るんたるんた 民族楽器専門店

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沖縄民謡 「安里屋ゆんた」



 沖縄の民謡として一番知られている曲。戦前から全国的に広まった息の長い古い曲。
 しかし、この曲は全国版「安里屋ユンタ」であり、共通語〈大和口・やまとぐち〉歌詞で、土地の生活の中で古くから歌われていたという意味での「民謡」ではない。
 三線の伴奏があり、唄者一人が主要な歌詞を歌いきり、繰り返し部のみ囃子が加わり、前奏、間奏もある。
 三線を弾きながらの独唱が中心になり、囃子も囃し手と独唱者が一緒に歌い、次の節に入るとまた独唱者が歌いだすので、いつも唯一の独唱者だけが脚光を浴びる。歌芸の歌であり、一人中心の歌である。

 本来、沖縄では共同作業(結廻る〈ユイマール〉)が基本的にあり、男女共同の唄い方が民謡として存在おり、全国版「安里屋ユンタ」は、大和の音楽になっている。

地元版「安里屋ユンタ」は、那覇から五百キロ離れた八重山諸島の竹富島が舞台で、沖縄方言とも違う八重山方言(たとえば、ありがとうの意味の沖縄方言は、〈ミフェーデービル〉。 八重山方言では、〈ミーハイユー〉となる。)

      「安里屋ユンタ」

1、 男 サー安里屋ぬ くーやーまーにーヨー
     女 サーユイユイ
     男 あんちゅらさ まーりーばーしーヨー
     女 マタハーリヌ
     男 ツィンダラ カヌシャマヨ

2、 女 いーみしゃかーらー あーふぁりまーりばしー
     男 サーユイユイ
     女 くーゆさからー ちゅーらさすーでぃばしー
     男 マタハーリヌ
     女 ツィンダラ カヌシャマヨ

3、 男 サー目差主ぬ 乞ーよーたーらーヨー
     女 サーユイユイ
     男 あーたりょやーぬー 望みょーたーヨー
     女 マタハーリヌ
     男 ツィンダラ カヌシャマヨ

訳、安里屋家のクヤマは、たいそう美人であった。
  小さいころから、かわいく育った。
  小さいころから、美しく育った。
  (役人)目差様が求婚したら
  あたりょやが求婚したら

昔から伝わるユンタの唄い方は、二人またはグループが交互に唄い継ぎ、両者は対等な関係で唄う。男女もしくは同姓で唄う。

 沖縄は、元を正せば琉球王国で、薩摩藩(島津藩)に侵略された。
島津藩からの年貢の取立てと、琉球王朝を存続させる為の税金の取立て(人頭税)の二重苦を課せられました。
 単独作業のみでは、乗り切れないので、共同作業(ユイマール)が主流となりました。
 「美しい娘は島のためにならない。薩摩から来た、島役人の妾に半ば強制的になってしまうのだから・・・」この内容の民謡が多いなか、安里屋のクヤマは断固拒否した。
 この時代、役人に従わなければ死罪。

余談・・・「切らぬ島津の鼻毛公」と言う言葉があり、ばかボンのパパの様な鼻毛を伸ばして、強い勢力から逃れる知恵者・切れ者の島津藩主だった。
 島津藩は、「武器を取り上げ、フンドシを着けさせ、髪をちょんまげにせよ!」と、武力を使い従わせようとした。それに反抗したのが、エイサーに出てくるチョンダラーの姿であり、沖縄空手が島内で広がった。

 明治維新のころ、中国文化を中継する為だけに残されていた琉球王朝は、後に日清戦争へと発展する関係にあった日本に、武力威圧により解体。

 最後の琉球王が連行される時に、最後に詠んだ歌に「命どぅ宝〈ヌチドゥタカラ〉」(命こそ一番尊い大切な物)この言葉が沖縄の心の中に深く残っています。

 雨水(天水)に頼っていた生活で、飢饉にあい猛毒のソテツをも毒素抜きをしてまで食べていた「蘇鉄世〈スティチーユ〉」

 出稼ぎに行った先でも差別され、九州地方出身と偽らなければならなかった。

 第二次世界大戦では、無残な戦場となり終戦後もアメリカの軍事的支配をうけ、未だに米軍基地や演習場で広大な土地を貸し続けている。演習事故、暴行事件、
そんな残酷な時代を、力強く生き抜いてきたなかにある民謡。

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