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私 : 「日本史」は「明治維新」で確立 されたようだ。
江戸時代 までは、 歴史を学ぶといっても、知識人ですら、平家物語などを読むのがせいぜい で、 幕末に読まれた頼山陽の「日本外史」 にしても、 武家名を冠した「新田氏前・正・後記」「足利氏正・後記」などの形で、時に思い入れを込めた叙述が続く という。
A 氏 :「 歴史学」は今、過去の史料を評価・検証することで歴史的事実を追求する学問と定義 される。
こうした「歴史学」が誕生したのは19世紀 で、 ドイツの歴史学者レオポルド・ランケらが、史料の相互比較などによってその信用性を確かめ 、 史料から判断できる以上のことは言及しないという「実証主義」を唱えてからのこと。
私 : 日本では「明治維新」以降 、 お雇い外国人が工学、医学など様々な学問を体系ごと日本に移植し、「歴史学」も例外ではない。
1887年 、 帝国大学文科大学に史学科が創設 されると、 ランケの弟子のルートビッヒ・リースが招かれた が、 講義したのは西欧史 だったが、 89年にはリースの意見などを取り入れながら、「国史(日本史 )」学科が誕生 。
日本の近代歴史学の普及に大きな役割を果たしたのが、長崎県 出身の黒板勝美氏(1874~1946)だ 。
黒板氏は1908年の『国史の研究』初版で、日本史 の時代区分を氏族制度時代、律令制度時代、鎌倉武家時代、京都武家時代などと定義 する。
だが、 13年の再訂版では、現在の鎌倉時代 末期以降に、公家中興時代(31年の三訂版では皇家中興時代)という新しい時代を設定 。
早大の廣木尚助教(日本近代史) は「 当時から武家は主権者でなかったとすることで、万世一系の天皇が維新以前から一貫して国民を統治してきたという歴史を叙述しようとした 」として、「 江戸時代、人々は地域を治めた『藩』の単位で物事を考えていたが、日清・日露の両戦争を体験し、天皇陛下のため、皆が一身を奉じて尽くすべきだという『国民』意識が醸成された。黒板氏の『歴史学』はそれを後押しした 」とみる。
A 氏 : 黒板 氏はまた、 日本支配下にあった朝鮮の歴史をまとめた「朝鮮史」(38年刊行終了)や「朝鮮半島史」の編修と、朝鮮の古跡の調査・保存に情熱を注いだ 。
黒板 氏は、 中国・漢が朝鮮半島北部に楽浪郡を建設したことで、押し出された人々が日本にやってきたと考えていた。
早大の李成市教授(朝鮮古代史) は、 黒板 氏は、 「実証主義」を奉じる一方、日韓併合に根拠を与え、総督府の人脈を使って総督府博物館の建設に関わり、現地の「国民教化」を図り、黒板氏の「歴史学」は国民国家を作る装置だった という。
私 : 李教授 によると、 内外で「万民平等な国民の形成」を後押しする黒板氏の認識 は 当時としては珍しいものだった が、それは、 欧米と伍する国家を創出するための国策 ともいえたが、 民族同化などの大きな犠牲 を生み、そこに 近代日本の二律背反 があるとみる。
「明治維新」によってできた「日本史」も、 「実証主義」よりも 国策の制約は避けられなかった ようだ。