていた。これから先、楽しいことがあるかもしれないのに。でも今のぼくは死ぬのなら、自殺するのなら、遺書を残し ていじめたやつらの名前を書いて、身をもって訴えてやろうと思う。 自殺しますという予告電話をいれるやつ、これだってぼくは、一般社会を騒がせて、死にたかったら勝手に死ねばいいんだと思っていた、でも、そのくらいの ことをしなければ、いじめたやつらも、そして無関心を装っているやつらも、気がついてくれない。ぼくの心がボロボロだということを。 ぼくの体には無数のあざがある、すり傷がある。お風呂に入ると体中がしみる。浩一は決して自分からはぼくに手を出したりしない。浩一の仲間たちが、ぼく を蹴ったり殴ったりする。でも、見えるところは決して傷つけない。浩一はだまって見ているだけ。浩一は悲しい目をしている。 その日、昼頃から降り出した雨は勢いを増して、どしゃ降りになっていた。ぼくは折りたたみのカサを開いて、帰ろうとしていた。 「直樹、カサ借りるぞ」 浩一が、ぼくのカサをとった。浩一がぼくに話しかけるのは、あれ以来はじめてだった。ぼくは、てっきり浩一が入れていってくれって意味でいったのだと 思った。ひょっとするとこれで仲なおりができるかもしれないと思った。次の瞬間ぼくは、深い、底がわからないくらい深い穴に落とされた気分だった。 「おまえはぬれて帰るんだよ」 浩一がはじめてぼくを突き飛ばした。校門のところでは、昼からの激しい雨でぬかるんでいて、ぼくはすべって転んだ。浩一の仲間たちが大声で笑った。ぼく の知らないここの中学の生徒も笑った。あの仲間たちは、ぼくが立ち上がろうとすると、わざとぶつかってきて、ぼくは泥まみれになった。誰もぼくを助けよう とはしてくれなかった。ぼくは、どしゃ降りの冷たい雨の中。泥まみれを学生服でしばらく呆然としていた。ぼくの心はこなごなに砕け散った。ぼくの心はこわ れた。 だいたい心なんてどこにあるのだろう。ドキドキする、キュンとなる心臓か。キリキリと痛むみぞおちだろうか。心なんてレントゲンをとってわかるもんじゃ ない。どんなものかわからない。だから平気で傷つけられる。体に、のどのあたりからおなかにかけて、大きなファスナーがついていたらどんなにかいいだろ う。ファスナーを開けて、傷ついた心とやらと治療する。湿布したり、薬を塗ったり、包帯を巻いて治るものなら、どんなにかいいだろう。ぼくはどうやって家 に帰ったのか記憶になかった。「明日からはもう学校に行かない」と母にどなりつけるようにいって、部屋に閉じこもってしまった。雨にぬれて泥だらけで、い きなりそんなことを言い出したぼくをどう思ったのか。でも、そのときぼくにはそこまで気をまわす余裕はなかった。 |


