4男5女の部屋

4男5女の部屋

中岡 俊哉



「ローラスケートの足首が走りまわる」

「ああ、憂鬱だな……」
私は思わず溜息をついていた。
また真夜中になると、うるさい音が聞こえてくるのだ。
「何とかならないのかよ」
私はうるさい音に対して、溜息をつきながら大声で、誰にともなく
怒鳴ってみた。
その日、実家の母親が倒れたというので、家内は中学生の女の子を連れて
実家に帰っていた。
母親の容体はかんばしくなく寝たきりが長引いていたため、私はしばらく
単身赴任のような暮らしをしなければならなかった。
しかし、特に生活に不便は感じないですんでいた。
このごろは便利なもので、食べたいものをスーパーで買ってきて
チンとレンジで温めれば何でも食べることができた。
家内が長期間、留守にしていても、食生活にはまったく不便を感じないで
すんでいた。
「問題は、あのうるさい音だ」
私はベッドにひっくり返りながら、腹を立てて怒鳴っていた。
午前一時、人々はみな床につき寝入っている。
私も仕事の疲れと、一杯飲んでいたこともあって、ウトウトと眠っていた。
「ゴーゴー、ゴーゴーゴー」
マンションの外廊下をローラースケートで走る音がまた響きはじめる。
「ちくしょう、始まりやがったか」
私は跳ね起き、今日こそは怒鳴りつけてやろうと腹を決め
玄関のドア近くに近づいていった。
「ゴーゴー、ゴーゴーゴー」
ローラースケートの音がはっきりと聞こえた。
「ウッフフフ、ハッハッハッ」
ローラースケートの音にまじって、せせら笑うような男の子の甲高い
笑い声も聞こえてくる。
私は、勢いよくドアを開けて大声で怒鳴った。
「静かにしろ、少しは人の迷惑を考えろ」
大声で怒鳴りながら、あたりの廊下を見まわした。
「うーん……?」
私は思わず自分の目と耳を疑いながら、じっと廊下の隅から隅までを見た。
ローラースケートを走らせている人間の姿など、まったく見えないのだ。
「おかしいな……」
私は眩きながら、ドアを閉めようとして、思わず手を止めた。
ふたたびローラースケートの走る音は聞こえてきたのだが
それを走らせている人間の姿は見えない……。
いや、そこには……ローラースケートを履いた足首だけが、はっきり
と見えたのだ……。
私はあまりの驚きに激しい心臓の鼓動を感じながらドアを閉め
棒立ちになって肩で大きく息をしていた。
「あれはいったい何だったんだ?」
私は自分に問いかけるように呟いていた。
私が見たローラースケートを履いた足首から先は
いったい何だったのだろうか。
私は背筋の寒くなるような思いを感じながら、床に坐りこんでしまっていた。
「ゴーゴー、ゴーゴーゴー」
あたりの静けさを破るようにして、またローラースケートの走りまわる音が
聞こえた。
私は気味が悪くて床に坐りこみ、もう一度、廊下を覗いて見る気には
ならなかった。
「うるさいぞ、静かにしろ、馬鹿野郎!」
私の部屋から三室離れた部屋のなかから、ごつい男性の大声が聞こえてきた。
男性はローラースケートのうるさい音に向かって、幾度も怒鳴っていた。
しかし、つぎの瞬間、それは
「な、何だ、これは!」
という悲鳴のような声に変わった。
「誰もいないじゃないか、なんで音がするんだ」
男性の声は震えていた。
男性は不思議な現象に驚きながらもドアを開けたまま、身を乗り出して
周囲を見まわしていたのだろう。
「ギャーッ」
つぎには、男性の激しい悲鳴が聞こえてきた。
「ゴーゴi、ガチャーン、ゴーゴー」
ローラースケートの音は相変わらずつづいている。
「フフフフフ……」
その音とともに、含み笑いのような声も行ったり来たりしている。
「キャー!助けて!」
今度は、奥さんらしい人の声がドアの向こうから聞こえてきた。
もしかしたら、とんでもないことになっているかもしれない、
そう思った私は、恐怖を押さえて、そっとドアを開け、廊下を覗き見た。
すると、あの不気味な足首は消えているかわりに、三室先の家のドアが
開いているのだ。
〈もしかしたら……?〉
私は自分を奮い立たせるように、顔を数回叩くと、その開かれたドアに
そっと近づいていった。
やはり、ローラースケートを履いた足首だけが、部屋のなかを
駆けまわるように動いていた。
不思議な怪奇現象に、その部屋のご主人もただ生唾を呑み
荒い息を吐きながら身動きできないでいる。
びっくりして気を失いかけていた奥さんも、意識を取り戻すと
部屋のなかを動きまわり自分のほうに近づいてくる足首に
声を出すこともできないで竦みあがっていた。
私はご主人に声をかけようと思ったが、思うように声も言葉も出ない。
その状態がどのくらいつづいただろうか。
「アァーッ」
私は愕然となった。
ローラースケートを履いた足首だけが、スーッと宙を飛ぶようにして
消えていくのがはっきりと見えたのだ。
「大丈夫ですか?たいへんだったようなので……ドアが開いていたので
入ってきてしまいました」
私は無断で入りこんだことをご主人に詫びた。
「いや、いいんですよ、恐ろしかったですよ」
男性は青息吐息といったような状態で、そう答えた。
「実は私もあのローラースケートの音には悩まされましたし
腹を立てました。人間の姿が見えないのに、音だけが聞こえていた
とてもたまりませんでした」
私は翌日、管理人の事務所を訪ねた。
そして、事情を話し、原因を確かめようとした。
「ああ…あの少年ね……。もう、三年前に死んでいるんですよ。
ローラースケートで走っているとき、マンションの壁に激突して
即死でしたよ」
私は管理人の話を聞き、背筋の凍るような思いをした。
「お騒がせしました」
例の夫婦は引っ越していった。
不思議なことに、管理人から事情を聞き、哀れに思ったその晩からは
ローラースケートの音はしなくなった。


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