| この作品は、1999年ころに書きました。
岡山県の湯原温泉を舞台にという条件の公募があり、書いてみました。ボツ…。 でも、湯原温泉にも、作中に出てくる鳥取砂丘にも行ったことがありません。電車の旅は好きですが、中国地方の日本海側の路線にも乗ったことはありません。 小説を書く人なんて、みんな、大うそつきなんです。 (^^ゞ 人生には、いろいろなことが起きます。いいこともわるいことも、いろいろ突発的に襲ってくる人生の波。さらに、まわりの人の何気ない言葉にグサっと傷 つくことがあります。日常のささいなことに、小さな感動を覚えたり、幸せだなと感じる生き方ができたら、豊かに生きていかれるんだろうなと思います。 リストラにあった水城章夫は、妻のふみえと、目的もなく旅に出ます。人生という旅にも疲れ果てた二人が立ち寄った先は、岡山の湯原温泉。雪深い、ひなび た温泉で、迷子になった若菜という五歳の子供に出会います。二人の凍りついたような心を、あたためたのは…。 |
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| 魔法のたま
ご
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1
冬の日本海は、ぼんやりと白く霞んでいた。夏の色など、忘れ去ってしまったかのように、深い緑色を帯びた海面は、それでも鈍い光を放っていた。時折、海 岸沿いの大きな岩肌に波が打ち寄せ、しぶきを上げている。 都会とは違って、電車はまばらにしか走っていない。鳥取で乗り換え、なんとか飛び乗ったのは、三両編成の普通列車だった。年が明け、一月も半ばを過ぎた 平日のせいか、数える程度にしか客の姿は見えない。 水城章夫は、むかいの席に腰かけている妻のふみえに目をやった。ふみえは、うつろな眼差しで、海を見ている様子だった。 「倉吉で降りるから」 ふみえは、水城を見ることなく、わずかにうなずいた。 水城は、つい先月まで電子部品会社に勤務していた。不況のあおりをうけて、水城のいる八王子工場が閉鎖となった。希望退職が募られ、水城はその決断を下 した。 四十一歳という自分の年齢。再就職となると、なかなか難しいのは承知している。だが、表舞台でもうひと頑張りできる、自分をためす最後のチャンスかもし れないという思いがあった。 八歳年下のふみえとは、三年前に見合い結婚をした。なかなか子供に恵まれず三年。ふたりであれば、人生の方向転換をはかっても、なんとかやっていかれる だろう。 だが、正月に帰省した折はじめてこのことを両親に話すと、頭ごなしに水城は怒鳴りつけられた。七十歳を過ぎた親に説教されるのも、なんだかおかしな話だ。 親にしてみれば、やっと身をかためた息子に、ほっと肩の荷をおろしたところでの裏切りにも似た行為に思えたのだろう。年老いた親のいる秋田に帰るでもな く、辞めてからのことに見通しがあるわけでもない息子への苛立ちは、逆にふみえへとぶつけられた。早くに孫の顔が見たいという、どこの親でも持ち得ている 感情が、歪んだ形でふみえにむけられたのだ。 「バスでどのくらい?」 突然、ふみえに話しかけられ、水城は手にしていた時刻表を落としそうになった。 「そんなに遠くはないんだけどね。時間にしたら、一時間半から二時間もあれば十分さ。 ただ、乗り換えもあるし、本数もないから……」 水城は、時刻表をふみえに差し出した。ふみえは、頭をふり、また海の方に顔をむけてしまった。 八王子のアパートは、会社の社宅なので、今月いっぱいには引き払わないといけない。本来なら、のんびりと旅に出ている暇などない。 「章夫さん、一種のセクハラよね」 またふみえは、ため息まじりに唐突に口をひらいた。 「だって、パートの奥さんたちだってそうよ。赤ちゃんはまだ? って、みんな口そろえていうのよ。言い換えれば、ご主人とセックスはしてるの? っていうことじゃない!」 「ふみえ!」 ヒステリックに叫ぶ妻を、水城は諭すように名を呼んだ。電車は、駅に停まった。ひとりの若い女性が、興味深げな視線をむけて降りて行った。 小刻みに震えているふみえの手に、水城は自らの手を重ねた。 「ほら、次、降りるぞ」 水城は、網棚からボストンバッグふたつを下ろした。 2 バス停から、五分程度歩いたところに宿はあった。『浪漫館』という木でできた看板がでている。 「積もるかしら?」 ふみえは、白く曇った空を仰ぎ、次の瞬間、口元がほころんだ。 バスに乗ってからまもなく降りはじめた雪は、やみそうになかった。 「珍しいものが見られたね」 水城は、子供のころから雪を見慣れている。だが、静岡に生まれ育ったふみえの顔に、無邪気な笑いがもどったことを水城はほっとしていた。 東京を離れて、今日で六日目。 下呂、城崎と温泉を中心にまわり、湯原温泉へとたどり着いた。一週間前、分厚い時刻表を片手に電車に飛び乗り、無計画のまま旅に出た。鳥取と岡山の県境に は、数多くの温泉がある。それでもここを選んだのは、城崎温泉で出会った老夫婦に勧められたからであり、深い想い入れがあったわけではない。 時期はずれとは思っても、それでも行く先々で、旅行客とすれ違う。若いOLらしい旅行グループ、家族旅行、定年退職後気ままに旅行を楽しんでいるような老 夫婦など。それぞれに、笑いがあり楽しそうだった。それに比べると、水城には、なんとも冴えないお通夜のような旅にしか思えなかった。 ふたりでいながらも、ひとり旅のように、会話は全くはずまなかった。四六時中、妻といると、こんなに話すことがなかったのかと思ってしまうほど気疲れすら 感じた。金と時間を浪費して、現実から逃避しているだけに過ぎないのではないか……。そんな思いが、頭をもたげてきていた。 「あのう、すみません。今朝、お電話で予約した水城ですが……」 浪漫館の敷居をまたいで、声をかけた。少し奥まったところの受付カウンターにいた着物姿の女性が、手を休めて顔をあげた。 「いらっしゃいませ。水城さまですね」 女は、スリッパを用意すると、水城たちを促がした。ひなびた宿だった。黒光りした板張りの廊下を進むと、すぐに温泉地らしい湿り気まじりの熱気を肌で感じ た。 「お気をつけください」 階段も角がとれた板のようになっており、手すりも温もりを感じるような年季の入ったなめらかさがあった。 部屋は、こじんまりとした八畳間だった。窓の外には木が生い茂り、人の世から隔離された心持ちにすら覚えた。 「雪……」 ふみえは、妙にこの雪が気に入ったらしい。窓を開けて、手を差し出した。暖房のきいた部屋に、凍てつくような外気が忍び込んできた。牡丹雪が、ふみえの手 のひらで花開き消えていった。 失礼致します、という声とともに仲居が入ってきた。 「あいにく雪になってしまいまして……」 仲居は、お茶を入れはじめた。水城はふみえを促がし、窓をしめた。 「お客さまは、どちらから?」 「東京です」 「まあまあ、いいですねぇ」 五十代くらいの仲居は、目を細めて水城たちを交互に見た。 「おふたりでご旅行なんて……」 今まで止まった下呂や城崎の温泉旅館でもそうであったように、一種の社交辞令ともとれる挨拶が繰り返される。ふみえのうつむき加減な様子が気にかかった。 「お子さまは?」 深く息をついたふみえから目をそらした水城は、仲居に目をやり短く答えた。 「おりません」 「まあ、そうですか。ここの宿の湯は、子宝の湯ともいわれましてね……」 この宿に泊まった客から、子が授かったと便りが年に幾通か届くらしい。 「今夜のお客さまは、水城さまだけでございます。露天風呂も、ごゆっくりおふたりでお楽しみください。夜も入れますが、この雪ですから……。石畳の道が凍 ると危ないですので、お夕食前にでもゆっくりお入りになってください」 仲居は、そういうと思い出したように部屋から出て行き、すぐ戻ってきた。 「雪ですから、これをお使いください。くれぐれも足元には、お気をつけくださいね」 念をおすようにいうと、六時が夕食の時間と確認し、部屋から出て行った。 「蛇の目傘?」 仲居が置いていった傘をひろげた。くるり、くるりと傘をまわすふみえを見て、水城からも思わず笑みがもれた。真新しい桶を手にすると、桧の香りが鼻につい た。 「行こうか?」 浴衣に着替えた水城たちは、部屋を出た。案内表示に従って露天風呂へとむかう。大浴場とは別になっているらしい。ドアを開けると、雪まじりの風に吹きつけ られた。部屋で暖まった身体が、一瞬のうちに縮こまる。だが、妙に頬だけは、久しぶりのふみえの笑顔を見たせいか、上気していた スリッパを脱ぐと、戸口に並べられていた下駄に履きかえた。 蛇の目傘を開こうとした時、 「あっ、冷たい」 ふみえが肩をすくめて、水城を見上げた。 長い髪をアップにした首筋に、牡丹雪が忍び込んでいた。後れ毛が、風になびいた。 「なんか新婚旅行にでも来たようだな」 水城の言葉か、身を切るような風のせいか、ふみえの頬はわずかに赤く染まっていた。 新婚旅行といっても、水城の方でどうしてもぬけられない仕事があり、予定を変更して二泊三日で日光へ行っただけのものだった。決して水城は会社人間でもな く、バリバリに仕事をこなすエリートでもない。ただ、単にまじめなことだけが取り柄の水城だった。そのきまじめさ故に、新婚生活の第一歩を踏みにじってし まった。 露天風呂の近くに脱衣所がある。そこまで続く石畳には、もうすでに雪が積もりはじめていた。下駄をはいた足の指先は、感覚が一瞬のうちに取り除かれた。そ れでも雪を踏み固める確かな感覚を、足の裏で感じていた。下駄がつけた二本の線にも、牡丹雪は一瞬のうちに埋め尽くそうとする。 水城は、雪をはらい傘を閉じた。冬の陽はすでに陰りつつあり、紺碧に染まった空から、渦を巻くように次から次へと雪が舞い下りてくる。風呂の周りには灯か りがともされ、立ち上る湯気に、雪が吸い込まれていく。 「章夫さん、はやく入ろう」 ふみえの声にはっとして、水城も浴衣をぬぎはじめた。 先に身を沈めたふみえに続き、水城も湯に入った。外気にふれた途端に、凍てついた身体が溶けはじめた。足の指先に、しびれるような感覚を覚え、ゆっくりと 身を沈めた。 湯気のむかいに、ふみえがいる。結婚してからも、ふみえと一緒に湯につかったことなどなく、湯原に来る前に泊まった温泉も、家族風呂など使わなかった。 「ふみえ……」 水城は、ふみえの肩をつかみ引き寄せた。水城の手のひらが、一瞬にして収縮するほど冷えきっていた。水城は、手で湯をすくいながら、ふみえの肩にかけた。 「ふみえ……。このままでもいいじゃないか。たとえ子供ができなくても……」 「なんか、わたしもそんな気がしてきた。ここに来てから……」 ふみえはそういうと、空を仰ぎ見た。 人と同じように生きていかなければ、なにかと躓くこ とが多い。就職、結婚、子供のいる明るい家庭……。世間の日常の挨拶は、悪気のない言葉であるにもかかわらず、時として人と同じに生きられない人たちを苛 む言葉となる。 水城は、白紙にもどされた自らの人生を思った。だが、ここにふみえがいる。再びふみえを抱き寄せると、おだやかな水面が大きく波立った。鈍い音とともに、 湯のしぶきが水城の頬を打った。 朝、水城が窓の障子をあけると、ガラスは曇り水滴がついていた。雪をかぶった茂みが見え、その間から青空が顔を覗かせていた。 その日一日は、宿で過ごした。気のむくままに風呂に入り、部屋でくつろいでいた。 夕食時にきのうと同じ仲居がやってきて、 「あのう、ご滞在の予定はいつまでですか」 と、遠慮がちにたずねた。 「うーん、そうだね。いいところで気に入ったから、あと二、三日泊めてもらおうかと思ってるんだけど」 酒で上機嫌になっていた水城に、仲居は胡散臭そうな視線を注いだ。行き当たりばったりの旅らしいが、何をしている人なのだろうか。そんな世間の視線を、被 害妄想のせいか、水城は感じる。 「三日以上ご宿泊のお客さまは、三日ごとに精算させていただく決まりになっておりますが……」 「あ、うん。わかった。あしたにでも、銀行に行っておろしてくる。銀行、あるかな」 「バス停の近くにございます」 「あ、それと、どこかで車、借りられないかな。レンタカー。雪も大丈夫そうだし、あしたは岡山の方にでも出てみようかと思って……」 ごく普通の観光客らしいと思い直したのか、金払いもよさそうと思ったのか、仲居は急に愛想がよくなった。 「町役場でやっております。小さな町なので、町全体でなにごともしないと、どうにもならないんです」 仲居は、そういうと手際よく膳を並べはじめた。 高校を卒業して二十年余、会社に勤務した。一千万という退職金が振込まれたが、定年退職でないにしろ、この金額が多いのか少ないのか水城にはわからない。 ただ、希望退職ということで、いくらか優遇されていることは確かだ。社宅を出なければならないし、この金を頭金にマイホームも考えなくはなかった。それ が、今こうして、ふみえとともに旅に出てしまい、一週間で軽く二十万余の出費がかさんでいる。 ふみえもそのことは感じつつ、それでも帰ろうとは言い出さない。この旅で、これからの何か答えを見出さない限り終わりにできない、という思いもある。水城 は、おとといの露天風呂での会話を思い出していた。 3 宿で朝食をすませると、水城たちは町役場にむかった。『浪漫館』の方から連絡をしてくれたらしく、車を借りる手続きはすんなりとできた。 助手席に乗り込んだふみえは、シートベルトをしながらつぶやいた。 「こんな遊び人、この世にわたしたちだけかもね」 「そんなことはないだろう。うちには金はないけど、世の中には遊んで暮らせるやつだっているんだから」 水城は開き直った感じにいうと、車を出した。 露天風呂で、ひとつ蟠りが消えたような気がしたが、やはり錯覚だったのかもしれない。岡山にむかって、山道を進んでいく。走り出してほんの数分後、流れる 音楽だけがふたりの沈黙をつないでいた。 「あ、章夫さん! 停まって!」 突然、なにを思ったのかふみえが声をあげた。慌ててふんだブレーキの反動で、身体が前屈みに押さえつけられた。 「どうした?」 「あそこ!」 ふみえの指差す先に、赤いコートを着た子供がうずくまっていた。外に飛び出したふみえを、水城も追うように出た。 「どうしたの?」 子供は、ひざをかかえるようにしゃがんでいる。 「ころんだの?」 ふみえの問いに、女の子はこくんとうなずく。膝がすれていて、うっすらと血がにじんでいた。 「たしか、バンソウコウがあったはず」 ふみえは、ひとりごとのようにいい、車からバッグを持ってきた。 「ほら、もう大丈夫よ」 手際よく手当てをすると、水城に笑顔をむけた。 「名前、なんていうの?」 「わかな」 「何歳?」 「五歳」 若菜は、指をひらいてふみえに見せる。 「おうち、どこ?」 「さ、きゅう、行くの」 ふみえが訝しげに、水城に目をやる。 「砂丘じゃないか? ひょっとして鳥取の」 「砂丘? まさか」 ふたりは、顔を見あわせた。 「バス、行っちゃったの」 若菜は、鳥取方面にむかうバスが走り去った方向を指差す。 「ママは?」 ふみえが、かがみこんでまた聞く。若菜という女の子は、おかっぱくらいの髪で、つぶらな瞳をしていた。 「ママ、いないの。お仕事だもん」 ふみえは、若菜のコートに手をやりフードをかぶせた。頭からすっぽりとフードをかぶった若菜は、まるで童話に出てくる小人のように愛らしかった。時折、雪 の冷気を運んだ風が通り過ぎていく。 「パパは?」 「パパ、さ、きゅう」 たどたどしげに砂丘とまたいう。 「若菜ちゃん、寒いから、車に乗ろう」 「うん!」 若菜は大きくうなずき、ふみえの手をとった。 「おい、どうする気だ」 水城が慌てて声をかけたが、ふみえは若菜とともに後部座席に乗り込んでしまった。 「どうする?」 車に乗り込んだ水城は、再びミラー越しにふみえを見た。 「章夫さん、戻りましょう」 たしか、役場近くに駐在所もあったな。ふと思い出した水城は、適当なところで車をUターンさせ、温泉街へと戻りはじめた。 4 車は来た道を引き返し、バス停を過ぎた。役場を過ぎ駐在所の建物が目にとまり、水城はスピードを落とした。 「章夫さん、このまま砂丘まで行きましょう」 答えるかわりに、水城は車を停めた。 「なにいってるんだ」 目と鼻の先の駐在所があり、観光客らしき老夫婦がなにやらたずねている様子がうかがえた。 「だって、車なら鳥取の砂丘もすぐでしょ? 二時間もかからないんじゃない?」 「さ、きゅう。行くの。さ、きゅう」 若菜はうれしそうに、後部座席で両足をぶらぶらさせた。 「そうよ。行くのよね」 ふみえが若菜の顔を覗き込むと、 「ねーっ」 と、若菜も首をかしげるようにしていう。 車は音もなく、すべるように走り出した。駐在所の奥には、巡査の姿もあった。水城は、ちらりと見たが、車はスピードを上げていた。 三十分もしないうちに、陽気にはしゃいでいた若菜は、暖かくなったせいかうつらうつらしはじめた。しまいには、ふみえの膝を枕に寝入ってしまった。 若菜の声が途絶えると、途端に車内は沈黙の空気に包まれた。沈黙とともに、不安が忍び寄ってきた。 「やっぱり、駐在所に連れて行けばよかったんじゃないかな……」 「若菜ちゃんが、わたしたちの子でもおかしくないわよね」 ふみえは、若菜の頭を撫でながら答える。 「誘拐する気か」 水城の不安は、そんな答えを導き出した。 「誘拐? まさか……」 ふみえは鼻先で笑って、若菜の前髪をかきあげた。 鳥取の街中に入り、道が混みはじめたころ若菜は目を覚ました。寝起きと共に母親がいないと泣き出すのではないかと、水城は一瞬、身を固めた。 「おなか、すいたぁ~」 若菜の第一声に、ふみえも上機嫌で答えた。 「なに、食べたい?」 「お子さまランチ! 旗ついてて、おもちゃもあるの!」 若菜は、甲高い声をあげた。 「章夫さん、ファミリーレストランがあったら入って」 水城は、道の両脇に建ち並ぶ店に注意を払いがら進み、一軒のファミリーレストランの駐車場に入って行った。 若菜にはお子さまランチを、水城たちは日替わりランチを頼んだ。若菜は、おなかがすいたといったわりに、食べ物よりも、ついてきたペンダントの方が気にな るらしかった。 「若菜ちゃん、ちゃんと食べなくっちゃ」 若菜の頬についたケチャップを、ふみえは指でぬぐいとり、その指先をなめた。ごくありふれた、どこにでもありそうな家族連れのひとコマだ。 「若菜ちゃん、おばちゃんの家の子になる?」 ふみえの問いかけに、水城の心臓は波打った。 「うん、いいよ」 フォークでハンバーグをさしながら、若菜は意味をわかっているのか無邪気な様子を見せた。フォークを持ち上げた途端、若菜の肘が脇に置いてあったジュース のコップにあたり倒れた。オレンジ色の液体は、テーブルに広がり、水城の皿まで忍び寄ってきた。 あっと叫び声をあげて、ふみえは紙ナプキンを取り出す。ウエイトレスが駆けつけ、手早く処理してくれた。 恐縮して頭を下げる水城に、 「いいんですよ。よくあることですから。今、新しいのもってきますね」 と、アルバイトらしき女の子は笑顔で答えた。ふみえとのおだやかな時間の流れに、突如小さな台風が発生したみたいだった。 昼飯をすませると、若菜を乗せて車は走り出した。 「着いたよ」 車から降りると、 「さ、きゅうだぁ」 若菜は、たどたどしい口調で叫んだ。 砂浜のキャンバスに、風がいたずらに波模様を描いていた。砂丘は、夏の色を忘れた空をふちどっている。 「お山つくったの。パパと」 「パパ、会社?」 「ううん、いないの」 若菜が駆け出し、水城たちは後を追う。砂地に足をすくわれる。ふうと大きく息をついた若菜は、すわりこむとうずたかく砂を盛りはじめた。 若菜につきっきりのふみえをおいて、水城は小高い丘に登りはじめた。砂が、簾のような模様をつくりながら、小刻みに落ちていく。 水城は、田舎の親にせかされて結婚をした日のことを思い出していた。器用に女と遊べる男ではないし、仕事にしても人を押しのけてやっていくタイプでもな い。それでもふみえとのおだやかな生活に、不満などもっていなかった。 再び、足元の砂を見た。砂丘が震えるように、砂のひとつぶひとつぶが落ちていく。 それでも落ちた砂が、どこかに消えいくわけではない。砂は、また新たな起伏をかたどりはじめる。 「おじちゃ~ん!」 若菜が両手を振っている。水城も、大きく手をふってこたえた。 ふみえたちのところに戻った水城は、何気なく腕時計に目をやった。 「おじちゃん、何時?」 若菜が伸び上がって、水城の腕時計を覗き込もうとする。 「三時だよ」 「たいへん!」 若菜はそう叫ぶと、赤いコートの袖口をさっとめくって腕時計を見るまねをした。 「どうしたんだ?」 水城は、若菜を抱き上げた。 「おふろ、わかさなくっちゃ」 「風呂?」 突拍子もない若菜の言葉に、水城はふみえと顔を見あわせた。 「ママが、帰ってくるまえに……」 「おじちゃん、早く早く」 手足をばたつかせる若菜を、水城は砂の上におろした。若菜は、車めがけて走り出したが、すぐに砂に足をとられ、右の靴がぬげてしまった。 転んだ若菜のもとに、ふみえがいち早く駆けつけ、コートについた砂をはらった。 「いつもお風呂、わかしてるの?」 「ううん。若菜が保育園、お休みの日だけ。ママ、お仕事だもん。だって、お水が入ってるか見てスイッチオン! だけなんだもん!」 若菜は、ひとさし指でスイッチを押すまねをした。 「それでね、魔法のたまご、入れるの」 「たまご? 魔法の?」 若菜は、コートのポケットからげんこつのまま手を出した。そして、一瞬、手を開いて見せたが確認する間もなく閉じてしまった。 「ひ・み・つ」 ふみえは、そんな若菜を笑いながら見つめ、砂に転がった靴を手にした。靴のわきをたたくようにして、中に入り込んだ砂を出した。 「小さなシンデレラみたいね」 「帰さなくっちゃな」 ふみえは、だまったままうなずいた。 5 空が次第に低くなり湯原温泉に着いたのは、薄暗闇に包まれてた頃だった。点在する民家の灯かりを確認するように、車は温泉宿にむかっていた。 朝通り過ごした駐在所の前で車を停め、水城は、後部座席にいるふみえと若菜を降ろした。若菜を抱き上げ、駐在所のドアをくぐった途端、若菜! と叫ぶ声に迎えられた。 「ママァ~」 若菜は、するりと水城の腕を脱け出して、ふみえと同じくらいの年の女の腕に抱かれた。 「お子さんですか?」 巡査の言葉に女性は何度もうなずいた。 「さ、きゅう、行ったの」 「砂丘って……。若菜、砂丘?」 「うん。おじちゃんたちに連れてってもらったの」 「いや、あのう……」 水城は、朝からのことを話し出した。 「それで? あんたたちは、この子がわざわざ鳥取から来た迷子だと思った、と?」 「ええ。砂丘に着いて、よくよく話を聞くと、ママのためにお風呂わかすから帰る、というんです」 巡査は、疑わしい視線を水城たちにむけた。 「まあ、若菜ちゃんのお母さんが見えたのが、今ちょっと前だったから……。ま、おおごとにはならなかったけどねぇ。このお母さんが午前中に来たら、それこ そ事故にあったんじゃないかとか、誘拐されたんじゃないかとか……。全くもう、いい年した大人の常識で考えれば、すぐにここに連れてくるのが筋ってもんで しょう」 水城たちは、深々と頭を下げた。 「ママ、六時」 若菜が壁にかかっていた時計を指さした。 「お風呂、わかさないと……。若菜のお仕事だもん」 若菜の言葉に、巡査はため息まじりの笑みを浮かべた。 「それから、いいですか。お母さん。あなたも、いくら母ひとり子ひとりだからって、こんな小さなお子さんを、ひとりにするのは問題ですよ」 若菜の母親は、巡査に頭を下げながらも、子供が見つかったことで気持ちはいっぱいらしかった。水城たちのことなど、眼中にないようだった。 母親に手をひかれて歩き出した時、若菜はふと思い出したように立ち止まり、ふみえのところに駆けてきた。 「これ、あげる」 赤いコートのポケットから、にぎったままのげんこつを取り出し、ゆっくりと開いた。 「魔法のたまご」 ビー玉よりもひとまわり大きく、深いピンク色をしていた。キャンディーのように透明なビニールに包まれていた。 「バイバイ!」 若菜が手をふったあと、母親の手をとった。母親はわずかに頭をさげ、水城たちは若菜に手をふった。 小さな嵐を巻き起こした台風が去り、なにごともなかったような時がもどってきた。その日は、週末とあってか『浪漫館』は満室らしかった。仲居の声が廊下 に響き渡り、絶え間なくに足音が聞こえた。食事がおわるころには、おちつきを取り戻したが、それでも各部屋からは笑い声がもれてきた。 「僕はもうひと風呂、浴びてくる」 ぬれたタオルを片手に、水城は立ち上がった。 「わたしも行く」 露天風呂にむかった。貸切は、はじめて浪漫館に泊まった日だけだった。 「章夫さん、そろそろ帰る?」 殿方と書いたドアを開けようとした瞬間だった。 「そうだな」 帰る……。結局、帰るしか他になかった。 「魔法のたまご、試してみたいし……」 「魔法のたまご、か」 水城たちは、顔を見あわせて笑い、それぞれ露天風呂へとむかった。 夕食をとっている間に、雪が降り出したようだった。脱衣所へと続く石畳に、粉雪がころがっていた。闇の中から絶え間なく降り続く。手のひらに落ちた粉雪 は、ころがすと右に左にゆれ、勢い余って地面に落ちた。 粉雪は、なんだか昼間見た砂と似ていた。 すでにふたりの姿が、風呂の灯かりに映し出されていた。遠慮がちに身を沈める。 昼間の若菜の姿が、甦ってきた。 小さな台風のような、ほんの一瞬だけ味わうことができた子供のいる家庭。 両手で湯をすくって、水城は顔を洗った。身体の内奥から、蟠りが溶けはじめた気分だった。 6 東京にもどると、とりあえず水城たちは、アパートを探した。木造の築二十年という安いアパートに、一週間後、引越しした。 「ふみえ……」 湯船につかった水城は、曇りガラス越しに肌の色を確認するとうながした。 「一緒に入るなんて、はじめてね」 水城は、小さくうなずくと湯船の中で身を屈めた。ふみえの右足が、湯船へ入った。湯のかさが増し、左足が入ると、湯はあふれんばかりになった。静かに身を 沈めると、湯は激しい音とともにあふれはじめた。 「ふみえ、ちょっと太ったか?」 「ひどーい」 幾分拗ねたかのようなふみえの口調に、水城は笑いをもらした。 「いい? 入れるわよ。魔法のたまご……」 ふみえの右手には、透明度のあるピンク色をした『魔法のたまご』が乗せられていた。 「いい?」 「ああ」 ピンクのたまごは、小さな水音としぶきをあげて風呂の中に落ちた。水城の手が、その『たまご』を水中でうけとめた。水にぬれたたまごの殻は、ぶとうの皮の ようにむけた。その一瞬に、透明な湯が、白くにごったピンク色に変わった。 「魔法、ね」 「魔法、さ」 水城の手では、ビニールに似た手触りだったその皮が、次第に湯に溶け消えていくのを感じていた。 「ローズの香りね」 水城は、それに答えず、湯をすくって顔を洗った。心なしか、薔薇の香りがする。 「わたし、あのまま若菜ちゃん……。連れてきちゃおうかと思ってた」 「うん、僕も」 水城は、若菜を抱き上げたやわらかな感触と、ぬくもりを思い出していた。 水城は、ハローワーク通いをはじめた。一方でふみえは、早々にパートの口を見つけてきた。 「章夫さん、ひどいのよ。また、いわれるの」 「お子さんは? ってか?」 「そう。それでね、あんまり夫婦仲がいいと、かえって子供ができないのよ、って」 ふみえのグラスに、水城はビールを注いだ。 何気ないひとことも、最近は聞き流せるようになったらしい。 「きょうは、なにかわかる?」 「きょうか? きのうが柚だろ? その前が、ラベンダー、で、森林の香り……」 水城は、指折り数えた。 「そうだな。そろそろ温泉シリーズかな。草津温泉とか……」 「はずれ! 桧の香りです」 ふみえは、『魔法のたまご』以来、入浴剤に凝りはじめている。百貨店の雑貨コーナーなどうろついて、安いパート代からささやかな楽しみを得ている。 「章夫さん、片づけが終わったら入るわよ」 生返事をして、水城はこたつに寝転がった。僕たちには、僕たちの人生がある。水城は、そう思いつつ外に目をやった。 暦の上では春とはいうものの、風がガラス戸をゆらし音をたてて通り過ぎて行った。 (完)
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