汝はまことに立派な生まれつき



あるときの師の談話・・・・



夜となく昼となく、お前がた、悪戦苦闘しつつ、
ひたすら女の性格をこう匡正(矯正)し、
女の汚れを己が身を以て浄化しようと努めている。
むしろ己れ自身を女によって浄化したらどうか。
その方が、己れによって女を浄化するよりずっといい。
己れ自身を女によって匡正することだ。

女のもとへ行け。
向こうが言うことをなんでもそうだと言っておけ、
たとい自分では馬鹿げたことを言う奴だと思っても。

かーっとのぼせて熱中するのはもともと男性的な特質だが、
(女に対しては)そんなものなど棄ててしまえ。
それ自体としては、これはよい特質ではあるが、
それを通していろいろな悪い性質が入り込んでくる。

こういうことがあればこそ(女は男にとって自己鍛錬の為の絶好の手段だから)
預言者ムハンマドは
「イスラームにおいては修道院制度は認められない」 *ハディース
と仰せられたのである。

修道僧というものは孤独の道を行く。
彼等は山深いところに住み、妻を娶らず、世を棄てる。
これに対して神は預言者にもっと玄微な道を示し給うた。

その道とは?

妻を娶ることだ。
そういう道をとることによって女の横暴に堪え、
女の馬鹿馬鹿しい話を辛抱して聞き、
女に踏みつけにされ、
それで自分を鍛錬せよと言うのだ。
「汝はまことに立派な生まれつき」 *コーラン
と言われているではないか。

女の我儘を受け流したり身に受け止めたりしているうちに、
いわば自分の汚れを女にこすりつけて落としてしまう。
こちらの性格は忍耐によって次第に善くなってゆき、
向こうの性格は威張り散らして我意を通そうとすることによって
次第に悪くなってゆく。
この道理がよく分かったなら、
一路自分自身を清浄にすることに精出すべきだ。
つまり女たちを一種の着物と考えて、
自分の不潔さをその着物にこすりつけて
取り除くように努めるのだ。
そうすれば自然に清純な身になってくる。

以下・・・略

抜粋 「ルーミー語録」



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