茉莉花*jasmineの「むぅ」な毎日。

茉莉花*jasmineの「むぅ」な毎日。

3~4歳


むすこ

3 ~ 4 歳 の 頃


 3歳になる頃、センターのケースワーカーの方から再び「総合通園」の話が出てきました。おっとの病気のことや、通園の為にむすめをわざわざ保育園に預ける余裕はうちにはないことを話したら、ボランティアの託児の会で、1歳児未満の子ならセンターの館内で預かってくれるということで、その方に頼み、通園することになりました。

 また、同じ頃、ご近所さんから幼稚園入園の話が出て来ました。
 3年保育の近所の幼稚園に入れたいと思っていた私達。前もって園長に相談をすると「大丈夫ですよ」というので願書を出して帰って来ました。
 …が、療育センターからストップが。心理の先生に「今のむすこさんの状態で幼稚園に行っても、行くだけになってしまって、成長出来ません」「むすこさんのためになりません」と断言され、泣く泣く諦めることに。通園は通常3歳児までが原則らしいですが、特別措置ということで、もう一年、療育センターの総合通園に通うことになりました。

 この頃、私が子どもと外に出るのが嫌いでした。3歳にもなると、通りすがりの人や、子連れて遊びにきているお母さんが、私にではなくむすこに直接「お名前は?」「年はいくつ?」とか聞くようになるんですよね。
 むすこが返事出来ないということを知らないのだから、当然と言えば当然だし、相手に悪気がないのは分かってるんですが、いちいちその人達に「この子まだ喋れないんです」とか、「発達が遅いんです」なんて説明しないといけないのが億劫になったのと、なぜか相手はむすこが無視したと思うらしく「何ねこの子は、耳(口)のない子やね」と言われること。
 また、口の達者な同じ位の年の子が、自分が友達を泣かせたのに、「この子がした、僕知らない」とむすこに責任をなすりつけたりする場面にたびたび遭遇することがあり、外に出るのが怖くなったんです。
 以前は、お互い同じ年の子どもがいる大の親友が近所にいて、私たちを公園などに連れ出してくれていたのが、離れた所に引っ越ししてしまい、それから通園に行く日以外は、ずっと家に閉じこもっていました。

 進路指導の時期になり、今度は保育園に預けようという話しになりました。幼稚園と違い、幅広い年齢層の子達がいることや、生活の自立に結びつくということ、おっとの度重なる入院で生活も楽じゃなかったので、私が働きに出たい、ということからでした。年度の途中の8月に、近所の障害児保育もしているという保育園に希望を出しましたがなかなか入れず、やっと入れたのは年中さんからでした。

 センターに通い出した頃からずっと勧められていた「療育手帳」。手帳を持つ、ということに抵抗を感じ、ずっと持たないでいたんですが、保育園に入る場合、障害の程度が中度だと、その保育園には補助金が入ること、子どもに一人先生が付けられること、加配の先生の給料が国から一部補助されるということで、この頃やっと決心し、児童相談所に判定を受けに行きました。結果は中度。我が家にも「特別児童扶養手当」が入ることになりました。

 昼間のおむつがはずれたのもこの年の秋頃でした。おむつに関しては「知能が2歳下なら出来るわけないじゃん」と全然力を入れていなかったのがよかったのかも。本当に「いつの間にか」って感じでした。ま、夏の間、薄着でわりと大きめの体でおしりのところがおむつでもっこりしていたのには少し抵抗がありましたが。おねしょはしばらくあったので、寝る時だけおむつを履いていました。

 この頃になってやっと「いや」「ひこーき」「あんばーが(ハンバーガー)」「いんご(りんご)」「ばく(バス)」等の単語が出始めました。

この頃は、とにかく好き嫌いが多い時期でした。牛乳が嫌いで、牛乳と同じ色のカルピスなどの乳酸菌飲料も全く飲まず、センターの給食で、ミックスベジタブルの入った料理が出たりすると、自分でよけていました。たこ焼き・お好み焼き・焼きそばといったソースを使った料理は見ると怒り出したり。やはり初めて見る食べ物は、なかなか口に入れませんでした。


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