青い島のひだまりで

セピア色の記憶  第二章 サマーキャンプ

セピア色の記憶 第二章

サマーキャンプ


 夏休みの一週間ほど前。三年生は、恒例のキャンプにでかける。これが打ち上げで、受験に専念しろということらしい。
 前日には、グループごとの買い出しがある。男子三人、女子三人の六人グループ。修や香織と一緒なのはいいけれど、さっきから絵里のわがままにふりまわさ れうんざりしていた。
 朝食は、フランスパンでないといやだと言い張る。予算が少ないのにもかかわらず、スイカは絶対に買いたい。カレーライスではなく、カレーピラフがいい。
キャンプの翌日の昼食は、おにぎりのみとなっているのに、サンドイッチがいい、と。
 絵里の子分のように、買い物かごをさげて後をついてきた玲奈と香織だった。
「キャンプじゃなくってリゾートに行くべきよ」 香織が玲奈の耳元でささやいたそのときだ。
「おもーい、絵里、もう持てなぁい」 絵里は、両手でかかえたスイカの入ったビニール袋を道におろした。
「あのね、あんたがどうしてもスイカを持ちたいっていったんでしょ?」
 玲奈は、少し強い口調でいう。
「だってぇ……」
 絵里は、甘えるようにして修に目をやった。
「しょーねーな。オレが持ってやるよ」
「わぁ、さすが修! やさしいんだ!」
 そういいつつ、絵里は修に寄り添う。修は、そんな絵里に照れたような笑みをみせた。玲奈は、そんな修たちを無視するように歩き出した。
「ちょっと、今のぴとってくっつくの、なによ。玲奈、しっかりしないと、あいつに修、とられちゃうよ」
 香織が玲奈に耳打ちする。
 絵里は、少しわがままなところがあるが、やはり女の子らしいかわいさがある。だから、男子には人気がある。少し癖のあるソバージュの髪をゆらゆらされ て、頼りなげに甘えられると、しかたないと男の子は思うらしい。
 玲奈自身が決してできないことを、絵里はやってのける。修にぴとっとくっついて甘えることなど、とてもできない。素直さなのか、先までよんだずるさなの か、よくわからない。キャンプに行く前から、思いやられる玲奈であった。


     2
「どうしたんだ?」
 ふいに祐一に声をかけられて、はっとする。
 ああ、またこの世界にきたんだ。もの憂いセピア色の世界。
 同時に玲奈は、ふと、キャンプの買い出しを思い出した。
「祐一さんは、わたしのどこが好き?」
 次の瞬間、修にはとても聞けない質問を祐一にしていた。
「そうだね、素直なとこかな」
「素直?」
「そう。そんな質問もさらっとしてくる。喜怒哀楽がはっきりしているところかな。心の裏なんかよまなくてもいいから」
「ふーん」
 真琴は、玲奈とは性格はかなり異なる。
 修の前では、つっぱっている玲奈がいる。だから、絵里のような態度をとられると、余計にむかつくのであった。
 祐一に会うのは、今日で三日目のはずだ。真琴のこと、祐一のこと、もっと知らなければならない。そんなことをぼんやりと考えていたとき、祐一が笑った。
「あいかわらずだな……そのくせ」
「くせ?」
「そう、そうやって考えごとをしているとき、髪をいじるくせ」
 無意識のうちに、髪をいじっていた。そんなはずはない。普段の玲奈は、ショートカットのはずだから。玲奈のくせではない。ということは、真琴のくせ?
やはりこの身体は、玲奈であって玲奈でない。真琴の本能が宿っているのかもしれない。
 玲奈が真琴になるとき、必ず部屋に祐一がいる。真琴のことは、この部屋を調べれば少しはわかるはずだ。
 流れ星を見た日と、泉に行った日と、今日。玲奈は、窓の外に目をやった。日はまだ高い。ということは、同じ日ではないはずだ。祐一がいては、調べられな い。
 祐一、なにをしている人なのだろう。玲奈よりずっと大人だ。大学生かそれ以上。仕事はしていないのだろうか。
「真琴?」
「祐一さん、ごめんなさい。ちょっと気分が悪いの……」
 玲奈はうつむきかげんに、そう答えた。
「大丈夫か? さっき、おばさまがお茶がはいったから真琴を呼びに行ってくれって。僕は、下にいるから、気分がよくなったらくるといい」
「……祐一さん、今日って何日だっけ?」
「今日?」
 突然のことで、少し面食らったようだった。
「十四日だろう」
「この前、流れ星を見たのは、私の誕生日。七月七日よね?」
「そうだったね。それが、どうかしたのかい」
「ううん、なんでもない」
 玲奈がそういうと、祐一は部屋から出ていった。
 ここは真琴の家。おばさまということは、真琴のママだろうか。
 祐一が出ていって、玲奈はひとり部屋に残された。
 夢? 夢なら、つねってみて痛くないはず。よくいわれることを試みた。右の指で、左の腕をつねってみた。 痛いっ! ちょっと、どういうこと? でも普通、夢を見ていてこんなことを試みる人、いるだろうか。玲奈は、ふふふっと笑った。自分のとった行動が、妙におかしく思えたからだ。そういえば、こ の前の泉でも、手に水の冷たさを感じた。たぶん、今までも夢は見ていたはずなんだろうけれど、こんなに意識したことがなかったのだ。だから、夢の中で食べ た物の味がどうだったとか、暖かいとか寒いだとか、痛いとか、そんな感覚が今さらながらに思い出せないのだ。
 玲奈は、鏡の前でくるっとまわってみた。ギャザーの入ったワンピースが、ふわりとまわる。今日は、アイボリーの布地に、青い小さな花柄のワンピース。鏡 台の前に腰をおろし、ブラシで髪を整える。
 なかなか修好みの女の子じゃない。しばらく、鏡に映る自らの姿を見つめていた玲奈。
 ピッポ、ピッポ、ピッポ。
 鳩時計が三時を知らせる。
 偵察しなくっちゃ! お茶にも行かなくっちゃ!
玲奈は、慌てて真琴の机まで歩み寄った。そっと引き出しを開けてみる。日記をつけていれば、真琴のことはすぐにわかる。
 厚い本のようなもの。日記らしきものを発見したとき、玲奈の鼓動は速まった。うしろめたい感情がわき上がってきた。わたしが真琴でもあるのよ、今は。そ ういいきかせて、厚い表紙を開いた。
開いた瞬間に違和感を覚えたのは、たて書きの日記であることだった。決して珍しくないことだと思うけれど、十五歳の女の子にしては、ちょっと渋い気がし た。
 次の印象は、達筆ということだ。ペン習字でも習っているかのような字体であった。青いインクが紙になじんでいる。内容は、ひかえめながらも、切々と祐一 に対する思いがつづられている。うん、わかるわかる。玲奈は、修に対する気持ちと一致するところがあり、うなずきながら読み進めた。 『誕生日に、流れ星を見た。ほんの一瞬のことだったが、祐一さんとの関係がいつまでも続きますようにと、心の中で祈った。十五歳の誕生日の一番の記念。そ れは、祐一さんが私に接吻したこと。子供としてではなく、ひとりの女性として扱ってくれるようになったこと。友達なんかには、まだ話せない。貞淑に生きる こと。本当はまだこんなこと、しちゃあいけなかったのもしれない』
 接吻?
接吻って、キスのことよね。キスというのは、いい慣れ聞き慣れている。玲奈は、思わず本棚にあった辞書を取り出した。接吻、貞淑、ちょっと難しい漢字をひ いてみる。貞淑とは、女の行いが正しくしとやかなこと、か。貞淑という言葉、援助交際なんて言葉にすっかり押されてしまっている。  あの流れ星の日。玲奈が夢から覚めた瞬間のこと。額に接吻をうけたのは、玲奈という可能性もあったのだ。玲奈は、そう思うと身体が熱くなるのを感じた。  そうよ! お茶に行かなくっちゃ! この世界にいるうちに偵察しなくっちゃ!
玲奈は今の置かれている状況を思い出した。あわてて一階に降りていこうと部屋の扉を開けた瞬間、目の前がくらくらとして深い底に落ちる感覚を覚えた。


    3
 学校から貸し切りバスで、二時間余り。山奥のキャンプ場に着く。
 例のスイカは、絵里の家の冷蔵庫で冷やされ、絵里が大切に持ってきた。そのはずが、何かの振動で力が加わったのか、一部分にひびが入っている。絵里は、 そんなスイカの割れ目に、ピンクのばんそうこうをはりつけてきた。そんなところは、まさに絵里らしい。
「いいんだって、食えりゃあ」
 修が、申し訳なさそうにしている絵里をかばうようにいう。
「だいたいね、あんたに持たせておくと、ろくなことにならないんだから」
 キャンプ場につくと、香織がスイカの入った袋を絵里からとりあげた。
 まず自分たちの泊まるテントに荷物を置きに行く。どこのクラスも女子は、バンガローだが、玲奈のクラスの女子に限ってはテントである。なぜか圧倒的に、 バンガローよりテントがいいと言い張った子が多かったらしい。
「絵里、やだもん。テントなんか」
「だったら他のクラスのバンガローにでも泊まったら」
 いちいち絵里のいうことにつきあっていられない、という感じに香織がいう。そんな様子をみて、思わず玲奈は笑ってしまった。  テントの中をのぞいた。狭くて薄暗くて、なんだかほこりっぽい空気が鼻についた。玲奈が入ろうとした瞬間、悲鳴とともに、絵里、香織、そして同じテント で寝る予定の女の子ふたりが、慌てて飛び出してきた。
「どうしたの? 絵里!」 突き飛ばされた玲奈は、さけんだ。
「わたしじゃなくて、香織。いきなりキャーッだから、びっくりしちゃって」
 絵里の悲鳴ではなかったらしい。
「どうしたのよ?」
「クモが、大きなクモが……」
 香織が、ひきつった顔でわめく。
「キャーッ」
 それをきいて、今度は絵里が悲鳴をあげた。もちろん玲奈だって、クモはきらいだ。
「修、修!」
 玲奈は、むかいのテントにいる修を呼びにかけだした。
「……ったく、しょうねーな。だから女は役にたたないんだ」
「もう、ぶつくさいわないの!」
「きゃあ、修くんって、たのもしい」
 絵里にいわれて、ちょっとにやけた修の横っ腹をひじでつつく玲奈であった。
 このクモ事件で、どうやら香織がスイカの上にのったらしく、スイカのひび割れは、さらにひどくなった。真っ二つに割れたばかりか、一部くずれていた。三 等分というほど「等しく」は割れていないが、三つに割れてしまっていた。
「スイカ割りはできねーけど、切る手間がはぶけていいじゃん」
 修が冗談ながらにいった。
「ね、これ以上割れると冷やせないから、玲奈もって」
 香織が哀願する様子で玲奈を見た
「川のところまで持っていくのよね」
 玲奈がスイカの袋を手にした。道は少し段差があって、ぬかるんでいた。朝方まで降っていた雨で、土がやわらかい。
「玲奈、すべるから気をつけて……」
 と、香織がいったと同時に、ツルンっと玲奈は転んだ。
「玲奈! スイカ!」
 どっちが大切だか、わからないような叫びを香織と絵里があげた。
「大丈夫?」
 ふたりともあわてて付け加えるようにいう。
「どっちのことよ、わたしのこと? スイカのこと?」
「どっちもよ」
「これでわたしたち、共犯よね」
 口々にいう。かくして、スイカは全く包丁がいらないくらいにくだけた。
「冷やせるかな」
「大丈夫よ」
「そう、このビニールの口のところ、ちゃんとしばっておけば、水だって入らないし」
 共犯ということで妙な連帯感が生まれた三人は、スイカを冷やし、あわただしく炊事場に移動した。



 修たち、男の子は、ハンゴウでご飯炊き。薪になるような木を探しに行き、さっそく火をつける。新聞紙を燃やし、細かい枝をくべた。火の勢いが強くなった ところに、薪をくわえる。煙にまかれて、せきこんでいる修を横目で見ながら、玲奈はカレー作りをしていた。
 「玲奈、指、切るなよ」
 薪を手にした修に、声をかけられた。
「もう、失礼しちゃう」
「絵里だったら、なんにも心配ないんだけどさ」
「修、待っててね。絵里、修のために、おいしいカレーつくるから」
「おう!」 修はかけ声とともに、薪を持った右手を上げた。
「玲奈、無視、無視」
 横で香織がささやく。
 なんで絵里が出てくるのよ、修ったら……。
絵里が、修に好意をもっているのは、あきらかだった。二年生ころまでは、修と玲奈の仲を冷やかすうわさが多かったのに、最近は絵里にその座をうばわれた感 じである。
「あ、雨……」
 香織がぽつりといったかと思うと、急に音をたてて降り出した。
「……ったく、山の天気は変わりやすいからな」
 修がそういいつつ、屋根のある炊事場に入ってきた。
「なによ、山男みたいに知ったかぶりしちゃって……」
「うるせーな」
 玲奈の言葉に、ぷいっと修は顔をそむけた。このところの修との関係は、お互いにつっぱっていて、気まずい空気が漂っている。
「まあ、飯はたけたからいいけどよ」
 カレーもほぼ煮詰まっているはずだ。
 雨足は、ますます強くなってきた。屋根にたたきつけられた雨つぶが勢い増して、軒から流れ落ちている。
「キャンプファイヤー、できるかな」
 香織の言葉に、玲奈は雨に煙る茂みに目をうつした。汗ばんでいた身体が雨にぬれ湿気をふくみ、はだ寒くなってきた。雨の落ちる灰色の空のむこうから、カ ミナリの音がする。稲妻が走ってから、しばらく間がある。遠いらしいが、いやな感じだ。
 風が出てきた。横なぐりの雨で、屋根のある炊事場にいてもたたきつけられる。ハンゴウと、カレーのなべは、あやうく炊事場に持ち込まれ、夕食は無事だっ た。
「なんか、カミナリ、だんだん近くなるね。玲奈、大丈夫?」
 小学校時代からの親友だけあって、玲奈のカミナリぎらいを香織はよく知っている。
「わっ! 光った!」
 女子の悲鳴とともに、声があがった。続いて、ゴロゴロゴロと地響きのような音におおわれた。玲奈は、鼓動が速まるのを感じていた。修は、少し離れたとこ ろで、そんな玲奈を見ている。屋根のある炊事場は、となりの子と肌がふれあうくらい混み合っている。はだ寒さを覚えていた身体が、雨の湿気と人の熱気で不 快感をつのらせていた。
 ピカッ。ゴロゴロゴロ。
「近いよな」
 ピカッ。
「玲奈……」
 修が声をかけた瞬間、ゴロゴロゴロという音とともに、ドカンとまるで爆発するような音が大地にわきあがった。
 至る所で、悲鳴があがった。炊事場の中は、蜂の巣をつついたようなさわぎと化した。そんな中、悲鳴とともに絵里が修に抱きつく姿が、玲奈の視界に入って いた。
 青白い顔をしている玲奈に、香織が気づかってか声をかけた。
「ちょっと、玲奈、大丈夫?」
香織の声をうちけすように、そこに居合わせたクラスメートが、修と絵里を冷やかす。
「ひゅーひゅー、お熱いねぇ」
「だってぇ」
 甘えた声を出しながら、涙ぐんでいる絵里。修は、少し赤ら顔になりながら、離れたところにいる玲奈に目をやった。玲奈は、修の視線を感じると、ぷいっと 視線をそらせた。
「まったく修ったら、どういうつもりよ。それに、絵里も……。迷わず修に飛びつくんだから。修じゃなくたって、まわりにはいっぱいいるのにさ」
 そんな香織の言葉に、玲奈はつぶやいた。
「いいよ」 香織に心配されるのすら、わずらわしかった。雨はやみそうにない。玲奈は、香織の存在すら無視するように、降り続く雨を見入っていた。
 結局、夕食はキャンプ場の保養センターで食べることになった。
「雨が弱まっているうちに急げ」
 先生の号令により、カミナリが弱まったころを見計らって、あわただしく『引っ越し』が行われた。
「玲奈、大丈夫だったか。おまえ、子供んときからカミナリ、きらいだもんな」
「大丈夫よ」 ちょっと冷たかったかなと思うくらい、強い口調だった。
「そうかぁ、だってさ、ひとりで留守番していて夕立があると、いつもオレん家に飛び込んできてたじゃん」
 修ったら、みんなのいる前で、どうしてそんな昔のこと、もちだすのよ……。
「めそめそ泣いてさ」
 修の無神経さに、カチンときた。
「いいかげんにして。修、あんたなんか大きらいだからっ!」
 玲奈は、雨の中に飛び出していった。
「修、あんたね、なんてこというのよ」
 すぐに香織が玲奈を追ってかけ出した。
結局、その夜、雨はやむことがなかった。キャンプファイヤーも肝だめしも中止になった。テントの予定であった玲奈たちのクラスは、みんな保養センターに泊 まることになった。
 寝袋どころか、しっかり布団をしいて、快適に眠ることができた。
「こんなことだったらバンガローにしておけばよかったね。……玲奈、寝ちゃった?」
暗がりの中でも、うっすらと浮かぶ天井を見ていた。カミナリの件での修とのやりとりが、頭の中で何度も再現されていた。それをむしかえすようにいう香織の 言葉に、玲奈はぽつりとつぶやいた。
「……起きてる」
「あのさ、わたし、あんたたち見ているとイライラしちゃって」
香織がくるりと玲奈の方に身体をむける気配がした。
「修とのこと?」 掛け布団ごと、玲奈も身体をかたむけた。
「両思いのくせして、つっぱっちゃってさ」
「修の気持ちなんて、わからないもん」
「わかるでしょ? 玲奈のこと好きだから、ああやってつっかかってくるんでしょ?」
「最近、前より多くなった気がするんだ。今日みたいにぶつかっちゃうこと」
「修も玲奈も、二人とも突っ張ってるんだもん」
「わたし、絵里みたいになれないよ」
「まあ、あの子は特別よ」
「好きな人に好きって、あんな人前で恥ずかしげもなくいえるって、うらやましいというかお気楽というか」
 玲奈は、真琴であるときの素直さを思い出した。
「素直といえば素直なんだろうけれど。絵里って、わざと素直ぶっているようで、そんなかけひきができなさそうでもあるしね」
「修はね、絵里みたいな子が好きなのよ。髪が長くって、はかなげで、白いワンピースが似合う子」
 修から耳にたこができるくらい聞かされていることを、ここでくり返した。
「修の理想でも、必ずそういう子を好きになるとは限らないでしょ? 理想はあくまでも理想よ。理想と現実は違うんだから」
「あのさ、それなぐさめているつもり?」
「修とね玲奈って、似ているのよ」
「どこが?」
「意地っ張りで負けずぎらいなとこ」
「いってくれるわね」 そっとしておいてほしい。そう思いつつも、玲奈のことをよくわかっていてくれる香織をうれしく思う。
「でも、あのカミナリのとき、修ってばさ、玲奈のことずっと見ていたんだよ。心配そうに。だったら人をかきわけてでも、玲奈のそばに来てやればいいのに さ」
「それができないのがアイツなんだよね」
「なんだ、わかってるじゃない」
「そりゃあ、小一からのつきあいだもん」
「幼なじみっていうのも、めんどうよね。いつまでも、子供のときと住んでいる距離は変わらないのに、近くなったり遠くなったりするしさ」
二人は、しばらくだまりこんだ。
「香織、わたし、あしたね……。香織? 寝ちゃった?」
 ほんの一瞬の沈黙で、香織は寝ついたらしい。あした、修にあやまろうと玲奈は思った。大きらいではなく、本当は大好きなのに……。



 雨が降っているらしい。キャンプ二日目も雨か……。玲奈がそう思って起きあがったとき、ここがあの世界であることに気づいた。どうやら机で本を読んでい て、うたた寝をしてしまったらしい。
 トン、トン、トン。
 くぐもったようなノックの音がした。
「夕立だね。ひどくなってきた。さっき、遠くでカミナリが鳴っていた」
「カミナリ?」
 玲奈は、炊事場でのことを思いだした。
 そんな玲奈のくもった顔を、カミナリにおびえてのことだと思ったらしい。
「あいかわらずだね」
 祐一は、低く笑うと、玲奈の髪をくしゃっとつかんだ。
 あの日記を読んだ日から、どのくらいたったのだろう。玲奈は、そう思いつつ祐一からはなれベランダに出た。雨が激しく吹き込んでくる。足元のコンクリー トが雨によって、色濃く染められている。
 ピカッ。ゴロゴロゴロ。
 雷がだんだんと近づいてくる。手すりにまでからみついたツタだけが、雨にあらわれてみずみずしさを増していた。
「真琴、ぬれるよ」
 祐一がベランダまで出てきた。
 灰色の空を裂くような大きな稲妻が走った。
「キャー」
 玲奈が悲鳴をあげる。
 ゴロゴロゴロと、激しい音が響いた瞬間、玲奈は祐一の腕の中にいた。広い胸に抱かれていた。なつかしいような祐一のにおい。油絵の具がしみこんだ体臭。
修とは違う、おだやかさだった。
「なんだ、泣いてるのか。いつまでたっても真琴は……」
「違うの」
「なにが?」
 カミナリがこわくて、泣いたんじゃない。そんな子供じみたことなんかしない。あの炊事場でのことが、修のことが絵里のことが思い出された。
「しばらくこうしてて」
 玲奈は、祐一のぬくもりに包まれていた。ここにいるのが修であれば、とてもこんなことはできない。はにかみ、戸惑い、恐れ、そんな感情がわいてしまう。
「ね、わたしたちって恋人どうし?」
「……だろうね。でも、真琴の年で恋人がいるってめずらしいだろ。真琴のことは、僕が大切にする」
「真琴って幸せね」
「なんだい、他人ごとみたいに」
 祐一の言葉で、はっとする。そう、今は、玲奈が真琴だった。
「わたし、来年十六歳になったら、祐一さんの奥さんになるの?」
「まさか、高校に行かなくっちゃならないだろ。先の話さ。僕たちのことは、親が昔に勝手に決めたことでもあるからね。大学にも行きたかったらいくといい。
これからの時代は、もっともっと女性も勉強して社会に出ていかないといけないんだ」
 これからの時代? 女性の社会進出なんて、ちょっと古くさいことをいう。
「その間に、祐一さんに他に好きな人ができちゃったら?」
「そういうこともあるかもしれませんね。数年の歳月があれば……」
からかうような祐一の口調だった。
「いや、そんなの」
 玲奈は、自分の口からでた言葉にはっとした。この身体は真琴。真琴の魂が、本質がいわせているんだ。
 祐一は、そんな玲奈を見て笑った。
「さて、落ち着いたかな」
 玲奈をうながして、部屋に入った。
  「でも、まあ、来年は親父の会社に入って、ゆくゆくは継ぐにしても……。こんな絵ばかり描いている遊び人、おやじのヒモみたいな大学生、相手にしてくれる 人はいないだろうな」
「絵?」
「そう、今度は真琴を描くって約束したじゃないか」
「ああ、そうよね」
 玲奈は、あわてて話をあわせる。さっき抱きしめられたときの油絵の具のような体臭を思い出した。
「そうだ、祐一さん、おもしろいことがあったのよ」
「どんなこと?」
「あのね、学校でキャンプに行ってね……」
「キャンプ? 許してもらえたのかい?」
「えっ?」
「だって、一時期、貧血があまりにもひどいし、微熱が続くからといって反対されなかったっけ? だから、夏休みよりも半月早くに学校を休んで軽井沢にきたんだろ?」
「あ、そう。それはそうなんだけど」
 一瞬のうちに、いろいろな情報を得た。
 祐一は、大学生。しかも来年就職ということは、二十二歳前後。ここは、軽井沢。
「そうか、行って来られたのか。よかったな。で、どんなことがあったんだい?」
 なんとか話のつじつまがあってきた。玲奈は、スイカ事件について語りだした。
「そりゃあ、愉快だね。そんなスイカを冷やして、大雨が降ったら……。で、そのスイカはどうなったんだ?」
「え、スイカ?」
 あれからどうなったんだろう。そんな思いが玲奈の脳裏をよぎったとき、また深い底に陥る感覚を覚えた。



 遠くで誰かに呼ばれている気がする。
「玲奈、玲奈ったら。朝だって」
 香織が身体をゆすっている。
「……朝?」
「もう、なに寝ぼけてんのよ」
 身体が重い。真琴の世界にいくと、といっても夢をみているのにすぎないのだが、身体が妙に重くてだるくなる。
「あっ!」
 突然、玲奈が思い出したようにさけぶ。
「なによ、一体!」
「スイカ!」
「えっ? スイカ? あ、スイカ!」
 香織も思い出したらしい。冷やしたもののカミナリの一件で、すっかり忘れていた。
「絵里、あんたさ、川に行ってスイカみてきてよ」
「えっー! ひとりでぇ?」
「……ったく、しょうがないわね。じゃ、共犯ということで三人で行こう。それから朝食の用意もしなくっちゃいけないしね」
 香織の言葉で、三人は、川へと向かった。スイカを冷やしたときは、おだやかな澄んだ流れだった。今は、きのうの雨で水かさが増し、水がにごっている。
 スイカの入ったビニール袋は、かろうじて大きな石がころがっている浅瀬にあったおかげで、助かったらしかった。だが、スイカが絶望的であることは中を見 なくてもわかった。白いビニール袋の上に、ドロがかかり、流れてきた葉もついている。
「だめ、だよね」
 といいつつ玲奈は、袋を開ける。やっぱりだめだ。予想したように、ドロがまじっていた。こんな話、祐一にしたら笑うだろうか。ふと玲奈は、笑みをもらし た。
「玲奈、なによ。今のぶきみな笑い」
 香織がいぶかしげにいう。
「ううん、なんでもない」
「スイカ、どうだった?」
 修たち、男子三人もやってきた。
「修、ごめんね。絵里がひびいれちゃったから……」
 すかさず絵里が、申し訳なさそうにとりなす。
「いいって。ま、しょーねーよな。それにさ、絵里だけの責任じゃないし……。だって、香織がさらにふんずけ、玲奈が転んでこなごなに割ったんだろ?」
「ちょっとなによ、わたしや玲奈のせいってこと?」
 香織が、修にくってかかった。
 玲奈は、なにもいわず修を見た。修と目があった。その瞬間、プイッとそっぽをむいてしまった。
 祐一さんなら、こんなこといわない。きっと、しかたないよなっていう。私の髪の毛をくしゃってつかんで……。祐一さんなら、祐一さんなら……という言葉 が、頭の中をぐるぐるとまわっていた。
 修なんてきらい。修なんて大きらい。
 昨夜、寝る前は、あやまろうと思っていたのに、そんな気持ちなんかどこかに消えてしまった。
 修との距離は、キャンプで縮まるどころか、今までで最も離れてしまった気がした。


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